「そんなに犬が飼いたいのか?」
 
 俺の声に迷いなく頷いた美咲はゆっくりと顔を上げていた。

 目元を拭ってまっすぐに俺を見つめている美咲は「ごめんね」と小さく呟き、俺の肩に寄りかかってきた。

 ふわりと舞う髪が首筋に触れ、シャンプーの香りだろうか、いい匂いが鼻をくすぐっていく。

「ど、どうした?」
「ちょっとだけ……ね」

 俺はいつもとは違う美咲の行動に暴れだしそうな心臓を落ち着けるのに必死で、裏返ってしまった声に更に落ち着きをなくしていた。

「ちょ、ちょっとだけだからな」
「分かってるよ……ケチだね、ジョンは」

 虚勢を張って言ってみたが苦笑交じりの美咲には全てを見透かされているようで恥ずかしい。

 夕日に染まる俺達は赤くなっていると思うが、それ以上に俺の顔が真っ赤に染まっているだろうな。

 ……。
 ……。

 どれくらいそうしていただろうか、不意に肩から重みが消え、顔を上げてみると美咲は立ち上がって背伸びをしていた。

「……帰ろっか」

 振り返った美咲は今までの暗い雰囲気をどこかに吹き飛ばすような満面の笑みを浮かべていた。

 その変わりように俺は言葉を失っていたが、優しく笑みを浮かべる美咲に見惚れていた。


 ……この笑顔が好きなんだよな、俺は。


 出来れば今すぐ抱きしめてしまいたい衝動に駆られているが、そんな事をすれば変に思われるだろうし、ここは冷静に対応しなければいけない。

「あ、ああ……帰るか」
「でも、ワンちゃん可愛かったなあ」
「そうだな。確かに可愛かったな」

 歩き始めた美咲は思い出すように宙に視線を彷徨わせて口元を綻ばせているが、俺には無理をしているのはすぐに分かった。長い付き合いだから、どんな顔をしていても分かってしまうのは俺も同じだろうな。

 でも、そんな美咲を見ているのが辛くて――
「犬が飼えなくて、その間は俺がいくらでも代わりをしてやるよ」
 俺は意味不明な事を口走っていた。