それから、数日が立った。
相変わらずの日常をなんとか生き延びた。あくびをして時計を見ると、もう既に時刻は夜の8時を越えている。隣で書類を見ていた佐藤くんがぱっと立ち上がった。
「主任、眠いんすか?俺、自販機でコーヒー買ってきます」
「あ、今日はもう帰りましょう。原稿チェックは明日やってもいいと思うし」
「なら主任は先に帰ってください。俺はもう少し見てから帰ります」
「うん、じゃあ切りのいいところで帰ってね。お疲れ様です」
「お疲れ様ですっ!」
どたばたしていた佐藤くんはすっかり落ち着いてきて、最近は自分から望んで残業することが随分増えた。残業が癖になってしまうのは好ましくはないが、意欲が上がったのは先輩として嬉しいことでもある。彩響は軽い挨拶を残し暗いオフィスを出た。いつものように電車に乗り、駅から数分歩いて玄関を開けると…。
「あ、お帰りなさいませ、彩響さん」
「はい、ただいま」
やさしい空気に包まれた、綺麗な家。本当の意味で「安らげる」場所になったマンションで、彩響はふうーと長い呼吸をした。寛一さんが静かにコートを受け取りハンガーにかけてくれた。
「今日もお疲れ様でした」
「はい、寛一さんもお疲れ様です」
「着替えてきてください。あ、手も洗ってください。食事用意してます」
今日のおかずは何かなーうきうきして彩響は言われた通り部屋に入った。ブラウスのボタンを外そうとした瞬間、カバンに入れておいた携帯の音が聞こえた。メッセージを送った人は佐藤くんだった。
「峯野さん、申し分けないですけど…いま俺すごいミスを発見してしまって…」
(佐藤くん…?なんかあったのかな?)
「どうしたの?なんかあった?」
「マジでやばいです。これ、上に見つかったら俺その場で首になります…。俺一人じゃどうにもならないからちょっと会社に来て貰えませんか?」
「今から?」
「そうです、お願いします」
さっきまで普通にしていたのに、こんな夜中に自分を呼び出すくらいの案件とはいったい…。やっと使えるくらいになったと思ったのに、今になって部下を失いたくはない。そう思った彩響はそのまま手を止めリビングへ出た。食卓にいろいろセッティングしていた寛一さんが怪訝な表情でこっちを見つめた。
「ごめんなさい、私会社に急用ができて、今からちょっと行って来ます」
「こんな時間にですか?」
「なんかよく分からないけど…部下が凄い困っているようです。助けてあげないと」
寛一さんが黙って何かを考える。そして再び質問した。
「火事になったとか、殺人事件とか、そういう種類ではないんですね?」
「た…ぶん…?」
「じゃあ少しは余裕あるでしょ。これ、食べてから行って下さい」
「え、でも…」
「20分くらい待たせても問題ないはずです」
家政夫さんの強い勧めに、彩響は少し悩んで答えた。
「じゃあ、寛一さんも一緒に食べましょう」
「俺…ですか?」