天井にはシャンデリア、壁には明らかにわかるほどのアンティークの燭台。
薄暗い廊下にはいくつも豪華な扉が並んでいた。
一般人では見ることもできない様なその超高級ホテルの廊下を、瑠璃は歩いていた。
「良いか、この先のことは誰にも言うなよ」
「・・・わかってます」
瑠璃は子供っぽく頬を膨らませた。
まだ24歳とはいえ、その仕草はやや子供っぽすぎるだろうか。
「良いから早く連れて行ってくださいよ〜!」
たった今瑠璃に釘を刺した男の腕に絡みつく様になりながら瑠璃は甘えた声を出す。
男はサングラスの下でニヤリと嫌な笑顔を浮かべた。
「ったく。好き物な女だぜ」
「えーっ?いけないですかぁ?」
「くくっ、いーや。きっとみんな喜ぶぜ」
そう言いながら男がある一室を開けると、中から瑠璃が思わず顔をしかめてしまうほどの異臭がした。
青臭い上に軽いアンモニアの様なつんとくる匂い。
決して良い匂いとは思えなかった。
「おーっ!なんだまた追加かぁ?って、極上すぎる女じゃねえか!」
部屋の奥から歩いてきた上裸の男はニヤニヤと下卑た笑いを返すこともなくすきっ歯を見せつける様に笑った。
「ありがとうございまーす!」
「へへっ、ある程度のこと知ってきてるんだよな?」
笑いながら男は瑠璃に肩を回した。
瑠璃は少し肩に力を入れながらも抵抗することなく変わらない笑顔を浮かべる。
「はーい!なんかめっちゃ気持ち良くてー、最高な気分だって!」
「そうだぜ、良い薬があるんだよ、きっと今までの男じゃ経験できなかった気持ちよさがあるから楽しみにしてな!」
「えへへ、楽しみです!」
そう言って瑠璃はサングラスの男をチラッと潤んだ瞳で見上げた。
「お兄さんは、戻っちゃうんですか・・・?」
その甘い声と表情にニタリと笑った男は上裸の男に鋭い視線を飛ばす。
「おい、俺も良い加減混ぜろよ」
「わーったわーった。他のやつを釣りにだすよ。こんなおねだりされるなんて羨ましいぜ」
瑠璃をここまで案内してきたサングラスの男と上裸の男が取り合う様に瑠璃の肩を抱きながら部屋の奥へと進んでいく。
やけに物々しく見える扉を開けると、中からは先ほどまでの青臭い匂いがさらにキツくなって薫ってくる。
それに合わせて人間の体液の匂い。
汗や精液のむせ返る様な匂いも混ざっている様だった。
そして部屋の中では複数の男女があちらこちらで肌を重ねていた。
ある男は焦点の定まらない瞳で夢中に腰を動かし、ある女は部屋中に響きわあるほどの嬌声を上げている。
明らかに普通ではない光景を見て立ち止まった瑠璃を急かす様にサングラスの男が瑠璃の服に手をかけた。
「こっちはずっと我慢させられてんだよ、へへ、たまんねえぜ」
ニタニタと笑いながら瑠璃のコートを剥ぎ取ると、丁度瑠璃の前に連れてこられてだろう女性が悲鳴を上げながらサングラスの男に近づいてきた。
「こ、この・・・っ!だま、したわね」
肌を隠すものなど何もないのに、さらに犬歯もむき出しにして低い声を上げる。
その顔も体も何かわからない様ないろんなものが混じった体液で汚れていた。
「おいおい!人聞き悪いなぁ」
笑いながら上裸の男がその女の髪の毛を乱暴に捕まえて組み敷く。
「ひっ・・・!もう嫌ぁ!」
「何言ってんだよ、あんなによがったのは全部ビデオに収めてあるぜぇ?なんならあとでたっぷり観賞会と行こうか?配信してやるよ」
「・・・〜っ!」
そう言われると女は悔しそうに唇を噛みながら強く目を閉じて抵抗を止める。
その腕に男は乱暴に注射を突き立てた。
「ほら、あっちも始めるしよ、俺らもヤろうぜ。な?」
そう言って男は自分のスーツを脱いで裸になりながら慌てた様な手つきで懐から一本の注射器を取り出した。
「これが言ってたやつだよ、理性も全部飛ぶくらい気持ち良くなれるから楽しみにしてな!」
欲望を剥き出しにしながら男が瑠璃の腕を取ろうと手を伸ばすと、瑠璃はひらりと腕をかわした。
「・・・あん?」
「あ、触らないでもらえますか?虫唾が走る」
「・・・・」
さっきまでとは変わらない笑顔を浮かべながらもなぜかその口では全く聞かなかった辛辣な言葉が飛び出して、男は思わずぽかんと口を開けながらサングラスをずり落とした。
「あとみっともないので早くしまってください、その粗末な物」
「・・・んだとこのアマ!」
大きく腕を振りかぶると男の固く握り締められた拳が瑠璃の顔を撃ち抜こうと勢いよく振り下ろされる。
だが瑠璃はじっとその拳を見つめながらじっと動かなかった。
バチィ!と思い切り肌のぶつかる音が響き、次いですぐに何かが吹き飛んでテーブルにあたり、グラスなんかが割れた音が響いた。
そこまでいくと流石に周りも何かあったのかと思って行為を中断して視線を集める。
すると、その視線の先では全裸の男が粉々に砕かれたサングラスを顔中に突き刺しながら血塗れで倒れていた。
「・・・な!」
周りの男たちが慌てた様子で集まってくると、部屋の扉を一様に睨みつける。
そこには瑠璃と、瑠璃の肩を抱きながら拳を突き出す一人の男がいた。
「ああ。お楽しみのところ悪いな。人の女に手をあげようとしたクズがいたから、つい反射的にな。謝罪はしない」
「な、なんだお前ぇっ!」
裸の男たちが慌てた様にしながらも怒りも体も隠そうともせずに声を荒げる光景はあまりにもシュールで瑠璃は思わず笑ってしまった。
「全く。笑い事じゃないぞ。俺は自分の物が傷つくのが一番嫌いだと知っているだろうに」
瑠璃の肩を抱いている男、未蘭がそうため息混じりにそう言うと、瑠璃は素直に頭を下げた。
「すみません、これが一番手っ取り早いので。だって、1日でも長くこんな害虫が巣食っているのは未蘭さんも嫌でしょう?」
先ほどまでの男たちに見せる表情とは全く違う顔を見せながら笑う瑠璃に一度目をやると、未蘭はふっと鼻を鳴らした。
「それ以上にお前に何かされるのが嫌だとわかってくれればいい女なんだがな」
ため息まじりにそう言うと、未蘭に吹き飛ばされた男たちはイラついた様子で立ち上がり、彼を包囲するように広がり始めた。
「いきなり来て何甘い事言ってんのか知らねえがよ・・・!周りの状況をよく見た方がいいぜ」
「俺たちが何者か知っての事なのか?ああ?」
男たちはナイフを手にしながら未蘭を脅すように見せつけるが、未蘭は小さくまたため息を増やしただけであった。
「俺たち極道に手を出したんだ、後悔しても遅ぇぞ!」
「お前とその女を散々可愛がった後家族や友人も全員も弄んでやるから覚悟しとけ!」
下卑た笑いに瑠璃はしかめ面になるが、それよりも先に未蘭が彼女を庇うように立ち塞がった。
「・・・極道?」
「今更ビビったか⁉︎俺たち極道によ!」
そう叫ぶと男は未蘭に背中を向ける。
すると肩甲骨のあたりに掌大の刺青が掘られていることが目に入り、瑠璃は思わず息を飲んだ。
「はははっ!おら、お前らやっちまえ!」
甲高い笑い声を上げながら男がそう叫ぶと、周りの裸の男たちは一斉に飛びかかった。
いや、飛びかかろうとした。
だが、実際は未蘭の入ってきた扉から勢いよく男達が乱入してきて、裸の男達をあっという間に取り押さえてしまった。
ナイフは簡単に蹴飛ばされ、手も足もできないように簡単に投げ飛ばされて組み敷かれる。
ものの数秒で室内に立っているのは未蘭と瑠璃だけになってしまったのだった。
「・・・なあっ⁉︎」
「お前ら。最後に一つだけ教えてやろう」
未蘭が悠々とその中を歩いて行くと取り押さえられたリーダー格の男の前でしゃがんでその髪を乱暴に掴み上げた。
犬歯を剥き出しにして吠える男だったが、未蘭の目を見ると子犬のように震えて黙り込んでしまった。
それだけの眼力、迫力が細身の未蘭から溢れ出していたのだ。
「お前らは自分たちのことを極道と言ったが、それは違う」
「・・・・・ひっ」
眼光だけで殺されてしまいそうなほど冷たく真っ直ぐな瞳からは逃げられることもできず、男は引きつったような悲鳴をあげてしまった。
「本物の極道というのは、俠客。つまり弱いものを助けて強いものを挫く者のことを指すんだよ」
未蘭はゆっくりとポケットに手を突っ込むと小型の拳銃を突きつけて男の眉間に押し当てた。
モデルガンだと言い切るにはあまりにもその重厚は冷たく、押し当てられるだけで重厚感があった。
「お前らみたいな何の役にも立たない害虫をヤクザって言うんだ。ヤク漬けの脳みそが忘れるまで覚えておきな」
そう言うと未蘭は銃のグリップで男の頭を殴りつけ、一撃で相手の意識を刈り取った。
「連れて行け」
「お、おいっ!こんな騒ぎにしたらこのホテルの人間が怒ってないぞ!」
このままでは危険だと察したのか取り押さえられた男達が騒ぐが未蘭も周りの人間も気に留めることなく黙って男達を引きずり始めた。
裸のまま抵抗一つできずに部屋を出された男の前にホテルマンが立っており、一人が勝ち誇ったように大声をあげた。
「おいホテルマン!こいつら急に現れてこんなことされてんだよ!警察を呼べ!」
その騒ぎたてるような声を聞くホテルマンのネームプレートには支配人の文字が書いてあり、男は離せと勝気に叫び続けた。
そんな彼らに対して、支配人と書かれた初老の男性は恭しく頭を下げるのだった。
「未蘭様、お勤めご苦労様です。裏口に準備をしてありますのでどうぞ」
「お前もご苦労だな。・・・部屋が臭くて敵わんから綺麗にしておけ」
「はっ」
明らかにわかる上下関係を目の当たりにして男は驚きに目を見開きながら喚くのも忘れて黙って引きずられて行く。
その集団を見届けてから二人残った瑠璃と未蘭はどちらからともなくため息を吐いた。
「未蘭様、お疲れ様でした」
「・・・・瑠璃もな」
不満げに目を細めた未蘭の視線を感じてから、瑠璃はキョロキョロと周りを見渡した。
そしてクスッと優しく笑うと少しだけ内緒話をするように声を潜めた。
「お疲れ様です、あなた」
「・・・俺が不機嫌なのはそれが理由じゃあない」
そう言いつつも未蘭のまとっていた明らかな不機嫌な態度は小さくなっており、そっと瑠璃が腕を絡めるとさらにその雰囲気は小さくなっていったのだった。