魔法使いの手がそっと彼の髪を撫でた。
 ───では何の問題もありません。今まで通りにお呼びするのが良いでしょう。
 そのとき、彼の背後でバタンと扉が開いた。
 ふり向くと、エディアが息を切らして立っていた。姫君なのに、その方が動きやすいからという理由の小姓のような衣服で。
 ───すまぬ。遅れた。
 エディアを見つめる彼の肩を、魔法使いが柔らかに押した。
 彼は、深呼吸して、彼女に言う。
 ───遅いよ……エディア。
 エディアは部屋に入ろうとする動作を止めた。彼を見る黒い瞳が輝いて。
 ───だから、すまぬ、と言っただろう、ディアナム!
 次の瞬間、彼の頭は部屋に飛び込んだエディアの腕に抱き締められていた。
 ───苦しいよ、エディア。
 ───我慢しろ、ディアナム。おまえがまたエディアと呼んでくれて嬉しいんだ。


 ディアナム……ディアナム……。
 自分を呼ぶエディアの声が遠くから何度も聞こえる。
 ……懐かしい夢だ、とシルフィスは思った。まだふたりが子どもだったときの、ある日の出来事……。
「ディアナム!」
 不意に声が近くなって、シルフィスはうっすらと目を開く。
 忘れたことのない黒い瞳が自分を見ていた。でも、そこにいるのは思い出の中の少女ではなくて。
「……エディア」
 なんて素敵な夢だ。大人の女性になったエディアの夢。
 夢なら、許されるだろう。
 シルフィスは重い腕を上げて、目の前の女性を抱き締めた──。