俺と結花(ゆいか)は似たような環境で育った。片親、鍵っ子、友達がほとんどいない。いつも、結花は一人で帰っていた。俺も同じだった。互いに靴箱で顔を合わすが、さようなら、また明日などの挨拶をするわけでもなく、ちらりと視線を交わし、同じ方向だったのに一緒に帰るということはなかった。あるとしたら、集団下校時の時くらい。
 
 そんなある日の事である。
 
 通学路途中にある公園。
 
 そこで、結花が同じクラスの男子から虐められているところを見てしまった。
 
 男子達に押され、その間を痩せた結花がふらつく足で行ったり来たりしている。
 
 そんな結花をみて、男子達が楽しそうに笑っていた。それでも下を向き、唇をぎゅっと噛んで堪えている結花。俺はさすがに見過ごすことかできず、その男子達に声を掛けた。
 
 びくりとしてこちらを見る男子達。そして、声を掛けたのが俺だと分かると、ちっとあからさまに舌打ちをしてよく分からない捨て台詞を残し帰って行った。
 
 公園に残された俺と結花。
 
 結花の口が何か言おうとして動いた時、俺はくるりと背を向けて公園を後にした。
 
 別に正義のヒーロー気取りがしたかった訳では無い。ただ、結花が虐められているのを見ていると、まるで自分も同じような事をされている気分になったからだ。俺も片親だとか、貧乏だとかでからかわれた事が何度もある。しかし、成長するにつれ、他の同級生よりも体が大きくなり、力も強くなってきた俺を誰もからかわなくなっていた。
 
 それから、結花は俺のあとをついて帰りはじめた。俺の側にいれば虐められる事もないのだろう。そして、いつの間にか俺らは互いに同じ場所で待ち合わせたかのように登下校していた。だけどそれはただ、つかず離れず一定の距離を空けて歩いているだけ。隣に並んで歩くことも、もちろんお喋りをする事なんてしない。ただ、俺は結花がきちんと着いてきているか時々振り返り、結花は結花で俺の歩調に合わせて一生懸命歩いていた。
 
 それは小学校を卒業するまで続いていた。
 
 そして俺らは中学生になった。
 
 中学生になると、さすがにあの男子達も結花を虐めることをやめており、もう俺について歩く必要も無くなったと思っていた。
 
 だけど結花は俺の後ろを変わらずついてくる。一定の距離を保ち、俺の歩調に合わせて。中学生になり荷物も多くなり、それでも一生懸命ついてくる結花をみて、俺はいつもよりも少し歩く速度を落とした。

 また一年が流れた。中二になった今も結花は俺の後ろにいる。俺はついに足を止めて結花を待った。そんな俺をみてあの距離を保ち、立ち止まる結花。
 
「一緒に帰るか?」
 
 俺の言葉に驚いた表情を見せたが、すぐに下を向いてしまった。辛抱強く待った。すると、顔を上げた結花が早足で俺の隣へと並んだ。
 
「うん……帰ろ」
 
 俺らは一緒に並んで歩いた。いつも一人で帰っていたこの道。特に何かを喋るわけでもなく、ただ並んで歩いているだけ。それでも、一人の時よりも全然違った。
 
 そして、しばらく歩くと三叉路の分かれ道に出る。俺は右、結花は左。以前なら、そこを何も言わずに分かれて歩いていた。
 
「じゃあね……」
 
 小さな声で結花が俺に言った。胸の前辺りで遠慮がちに手を振っている。
 
「あぁ……気をつけて」
 
 俺はそう結花に返すと軽く手を上げた。それを見た結花が微笑んだ。初めて見る結花の笑顔だった。
 
 俺はその笑顔がとても眩しかった。そして、心の中がほわりと暖かくなるのを感じる。一人で帰っていた時にはこんな気持ちにならなかったのに……
 
 その日から俺らは毎日、あの三叉路で待ち合わせて登校し、そして、三叉路まで一緒に下校した。時間を決めなくてもいつもの時間に結花が待っていてくれた。
 
 何の会話もなく歩いているだけの日もあれば、話しをしながら笑い合い歩く日もあった。どちらかと言うと、結花は大人しい少女で、俺が喋っている事が多かったけど。俺は結花と二人で歩く事がこんなにも楽しかったなんて知らなかった。
 
 俺と結花は登下校が一緒なだけの関係では無くなった。
 
 家に帰った後や休日も結花と度々会うことが増えていった。
 
 会って話しの続きをしたり、ただ公園のベンチに座ってぼやっとしている。
 
 そして、ある日の事。結花がお母さんから映画のチケットを貰ったと言って、俺に一緒に行こうと誘ってきた。
 
 俺は特に興味のある映画じゃなかったが、すぐに行くと返事をすると、結花は嬉しそうに、喜色を満面に浮かべて笑ってくれた。
 
 俺は表面には出さなかったが、内心はとても嬉しかった。いつの間にか、休日も結花と過ごせる日が楽しくなっていたのだ。学校では噂されているみたいだが、別に俺ら二人は付き合っている訳では無い。

 とても曖昧な関係。
 
 友達以上恋人未満?
 
 いや、その前に友達なのか?
 
 それさえも分からない関係だが、結花と二人でいる時に心地良さを感じている事に気づいている俺。
 
 約束の日がとても待ち遠しかった。

 結花の前では決して見せる事はしなかったが、家に帰ると自然とニヤついてしまう事があり、母や妹から気持ち悪いと言われていた。
 
 そして、約束の日が来た。
 
 映画は正直、余り面白くはなかった。結花も微妙な顔をしている。そんな結花をみて思わず笑ってしまった俺を軽く睨みながらも、ぷっと吹き出し笑った。
 
 街の中をぷらぷらと歩いた後、住んでいる所から少し離れた高台にある公園へと行ってみた。
 
 そこからは、俺達の住んでいる街や中学校、そして、ずっと先に見える広い海まで見渡せた。
 
 あんなに大きな中学校の校舎さえ、ここから見ると、まるでジオラマ模型のように小さく、よく見ないと探せない位だった。
 
 風景の見渡せるベンチに座った結花。その隣に俺も腰を下ろした。
 
 結花がふと空を見上げる。
 
 空の色は藍白から水色、そして紺碧色へと濃ゆくなっていく。その空は街を海をそして、遥か遠くまで果てしなく続いている。
 
「この空をどこか遠くの人も見てるかもしれないんだよね……」
 
 ベンチに座り空を眺めていた結花がぽつりと呟いた。
 
「素敵だと思わない?遠く離れた人とこの空を共有出来るのよ?」
 
 俺は結花をロマンティストだなと笑った。すると結花は俺へそうよと微笑み、空を飽きずに眺め続けていた。
 
 そして、中学校を卒業して、俺らは別々の高校へと進学した。それでも、あの三叉路で待ち合わせして駅まで歩いている。
 
 帰りも駅で待ち合わせをした。
 
 一体、結花と何年間歩いただろう。あの一定の距離を保って歩いていた頃から……
 
 しかし、そんな俺らにも転機が訪れた。
 
 結花の母親が倒れたのだ。
 
「私ね、お母さんの実家のある町へと引っ越す事になったわ……」
 
 あれから結花の母親は体調不良が続き、前ほど働けなくなっていた。結花の母親の実家は裕福であり、母親が今までみたいに働かなくても生活が出来る。その事もあり、実家に戻ってくるようにと連絡があったそうだ。
 
「いつ?」
 
「来月に入ったらすぐ……」
 
 
 来月……あと二週間程である。それから俺らは暇さえあれば一緒に過ごした。少しでも二人の思い出を残そうと。
 


 そして、結花はいなくなった。
 
 
 
 俺はいつも結花と並んで歩いていた道を、今は一人で歩いている。周りの景色も街並みも何もかも変わらないこの道を。
 
 だけど……一人で歩く事がこんなにも寂しいなんて、こんなにも退屈だなんて思いもしなかった。結花と一緒に歩き始める前はいつも一人だったのに。
 
 結花とはメッセージや電話でのやり取りは続いている。そして、こっちの大学を受けるとも言っていた。
 
 でも、それでもやっぱり隣に結花がいてくれない事の寂しさは埋まる事はなかった。
 
 家に帰った俺はごろりとベッドに横になった。ふと窓の外を見ると晴れ渡る青空がとても眩しかった。
 
「この空をどこか遠くの人も見てるかもしれないんだよね……」
 
 ぼんやりと空を眺めていると、公園で結花が呟いた言葉を思い出した。
 
「素敵だと思わない?遠く離れた人とこの空を共有出来るのよ?」
 
 あの時は結花をロマンティストだと笑ったが、今の俺はそれが出来るとどんなに幸せだろうと思ってしまう。
 
 そして、上体を起こしベッドの上に座ると携帯を手に取った。
 
『結花もこの空を見てるといいな……』
 
 俺は結花の番号へと電話を掛けた。すると、すぐに結花が電話に出てくれた。
 
「やぁ、結花。空がとても綺麗だよ」