「どうした、峯野。そんな顔して」


暗闇の中、モニターの光だけに頼り、彩響はゆっくりと体を動かした。後ろで携帯を見えないように握り、あえて顔は平常心を維持する。足先から徐々に体が震え出したけど、決して慌てた様子は見せなかった。いや、見せたくなかった。


「大山編集長、こんな時間にどうしました。なにか忘れ物ですか?」

「はあ?何言ってるんだ、お前状況把握してないの?」

「…じゃあ、あなたがやはり佐藤くんのアカウント使って私を呼んだのですか?」

「そうだよ、上司のことは偉そうに無視するくせに、部下のことになると一発で飛んでくるんだな。何、お前らできてんの?だから俺拒むわけ?」


どうやら、編集長はなにも隠すつもりがないらしい。もちろん佐藤くんとはそんな関係でもないし、そもそも根本的に編集長をそういう対象としてこれぽっちも考えたこともない。20歳以上差があって、大して外見も性格もよくないくせに、自分とうまくいくと強く信じ込んでいる姿に反吐が出る。


「編集長、勘違いもいい加減にしてください。例え私がこのまま歳をとって一人で死んでも、あなたとは絶対そんな関係にはなりません」

「女の年30超えたらもう腐った豆腐当然だろ?それを俺が可愛がってあげたら調子に乗りやがって…」
編集長が少しずつこっちへ近づいて来た。それにあわせ彩響も少しずつ後ずさりする。体に付いているすべての神経が警笛を鳴らしている。今の状況は危ない、こいつは危ない、逃げろ…、と。


「お前さ、昔からやっぱ気に入らなかったんだよ。結局お前も結婚して子供生んだら家に入るんだろ?それなのに周りの男全員無視しやがって、得たそうに振舞って…愛されたかったら、もうちょっと回りの空気読んで遠慮して女らしく振舞えよ。まあ、お前のような気の強くて性格汚い女、貰い手もないけど」


距離が少しずつ縮まる。早く逃げなきゃいけないのに、足が震えてうまく動けない。今にも消えてしまいそうな意識を意地で保って、彩響は徐々に扉の方に体を動かした。その最中も大山の戯言は続いた。


「気を遣って可愛がってやったら女房に知らせるとかなんとかで脅迫するし。俺の好意を無視しやがって。てめえのようなクソビッチはさあ…一回痛い目に合わせてやらなきゃ俺の気がすまないんだよ!」


叫び声と同時に、彩響が全力で走り出した。扉を超え、暗くて長い廊下を必死で走る。静かな空間に二人の激しい足音が響く。誰か、誰か…!エレベータホールまで着き、非常階段のドアノブをまわす。しかし扉は閉まっていて、中には入れなかった。慌てた瞬間、後ろから髪の毛を引っつかまれる。そのまま引っ張られ、地面に強く投げ捨てられた。全身を襲う痛みに自然と悲鳴があがった。


「あっ…!なにするんですか!」

「俺から逃げられると思った??誰もお前を助けなんかしないぞ!」