ふぅっと息を吐いた。
吐かれた白い息はゆらりと彷徨いながら大気中へと溶けていく。午後八時過ぎの空は墨を落とした様に暗く辺りを包み込んでおり、年末の寒さが身に染みる。
私はその寒さから逃げる様にポケットの中へと両手を突っ込んだ。するとポケットの中にあったライターが指に触れた。
「一服して帰るか……」
ポケットから取り出したIMCOのオイルライターの蓋を無意味に開け閉めしている。かちりかちりと言う音が、喫煙所へ向かう誰もいない静かな通路で一際大きく聞こえた。
ZIPPOの様に高いオイルライターでは無い。安物である。しかし、他に持っているZIPPOやRONSONよりも使い勝手がよく、私の一番のお気に入りである。
少し奥まった所にある喫煙所。
私は煙草を一本取り出すと口に咥え火を着ける。
煙草の紫煙に混じり、オイルの臭いが鼻をつく。
大きく吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
煙草の銘柄は『hi-lite』。昔、私が子供の頃に父が吸っていた。ラム酒フレーバーの香りと、吸っている時のふわっと感じる、その甘い香りが大好きだ。
女らしくない煙草。
たまに耳に入る言葉。
ゆらゆらと昇っていく紫煙を眺めている。一人、ぼんやりと電気の着いていない暗い喫煙所で。
くしゃりと灰皿へ煙草の火を押しつけ、駐車場へと歩き出した。
ぼんやりと灯りで照らされている駐車場。そこに一際目立つ車が停まっている。
二00四年式、ハイラックス エクストラキャブ。
五MT、ディーゼルエンジン、三000cc。
ワイドボディをさらにオーバーフェンダーで大きくし、三インチのリフトアップ。グリルガードなどで外装も迫力がある。
ノーマルの中古で購入し、色々と手をかけた私の愛車。買った時は、五万キロ程の走行距離も、十年乗り続けた今では、二十五万キロを超えている。
十年で二十万キロ。
山に行く時も、釣りに行く時も、友達の結婚式にも、彼氏とのデートにも、どこに行くのでもハイラックスとだ。
定期的に点検に出しているとはいえ、それでも良く走ってくれている。
私は愛車に乗り込むと、キーを差し込みONにする。
グローランプが点灯し、そして消える。それを三度ほど繰り返し、エンジンを掛けた。
エンジンが震え、低い唸り声をあげる。まるで、大型肉食獣の様に。
カーオーディオのスイッチを入れ、iPhoneをBluetoothで接続。お気に入りに入れてあるHIPHOPの低音が疲れた私の身体に響いてくる。
そして、また煙草を取り出し火を着けた。
女の癖に、なに、あの車?
うるせえよ、馬鹿。
そう心の中で悪態をつくが、いつも聞こえていない振りをしている。
クラッチを踏み込み、ギアを二速に入れ、ゆっくりと愛車を前進させ、道路へと出た。
道路は昼間と違い、色んな色に溢れていた。眩しいくらいの明かりに照らされた街並み。
混んでいる道路。
少し進んではすぐに止まる。その繰り返し。こんな時はオートマ車が楽で良いんだろう。でも、私は無骨で不便なこの車が大好きなんだ。
女らしくない。
女の癖に。
女が生意気だ。
女、女、女。
だからなんだ?
糞が、馬鹿野郎。
今のご時世、まだそんな事を言うのか。しかも、陰でこそこそと。
それに、女だと言う事で舐められている。いくら、成績を上げてもだ。私の務める会社では女性の管理職は少ない。しかも、年齢も若い。これが大手企業だと珍しくもないのだろうが、私が勤めているのは中小企業。頭の固いというか、古いおっさん達もいる。
だから肩肘はって頑張った。
それでも、心が折れそうになる時もある。
別に私は全てにおいて男女平等であれとは思わない。女という武器を使う事もあるから。だけど、男女関係ない事に関しては、ほっといてくれと思う。
立て続けに二本目の煙草に火を着け、二、三口吸い込むとすぐに消した。
疲れているんだろう。
来年度に展開する新事業に向けての準備に大忙しな毎日である。
それは私だけではない。
部下達も同じである。
弱音を吐いている暇はない。部下にそんな姿は見せられない。
そんな気持ちと裏腹に、一人になると私の口からは溜息が出てくる。
信号待ちで止まっている車内からぼんやりと外を眺めていた私は、こつんとハンドルに額を乗せた。
「はぁ……」
また溜息。
今日で何回目だろう。
信号が赤から青に変わって、車が進み出した、そんな時である。
助手席に置いてあるiPhoneがぶぶっと震えた。
着信である。
相手は部下であり、年齢は離れているが彼女が中学生の頃から知っている彩香からだった。
『もしもし、ちい姉。』
少しハスキーな彩香の声がスピーカーを通し車内に響く。彼女は昔から私の事をちい姉と呼んでいる。今もそれは変わらない。
「うん、どげんしたん?」
『どげんもしとらんっちゃけど、明日さ、休みやん?久しぶりにちい姉の家に遊びに行って良か?』
「あんた、彼氏は?」
『今日は夜勤。ちい姉の彼氏、家に来るん?』
「今日はおらんけん、遊びに来て良かよ?ってか、おっても来るやろ?」
『うん、来るねぇ。だってさ、ちい姉の彼氏、揶揄うと面白かけん』
「……人の彼氏で遊ぶなや。今、帰りよる途中やけん、家ついたら、また連絡ばするたい」
『ういーす。なら待っとくけん、気をつけて帰らなんよ?』
「はいはい、ありがとね」
ぷつりと電話が切れる。相変わらずマイペースな奴だ。
彼女は明るく、いつも笑っている。私は何度もその笑顔に癒され、助けられる。本当に、感謝しているんだ。それを本人には伝えた事がないけど。
それを伝えると、ふんふんと鼻の穴を大きく広げ、胸を張り、うちを讃えよとか言いそうだから。否、言うだろう。彼女はそう言う奴だから。
思わずその姿を想像すると、運転中にも関わらず私は一人で吹き出してしまった。すると、それまで考えていた嫌な事が少し薄れた。
「また、彩香に助けられたなぁ」
そう独りごちると、さぁ、今日はしこたま飲もうと心に誓い、アクセルを踏み込んだ。
吐かれた白い息はゆらりと彷徨いながら大気中へと溶けていく。午後八時過ぎの空は墨を落とした様に暗く辺りを包み込んでおり、年末の寒さが身に染みる。
私はその寒さから逃げる様にポケットの中へと両手を突っ込んだ。するとポケットの中にあったライターが指に触れた。
「一服して帰るか……」
ポケットから取り出したIMCOのオイルライターの蓋を無意味に開け閉めしている。かちりかちりと言う音が、喫煙所へ向かう誰もいない静かな通路で一際大きく聞こえた。
ZIPPOの様に高いオイルライターでは無い。安物である。しかし、他に持っているZIPPOやRONSONよりも使い勝手がよく、私の一番のお気に入りである。
少し奥まった所にある喫煙所。
私は煙草を一本取り出すと口に咥え火を着ける。
煙草の紫煙に混じり、オイルの臭いが鼻をつく。
大きく吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
煙草の銘柄は『hi-lite』。昔、私が子供の頃に父が吸っていた。ラム酒フレーバーの香りと、吸っている時のふわっと感じる、その甘い香りが大好きだ。
女らしくない煙草。
たまに耳に入る言葉。
ゆらゆらと昇っていく紫煙を眺めている。一人、ぼんやりと電気の着いていない暗い喫煙所で。
くしゃりと灰皿へ煙草の火を押しつけ、駐車場へと歩き出した。
ぼんやりと灯りで照らされている駐車場。そこに一際目立つ車が停まっている。
二00四年式、ハイラックス エクストラキャブ。
五MT、ディーゼルエンジン、三000cc。
ワイドボディをさらにオーバーフェンダーで大きくし、三インチのリフトアップ。グリルガードなどで外装も迫力がある。
ノーマルの中古で購入し、色々と手をかけた私の愛車。買った時は、五万キロ程の走行距離も、十年乗り続けた今では、二十五万キロを超えている。
十年で二十万キロ。
山に行く時も、釣りに行く時も、友達の結婚式にも、彼氏とのデートにも、どこに行くのでもハイラックスとだ。
定期的に点検に出しているとはいえ、それでも良く走ってくれている。
私は愛車に乗り込むと、キーを差し込みONにする。
グローランプが点灯し、そして消える。それを三度ほど繰り返し、エンジンを掛けた。
エンジンが震え、低い唸り声をあげる。まるで、大型肉食獣の様に。
カーオーディオのスイッチを入れ、iPhoneをBluetoothで接続。お気に入りに入れてあるHIPHOPの低音が疲れた私の身体に響いてくる。
そして、また煙草を取り出し火を着けた。
女の癖に、なに、あの車?
うるせえよ、馬鹿。
そう心の中で悪態をつくが、いつも聞こえていない振りをしている。
クラッチを踏み込み、ギアを二速に入れ、ゆっくりと愛車を前進させ、道路へと出た。
道路は昼間と違い、色んな色に溢れていた。眩しいくらいの明かりに照らされた街並み。
混んでいる道路。
少し進んではすぐに止まる。その繰り返し。こんな時はオートマ車が楽で良いんだろう。でも、私は無骨で不便なこの車が大好きなんだ。
女らしくない。
女の癖に。
女が生意気だ。
女、女、女。
だからなんだ?
糞が、馬鹿野郎。
今のご時世、まだそんな事を言うのか。しかも、陰でこそこそと。
それに、女だと言う事で舐められている。いくら、成績を上げてもだ。私の務める会社では女性の管理職は少ない。しかも、年齢も若い。これが大手企業だと珍しくもないのだろうが、私が勤めているのは中小企業。頭の固いというか、古いおっさん達もいる。
だから肩肘はって頑張った。
それでも、心が折れそうになる時もある。
別に私は全てにおいて男女平等であれとは思わない。女という武器を使う事もあるから。だけど、男女関係ない事に関しては、ほっといてくれと思う。
立て続けに二本目の煙草に火を着け、二、三口吸い込むとすぐに消した。
疲れているんだろう。
来年度に展開する新事業に向けての準備に大忙しな毎日である。
それは私だけではない。
部下達も同じである。
弱音を吐いている暇はない。部下にそんな姿は見せられない。
そんな気持ちと裏腹に、一人になると私の口からは溜息が出てくる。
信号待ちで止まっている車内からぼんやりと外を眺めていた私は、こつんとハンドルに額を乗せた。
「はぁ……」
また溜息。
今日で何回目だろう。
信号が赤から青に変わって、車が進み出した、そんな時である。
助手席に置いてあるiPhoneがぶぶっと震えた。
着信である。
相手は部下であり、年齢は離れているが彼女が中学生の頃から知っている彩香からだった。
『もしもし、ちい姉。』
少しハスキーな彩香の声がスピーカーを通し車内に響く。彼女は昔から私の事をちい姉と呼んでいる。今もそれは変わらない。
「うん、どげんしたん?」
『どげんもしとらんっちゃけど、明日さ、休みやん?久しぶりにちい姉の家に遊びに行って良か?』
「あんた、彼氏は?」
『今日は夜勤。ちい姉の彼氏、家に来るん?』
「今日はおらんけん、遊びに来て良かよ?ってか、おっても来るやろ?」
『うん、来るねぇ。だってさ、ちい姉の彼氏、揶揄うと面白かけん』
「……人の彼氏で遊ぶなや。今、帰りよる途中やけん、家ついたら、また連絡ばするたい」
『ういーす。なら待っとくけん、気をつけて帰らなんよ?』
「はいはい、ありがとね」
ぷつりと電話が切れる。相変わらずマイペースな奴だ。
彼女は明るく、いつも笑っている。私は何度もその笑顔に癒され、助けられる。本当に、感謝しているんだ。それを本人には伝えた事がないけど。
それを伝えると、ふんふんと鼻の穴を大きく広げ、胸を張り、うちを讃えよとか言いそうだから。否、言うだろう。彼女はそう言う奴だから。
思わずその姿を想像すると、運転中にも関わらず私は一人で吹き出してしまった。すると、それまで考えていた嫌な事が少し薄れた。
「また、彩香に助けられたなぁ」
そう独りごちると、さぁ、今日はしこたま飲もうと心に誓い、アクセルを踏み込んだ。