正式な婚約発表はしていなかったが、それでも噂はまわるもので、それが落ち着くまでという約束で知人の会社へと出向という形を取った。

俺の素性を知らない人の中で働くのは身軽で良かった。何人か、付き合ってほしいとも言われたが、婚約者がいると伝えると、それ以上入り込んでくる女性もいなかった。

やけになった時もあったが、虚しさが勝ってやめた。俺の性分には合わない。誰と結婚しても、いずれは父と母のように寄り添える日がくるだろうと、気持ちに決着を着けた。

ただ、いつまでも、そんな気になれなかった。俺と同い年で独身の男は多い。年齢的にもまだ大丈夫だろうなどと思っていた。後回しにしても仕方がないのだが、出向先の仕事がちょうど起動に乗ってきたことで考えるのはやめた。ここにいるうちは、仕事の事だけ考える、そうしたかった。

そんな時だった。
────この会社の常務と食事を共にして、「先に常務室に入っててくれ」

そう言われて、エレベーター前で別れた。常務は中にいないという油断があった。ノックもせずに中に入ると、人影にしまったと口を開こうとすると、向こうも油断があったのだろう。ぱっと見、俺と常務の背格好は似ている。

部屋にいたのは、部屋にいても不自然ではない彼の秘書である女性だった。