ふと、大昔のことを思い出した。今は母と離婚して行方も分からない父と一緒に住んでいた時、父が母をボコボコに殴ったあの日…母は中学生だった彩響にこう言った。

――あなたが、男だったら良かったのに。

だったらあんたの親父が私を殴るとき、私を守ってくれたのに。


「……絶対に、辞めない」


抱いていた便器から立ち上がり、鏡の前に立つ。

すでにボロボロになった顔を冷たい水で洗い流して、鏡の中の自分に誓った。


「絶対辞めない。あいつらに見せてやる。私だって、女だって、いくらでも活躍できると、絶対見せつけてやる…!」



「…大変でしたね」


寛一さんの感想は簡単だった。多少重くなった空気が気まずくなり、彩響はわざと明るい声を出した。


「いや、今はもう結構落ち着いた方なので」

「そんなことないでしょう。実際、倒れるほど無理していませんか」

「いいの、これくらい。日本の社会人なら、これくらい特に珍しいことでもないでしょう」
寛一さんが長くため息を付いた。その意味が分からず、彩響がじっと見ていると、しばらくして彼が口を開ける。

「俺は彩響さんのように会社で働いた経験はありませんが、この仕事をしていく上で大変なことはありました。男が家事をするなんて、なかなか拒否感のあることだと認識されているようで」

「あ…」


その言葉に、彩響は理央が初めてCinderella社の広告を見せたときを思い出した。「男が家事をきちんとやるはずがない」、自分も確かにそう思っていた。なんか申し訳ない気分になり、彩響が怖ず怖ずと尋ねる。


「…なんか、嫌な出来事とかあったんですか?」