加藤木柚愛(カトウギユア)、32歳。

「おはよう、柚愛」

「おはよう、弘人」

同い年の恋人・田川弘人(タガワヒロト)と交際を始めて12年目、一緒に暮らし始めてから今年で10年目を迎えた。

「ごちそうさまでした」

いつものように朝食を終えると、弘人は食べ終わった皿をシンクに置いた。

「今日は休みなんだっけ?」

「うん、休みだよ。

特に出かける予定もないし」

「じゃあ、今日はゆっくりできるね。

最近は忙しかったもんね」

「急に人手不足になったうえに世間は春休みに入ってたから本当に大変だったよ」

広告会社に勤務している優しい恋人に特に不満はない。

「弘人、時間は大丈夫?」

「大変、もう行ってくる!」

「行ってらっしゃい」

玄関まで行って弘人を見送ると、柚愛は家事を始めた。
朝食の後片付けに洗濯、掃除と家事を終わらせた頃には昼近くになっていた。

「昼ご飯は久しぶりに冷凍のパスタでいいか」

冷凍庫から常に買い置きしてある冷凍パスタを取り出すと、それを電子レンジに入れて温めた。

パスタが温まるのを待っている間にスマートフォンを手に取ると、指で画面をタップしてSNSにアクセスした。

「おっ」

アクセスしたとたんに画面に表示されたそれに、柚愛は声をあげた。

『予定日よりも1週間早くなったけれど、娘が生まれました』

友人からの出産報告と小さな手の写真から目をそらすように、柚愛は画面を消した。

「今年に入って、3人目か…」

交際を始めて12年目、同棲を始めてから10年目の悩みーーそれは、恋人の弘人が自分と結婚をしてくれないことだ。
23歳になった辺りから、友人たちから結婚報告や出産報告を聞くようになった。

次は自分だ、いつプロポーズをされるのだろうか…と待ち望んだけれども、弘人の口から結婚の話が出てくることはなかった。

ずっと前に友人ができちゃった婚をした…とそれなりに結婚の話題を出しては見たものの、
「へえ、そうなんだ」
と、弘人は一言だけ返事をしただけだった。

(もしかして、結婚する気がないのかな…?)

まるで自分には関係ないと言いたげなその返事に柚愛は心を曇らせた。

「友達の子供なんて、1番大きい子は小学1年生だって言うのに…」

そう呟いたのと同時に電子レンジがチーンと鳴った。

冷凍パスタが温まった。

「職場が人手不足になったのは1人は結婚を機に退職して、もう1人は産休に入るから休むことになって…」

柚愛はブツブツと独り言を呟きながら、フォークを取り出した。
パスタをフォークに巻いて食べると、柚愛は息を吐いた。

30歳を過ぎてから、両親から“結婚はまだか、孫はいつだ”と急かされるようになった。

2年前に3歳下の妹が職場の同期の男と結婚をしたからと言うのもあるだろう。

その妹も今は妊娠をしているとのことだ。

この間は2歳上のいとこが2人目を出産したと両親から聞かされた。

両親が急かしてくる気持ちはわかる。

妹は妊娠、いとこは2人目を出産と聞いたから、まだなのかいつなのかと急かしてくるのは当然のことだろう。

「私だって早く結婚して子供を産みたいっつーの!」

この状況に1番焦っているのは、自分だ。

もう10年もつきあっているから早く結婚したい。

年齢のこともあるから早く子供が欲しい。

なのに、
「何で結婚してくれないんだろう…」

柚愛は呟くと、息を吐いた。
その夜。

「ただいまー」

8時を過ぎた頃に弘人が帰ってきた。

「お帰りなさい」

玄関にきた柚愛は弘人の手からカバンを受け取った。

「先にお風呂にする?」

「うん、そうする」

そう返事をすると、弘人はバスルームへと足を向かわせた。

「おっ、美味しそうだな」

お風呂を済ませてスウェットに着替えた弘人が食卓に現れた。

今日の夕飯はよだれ鶏だ。

ご飯と豚汁をテーブルのうえに置くと、
「いただきまーす」

食事を始めた。

「ねえ、弘人」

「んー?」

「国崎さんって覚えてる?」

「ああ、大学のゼミで一緒だったあの子だろう?」

弘人はそう返事をすると、豚汁をすすった。

「今日の昼に国崎さんのSNSを覗いたら子供を出産したって言う報告があって…」

そこまで言うと、柚愛はチラリと弘人を見つめた。
「へえ、子供が産まれたんだ」

それがどうしたんだと言いたそうに弘人は言った。

「うん、産まれたって…」

柚愛は首を縦に振って返事をすると、
「だから、私たちもそろそろ…」
と、話を切り出した。

「そろそろって?」

そう聞き返してきた弘人に、
「結婚とか子供のこととか…交際を始めて10年以上だから、もう考えてもいいかなって」

柚愛はできるだけ笑顔を作りながら答えた。

「あー…」

弘人は返事をすると、よだれ鶏を口に入れた。

モゴモゴと口を動かしてゴクリと飲み込んだ後で、
「まだ早いんじゃないか?」
と、弘人は言った。

「えっ…?」

(早いって、何が?)

どうしてそんなことを言ったのか全く理解ができなかった。

「早いと言うのは…?」

思わず聞き返したら、
「もう少し先でもいいんじゃない?

俺たちもまだ若いんだし」
と、弘人は答えた。