書いたことが事実になるメモ帳 はるかの場合

 はるかはアイドルが大好きだった。特に国民的アイドルのユウという少年の大ファンだった。はるかはクラスの仲のいい友達といつもアイドルの話で盛り上がっていた。

「アイドルのユウ君ってかっこいいよね。あの人と結婚したいなぁ」
「私もあんな彼氏がいたらいいのに」
「自慢できるよね。イケメンだもん」
「ユウ君ってなんであんなにきれいな顔立ちなんだろうね。あんなに素敵な人が選ぶ相手はやっぱり超絶美人なのかな」

 少女たちには想像もつかなかった。雲の上の存在のユウ君が将来、結婚をするときにどんな人を選ぶのかわからなかった。自分の力ではどうしてもユウ君を手にいれられないとしたら魔法に頼るしかない。それは、仕方のないことなのではない。

 はるかは軽い気持ちで、夢をかなえたくなった。でも、その時は決して軽い気持ちだったわけではない。身近にアイドルの彼がいたらどんなに幸せだろう。友達でもいい。ましてや彼の特別になってみたい。本気というのはいつなんどき起きるかは本人すらも予知できない。

 はるかはアイドルのユウ君への想いがつのり、悩んだ末、うわさの都市伝説の夕陽屋に行ってみようと思った。そうすれば、大好きな彼と結婚できるだろう。

 そして、不思議な店についてインターネットで色々調べて試してみた。たそがれどきに強い思いを送ると現れるらしい。不思議な商品があるらしい。そんな書き込みがあった。

 色々調べた末、本当にたそがれどきに強い思いを込めたら、幻のような夕陽屋が目の前に現れた。はるかは迷うことなく、店へ足を踏み入れた。はるかだって本当は1人では心細かった。多分、異世界とかいわれる空間なのだろう。普通に生活をしていたら、絶対に会うこともできない存在を手に入れたいという強い思いがあった。友達を誘ってしまったらユウ君をひとりじめできない。だから勇気を出して1人でお店に来た。背に腹は代えられないというような心境だった。それくらいはるかは国民的なアイドルの少年を好きだと思っていたのだ。

 たそがれどきに薄闇の中にぼうっと光る建物が見える。怖いような不気味さの中に温かさを感じる建物だった。

「いらっしゃい」
 店員の夕陽がユウ君のような年齢だというのが意外だったのか、はるかは少し驚きを隠せずにいた。

「私、アイドルでブレイクしているユウ君と両思いになって、恋愛と結婚がしたいの。だから、ここの商品を買いたいの。お金はたくさん用意しているわ」
「結婚といっても今すぐはできる年齢じゃないだろ」
 冷めた瞳で夕陽が答える。

「10年後でもいいの。それまで恋人で、結婚はそのあとよ」
「恐ろしいことをねがうんだな」

 夕陽は青ざめた顔をしながらため息をついた。少女から見たらそんなに悪い願い事じゃないと思ったので、どこが恐ろしいのか見当もつかなかった。

「結婚するというねがいは、10年後に好きな人ができてもユウ君以外とは結婚できなくなってしまうんだ。ユウ君の見た目がおまえの好みではなくなっているとしても、ユウ君がすごく性格が悪くても、彼が犯罪者になっても結婚しないといけない。マスコミに追われて怯えた生活を強いられても、おまえはいいのか?」

 はるかは、はじめて現実的なことを考えて自分に向き合ってみた。
 今はとてもかっこいいユウ君が大人になった時に、髪がはげるとか太るとか、顔立ちが変わるとか最悪の事態を考えてみた。そして、テレビや雑誌の様子では完璧なユウ君が、実は性格が悪いとか、性格が私とは合わないとしたら、嫌いになるかもしれない。今は好きだけれど、それは、テレビ越しの彼だ。直に話したことはない。もし、何かしらの犯罪者になった彼には芸能の仕事もないだろうし、結婚するということは大変だろう。もちろん、有名人だとマスコミが家にやってきたり、写真を撮られたり、大変なことがあるのだろう。

 はるかは、じっくり考えた。ねがいのおそろしさをかみしめた。ねがいが絶対ならば今付き合うというねがいのほうがいいのだろうか? 

「じゃあ、今はやめておく。でも、書いたことが事実になるメモ帳をほしいなあ」
「10円だよ。書いてもいいけど、他に好きな人ができても責任持てないけどな」
「とりあえず、買うけど今は使わない。特別なときのためにとっておくよ」
「このメモ帳の説明をちゃんと読んでおくんだな。これは人間が絶対にできないようなものは書いても無効になるんだ」
「例えば、不老不死とか?」
「そのとおり。あと、店員の俺のことを書いても無効になるし、2つ以上のねがいごとを書いたら無効になるから」
「えー? なんでー?」
 はるかはがっかりしていた。

「俺は人間がどうにかできる存在ではない。欲張ると何も得られないというのがこのメモ帳のおしえっていうことだ」
「人間がどうにかできる存在じゃない……なんだかかっこいい存在ね。あなたは人間ではないの?」
「好きでずっと店員やっているわけじゃないんだけどね。正確には夕陽屋の番人で、元人間だ」

 はるかの瞳は輝いていた。この時点ではるかは夕陽のとりこになっていたのかもしれない。手が届きそうで届かないものに人は恋するものだという歌詞を聞いた事があるが、その心境が痛いほどはるかには感じていた。特別な力を持つ特別な存在が目の前の美しい少年だということが歌詞と重なった。

 はるかは夕陽の整ったきれいな顔を見て、はじめて心臓がどきんと高鳴る。本当に好きなのはこの人かもしれないと運命を感じた瞬間だった。恋する年頃の少女が運命を感じるということは突然で気まぐれなのだ。

「またくるね、名前は?」
「黄昏夕陽」

 まわりの風景はいつもの街に戻っていた。帰宅したはるかは、自分の部屋で今日言われたことをじっくり考える。雑誌の表紙のユウ君をみつめて、そのまま机の引き出しにしまった。好きだけれど、それは命を懸けるとかそういった好きではないということに気づいてしまったのだ。

 はるかは、大人になったのかもしれない。それは、夕陽のおかげだ。彼に感謝しながら窓の外を眺めて、どうやったら冷静で実直な大人になることができるのかを考えていた。学校の授業では教えてくれないことを夕陽は教えてくれたのかもしれない。

 はるかの持っていたメモ帳が風に吹かれて窓の外に飛ばされてしまった。慌てて追いかけてみたが、小さなメモ用紙はどこへ飛ばされたのか行方知らずになってしまった。はるかはあきらめて、またあのお店に行ってみようと決意した。ただし、もっと自分を磨いてから訪問しようと思っていた。

 そして、そのメモ帳が知らない人に拾われてしまったことに、はるかはまだ気づいていなかった。