「災難だったわねえ、紅音(あかね)先生」

園長は駆け込んだ私にお茶を淹れてくれる。彼女はみちる保育園、私の職場の園長先生だ。

「すみません、お世話になります……」

「いいのよ。住むところが無きゃ生きていけないからねぇ。ここで気が休まるなら、私も嬉しいわ」

園長は顔中のシワを集めたようなくしゃくしゃっとした笑みを私に向けた。私は目の前に置かれた湯飲みに手を伸ばした。
それが熱くて、私は慌てて手を引っ込めた。

「ああ、ごめんなさいね。氷、いれてくる。……飲めるかしら」
「お構い無く……」


悲観せず、同情せず、笑ってくれるのに、人一倍気を遣ってくれる園長のあたたかさ。
ただ家にあげてくれただけでもありがたいことなのに。
溢れた涙を部屋着のままの袖口で拭って、きゅっと奥歯を噛み締めた。

「大丈夫よ、大丈夫。命さえあればね、何でもできるの」

冷たくなった湯飲みを座卓に置いて、園長はお母さんのように私の頭を撫でる。

ああ、きっとお母さんってこんな感じなんだろうな……。

園に子どもを迎えに来る親たちを脳裏に思い浮かべる。ポロポロと、静かに涙がこぼれ落ちていく。

「紅音先生は生きてるんだから」

園長は仏壇にちらりと視線を向けた。
園長の家は昔ながらの平屋で、居間には茶色く焼けた畳の上に花柄のカーペットが敷かれている。その上の座卓は縁に木彫りの松が掘られていて、高級感を漂わせる。
壁には、子どもたち、あるいは子どもだった人たちののびのびとした絵がところ狭しと飾られていて、その中に突然現れる仏壇の観音扉は少し異様だ。

「旦那さん、ですよね?」
「ええ、そうよ。あの人は死んだから、なーにもできないの。いつも私はひとりぼっちよ? ……今は紅音先生がいてくれるけれどね。ふふっ」

園長は立ち上がると仏壇の前に腰を下ろした。そしてお線香をあげると、

「勝手に先に行くなんて、ねえ」

と笑ったまま小言を漏らした。

「さて、と」

園長はパンっと両手を打ち鳴らす。

「紅音先生、お風呂入ってらっしゃいよ。着替えは……私ので良いかしら?」
「すみません、寝泊まりだけさせていただければ、本当に……」
「いいのよ。不謹慎かもしれないけれど、私も娘ができたみたいで嬉しいの! お世話させてね!」

園長は私に向かって茶目っ気たっぷりに片目をつぶる。私は一瞬固まって、そのまま園長が持ってきた着替えのパジャマを手に風呂場へと背中を押されたのだった。