「他のクラスが書き終わって帰る中、D組だけ全く書けてなくて」
「うん、覚えてる。どうせなら他のクラスよりすっごいものにしようって目標だけ高く持って、結局時間だけ過ぎていったの」
「それで、最後の最後に誰かが『黒板アートにしよう』って、美術部だった由麻に任せた。自分達で勝手に目標を高く持ったくせに最後は全部由麻に押しつけて、その上、無茶苦茶なお願い」
うんうん、と頷きながら当時のことを思い出す。
その場にいた私達以外知らない裏エピソード。
「断ればいいのに、由麻は引き受けた」
「……ははっ。私も無理だと思った」
「で、他の奴は帰って、由麻1人で描く羽目になった」
「まさか帰るとは思わなかったんだもん……って、描き終わるまでずっといたの?」
「1人でも描き続ける由麻を見て帰れるわけねーよ。後ろのドアから見てた」
うわっ、恥ず!
絶対独り言とか聞かれてるよ。
「すげーなって目が離せなかったんだよ。ほんとに完成させるんだもんな。次の日の朝、他のクラスや後輩、先生までもが見に行って卒業式が遅れそうになったんだっけ」
「うん。感動して泣き出しちゃう子もいて、描いて良かったって思った。でも、結構妥協した部分もあったんだけどね」
「だからだよ。今できる最善を尽くせる由麻を知ってるから俺は信頼してんだ」
目が合って、志希が優しく笑った。
嬉しい。
私には十分すぎるくらい勿体ない言葉。
「ありがとっ」
震える声で感謝を口にした。
ふと足元を見ると、電灯に照らされた影が2つ並んでいる。
……ああ、そっか。
なんでずっとモヤモヤしてたか分かった。
ここ最近の私は、志希の隣に並ぶ資格がないと思っていたんだ。
体育祭に向けて応援団として志希の隣にいれる有馬さんが羨ましかった。
志希も有馬さんも応援団を頑張っているのに、私は何もしていない。
一緒にいることへの後ろめたさ。
そんなくだらないことでモヤモヤしてたなんて。
人には得手不得手がある。
不得手なことに落ち込むくらいなら得手で最善を尽くせばいい。
何もしていないなら何かする時に最善を尽くせばいい。
比べる必要なんかないのに。
中間テストの答案用紙がすべて返ってきて、ようやく応援団の練習が始まる。
今日はその初日。顔合わせをする。
結大と向かった3年G組の教室には何人かの応援団らしき生徒がいて、その中に。
「あっ、せんぱーい♡」
と猫なで声で近づいてくる有馬 未宇の姿を見た。
俺の顔を一瞬見た結大は、ふっ、と失笑した。
「嫌そーな顔」
ボソッと言われ、思わず表情に出ていたことを理解する。
体育祭までの短期間で集中的に応援団の練習がある。
毎日嫌でも顔を合わせなければならない。
「そんじゃ、一旦休憩な」
男子だけの合わせ練習が終了し、この後女子を交えての練習。
休憩に入ると、女子から飲料を差し入れられる。
「はい、志希君」
「ども」
少し照れくさそうにする2年の女子からペットボトルのお茶を受け取った。
先に座って飲んでいた結大の隣に腰かけて、もらったペットボトルを地面に置く。
「飲まねーの?」
「ん。飲むよ」
と答えたが、なんとなく飲む気がしなかった。
ふと。
この辺りに置いていたはずの俺のジャージが無くなっているのに気付いた。
結大や他の奴らのはあるが俺のだけない。
「俺のジャージ知らね?」
「えっ、ないの?」
脱ぎっぱなしで積み重なるジャージの、左胸に刺繍された名前を1枚ずつ確認するが、【早瀬】のはなかった。
ここに一緒に置いたはずなんだけど……。
「先輩達、休憩ですかぁ?」
いつの間にか傍にいた有馬が声をかけてきた。
俺は逃げるようにここを離れようとした時。
なんとなく彼女には大きすぎるジャージに目が行った。
胸に【早瀬】の名前が。
俺のジャージだ。
「それ、俺のだよな」
「はい。ちょっと借りちゃいました」
悪びれる様子もなく言う有馬に思わず眉を顰める。
「貸した覚えねーんだけど。返せ」
「えー、ちょっとくらいいいじゃないですかぁ」
面倒くせぇ。
睨みつけるように、返せ、と目で訴えて、有馬は渋々ジャージを脱いで俺に渡した。
「結大。その茶やる」
結大にそれだけ言い残して、俺はジャージをしまうためその場を後にした。
体育祭を明後日に控えた放課後。
応援団から離れられるなら、早く体育祭が終われ、と思う。
「おっ。あれ、赤団の応援団じゃね。結大の彼女いる?」
「さあ。どっかにいるんじゃない」
「いたいた。可愛いからやっぱ目立つな」
体育着に着替えて、練習が始まるまで横断幕を制作中の3年生の教室で時間を潰す。
校庭に赤団の応援団がいるのを見つけた友人達の会話に俺は耳を傾けていた。
「結大は彼女と同じ団が良かったとか思わねーの?」
「うーん。まあ、思うけど」
「志希はそーいうの思わなさそう」
いきなり話を振られて驚く。
「いやー、思うよな?」
俺の答えを聞く前に、結大が意味ありげにニヤニヤとこちらを見て言った。
「思ったことねーよ。……でも。まあ、同じ団だったら楽しいんだろうな」
「ぜってー楽しいよ。彼女じゃなくても好きな人でもさ、どうせなら同じ団で戦って一緒に勝ちを喜びてーし」
「志希もそーいうこと思っちゃうわけね」
そう思うようになったのは、やっぱり由麻と初めて同じクラスになったからだろうな。
今までは違うクラス、違う団が当たり前だったわけだし。
あまり考えたことがなかった。
応援団は嫌だけど、由麻に見てもらえるならまあいいか、なんて。
そんな話をしながら待っていると、女子が教室にやって来た。
「ゆーだいせんぱーいっ」
真っ先に駆け寄ろうとするのは有馬。
結大や俺を見つければいつもこの調子。
教室の床には制作中の横断幕が広がっていて、周りにペンキ缶や筆が置いてある。
さすがに見えているだろうと目を逸らそうとした、その瞬間。
ガンッ────ベチャッ!
有馬がペンキ缶を蹴り倒し、中に入っていた青色のペンキが横断幕に広がるようにこぼれた。
「……」
俺だけでなく、その場にいた全員が唖然とする。
一瞬の沈黙の後。
「きゃー!」
「やばいやばい」
「うそー」
「戻せ戻せっ」
悲鳴に喚声、阿鼻叫喚。