男が女に別れを告げられたのは、土曜日の晩のことだった。
大雨が降る中、男は傘もささず恋人を見つめる。
大粒の雨がバタバタと音を立てて、恋人のピンク色の傘に当たっておちた。
「もう終わりにしたいの」
女のか細い声が雨の音にかき消される。
しかし、ずぶぬれになっている自分に 『大丈夫? 傘、忘れたの?】と、ほほ笑んで近づいてこない彼女を見るだけで、言っていることを理解できた。
付き合って3年。
そろそろマンネリを感じる時期だとは思っていた。
そのため、デートの場所を変えたり普段言わない言葉を使ったりして、少しは気をつかっているつもりだった。
しかし、その程度ではダメだったのだ。
彼女の心は完全に自分から離れて行ってしまった。
雨の中、彼女の背中を見つめる男は1人その場に立ち尽くした……。
その日、偶然通りかかったカラオケ店に、男は吸い込まれるように入って行った。
最近できた店だろうか?
長くここに住んでいる男だったが、その存在を知らなかった。
ずぶぬれの状態で入店してきた客に、カウンター内にいたスーツ姿の男は目をパチクリさせた。
「あの……1時間……」
ぼそぼそとそう言う男に、店員は「なにか、ございましたか?」と、訊ねた。
「ついさっき彼女と別れて……」
「そうでしたか。あなたにピッタリな部屋がありますよ」
店員はにこやかにそう言い、男に部屋番号とマイクを渡した。
俺にピッタリな部屋?
カラオケに失恋を癒すような部屋があるのか?
怪訝に感じながらも、男は店員に勧められた部屋へと足を踏み入れた。
「なんだなにもないじゃないか」
一般的なカラオケ店と何の変化も見られなくて、少し肩を落とした男。
しかし、曲を入れ、マイクを握った次の瞬間……。
男は凍りついた。
今、確かに男が歌っている。
しかし、スピーカーを通して聞こえてくる声は、さっき別れたばかりの彼女の声なのだ。
まさか、そんなことってあるのか?
男は何度もマイクのスイッチを入れたり切ったり、カラオケの設定をいじって確かめたりした。
しかし、聞こえてくるのはやっぱり彼女の声。
そして、あっという間に1時間が経過していた。
「もう1時間、追加で!」
時間終了を知らせる電話に、乱暴にそう言った。
そして、再びマイクを握る。
だから、気が付かなかった。
この部屋が、徐々に小さくなっていることに。
上から下から、横から後ろから、壁が近づいていることに。
この部屋が彼自身を飲み込もうとしていることに……。
「あの部屋、また客が入ったのか?」
「えぇ。今日で二人目ですよ。女と、男」
スタッフルームで、先ほどの店員の話し声がする。
「客を丸ごと飲み込んでその声を奪う。そして多様な声を作り上げ、相手を魅了する。生きているカラオケボックス、か……」
「そうです。そうしてわたくしは腹を満たしているのです。あの部屋は、異世界人の胃袋そのものとなっています。特に、悲観的になっている人間の悲痛な歌声は、格好の食材なのです」
「おいおい、俺を食うのはやめてくれよ?」
「大丈夫ですよ。あの部屋へ入らない限りは、あなたを食べることはありません」
そう言い、男はほくそ笑んだ。
大雨が降る中、男は傘もささず恋人を見つめる。
大粒の雨がバタバタと音を立てて、恋人のピンク色の傘に当たっておちた。
「もう終わりにしたいの」
女のか細い声が雨の音にかき消される。
しかし、ずぶぬれになっている自分に 『大丈夫? 傘、忘れたの?】と、ほほ笑んで近づいてこない彼女を見るだけで、言っていることを理解できた。
付き合って3年。
そろそろマンネリを感じる時期だとは思っていた。
そのため、デートの場所を変えたり普段言わない言葉を使ったりして、少しは気をつかっているつもりだった。
しかし、その程度ではダメだったのだ。
彼女の心は完全に自分から離れて行ってしまった。
雨の中、彼女の背中を見つめる男は1人その場に立ち尽くした……。
その日、偶然通りかかったカラオケ店に、男は吸い込まれるように入って行った。
最近できた店だろうか?
長くここに住んでいる男だったが、その存在を知らなかった。
ずぶぬれの状態で入店してきた客に、カウンター内にいたスーツ姿の男は目をパチクリさせた。
「あの……1時間……」
ぼそぼそとそう言う男に、店員は「なにか、ございましたか?」と、訊ねた。
「ついさっき彼女と別れて……」
「そうでしたか。あなたにピッタリな部屋がありますよ」
店員はにこやかにそう言い、男に部屋番号とマイクを渡した。
俺にピッタリな部屋?
カラオケに失恋を癒すような部屋があるのか?
怪訝に感じながらも、男は店員に勧められた部屋へと足を踏み入れた。
「なんだなにもないじゃないか」
一般的なカラオケ店と何の変化も見られなくて、少し肩を落とした男。
しかし、曲を入れ、マイクを握った次の瞬間……。
男は凍りついた。
今、確かに男が歌っている。
しかし、スピーカーを通して聞こえてくる声は、さっき別れたばかりの彼女の声なのだ。
まさか、そんなことってあるのか?
男は何度もマイクのスイッチを入れたり切ったり、カラオケの設定をいじって確かめたりした。
しかし、聞こえてくるのはやっぱり彼女の声。
そして、あっという間に1時間が経過していた。
「もう1時間、追加で!」
時間終了を知らせる電話に、乱暴にそう言った。
そして、再びマイクを握る。
だから、気が付かなかった。
この部屋が、徐々に小さくなっていることに。
上から下から、横から後ろから、壁が近づいていることに。
この部屋が彼自身を飲み込もうとしていることに……。
「あの部屋、また客が入ったのか?」
「えぇ。今日で二人目ですよ。女と、男」
スタッフルームで、先ほどの店員の話し声がする。
「客を丸ごと飲み込んでその声を奪う。そして多様な声を作り上げ、相手を魅了する。生きているカラオケボックス、か……」
「そうです。そうしてわたくしは腹を満たしているのです。あの部屋は、異世界人の胃袋そのものとなっています。特に、悲観的になっている人間の悲痛な歌声は、格好の食材なのです」
「おいおい、俺を食うのはやめてくれよ?」
「大丈夫ですよ。あの部屋へ入らない限りは、あなたを食べることはありません」
そう言い、男はほくそ笑んだ。