誰もいないはずの夜の体育館裏、何かを叩いている鈍い音が聞こえてくる。暫くの間、その音は止まることなく正しいリズムで叩かれている。そしてぐしゃりと潰した様な音を最後に止まった。

 地面に転がる黒い塊。その側には、少年が一人、ぐにゃりと歪に曲がった鉄パイプを片手に立っている。額から流れる汗は頬を伝い顎の先から地面へと落ちていく。少年はそれを拭くこともせずに、ただ地面に転がる黒い塊を無表情な瞳で見下ろしていた。

「やっちまったなぁ……おい。人の仕事増やしてんじゃねぇよ」

 誰もいるはずはなかった。少年はそう思っていた。ゆっくりと後ろを振り返ると、そこには濡鴉の様に漆黒の長い髪をした少女がにたにたと人を食ったような笑みを浮かべ立っている。

 作業に気を取られすぎていたのか?いいや違うだろう。まるでそこに湧いて出てきた様に少女が現れた……少年は、いつまでもにたにたと笑っている少女を見てそう思った。

「君は……?」

「私か?私はさっちゃん。よろしくな」

 その少女、さっちゃんは少年へと手を上げると、なんの躊躇いもなく黒い塊の方へと歩を進める。そして、黒い塊の前まで来ると、屈みこみまじまじと見詰めていた。

 黒い塊から目を離し、少年の方へと振り返る少女の顔には、やはりにたにたとした笑みが張り付いている。

「君は、さっちゃんは、これを見てどうも思わないのか?」

 黒い塊の前にしても全く動じることなく、いやな笑みを浮かべ続けるさっちゃんへ、少年がそう尋ねた。

「こんなもん、見飽きてるからなぁ。どうも思わねぇよ」

 さっちゃんは黒い塊の一部を親指と人差し指でつまみ上げ、それをぷらんぷらんとさせている。

 それは、人の腕であった。さっちゃんは二本の指で学生服の袖を掴みぷらぷらさせているのだ。

 そのつまみ上げられ、揺さぶられている腕は何度も何度も少年から鉄パイプで殴られたせいか、骨は砕け、まるで軟体動物の様にぐにゃぐにゃとおかしな揺れ方をしている。

 また、腕だけではない。足も首もおかしな方向へと向き、生前はどんな顔をしていたか分からないくらいに変形してしまっている。

「見事にぐちゃぐちゃだなぁ、おい。よっぽど怨みがあったんだ」

 へっへっへっと笑い声をあげたさっちゃんは、血で汚れた指先を少年の制服で拭った。そんなさっちゃんを無言で見詰める少年は、苛立ちを隠せずさっちゃんの手を払い除けようとしたが、それを難なく避けるさっちゃん。

「どうした?目撃者の私も殺すか?」

 耳元で囁くさっちゃんに、少年はふるふると首を振る。そして、さっちゃんの体を押しのけるようにしてどかすと、その場にどさりと座り込んだ。

「こいつは……ある女の子をレイプしたんだ。それだけじゃない。その様子を動画で撮影して……何度も何度も、彼女に強要して……!!」

「ふぅん。そりゃ災難だなぁ」

「災難だと?そんな言葉じゃ済まされないんだよっ!!だから僕は殺ったんだ!! 僕は彼女の為に復讐したんだっ!! こんな生きる価値のない虫けらを殺してやったんだ!! 」

 少年はさっちゃんへ怒りをぶつけるようにそう言うと、手に持っていた鉄パイプを死体の方へと投げた。鉄パイプは死体に当たらずにからんと転がっていった。それを見てちっと舌打ちをする少年。

「馬鹿か、てめぇ? 虫けらでも殺していい理由なんてねぇぞ?」

「あるさ!! こいつはそれだけの事をしたんだ!!」

 少年はそう言うと、地面を拳で叩いた。さっちゃんは、そんな少年を相変わらずの人を喰った様な表情で見つめている。

「ねぇよ。この国は法治国家だろが? 目には目をじゃねぇんだよ?いつの時代だ。てめぇが幾ら理由並べようが、ただの殺人。ひ・と・ご・ろ・し」

 最後の言葉を区切りながら強調し少年へと突きつける。それを聞いていた少年の体が怒りで震えているのが暗い闇夜の中でも分かる。

「それは綺麗事だろっ!!……じゃぁ、このままこいつが裁かれずにのうのうと生きていれば良いと言うのか?」

「綺麗事?違うぜ、現実だよ。それに裁くのはてめぇじゃねぇ、法律だ。いずれてめぇもその法律に守られるんだぜ。少年A(17)深夜の学校で同級生を撲殺ってよぉ」

 けたけたと楽しそうに笑うさっちゃんに、少年がじっと睨みつけている。そんな少年の事などお構い無しに話しを続ける。

「てめぇがやった事は、ただの殺人。それともなんだ?その子から頼まれたのか?復讐してくれって、こいつを殺してくれってよぉ?」

 何も言わず首を振る少年。そんな少年を冷ややかな目で見下ろすさっちゃんは、ぐっと少年の胸ぐらを掴んだ。

「てめぇのエゴでこいつを殺したんだろ?」

「違うっ、知った様な事を言うな!! 僕は……その子の為に!!」

「何が違うんだっ!!こら!! その子に頼まれたのか?違ぇだろ?てめぇが勝手にやったんだろが?こんな事しても、その子の過去は消えやしねぇ、傷は癒えねぇ、今度はてめぇの事を気に病むんじゃねぇのか?それに、この事でその子がされた事が皆の目に晒されるぞ?てめぇはそこまで考えたか?自分のエゴだけで走ったんじゃねぇのかよ」

 さっちゃんは少年を揺さぶりながら怒鳴りつけた。少年は小さな声でうぅっと唸るだけしか出来ない。

「……僕は、ただ彼女の事を」

 がくりと項垂れた少年の胸ぐらから手を離すと、少年はそのままへたりと地面に座り込んだ。

「その子を支えて寄り添い生きていく事は考えなかったのかよ?そっちの方がその子の為になるだろう……阿呆が」

 遠くからサイレンの音が聞こえて来る。少年は膝をつき項垂れたまま顔を上げようとしない。

「僕はいなくなった方が彼女の為になるのかな……」

 ぼそりと呟く少年に、さっちゃんはけたけたと笑いながら少年の顔を覗きこんだ。

「死ぬか?警察が来る前に、飛び降りて死ぬか?死ねよ?そうすりゃ、てめぇはあの子の今後なんて知らなくて済むだろうからよ。それにあの子の心の中には罪悪感と言う名のてめぇがいつまでも、死ぬまで居座るだろうしなぁ……良いじゃねぇか?いつまでも覚えていて貰えるぜぇ」

 さっちゃんは少年の襟首を掴むと、ずるずると引き摺りながら校舎へと向かって歩く。抵抗する気力さえも無くなったのか、無抵抗のまま引き摺られていく少年の目から一筋の涙が零れている。

「今更悔やんでもしょうがねぇんだよ。なぁてめぇがした事は許されねぇ。厳罰が下されるだろうよ。死んでも良いくらいだぜ?でもよ、生きていれば償える。その子の支えにもなれるだろう。てめぇ次第だろうけどよ。てめぇが今後どんな生き方をするのかを、もがいて悩んで苦しんで一生考えろ続けろ」

 少年より細いその腕のどこにそんな力があるのか分からなかったが、気づけば校舎の屋上へと引き摺られ連れてこられていた。

「さぁ、死ねよ。やり直す気がねぇんならなぁ。その子は一人ぼっちで拭えない過去と、てめぇへの罪悪感で苦しみ生きていくさ。もしかしたら、後追い自殺でもするかもなぁ。そしたら、てめぇは二人殺した事になるぜ?」

「……」

「あとはてめぇ次第だぜ?別に止めるつもりはねぇし、その子がこれからどうなろうが私にゃ関係ねぇからよ。死にたきゃどうぞ、ご自由にってな」

 にたりと笑いながらそう言うと、さっちゃんはとんっと少年の肩に手を置いた。フェンス越しに黒い塊を見詰める少年。そこにはいくつもの懐中電灯が黒い塊を照らしている。

 そして、少年は顔だけさっちゃんの方へ向けると、小さな声で尋ねてきた。

「……君は何者なんだ?」

「私か?死神さっちゃんって呼ばれてるさ」

「死神……なんで僕を助けようとするんだ」

「助ける?はぁ?んな事してねぇよ。ちったぁ考えろと言っただけだぜ?死ぬも死なねぇも自分で決めろってな」

 相変わらずにたにたと人を小馬鹿にした様な笑みを顔中に浮かべたさっちゃんの体が、夜の闇の中へ溶け込むように消えていった。

 それから少年は自首したと聞いた。自分の足でしっかりと歩き階段を降りて来たと聞く。それから先の事は何も聞いていない。出所するのはまだまだ先の事である。



 深夜零時、昼間の様に明るい繁華街の隅っこで、ふわぁと欠伸をする少女がいる。濡鴉の様に漆黒の長く美しい髪をした少女。ひっくり返したビールケースに座り頬杖をついて、人の溢れる雑踏を眺めていた。

 しかし、そんな少女に誰も見向きもせずに通り過ぎていく。まるで、その少女が誰にも見えないかの様に。

 にたり……

 少女は嫌ぁな笑みを浮かべるとビールケースから立ち上がり、雑踏の中へと消えていった。