いつかこの家に初めて来た日のように、寛一さんは簡単な荷物と古いミシンだけを持ってきた。一旦荷物を下ろして、寛一さんがキッチンへやってきた。彩響が用意していたお茶を出した。


「お店はちゃんと片付けて来ましたか?」

「はい。あとは北川さんに任せます」

「本当によかったの…?お店、譲ることにして」


青森の店は結局他の人に譲ることになった。彩響は一応止めたけど、寛一さんはそのまま不動産へ店を出してしまった。理由としては、「彩響の傍を離れたくないから」だった。気持ちは嬉しいけど、ちょっと寂しくなるのは仕方ない。



――「どうして夫の転勤先へ付いていく妻は普通に思われて、その反対は不思議に思うんですか?」

「でも、このお店はお父さんから譲り受けたものだから…」

「俺は、俺の人生で最も大事なことを選ぼうとしているだけです。父もきっと分かってくれます」



手続きなどに数日掛かり、寛一さんがここに戻ってくるのは結局今日になってしまった。せいぜい一週間くらいだったけど、その時間がとても長く感じられた。


「これから何をしようとしてます?」

「そうですね、でも、やはり洗濯の仕事でしょう。元々ネットで全国単位で事業をやっていたので、仕事はどこでもできると思います。時間はかかるでしょうけど」

「ゆっくり考えてください。まだ時間はありますから」


彩響の言葉に寛一さんが笑った。あ、ずっと見たかったこの笑顔。やっと彼が戻ってきたのが実感できて、胸がいっぱいになる。やっと、この人と一緒にいられる…。


「彩響さん、突然ですがお願いがあります…」

「はい?なんでしょう?」


寛一さんが立ち上がり、ずっとリビングの端っこに放置されていた箱を持ってきた。中にはあのウェディングドレスが入っている。箱を渡され、彩響が訳が分からず見ていると、寛一さんが言った。

「これ、一回着て貰えませんか?」

「え?今から?」

「そうです。見たいです」

「そんな、いきなり…」

「お願いします」

断ろうと思っても、寛一さんの顔が真剣すぎて、どうしてもノーと言えなくなる。仕方なく彩響はそれを持ち、部屋に戻った。

ドレス自体はシンプルなタイプで、一人で着ても特に問題ないデザインだった。しかも驚くほど体にフィットする。ボタンを最後まで閉じ、鏡で見ると、そこには今まで見たことのない素敵な花嫁が立っていた。


(凄い、別人みたい)

同じデザインのはずなのに、あの例の写真の中の自分とは何かが違う。心の奥底から幸せそうに見える。リビングに出ると、ソファーに座っていた寛一さんがぱっと立ち上がった。彩響の姿にびっくりした様子だった。


「どう…かな?」

「とてもお似合いです。…でも、こうなると知ってたら、全く違うデザインにすればよかった」

「どういうこと?」

「あなたがこの格好で他の男の前に立ったのだと思うと、凄いイライラします。それだけです」


意外な姿に少し驚いて、すぐ笑ってしまった。寛一さんも少し怒った顔をして、すぐ微笑む。


「大丈夫ですよ、実際今これ着て結婚するわけでもないし。今の私はただドレス着ている女ですよ」

「いいえ…それだけじゃないです」


寛一さんが深呼吸をする。何を言いたいのか、彩響もじっくり彼の言葉を待った。

やがて、彼が口を開けた。