「い、ってぇ!」

「ひゃぁっ!」

勢いよく起き上がって叫んだ男に、瑠璃は驚いて後ろに倒れながら大声を上げてしまった。

「す、すみません!包帯を変えようと思って・・・!寝てるから大丈夫かな、って」

「・・・包帯?ってか、あんた誰」

男は上半身裸に包帯姿のままで布団に座りながら腕を組んだ。

悩む彼に瑠璃はゆっくりと状況を説明した。

昨晩道に血塗れで倒れていた彼を連れて帰って看病したこと、救急車はなぜか止められたから呼んでいない事。

濡れた服だと体温も下がるし手当てもできないから脱がしたこと、それについてはとりあえず謝った。

すると男は自分の姿を確認するように見回してからなぜだか笑い始めて、少し笑うと傷ついた腹を痛そうに抑えながらも笑い続けた。

「・・・っくく、お前道に血塗れの男がいたからって家に連れ帰るのかよ。絶対トラブルに巻き込まれるって思わないわけ?」

「・・・・・・」

笑われていることに唇を尖らせながらも瑠璃は首を振った。

「そりゃ思いましたけど、悪い人じゃなさそうだったので」

「いや、だから道端で血塗れのやつにいいも悪いもないだろ。関わったらやばいって思うだろ普通」

そうは言われたが瑠璃は納得はできなかった。

普通と言うのは自分のためにあるような言葉であるし、彼の言っていることも間違いではないと理解できる。

でも、あの状況で傘を差し出してくれた人間を助けなくて誰を助けると言うのか、と言うのも瑠璃の素直な気持ちだった。

血塗れな人間を見るのなんて初めてであったし、トラブルに巻き込まれるというのは簡単に想像はできたが、そんなことよりも戸惑ってる暇さえないほどに体が勝手に動いてしまっていたんだ。

目の前の男を死なせてはいけない、と衝動的に。

「まぁ、助けられた俺が言うことじゃないな」

男はそう言うと布団から足を出すとあぐらをかいて深々と頭を下げた。

「すまない。助かった。ちょっと揉めた時に怪我しちまってな。あんたがいなければ死んでいたかもしれん」

ありがとう、と素直に頭を下げたままで言う男に、瑠璃は慌てたように両手をふった。

「いえ、そんな!人として、当然のことをしたまでですし・・・!」

「それでもだ。ありがとう。トラブルはあんたには来ないとは思うが、気を付けろよ。礼は必ずするし護衛もしばらくつける。あんたは気にせず日常を過ごしてくれればいい」

布団の横に丁寧にたたまれた服を手にとりながら話す男の肩をそっと瑠璃は抑えた。

「そんなことよりまだ怪我してるんですから動かないでください!その、帰るにしてもご家族の方とか、えっと」

歯切れが急に悪くなったのを感じて、男は少しだけ申し訳なさそうに笑った。

「あんた、見たんだろう?俺を脱がしたってことはさ」

男はそう言いながらそっと腕を回して自分の背中に手を回した。

それだけの行動で瑠璃は彼が何を言いたいのかがわかってしまう。

彼の看病をする際に脱がした時、背中一面に掘られていた和彫はいやでも目に入ってしまったのだ。

明らかに一般の人間ではないとわかるものであり、瑠璃ももちろん理解していた。

「それは・・・。まぁ。普通にある物じゃ、ないですし」

「だろ?だったら」

「でも、今は関係ないです!怪我の方が心配ですし・・・それに、その、まだ傘も乾いてないし」

瑠璃は何かを思い出したのか少しだけ恥ずかしそうにそう呟くと、男はぽかんと瑠璃を見つめた。

「・・・・あんたさ」

「未蘭様っ‼︎」

男が少し驚いたように何かを言いかけるが、それを遮るように瑠璃の部屋の扉が外から思い切り開かれた。

「・・・・・・・!!」

鍵もドアチェーンもしていたはずだ。

だが、無理やりこじ開けられ瑠璃はもはや驚きも悲鳴も出すのを忘れたように口と両眼を見開いて、入ってきた巨漢を見つめていた。

「ご無事で何よりです!」

「松島。ああ・・・心配かけてすまねぇな。でも、なんでここに?」

「昨晩、未蘭様に命令されたようにずっと車で待っていたのですがあまりにも遅いので様子を見に行ったのです。ちょうどそこの女性が声を掛けている様子でして」

見ていたならすぐさま声を掛けるべき状況だっただろ、と瑠璃は我が家で蚊帳の外になりながら心の中でそう呟いた。

傘をさしながら自分より二回りは大きい男の体を必死に持って帰ったのだから。

「未蘭様のことですから、ご無事ではいらっしゃるでしょうし、何より邪魔してはいけないと思いましたので」

「邪魔?」

「ええ、お怪我されてもなお女性に声を掛けて家に行くとは・・・さすがです、未蘭様!」

恋は盲目とは言うが尊敬するところなのだろうか。

鼻息荒くそう言った松島の頭を未蘭は思い切り叩いた。

「バカか!あんな状況でナンパするわけねえだろうが!」

いて、と腹を押さえながら未蘭は今度こそゆっくりと立ち上がってアイロンをかけたスーツに袖を通した。

「そ、そうでしたか・・・失礼しました。では」

松島が座ったままで瑠璃に向き直ると未蘭と同じようにあぐらをかきながら深く頭を下げた。

「未蘭様を助けていただいてありがとうございました。ですが、我々は貴女とは全く違う世界に生きるもの。どうか、これで記憶を消していただけるといいのですが」

そう言うと松島はサコッシュをそっと瑠璃に手渡した。

瑠璃は言葉の意味がわからずとりあえずサコッシュを受け取るとなかなかに重たく、恐る恐るそのファスナーを開いた。

するとそこには瑠璃が今まで見たこともないような枚数と重量の札束が詰め込まれており、一千万は降らないだろうと言う金額が入っていた。

「なっ!なんですか、これ。こんなの、いただけません!」

「ご安心ください。何か悪いお金ではありませんし、取り立てなどもしません。あくまで迷惑料とお礼だと思ってください」

「いや、そう言うことじゃなくて・・・!」

瑠璃は全く聞く耳の持たない松島に戸惑いながらもサコッシュを押し付ける。

だがまた松島も瑠璃に押し返す。

その攻防が何度か行われたところで、未蘭がそのサコッシュを奪い取った。

「これは渡さなくて良い」

「は、はっ・・・ですが、無関係の、それも女性を巻き込んでしまったのですから、いつも未蘭様が言うように・・・」

「良いんだ」

未蘭はそう言うと座ってパニック状態の瑠璃を見つめてふっと鼻を鳴らした。 

「こいつは連れて帰る。面白い女だし、何より最高の女だ」

未蘭はそう言うと勝手に玄関に向かいながら瑠璃を振り返った。 

「付いて来てくれ。お礼もそうだが、個人的にお前に興味が湧いた。ここで縁を切るのは嫌なんだ」

「・・・は、はぁ」

気の抜けた返事をしながらも、瑠璃には拐われる、口封じされる、などと言ったマイナスの感情はなかった。

ただあっという間に変わり進んでいく現実に頭がついていっていないだけであったのだ。

「お前、彼氏は?」 

「はぁ・・・?いません、けど」

「それはよかった。まあいても奪うだけなんだが」

勝気にいって笑いながら、未蘭は怪我など感じさせない足取りで楽しそうに部屋を後にしていった。