美人グルト 通称Cのはなし
あだ名はキュートと呼ばれている女子、仮名をCとしておこう。彼女はブスな顔だ。この顔のせいで、不幸な人生だったと思う。人生といっても、12年程度の人生だけれど。小学校6年生のCは、顔がきれいではないので、男子にも女子にも好かれていないと思う。性格も暗いけれど、顔立ちも不幸顔と言われていて、しょっちゅういじめられるし、男子に好きだと言われたこともない。好きな人ができても、好きになってはもらえないのかもしれない。Cは自分に自信がなかった。
女子同士でも美人だとうらやましがられたりすることもあるが、同性からの称賛は一度もない。Cの学力や運動神経などの能力が低いが故の問題かもしれないが、自分の外見に自信がないことはとても大きい事実だ。どこが特に気になるかって? 釣りあがった細い目、への字の口、低い鼻、太った体。痩せたとしても美人にはならない顔立ちだ。この体格だと、デブと言われるので、一応、少しダイエットはしているが、美人になるわけではない。だから、Cは強いコンプレックスを抱えながら、都市伝説の情報ををインターネットで探していた。うわさに聞く、便利な商品を扱っているという夕陽屋の情報を探していたのだ。
『たそがれどきに思いを込めてください。すると、お店に出会えます』
本当だろうか? もうすぐたそがれどきだ。そう思ったCは急いで外に出た。そして、美しくなりたいと強くねがう。光がCに差し込んだと思ったら、まばゆい光に包まれる。不思議な感覚だった。
そして、すぐに夕陽屋と書かれた古びたお店が現れた。勇気を出して店の中に入ってみる。これで、美人になれると思うと思わずスキップしたくなってしまった。
店員は高校生くらいの男子のように見えたが、Cが知っている同世代よりもどことなく大人びた印象だった。Cから見た夕陽の眼はくりっと大きくてまつげが長く、鼻がすっと高く、口角が上がっていて、小顔。夕陽はCの基準では理想の顔立ちだった。そして、室内に飾られた縁日風のインテリアも嫌いじゃなかった。
「いらっしゃい」
「この店には美人になるお菓子ってないの?」
「ないこともないけどね。どんな顔になりたいんだ?」
「あなたみたいにスタイルが良く整った顔立ちがいいの」
「でも、人には好みもあるし、全員が美人だと思う顔は難しいぞ」
「じゃあ、あなたと同じ顔でいいわ、私、あなたの顔が気に入ったもの。でも、顔が急に変わったらみんな私だとわからないよね」
「君だとわかるように美人にできるよ。もちろん顔が変わったことは気づかないようにしてやるさ。そして、見る人の好みにあった顔に見えるようにするのさ」
その話を聞き、Cは目を輝かせていた。
「すごい魔法ね。大きな二重の目がいいの」
「じゃあ、この美人グルトを食べてみな」
「いくら?」
「10円だよ」
その場でふたをあけて食べてみる。その小さなグルトはヨーグルトのような酸味があるがとても甘いお菓子だ。小さな木のスプーンですくって食べる。店内にあるベンチは雨風にさらされたような古びた木でできていた。きっと昔からあるに違いない。
「さあ、帰宅して鏡を見てみな」
「ごちそうさま」
帰宅したCが鏡を見ると、思い通りのきれいな顔になっていた。もちろん体型もウエストにくびれがある痩せた体になっていた。不思議なことに、親もクラスメイトもみんなCだとわかっているようだ。何も言ってこない。もしかして、前と同じ顔にしか見えないのかな? 少し不安になる。
「あなた夕陽屋の店員なの? 親戚?」
それから少し経ったころ、まちを歩いていた時に、知らない女性に声をかけられた。その女性はすごい剣幕でまくしたてた。
「ずっとお店を探していたんだけれど、見つからなくて。私の人生を返して!!」
恐ろしい形相で言われた。Cはとても怖くなり「違います」と言って逃げた。あの美しい少年は恨みをかったり、ひどいことを言われているのかもしれない。
それから、たびたび街中を歩いていると知らない人に、「もしかして、初恋の○○さん?」と言われることがあって、正直怖い思いを何度かしている。こんな人違いが一生続くのだろうか? 人によって美しいの基準は様々なので、人によって見える顔は違うようだった。
「似ているだけで別人です」
Cが別人だと言うと、諦めた顔で力なく歩いていく人たちが多いけれど、もし、ストーカーのようなうらみを持った人が現れたらどうしよう。
Cはずっと恐怖を持って毎日を過ごしている。自信があるはずの顔を隠しながらまちなかを歩いているのだ。きっと、これは代償なのかもしれない。
鏡を見ると、ある日はのっぺらぼうになっている。それはCの中で美人の基準が無になっているということかもしれない。目も鼻も口もないなんて……。恐ろしくなってもう一度鏡を見ると別な顔になっていた。どうやら見る人や見るときによって顔だちが変わるということだ。だから、見る人の美の基準に日々合わせてくれるのだろう。
Cの顔があの少年のように見える人もいるし、初恋の人に見えることもあるようだ。つまり見る人によって見えるものが違う。つまり今のCの本当の顔はないということだ。本当のキュートはもういない。だからあえてこの話ではCという表記をさせてもらった。本当の顔がない者は本当の名前もなくなってしまうのだから……。
ねがいごとには代償がつきもの。犠牲になるものがあるということを覚悟する勇気が必要なのかもしれない。
あれから20年、Cは結婚して、子供ができた。自分に自信がないゆえ、息子が生まれたのに、元々の顔が自分と似ている息子を愛することができなくなっていた。その息子のアキラは最近、夕陽屋でおたすけノベルを購入したらしい。昔も今も夕陽屋の黄昏夕陽は変わらずに店をつづけているということだ。
老いを遅らせるグミ
「私、この美しさをずっと保ちたいの」
今は若いけれど、14歳は永遠じゃない。20歳くらいまでならばいいかもしれないけれど、25才を過ぎたらお肌の曲がり角で、あとはどんどん歳を取るだけ。そんなこと、嫌だ。でも、不老なんて普通不可能だ。美琴は中学二年生だが、恐ろしいほどの美意識を持っている。歳を取って老化していくことが許せない、そう思っていた。しわしわの手や顔になること。しみだらけの肌になることが本当に嫌だった。美琴は強い美意識を持って、たそがれどきに手を合わせてねがった。
「いらっしゃい」
「ここは何のお店?」
美琴は驚いて店内をゆっくり見て回った。美琴は突然現れたお店に驚きを隠せない。美琴は情報にうといほうなので、うわさや都市伝説には詳しくなかった。
「君のなりたいを手に入れることができる不思議なお店、夕陽屋さ」
夕陽が丁寧にエスコートしながら店内を案内する。
「私は美琴。14歳よ。若い姿のままでいたいの。不老を望んでいるの」
「君のまわりが歳を取っても、君だけ若くてもいいのか?」
「永遠の14歳っていいと思わない?」
「段差になっているから、そこ、気をつけて。不老になっても不死じゃないけれど、大丈夫?」
いつになく夕陽は親切だ。
「優しいのね。不死は望まない。不老だけでいいの」
「意外とかしこいな。不死ってどんなに痛い状況や苦しい状況でもずっと生きなければいけないから、生き地獄ほど苦しいものはないんだよ」
「前に漫画で見たことがあるけれど、バラバラになっても生きるとか、そういう生き方はしたくないから」
「このグミがおすすめだよ。1個10円だよ。これを食べたら老化がおそくなるといわれている美容エキスが入っているんだ。不老の実からとった特別なエキスだよ。味は、そうだなぁ……オレンジに似ているかもしれないよ」
「きれいなグミだね。老化がおそくなるの?」
グミの裏側の説明を読もうとしたが、美琴には字が小さすぎて読めないようだった。
「全く歳をとらないわけではないんだけどね。かなり今の状態を保つことができるよ。これ以上しわもしみもしばらくは増えることはないし、白髪もしばらくは増えることはないさ」
「何を言っているの? しみもしわも白髪も私にはまだまだ先のはなしじゃない?」
少し間を置いて、夕陽は答える。
「そうかな?」
夕陽は否定も肯定もすることもなく、美琴に優しいまなざしを向けた。
歳を重ねることは急に老けるというわけではないので、今日明日ですぐにわかるものではなかったが、美琴は一切成長しなくなっていた。身長も顔立ちも変わらない。これは、とても愉快な事実だ。美琴は女としての一番大切な美貌を手に入れたとその時は満足していた。
♢♦♢♦♢
美琴が帰宅すると夕陽と白い綿の妖精のふわわが話し始めた。
「本当に14歳のままだったら、20歳になっても、見た目が若すぎてお酒を出してもらえないかもしれないし、成人という区切りの20歳以上じゃなければ駄目なこともたくさんあるのにな」
真っ白なふわわに、夕方の光が優しくふりそそぐ。
「美琴という女性は自分の姿を若いと思い込んでいるみたいだよね。本当はしみもしわもある老眼の80歳のおばあちゃんなのに、14歳だと思い込んでいたふぁ」
ふわわが夕陽を見上げながら会話をはじめる。
「夕陽屋は平等であるお店だからね。80歳から成長を遅くしたんだ。俺は昔、ばあちゃん子だったんだよな。だから、ほっとけなくてな。認知症だとしても、希望はちゃんとかなえるよ、それが仕事だから」
仕事をまじめにこなす夕陽は今日もプロの仕事人だ。そして、ふわわはあくびをした。
寿命が見えるあめ ふたたび
「いらっしゃい」
「こんにちは」
いつものように笑顔で入ってきたのはかすみだった。
「実は、また寿命が見えるあめがほしいの」
「自分の寿命が見たくなった?」
何でも見透かした様子の夕陽が不気味でもあり頼もしくもあった。それは、信頼と疑いのような気持ちが混じっている気持ちの表れだった。しかし、なぜか昔から知っているようなおさななじみのような安心感が夕陽にはあった。
「ひいきしているお客様だからね」
「どういう意味?」
「そのままの意味だよ。特別なお客さんだと思っているから」
美しいまじめな顔でそんなことを言われたら、かすみは恋の期待をしてしまいそうだ。
「俺は、君の前世を知っているんだ。だから、ここに呼んだってのもあるかな」
「私は、自分の意志でここにきたつもりだったけれど……」
「でも、呼んだのは俺だよ」
よくわからない夕陽の言葉が少しもやもやしたが、今はあめを入手するという目的があった。自分の命の長さを知りたいと思った。普通、知らないほうがいいことなのだろう。なにかの予感がしたのかもしれないが、かすみは自分の命の長さがとても気になった。ここに来れば寿命が見える赤いあめがある。今日はここにきて、あめを買うことを決めていた。
「かすみは自分の寿命なんて知ってどうするの? 結構短かったらショックだと思うよ。だからおすすめはしないけど」
「短いならば寿命を延ばすお菓子があるでしょ」
「でも、不老不死になるわけじゃない」
「じゃあ10年延びるお菓子とかないの? 1日じゃなくて1年とか」
「あまり長いのはおすすめしてないんだ。いつ食べたか忘れる人が多くてね。10年後に食べようと思っていてもそのときになると忘れちゃうっていうのがよくあるんだ。だから、毎日食べるとか習慣づけしていたほうが食べ忘れがないんだよ」
「じゃあ、一気に食べればいいんじゃない?」
「いっきに食べても効力はないんだ。つまり、1日寿命がのびるあめを一気に食べても1日しか寿命はのびないのさ」
「ええ?? そうなの?? おばあちゃん、忘れっぽいし、私も忘れちゃうかもしれないから、その作戦はだめじゃん」
「あと、寿命をのばすあめだと相手に言ったら効果がない。薬でも飲み忘れがあるから、お菓子ならばなおさら食べ忘れるっていうことはありえるな」
「ちなみに1年以上寿命を延ばすお菓子ってないの?」
「今は販売していないんだ。そのお菓子には食べ忘れたとかどこにおいたか忘れたという事件が多くてね。特殊な食べ物だから、危険なんだ。誰かが食べたりすると困るから今は販売していないよ。あと、体に副作用が出るっていうのも大きいな」
「副作用って薬のせいで体に害が出るっていうものでしょ」
「そうだ。これは、体に負担がかかる。生きることは健康でいなければいけないのだけれど、無理に寿命をのばすことは人間の体には負担が大きいらしい。だから販売はしていないんだ」
「私、自分の寿命を見たいの。それで、1日でもいいから長く生きるためにここに通おうって思ったの」
「最初は過去に電話をしたいって目的だっただろ?」
「でも、欲が出たのかもしれない。ここに来るとすごいものがたくさんあるから」
かすみはありのままの本音を話す。
「人間は欲があるからな。だから、特別なかすみには何度もここへ来れるようにしてるんだけどさ。かすみの前世は俺がよく知っている人間だから」
「どういうこと?」
「そのうち話すときがくるかもな」
そういうと夕陽が真っ赤なつやのあるあめを差し出す。かすみは10円を支払い、あめを受け取った。そして、いつもと同じように公衆電話の前に立つ。
「この電話は何度でもかけられるの?」
「回数に制限はないよ」
「家族に私の正体を話してもいいの?」
「正体を話すと二度とその人間は電話を使うことができなくなるから」
「そーいう重要なこと、ちゃんと最初に言ってよ」
「かすみが何回も使うとは思わなかったんだよ」
「自分の正体を明かさず、過去の家族と本音で話すことは難しいよね」
「だから、過去にかけても何も解決にはならないんだよな。自分の本当の名前も身分も明かせないのだから」
「未来を変えてしまうことになってもいいの?」
「この電話で何か未来を変えたからって罰はない。未来が変わることは人生の書庫の本たちが書き換えてくれているから」
「人生の書庫って人間の一生の物語が入っている本がたくさんあるんでしょ」
「でも、かすみには見せられないけれど」
「そっか。私の寿命が変わってもあの本がちゃんと書き換えてくれるってことか」
少し安心したかすみは受話器を置き、電話をかけるのをやめた。
「夕陽君と話しているとなぜか安心するよ」
「また来い。おまえは自分の寿命をわかっていたほうがいいかもしれないな」
最後の夕陽の一言が気になった。寿命をわかっていたほうがいいの? 疑問が頭をぐるぐるまわる。でも、かすみは夕陽に会える事がとても楽しいと感じていた。
自分が未来の姉だということを明かさずに過去の妹と話すことは難しい。友達のふりをするのは無理があるし、せいぜい間違え電話をわざとかけて妹の声を聞くくらいしかできない。だから、本当に話したいことが話せないということに気づき、もう少しいい考えが浮かんでからかけてみようと思った。あまり間違い電話ばかりかけるのは、不自然だろう。最初は声だけを聞きたいと思っていたけれど、人間は欲張りなのかもしれない。もっとちゃんと話したいと思ってしまうのが本音だ。
家に帰宅すると、鏡を見つめる。でも、寿命を見るには少し勇気がいるような気がした。夕飯を食べてからあめをなめてみよう。落ち着かない気持ちで夕食を食べて自分の部屋に向かう。鏡をじっとみつめてあめをなめてみる。
2025、12,12
2025年?? かすみは自分の頭の上に出る数字を見てその短さに驚く。そして、どうすればあと5年で死なずに済むのかを確かめるために明日も夕陽屋へ行こうと決心した。
♢♦♢♦♢
翌日の夕方――
「夕陽君、私の寿命あと5年なんだって!! 命を延ばしたいの!! 力を貸して!!!」
「自分の命の長さを見たのか」
夕陽は冷静な瞳でじっとかすみを見つめた。
「知っていたの?」
「かすみは特別だから、俺は寿命を延ばしてほしいと思ってここへ呼んだんだよ」
「特別ってどういうこと? 私たち会ったこともないじゃない?」
「かすみの前世は俺の大事な人だったんだよ。だから、この立場を利用して、えこひいきさせてもらったんだ」
「大事な人って?」
「秘密」
夕陽は口元は笑っていたけれど、目は笑っていなかった。それは彼の精一杯の笑顔だったのかもしれない。もしかしたらかすみは前世は夕陽の家族だったのかもしれないし、恋人や夕陽の好きな人だったのかもしれない。でも、そんなことをかすみは全く覚えていない。
夕陽が特別扱いしてくれたおかげで、かすみは寿命を延ばすことができるのだろうか。不安と疑問がかすみの中で、ぐるぐるまわる。昨日ほとんど寝ていなかったこともあって、かすみは目の前が真っ暗になって、意識が遠のいて、その場に倒れてしまった。もし、このお店で倒れたりしたら、元の世界に戻れなくなるのではないだろうか? そんな不安を抱きながらかすみは意識を失った。不安から来る疲れだったのかもしれない。
目を開けると、そこは知らない部屋だった。古びた和室の一室だろうか。天井は意外と高く、立派な柱のある木の家だった。ふかふかした布団が敷かれており、気づいたかすみは真新しい布団の上で寝ていた。白いのりの効いたふとんはパリッとしていて、新品の香りがした。
「気づいたか?」
ふすまの影から夕陽の顔が見えた。
「ごめん。私具合が悪くなって、めまいがして倒れたんだよね?」
「だから、自分の寿命を見ると必要以上の体力や精神力を使っちまう。そして、思わぬ結果だと何とかしようと考えてしまうが寿命はどうにもならない。そして、心も体も疲労しちまうんだ。でも、命の長さを知りたいのが人間の本心だよな」
「あなただって人間でしょ?」
かすみは人間を客観的に分析している少年を見て、疑問を投げかけてみる。なぜこの人はここでこんなことをしているのだろうか? 今まで思っていたけれどずっと考えないようにしていたことがあふれでてきた。
「正確に言えば、元人間かな? この空間は時間が止まっているから歳をとらないし、生きている人間ではないからな」
「あなたはずっと歳をとらずに病気にもならないの?」
「たまに君たちの世界にも行くけれど、歳を取るほど長くいないし、病気にはならないんだ。一度死んでいるからな」
一度死んでいるということを聞いたかすみは、意味を理解するのに時間がかかる。理解をしようとそのまましばらく黙っていたが、気を持ち直して質問を考えた。
「なぜこの店をやっているの?」
「つみほろぼしってやつさ」
「どういうこと?」
「まずはかすみの寿命があと5年しかないからどうするかのほうが先だろ?」
そうだった、かすみは自分自身の大問題の解決のためにここへ来たことを思い出す。そして、心配で心配で、きのうの夜はほとんど眠ることができなかったから、倒れてしまったのかもしれないと思い返した。
「私は18歳で病気とか事故で死ぬのかな?」
「事故ならば防ぐことは可能だよな。前世のつみほろぼしをさせてほしい。一緒に解決しよう」
そう言って、夕陽は頭を下げた。
「寿命がのびるせんべいならば少し延ばせるよね」
「あれは、根本的な解決にはならないからな。前世のことはいずれ必要があれば話すけれど、俺は味方だということだけ頭に入れておいてほしい。それに、お菓子を一気に食べてもその分長くは生きられないという不便なものだ。食べ忘れたりすれば効果はないからな」
かすみは不安ながら、夕陽といい方向に持っていけるように何とか頑張ろうと心に決めた。きっとこの人は私を裏切らない。そんな気がした。
「かすみの前世の人とはずっと一緒にいよう、俺が守ると約束していたんだ。でも、結局守ることはできなかった。一緒にいることもできなかった……」
「結婚しようという話だったの?」
「いや、結婚とかそういった形だけのものではない。もっと深く真剣な約束だよ」
「恋愛関係だったの?」
「恋愛なんていうものよりずっと重く深いものさ」
そういった夕陽の瞳は遠くをながめていた。それは、かすみの前世を見ていたのかもしれない。
合格おまもり
マナブは有名大学付属中学に合格したいと思っている。あの中学校に行くことができれば、マナブは無敵なのだ。何故無敵か? それは、いい大学、いい就職先が約束されているからだ。マナブは優秀な友達が欲しいと思っていた。そして、あの中学校の生徒だという勲章が欲しいだけだった。しかし、模擬試験はE判定しかとったことはなく、この先E判定以上を取ることはかなり難しいことは目に見えていた。きっとこのままでは不合格になってしまう。
有名大学付属高校に合格したいという一心でたそがれどきに心の中で叫んでみる。きっと不思議な店にたどりつけるはず。もう頼みのつなは都市伝説しかない!!
「有名大学付属高校に入学したいんだ」
と心の底から叫ぶ。光がまぶしい。何がおこったのだろうか? 目をつぶってしばらくその場で立ちつくす。
目を開けると、信じられないことだが、まわりの景色が変わっていた。看板には夕陽屋とかかれており、マナブをまちかまえていたようにレトロな建物が迎えてくれる。
「いらっしゃい」
誰に対しても、夕陽はそっけないあいさつをする。でも、客の心を読んでいるのかいつもばっちり合う商品を提案する。夕陽はやはりプロの仕事人なのだろう。
「合格できるお菓子とかグッズはないですか?」
「おまもりなんかどうかな?」
夕陽が持ったおまもりは、キーホルダータイプでランドセルにつけても違和感のないデザインだった。大きさも比較的小さくデザインも悪くない。
「中学受験するから、合格したいんだ。でも、今のままでは絶対に落ちるという成績の悪さなんだ」
「合格でいいのか? 頭がいい人になりたいとか成績優秀になりたいとかじゃないのか? 大学の合格や一流企業の内定っていうことだってありだろ」
「僕のねがいは有名中学校に合格したい、それだけだ。入学するだけでいいんだ」
「地元の中学校は嫌なのか?」
「僕、あまり友達がいなくて。実は、今の小学校の奴らは、ほとんどが地元の中学だから。そいつらと離れたいんだよね。逃げているって言われてもかまわないけどさ」
「有名中学校で必ずいい友達ができるとか楽しいとは限らないけどな。これをつけているだけで合格できるぞ。おまもりは50円だよ。ただし、合格したらそのおまもりは消えてしまうんだ」
「このおまもりは、君にとって素晴らしい友達なると思うよ」
「どういう意味?」
「このおまもりはおしゃべりなんだ」
「だから君の受験合格までいろいろアドバイスしてくれるし、口うるさいことも言うかもしれない。でも、これを身につけているだけで必ず合格する力がつくんだ」
「合格できるのならば、なんでもこい!」
少し調子に乗ったマナブは50円を支払うとおまもりを握って、落とさないように握りしめながら帰宅した。
「そんなに強くもたないでよ。僕の体が痛いんだけど」
おまもりは話しかけてきた。
「ねぇ、おまもりさん、有名中学付属高校に入学したいんだ。おねがい」
「まずは、マナブの生活リズムや勉強方法を見せてもらうよ。僕は受験のプロだからね。合格できるようにアドバイスするよ」
「え? 勉強しなくてもおまもりさえもっていれば合格できるんでしょ?」
「甘いな!! 合格できるように勉強を教えるのが合格おまもりなのさ」
「なんだ、家庭教師みたいな感じなのか。僕の学力をなにもしなくても上げてくれるのかと思ってたよ」
「はっきり言って、僕の指導は厳しいぞ。なんせ24時間ずっと君を監視しているんだから、1時間程度の家庭教師より、ずっと合格させられるってことさ」
おまもりは小さいくせに口うるさくスパルタな指導をしてくる。母親より100倍がみがみうるさい。24時間のおまもりによる監視生活は正直苦しい。おまもりをつけて受験する、たったそれだけで合格すると思っていたのだが、甘かった……。
おまもりがうるさいので、道端に捨てたのだが、なぜかマナブの元に帰ってきてしまう。いやいやながら毎日勉強していた。やらざるおえなかったと言ったほうが正しい。わからないところがあればおまもりがじっくりわかるまで教えてくれる。一種の師弟関係のような友情のようなきずながマナブの心に生まれていた。おまもりがいてあたりまえの生活が半年ほど続いた。何度も逃げ出しそうになったが、おまもりの強引な力でマナブは成し遂げることができた。そして、見事マナブは有名中学校に合格した。そして、合格を確認すると、おまもりはあとかたもなく消えてしまった。
その瞬間、不合格だったらおまもりが消えなかったのではないかとマナブは悔いるような気持ちに襲われた。でも、どんなときも努力を怠らず、自分が今日より明日成長するべきだというおまもりの教えは消えなかった。しばらく、マナブはおまもりを失ったことで悲しい気持ちの海に沈んでいた。でも、これからを見て前進しなければいけないということを思い、悲しみに打ち勝っていた。
♢♦♢♦♢
「ふわわ、合格した後が重要なのに、あの子、合格すればいいって言ってたな。地元の中学校で新しい友達ができるかもしれないのに」
「有名中学は合格してからが大変らしいふぁ」
「あそこは優秀な生徒の集まりだけれど、おまもりのおかげで根性をきたえられたマナブはきっとうまくやっていけると思うぞ。高校や大学で学びたいことがある人のほうが成績も伸びるからな」
「満足したらそこで成長って止まるらしいふぁ」
「自分の力で成し遂げた人のほうが成功しているっていうことをおまもりが身をもって教えてくれたんだろうな。マナブはこれからはおまもりがいなくてもきっと頑張ることができる根性が身に着いたってことだ」
「夕陽はマナブを変えるためにあのおまもりを売ったふぁか? 身につけているだけで合格できるおまもりもあるのに」
合格だけできるおまもりのほうをふわわが指をさす。
「さあ、偶然いい方向にいっただけだよ。俺は正義でも悪でもないから。合格だけさせてもよかったけれど、その後のバッドエンドが目に見えているからな。マナブはおまもりがいなくなってその寂しさに打ち勝てたかな。さてと、俺はマナブのその後を人生の書庫で読んでくるから、店番たのんだぞ」
「人生はお別れのくりかえしふぁ」
そう言うと、夕陽は人生の書庫の部屋へ行き、読書をはじめた。
「次の運命の赤い糸のはなしは、マナブのお姉ちゃんの話らしいぞ」
そう言った夕陽は楽しそうにページをめくった。
運命の赤い糸
運命の赤い糸の伝説を誰でも一度は聞いた事があるだろう。結婚する相手の薬指と自分の薬指に、見えない赤い糸がつながっているという話だ。糸が目で見えたら運命の相手が誰なのかわかるのではないだろうか。結婚願望の強いまりなは夕焼け空を見上げながらためいきをついた。早婚に憧れているので、高校を卒業したらすぐにでも結婚したいと思っていた。だから、今からその相手と交際をして、結婚への確実な道を切り開きたい、そう思っていた。
「あれ? ここはどこ?」
まりなは気づくと知らない店の前に来ていた。いつもの帰り道にはない店だ。道に迷ったのだろうか? とりあえず店員に道を聞こうと店に入る。古びたドアを横に引く。すると、店内にはたくさんの風車がかざってあり、風がないのにまわっていた。それに、お面や紙風船などもかざられていて、和風な雑貨屋さんのような印象だった。子供の頃に、こういう駄菓子屋に行ったような気がするが、普通の駄菓子屋とはちょっと雰囲気が違う。お菓子は不思議な名前がついていたし、文房具や雑貨のようなものもあるが、商品名が珍しいものばかりだった。そして、奥にある公衆電話の感じが味を出していた。今時こんなお店があったなんて――
「いらっしゃい」
夕陽が出迎えた。
「あの、道に迷ったみたいで……帰り道を教えてください」
「あなたはここに来たいから来たはずなんだけどな」
「でも、私、このような店は知らないし……来ようと思ったわけではないのですが」
「来るべきお客さんだよ、あなたは」
そう言うと、夕陽は商品を手に取った。
「運命の赤い糸を売っているんだけれど、お客さん、これを欲しかったんじゃないの?」
「ええ? これってただの赤い糸でしょ?」
「運命の赤い糸はこの付属の眼鏡をかけるとみえるんだ。でも、たまにあんな人が運命だったなんて……とがっかりすることがあるんだ。そこで、好きな人に赤い糸を結べば運命の人が変わるってことさ」
「じゃあ元々の運命の人の糸はどうすればいいの?」
「付属のはさみで切ってみて。もし、二人同時に赤い糸がついたままならば、どちらかと結婚した後再婚することになるだけだ」
「へぇー、ジョークグッズのわりには面白いわね」
「これは、おもちゃじゃない。本物だから、取り扱いには気をつけてよ。お客さん、今年で18歳だからこの商品をちゃんと扱える年齢だろうしね。使い方次第で運命を変えるわけだから大変なことにもなる。だから、注意して使用してほしい」
「これ、いくらですか?」
「3点セットで100円だよ」
好奇心旺盛な女性高校生はうれしそうに鼻歌を歌いながら帰宅しようとしたが、道に迷ったことを思い出した。
「私、道に迷ってこの店に入ったんです。帰り道を教えてください」
「出口を出ればさっきいた場所に戻るから」
「そんなわけないでしょ?」
「本当だよ。一歩外に出てみな」
まりなは半信半疑な顔をしながら一歩踏み出した。
すると、本当にいつもの帰り道に戻っていた。一体どうやってあの店にいったのかは全く見当もつかなかった。
早速、翌日は高校に3点セットを持っていくことにした。一見ただの糸とはさみとメガネだ。持って行ったところで校則違反にはならない。早速、めがねをかけると自分の糸が見えたが、その相手が誰なのかはわからなかった。この学校にいるのだろうか? 憧れの同級生の葉月君をメガネ越しで見てみたが、運命の人ではないことが判明した。少し淡い期待をしていたまりなはがっかりしていた。
放課後になると、自分の赤い糸を伝ってみるが、そう簡単にたどりつけそうもなかった。県外や海外にいる人ならば歩いてたどり着けるはずがない。
分厚いメガネをかけて、勉強ができるけれど暗く、おしゃれには無縁な男子の赤い糸がちらりと見えた。去年同じクラスだった山木だった。見えるのは運命の相手の糸だけだと説明書に書いてあった。どうやら、まりなの糸とつながっている相手は、よりによってガリベンの山木だった。まりなはがっかりした。好きでもないタイプの真面目な山木が結婚相手? たしかに真面目ならば浮気をしないだろうし、いい大学に進学していい会社に入るだろう。でも、好きではない。未来の自分があの人を好きになれるとは思えなかった。
「そうだ、あの糸を使って、好きな人に結べばいいんだ」
幸いまりなは好きな葉月君と一緒に図書委員の仕事をしている。好きになったきっかけは同じ図書委委員になったことだった。葉月君はスポーツ万能で部活で忙しいけれど、本も好きらしく図書委員に立候補したらしい。話は面白いし、おしゃれだし、女子からの人気は高い。要するに人気者なのだった。
図書室はあまり利用者がいないので、週に1回二人きりでカウンターに座っているだけの時間を過ごしていた。この距離ならば、冗談ぽく赤い糸を結ぶチャンスが訪れる。幸い、明日の放課後に当番が入っていた。これは、チャンスだ。
翌日、やはり放課後の図書室は静かで利用者はいなかった。だから、まりなは葉月君に色々話しかけていた。
「どんな人が好き?」とか「大学はどこに行きたい?」とか。
自然に赤い糸を結ぶチャンスをうかがう。そして、勇気を振り絞って話題を切り出す。
「実は、おまじないがあってさ。この糸を結んだ人は幸せになれるみたいなの」
「なにそれ? 面白そうじゃん」
葉月君はノリがいいので案の定話題に乗ってきた。
「まずは、この先端部分を葉月君の薬指に結ぶのよ。そして、逆側の糸を私に結ぶの」
初めて触れる葉月君の指は細くて長い。きれいな指だった。触れる瞬間は心臓がどきどきだった。
「運命の赤い糸みたいだな」
核心を突かれたまりなはどきりとした。
すると、その瞬間糸が消えた。
「あれ? 糸が消えた?」
葉月君が驚く。糸が消えることは説明書で読んでいたので、まりなは葉月君に合わせて驚いたふりをした。
そして、二回も結婚するのはごめんだと思い、そのあとにちゃんと運命の赤い糸を切った。それは山木のほうの糸だ。本当の運命の人、ごめんなさい。あなたの容姿を好きになれそうもないし、話題が合うとも思えない。そんな人と運命なんてうんざり。そう思って、縁を切ったまりなは幸せな気持ちになっていた。
♢♦♢♦♢
まりなの本を人生の書庫で読んでいた夕陽。あの女子高校生は今頃結婚しているかなと思い出して読んでいたらしい。読み進めると、甘美な物語は描かれていなかった。
まりなは毎日おびえて生活をしていた。夢を語るのは好きだけれど、全く働こうとしない夫の葉月悠一は、働けと言うと暴力を振るうようになった。見た目がかっこいいしおしゃれなので、浮気はしょっちゅうだった。そんなとき、クラス会のハガキが来たので、まりなは夫に内緒で参加した。そのクラスは夫の悠一は在籍しておらず、夫には情報が入ってこなかったのは不幸中の幸いだった。
そこにいたのは、かつてガリベンの山木だった。山木はコンタクトにしたらしく、メガネの下に隠していた顔はとてもきれいな顔だった。そして、国の仕事をしているという山木は高学歴、高収入で安定した生活を約束されているため、女子たちがてのひらを返したように群がっていた。まじめで顔立ちもスタイルもいい悠一はクラスで一番の出世頭となり、モテていた。服装も夫の悠一とは違い、清潔感のあるスーツ姿が様になっている。悠一のスーツ姿なんて高校の制服以来みたことがない。悠一は大学を中退し、結婚したのはいいが、仕事をせずギャンブルや浮気ばかりだった。山木の赤い糸の相手は、私だったのに!! と言っても後の祭り。そんな証拠もないし、もうあの赤い糸は手元にない。
とりあえずまりなは一人で食べたいものを皿に盛りつけていた。高い服を買う余裕もなく、仕事は低賃金であまりお金の余裕はない。せっかく会費を払ったのだから思いっきり食べて帰ろうと思った。
すると、山木が隣にやってきた。
「お久しぶり。まりなさん、元気だった? 高校の時君に憧れていたんだよね」
うそ……? まりなの心臓はどきんと高鳴った。
「今は婚約している彼女がいるんだ。まりなさんもお幸せにね」
そう言って、山木はいなくなってしまった。
「もしかして、今日が運命の再会の日で、恋が始まったってこと? 結婚なんて早ければいいってもんじゃないってことかぁ」
そう思ったまりなは、もとをとろうと思いっきり食べた。
♢♦♢♦♢
本を閉じて夕陽がふわわに話しかけた。
「運命の再会はクラス会だったらしいけれど、運命っていうのは日々変わっているんだよな。山木君にはちゃんと別の婚約者がいるわけで、赤い糸っていうのは変化するらしいな」
「赤い糸は何もしなくても日々変化するふぁね」
「なにが正しいかなんて誰にもわからないってことだ」
罪を消す消しゴム
濡れ衣を着せられたっていうのはこういうことをいうんだろう。だいすけの父は無罪なのに罪を着せられ、警察に捕まった。近所では後ろ指をさされ、学校には居場所はない。母親と僕だけになったマンションの一室の外にはたくさんの害虫が襲う準備をしている。だいすけたちはまさに鳥かごに閉じ込められた鳥状態になっている。引っ越す準備を始めた。近所の目ほど恐ろしいものはない。
壁に耳あり障子に目あり状態のだいすけたちに明日はない。人は平気で人をおとしいれる。それは自己満足のためなのかもしれないし、自己防衛のためなのかもしれない。だから、邪魔な人間はおとしいれて、自分から遠ざけ、安全を確保するのが人間の本能なのかもしれない。本当はだいすけの父が良い人だと思ってくれる人はいない。うわさは本当ではなくても本当だと信じてしまう人間がたくさんいる。人のうわさも75日というけれど、本当にそのころになったら忘れてくれるのだろうか。
ニュースで取り上げられたことが全てであり、善か悪という究極の二択で世間はつくられている。だいすけの父は悪だというらくいんを簡単にくつがえす手段はない。しかし、ひとつ方法がある。警察も世間も敵となった今、都市伝説の不思議な店に助けを求めよう。そう考えただいすけは、下調べを万全にして、たそがれどきを待っていた。
だいすけとしては不思議なお店に存在してもらわないと困る。そうでなくては、父も家族も救われない。祖母の実家に行くという話もあるが、まずは事実を変えてもらうのだ。父が罪人にならない世界を作ってもらうんだ。
あの都市伝説はかなり本当だという確率が高い。インターネットの世界では実際に行ったとか見たという人が大勢いた。たそがれどきに強い思いをはせる。するとレトロな店が現れるらしい。今が多分たそがれどきっていう時間帯だろう。夕焼けが赤く夕方の空は昼と夜の境目にある。きっと、今だ。
「お父さんを助けて!!」
だいすけの強い思いを空にささげる。夕焼けの空に刺さるような声が響いた。まぶしい光に包まれる不思議な感覚がおそう。すると、レトロなお店らしき建物が現れた。商店みたいな駄菓子屋みたいなお店だった。
「こんにちは」
戸を静かに開けて、店の中に入ると、だいすけは礼儀正しくおじぎをした。普段から母親に厳しくしつけられているということもあり、常に礼儀正しいふるまいを心がけていた。正しい人間として生活することを心掛けていた。規則正しく生活を送り、道徳の教科書で正しいといわれる行いをする。人生の道からはみ出たことをする勇気もなかったし、正しい行いが最善だと頭の中でわかっていた。
「いらっしゃい」
「ここは都市伝説のお店、夕陽屋ですよね?」
「そうだよ」
「僕のお父さんは警察に捕まってしまったんです。でも、お父さんは何もやっていないと言っているんだ。えん罪なんだ。だから、なかったことにして、僕たち家族を助けてよ」
「えん罪っていう証拠はあるのか?」
「お父さんが悪いことをするはずがない。いつも優しく正しい人間なのに」
「君のお父さん、会社のお金のことで捕まったみたらしいな。本人は否認しているけれど、意図的にやっていたのかどうかは警察が調査しているみたいだね」
「もし、本当にお父さんが悪いことをしたとしても、しなかったことにしてほしい。社会的な評判や評価が我が家を悪い方向に持って行ってしまう。ここに住むこともできなくなるし、学校でもいじめられるんだよ」
「自分のためにねがいをかなえたいってわけか?」
「結果的には自分のためになるけど、家族を守りたいんだ」
少し間をおいて、夕陽は提案する。
「君はずっと正しい行いをしてきたのに、ここで、それを辞めてもいいって思っているんだね。人間は弱いから、社会的な評判はとても生活に支障がでるんだろうな。濡れ衣チェンジャーというカードならば、おとしいれた悪い人に罪をなすりつけることができるんだけどな。真犯人を懲らしめるというのも面白いぞ。または無関係の人間に濡れ衣を着せるっていうこともできるぞ」
トランプのようなカードを取り出して夕陽がカードを切り始めた。無関係の人間に濡れ衣を着せるということを平然と話す夕陽をだいすけは怖いと感じていた。
しかし、思いつめたようにだいすけは語りだした。
「僕は仕事のことはわからないし、相手をこらしめても何もならない。無関係の人を巻き込みたくない。だから、なかったことにすることが一番の平和だと思うんだ」
「もしも、本当にお父さんが悪いことをしていたとしたら?」
「僕は今まで正しいと思ってきたことをやってきたつもりだ。今回はなかったことにすることが正しいことだと判断したんだ。それは間違っているのかな? お父さんは悪くないと僕は断言できるよ」
「俺は道徳の教科書じゃないんでね。本当にその人が悪かったとしても悪くなくても関係ないから、なかったことにしちゃおうか」
だいすけは優しい心の持ち主だった。
「じゃあ、罪を消す消しゴム、10円だよ」
「罪を消してくれるの?」
「お父さんが本当に悪くなければ、書いた文字が消えるんだ。罪を消してくれるはずだよ」
「もし、お父さんが悪ければ?」
「悪人の罪を消してはくれないから、自信がないならばやめておいたほうがいいぞ。この消しゴムは一度使うと消えちゃうんだ」
「お父さんは悪くないよ。だから、きっとこれでなかったことになるよ。どうやって使うの?」
「お父さんの罪をペンで書いて消しゴムで消す。書く場所は紙でも壁でもどこでもいいよ。ただし、この消しゴムは1回使うと消えてしまうんだ」
もしも、お父さんが本当に悪かったら……という事実がだいすけの頭をよぎった。でも、いつも正しい行いを教えてくれたお父さんが悪いことをするはずがない。そして、10円を払うと罪を消す消しゴムを大事そうににぎりしめてかけていった。
「おうりょうざい」
という文字を自由帳に書いて罪を消す消しゴムで消してみる。でも、いくら消しても文字は消えない。
「やっぱりインチキだったんだ!! 10円返せ!!」
だいすけは、本当に罪をおかした場合は文字が消えないという説明を理解していなかった。だから、ひたすら消しゴムがインチキ商品だったという後悔とさぎにあったという気持ちにおちいっていた。
♢♦♢♦♢
夕陽屋にて、ふわわと夕陽は話していた。
「お父さんは本当は罪をおかしたのふぁ?」
「あの消しゴムで消えないということは本当に悪いことをしたということさ」
「事実を消す消しゴムのほうが事実を消してくれたんじゃないふぁ? なぜあの消しゴムを売らなかったふぁ?」
「人間がみんながなかったことにして幸せになったらつまらないだろ?」
夕陽は心の中で、困った人を助けたいけれど、悪いことを消すことはしたくないという正しい気持ちがあることをふわわは見逃さなかった。
「あまのじゃくだふぁね」
「今、心を読んだな!!」
夕陽はいい人と思われたくないようで、ちょっと嫌な奴を演じているようだった。ふわわは全部お見通しのようだった。
次のおはなし「永遠ループドリンク」はだいすけのお父さんの子供の頃の話だよ。
永遠ループドリンク
リョウの所属するサッカーチームは一度も勝利したことのない超弱小チームだ。来年は中学生になるが、このメンバーでサッカーができるのは6年生である今年までとなっている。リョウは勝利を勝ち取るには、都市伝説のお店しかないと思った。
普通ならば、練習をもっと頑張るとかスクールに通うとか現実的に実力をつける方法はいくらでもあるかもしれない。でも、リョウたちには時間がない。みんな中学生になると学区がばらばらになり、同じ中学には進学しないし、受験や転校で違う学校に行ってしまう友達もいる。今度の試合に勝てなければ小学校生活でのサッカーは引退ということになる。
リョウたちは今までだって努力もしたし、一生懸命練習もした。11人しかいないチームなので補欠はいないし、ケガをすれば10人で戦わなければいけない。いつだって、真剣に健康管理にも取り組んだし、走り込みもした。でも、勝てないのだ。
元々、このチーム結成のきっかけは、運動が得意じゃない子供をもつ親が運動をしてほしいということで、サッカーチームに入れたのがきっかけだ。リョウも小さい頃は体が弱かったので、体力をつけてほしいという親の願いでサッカーをはじめた。はじめは走ることも好きではなかったけれど、なんとなく気の合うメンバーが集まったので、リョウたちは友達と遊ぶことがサッカーの練習となり、結果的にサッカーが好きになった。もっと彼らと試合をしたい。そう思った。
だから、1試合でも多く勝てば引退が遅くなる。もっと一緒にプレーをしたいという強い願望が夕陽屋を呼ぶことができたのかもしれない。全ての野望は願望から始まるのだ。
道徳とか決まり事よりも、少なくともその時点では、自分の思いの方がずっと大事だった。6年生という時期は今しかない。そして、試合も今しかできないのだ。あのメンバーで一緒にできる最後の夏が終わる前に、ずるをしてでも一緒にプレーをしたい。
たそがれどきに強く願う。すると、味わったこともない光が体を包む。まるで紅葉が散った後の赤いじゅうたんが敷き詰められた感覚に近い。
願望がかなったのだろうか。夕陽の光がまぶしいけれど、見上げると夕陽屋と書かれた看板が見える。古びた店が現れた。これは、やったんだ!! 夢の勝利への切符を手に入れたような予感がすでにあった。ずるいかもしれないけれど、それでも勝ちたい。反則でも勝利という事実がほしい。おっかなびっくりで店に入ってみる。横開きのドアをおそるおそる開けてみる。
店の中は古びたにおいがたちこめていた。そして、たくさんの見たこともないような商品が並んでいた。まつりの屋台に並んでいるようなお面もあってにぎやかな雰囲気も店内にはただよっていた。リョウの心は、少しわくわくしてくる。
「いらっしゃい」
「こんにちは。僕はリョウです。あなたは夕陽屋の店員?」
あの都市伝説の店なのだろうか。リョウは確認してみた。
「夕陽屋の黄昏夕陽だ」
店員の夕陽は不思議な気配がするとリョウは感じていた。人間が持たない何かを持った異質なものとしてリョウは夕陽を受け入れていた。見た目からは想像もできない冷酷さを秘めたような感じもしていた。リョウは第6感が鋭いとよく言われる。だから、なんとなく夕陽の不思議なオーラを感じ取っていた。
「僕はサッカーの試合に勝って、少しでも長くこのチームのメンバーでプレーしたいんだ。それに合う商品はあるかな?」
「君のねがいはサッカーの試合に勝ちたいってことか?」
慎重に店内の品物をみつめる夕陽。きっとリョウに合った品物をみつけてくれるのだろう、リョウは心の中で祈っていた。
「そうだよ」
でも、本当にいいものを提案してくれるのだろうか? よくうまい話には落とし穴があったりする。少しばかり警戒していた。
「1試合だけでいいのか?」
「そりゃあ1試合だけではなく2、3試合くらいは勝ちたいよ」
人間は欲がある生き物だから、1試合よりは2試合、3試合勝ちたいと思うのが人間だと思う。それは誰でも同じだろう。
「市で一番? 県で一番? 国で一番? 世界で一番?」
リョウはただ勝ちたいと思っていたけれど、市で一番の人は県で一番になりたいだろうし。日本で一番の人は世界一を目指す。あたりまえの図式が夕陽の言葉によって認識できた。
「じゃあ、日本で一番ということも可能なの?」
「可能だけれど、そのあと本当は弱いと知られたら大人たちは手のひらを返すだろうけどな」
「テストで100点とったのに次はなんで10点なのとかそういうこと?」
「人は期待をしてしまう生き物。そして、裏切られるとがっかりする。期待をされなくなるもの。それでもいいか?」
「少し考えてみるよ。ちなみに、リスクってあるの?」
「体に負担がかかるかもな。今まで弱小だった人が本格的な選手と戦えば、体に負担がかかる。元々サッカーというスポーツはケガがつきものなのだから」
リョウは少々考え込んだ。素敵な思い出作りのために期待をさせて、がっかりされるという結末、体に負担をかける未来。僕たちはまだまだこれからがある。今、体を壊したら、中学校、高校でのサッカーはできなくなる可能性もある。でも、リョウのねがいは、みんなと仲良くサッカーを続けることだ。
「じゃあ、時を止められる? ずっと小学生の今の時期を過ごしていたい。時がとまったらいいなぁってみんな言ってたよ」
「可能だけれど、きみたちは異次元でずっと今を過ごすことになるぞ。ここの世界では不可能だからな」
「歳を取らずに時が進まないということ?」
「永遠に時が回り続けるってこと」
少し怖くなった。浦島太郎のような昔話を思い出すとなおさら怖い。あとで、しっぺ返しが来るような気がした。僕たちは1試合勝つことができたら奇跡だ。でも、魔法という魔力によって、名誉とかトロフィーとか賞賛とかせんぼうのまなざしという結果が欲しくなった。人間の欲なのかもしれない。
「市の大会で1位になりたい」
「県の大会で大敗しても?」
「じゃあ県の大会で1位になりたいよ」
「地区大会は?」
「それは、やめておくよ」
自分たちの実力を冷静に分析して、そこは辞退しておく。
「ループドリンクを飲んだら、リョウ君が一番過ごしたい時期が何度もループできるんだ。永遠に……」
そのとき、リョウはもうあともどりできない錯覚におちいった。一口飲めば迷いは消えてしまう。この時間を大事にしたいと思ったからだ。
「飲んでみるよ、いくら?」
「50円だよ」
リョウはごくごくドリンクを飲みほした。炭酸水のようなしゅわしゅわな味わいで甘い香りがするジュースだった。見た目は青くてどくどくしい色あいだが、かき氷のブルーハワイみたいな感じだろうか。嫌いな色ではなかった。
リョウはそれを励みに一生懸命サッカーの練習をした。そして、チームメイトたちは、まさか県で1位になれるなんて思ってはいなかったが、少しでも上達しようと勤勉に取り組んでいた。才能ではなく努力の塊のチームだった。あっけなく1回戦は勝利した。たまたまボールがゴールに入った、そんな風に見物人からは見えただろう。でも、ラッキーの連続は終わらなかった。
1回戦負け決定だと思われていたリョウのチームは、市の決勝戦ですら、余裕の優勝だった。それは、疲れてはいたものの、すごいスタミナがなぜかリョウたちには身についていた。世にも不思議なスタミナに対して、誰も不思議に思わなかった。みんな人一倍、努力はしていたのだから。
ボールがいい方向に動く。不思議な現象が続き、県大会に出場した。学校や市などから表彰の連続だった。リョウたちは鼻が高かったし、大人たちも手のひらをかえしたかのように、急に応援をはじめる者もいた。強い中学校のスカウトも目を光らせている、そんな空気の中、リョウたちは県大会で優勝した。そして、地区大会であっけなく敗北した。もしかしたら、実力が本当についたのではないかとリョウは内心思っていたのだが、やはり違ったようだ。実力の差は歴然だったが、それでもいい思い出になった。
大人たちの間では中学生になったらすごいことになるだろうと期待をするものも大勢いたが、それはかなわないことをリョウだけは知っていた。世の中にはたくさん、世界一になれるという魔法をかけてほしい人はたくさんいるに違いない。リョウたちはラッキーだったし、幸い何も悪いことは起きなかった。しかし、これはラッキーなだけで、中には最悪な結末を迎える人もいるのかもしれない。
でも、2回目以降も必ず同じ結果になることをもうリョウは知っていた。どんなにがんばっても県大会までしか勝ち進めないことも全部決まっていることだった。この先、ずっとこのメンバーでプレーできるということは、3回目くらいからありがたみはなくなっていた。この先、もっといい友達やチームメイトに出会えるかもしれない人生を捨てて、今を選択したのだから仕方がないのかもしれない。リョウ以外のメンバーは、2回目の試合なのに1回目の記憶が消えていた。しかし、リョウだけは記憶が消えないのだった。永遠に続くこの時間は愛おしくもなんとも感じなくなっていたのはリョウだけのようだった。
みんなはじめて体験するという新鮮な気持ちでいられるようだ。1回ごとに記憶が消えている彼らはそういった意味では幸せだ。リョウだけはなぜか記憶が消えないしくみのようだ。あのドリンクのせいで、ループする異世界にとじこめられたリョウは世界一の不幸せものとなっていた。
幸せのはずな時間も事と場合によって不幸せになるのだ。新鮮な楽しさもなく、次に起こることが手に取るようにわかるわびしさ。そして、またいちからはじまる試合。そして、必ず巻き戻されてしまうので、未来がない。どきどきもわくわくも今しかないという気持ちもゼロだった。効果が切れてくれないかな、リョウはそんなことを考えるようになっていた。
試合の合間に夕陽屋に行こうと、たそがれどきに思いを強めた。すると、3回目のループのときになんとかあの不幸を売りつけた店をみつけることができた。
「どういうことだよ、僕はずっと同じ時間を繰り返すだけなのかよ!!」
リョウは、激怒しながら、殴り込みのような感じで入店する。
「俺は、君のねがいをかなえただけなんだけどね」
座りながら手を組み、その上にあごを乗せながら上目づかいで夕陽がほほえむ。ループの不幸のどん底にいるリョウにとって、これ以上の不幸はない。
「じゃあ、ループを止めて元の世界に戻るドリンクもあるよ。10円だよ」
「ただでよこすべきだよ。売りつける気かよ?」
「君はずっと今の時間が続けばいいと言っていた。永遠に今のメンバーでサッカーをしたいという願望をちゃんとかなえるドリンクを売ってあげたのに……」
夕陽の悪びれた様子もない顔を見てリョウはいらっとする。
「わかったよ。10円は払う。今度は変な世界に行くとか副作用はない?」
「このピンクのドリンクは解毒剤だから。元の世界に戻るだけさ。サッカーでは負けちゃうと思うし、今のメンバーで永遠にサッカーをすることはできないけれどね」
少し意地悪そうな夕陽の顔を見ていて、いらっとしたリョウはそのまま10円を置いて、そのままピンク色のどくどくしい色のドリンクを飲む。かきごおりのいちごの色に似ている。味は炭酸ジュースのようにしゅわしゅわしてひたすら甘い。
「楽しかったけれど、一度しかないから貴重なのかもしれない。どんなに楽しい時間も何度も繰り返すと楽しくないな」
そういって、リョウは店の外に駆け出した。
夕陽とふわわはリョウの夕陽の当たる背中を見ながら、見送る。リョウの背中が少しばかり大きくなったような気がした。まさか、リョウの息子がのちにリョウの罪を消すためにこの店に来ることになろうとは……。その時、リョウも夕陽も思ってはいなかった。
病気を吹き飛ばす風車
ふたばは、余命があと少しらしい。完治が不可能だという病気にかかっているのだが、病気を直す薬がないのだ。もし、魔法でもあればこの病も治ったのかもしれない。そんな絶望と失望の中で、病気の痛みと体調不良との闘いだった。
まだ何も成し遂げていない。10代半ばで亡くなってしまうのだろうか? スマートフォンでネットサーフィンをしていたときに、生きたいという検索の中で、夕陽屋という言葉が出てきた。聞いたこともない名前だ。
夕陽屋とは、どういったものだろう? 何かの医療行為をする施設なのだろうか? それにしてはお店みたいな名前だ。生きたい人を支援する団体だろうか? 夕方、夕ご飯前の看護師が検温に来る前の時間、入院中の病室から夕陽が広がる赤と青と紫色が入り混じった空を眺めながら、ふたばは生きたいと願った。それは、心からのねがいだった。
入院していて外出なんてできないはずのふたばはなぜか知らない店の前に来ていた。そんなはずはない。外出許可だって出ていないし、病室のベッドにいたはずなのに……。久しぶりの外の世界の空気だった。お店にだって最近は来ていない。もしかして、病気で外出もできないふたばのために神様か誰かが夢を見せてくれたのかもしれない。
いつもより体が軽く、楽な感じがする。夢なのかもしれない、ならばお店に入って買い物を楽しもう。そう思って、扉を引いて開けてみる。横開きの扉は思ったより軽く開けやすかった。
「いらっしゃい」
夕陽が出迎えた。パジャマ姿のふたばは少し年上の少年がいることに驚き、少し恥ずかしくなった。でも、夢だと思い直して、普段なかなか同級生と話せない分、この人と話してみようという気持ちになった。
全てを見通したかのように冷静な瞳で夕陽はふたばをみつめながら話しかけた。ビー玉のような、まあるいきれいな瞳は、汚れのない透明な美しさがあった。ふたばは思わず見とれてしまった。美しいというのはこういった顔立ちをいうのだろうと、彼の顔のパーツを眺めていた。
「ここは駄菓子屋さんかな? うしろに飾ってあるお面と風車が縁日を思い出すなぁ。ここ最近は体調が悪くてお祭りにも行っていないし、入院生活をしいられているの」
「ここは、不思議なお店だよ。君の望みをかなえるお店だ」
「なあに? そんなお店があるはずないでしょ?」
「夕陽屋はたそがれどきに強いねがいを持った人しか来れない店なんだ。1回に1個しか売ることはできないけれど、そこにある商品はおすすめだよ」
ふたばは夕陽が指さすほうを見てみた。すると、病気を吹き飛ばす風車と書いてある。痛みという文字が真ん中に書いてある。
「私、病気で体が痛いの。これで痛みがなくなるの?」
「ああ、この風車は痛みを感じるという代償と引き換えに病気がなくなるんだ。おまえは生きたいのか?」
いきなり確信に迫る質問だ。
「生きたい」
ふたばはきっぱり答えた。
「私のねがいは病気を治して長生きしたいの。本来の健康だった寿命を全うしたいの。このままだったら死ぬだけだから、未来はないの」
「今後、君には痛みがなくなってしまう。人間は痛みがあるから無茶をしない。それは命を守るために大事なことなんだぞ」
「でも、治療で痛い思いをした私は、人よりも痛みを知っている。これ以上はいらない。それに、今痛みと毎日闘っているから、代償というよりはむしろ痛みがなくなることはねがいよ。痛み自体いらないの」
「この風車は10円だよ」
ふたばはお金を持っていないことに今更気づいた。しかし、パジャマのポケットを探してみると、偶然入っていた10円玉を取り出す。ふたばもなぜここに入っていたのかと意外そうな顔をした。
「使い方は?」
「この風車に向かって息を吹くと回るんだ。ここに痛みという代償が書いてあるから、この風車が回り終わったら痛みを感じない体になり、病気は完治している。君は病院のベッドに戻っているよ」
痛みが大事だという意味も知らずにふたばは風車に向かって思いっきり息を吹きかけた。世の中にはあったほうがいい痛みというものがあるのだ。でも、今のふたばには痛みはなくていいものだった。
風車は一息でとてもはやい勢いでぐるぐる回った。それは信じられない速さだった。その風車を見つめていると目がぐるぐる回った。そして、ふたばは気を失い、気づくと病院のベッドの上で眠っていた。
これは、夢だろうか? ふたばは信じられない気持ちになっていた。きっと夢を見ていたのだろうと思ったのだが、注射の針が痛くないことに気づく。その後、とても体調がよく、病院で検査をしたところ、医者も驚いていたのだが、無事に完治していたらしい。
夢じゃなかった――ふたばは感じていた。
風車ひとつで難しい病気も治るなんて、あの店は本当だったんだと。
♢♦♢♦♢
夕陽はその様子を本で読みながら、ふわわに語りかけた。
「無痛というほど怖いものはないんだよ。痛いからケガをしないように、やけどをしないようにと人間は自分の体を守っているんだ。先天的に痛みを感じない体の人は成人まで生きることがが難しいらしい。だから、人間には痛みはとても必要なものなのさ」
「じゃああの子は長生きできないふぁ?」
「さぁ。何とも言えないけれど、あの子次第だよな。せっかく長生きできたのに大切な能力を失ったってことだ。やけどをしても何も感じないのでは、体を守ろうと思わなくなるってことさ」
夕陽はため息交じりに夕焼けの空を見つめた。なんて不思議な色合いだろう。赤と紫と水色が混じりあう一言では表せない色が空には存在していた。人間もひとくくりにできないのは空の色と同じだと感じていた。ここはずっと夕方の時間で止まっている。
そのあと、1年くらいあとにふたばは亡くなったらしい。病気は奇跡的に完治したのに……。それは、痛みを忘れたために無茶をして事故にあったそうだ。自己防衛の痛みがないことは命を縮めることにつながるらしい。
失っていいものと悪いものがある。でも、それは個人の価値観によって変わってしまう。正しいということは決まっていない。長生きできて、痛みがないことは幸せだろう。でも、それが悪い方向に行く可能性もあるということで、人生はわからないのだ。
人間をコピーする風船
自分がもう一人いたとしたらいいのに。もうひとりの自分がいれば、代わりに宿題をしてくれたり、自分が疲れていても学校にいってくれるだろう。その間、本当の僕はのんびりしていられる。だから、もう一人の自分がいてほしいとジローは思っていた。しかし、本当の自分が楽ばかりしていたら、コピーのほうがずるいと言ってくるっていう結末になっちゃうのかもしれない。ジローにとって、そんな馬鹿なことを神社の境内に寄り道しながら考える。そんな時間が唯一のやすらげる自分のための時間だった。
ジローは体力テストを受けたくなかった。運動は苦手だし、体力が女子よりも全然ないので、クラスのやつらに馬鹿にされたくないというのもあった。それに長距離走はとても疲れる。親は教育熱心で、ジローは親に逆らうことはしない。帰宅して習い事に行って宿題をして……そんなことを考えただけでため息が出た。逆らおうという考えすらジローには湧いてこなかった。なぜならば、ジローは波風立てるような性格ではなかったし、もめごとが大嫌いで何事も穏便に過ごしたいという性格だった。ただ、逃げたい、ゆっくりしたいという気持ちだけだった。
「体力テストを受けたくない」
小さな声だったが、涙を浮かべたジローは小さな体で号泣しはじめた。家に帰ってから泣いてしまったら母親が心配するだろう。でも、この誰もいない神社の境内ならば、クラスのやつらも知り合いもいない。放課後のわずかな時間だが、ジローの心を安定させる秘密の場所だった。最近は日が暮れる時間が早いので、小学校の下校時刻には空が少し暗くなっていた。カラスの鳴き声が聞こえる。境内の気温は少し低く肌寒い。竹林に降り注ぐ夕陽の光がジローの足元を照らした。
そのとき、急にまわりの景色が変わった。不思議な現象が起きたことに戸惑いを隠せないジロー。境内だった場所になぜか商店らしきものが現れた。どう考えてもあり得ないことだった。あんなにたくさん生えていた竹林もない。先程まであんなにうるさかったカラスの鳴き声は聞こえない。
とりあえずお店に入って、ジローはここがどこなのか聞いてみることにした。不思議な雰囲気をかもしだす店内に圧倒される。おめんと風車が印象的な店内の商品はどこか不思議で懐かしく思えた。
「すみません、ここ、どこでしょうか?」
奥にいた店員の夕陽に聞いてみるジロー。
「ここはたそがれどきに現れる夕陽屋だよ」
「夕陽屋?」
「きみのねがいをかなえるお店だよ」
「体力テストを受けたくないけれど、学校を欠席はしたくない、親を心配させたくないんだ」
「じゃあ君をもう1人作ろう」
「どういう意味?」
「君をコピーするんだ」
書類をコピーする要領で人間をコピーするという店員のことがジローは不思議だと思い、こわいとも感じていた。
「君に10円でコピー人間を売ってあげる」
「コピー人間?」
夕陽は風船のようなオモチャを取り出す。
「風船?」
ジローは驚いて質問した。
「これをふくらませると、息を入れた人のコピーができあがるんだ。人形みたいなものだけれど、本当の人間と見たところ変わらないんだよ。だから、誰にもばれないのさ」
「でも、風船は僕がしないような行動をとったりしないよな? 実は犯罪を犯すとか、けんかするとか、そういったことはごめんだ」
「大丈夫。この人形はあくまで本人がやることと同じことしかやらないよ。だから、運動神経が良くなることもないけれど悪くなることもないよ」
「その間、僕はのんびりしていればいいの?」
「のんびりしていればいい」
世の中ちょろいものだな。余裕のよの字でジローは翌日の朝、風船をふくらませた。そして、本当に自分と同じ姿かたちになった人形を目の前にしてジローは驚いた。あまりにも本物と変わらない人形に驚きを隠せなかった。触った感じも見た目も人間だった。そして、それはジロー自身だった。
「今日は僕の代わりに学校に行ってくれる?」
「わかったよ」
「体力テストがあるから。特に長距離走が僕は苦手だから、君にお願いしたい」
「了解」
返事や話し方も自分そのものだということにジローは驚いていた。声も自分の声がそのままだなんて、信じられない気持ちだった。親は仕事で昼間はいない。だから、家にいてもばれないだろう。そう思って、部屋でのんびりしていた。あの人形って1日限定なのかな? ちゃんと説明書を読んでいなかったので、人形が登校した後に読んでみた。学校でちゃんとしてくれるかな、でも、今日の出来事は本体である自分が覚えていないと、後々まずいのかな、なんていう不安もわきあがる。
「この人形は役目を終えたら消えてしまいます。そして、その間の記憶はふくらませた本人に消える瞬間に移動されます」
説明を読んで、ジローはほっとしていた。なぜならば、人形が消えると同時に自分に記憶が戻るのならば、後々約束していたことを知らなかったということもないだろうし。でも、役目を終えるという意味があいまいだなぁと思っていた。きっと今日の体力テストが役目を終えたらの意味だろうとジローは勝手に思っていた。
「ただいまー」
元気に自分の姿をした人形が帰ってきた。1日中ゲームをして過ごしていたので、少し飽きたなぁと感じていた。一人というのは気楽だが、退屈でもあるなんて思っていたので、人形には消えてもらってこれから何事もなかったかのように習い事に行こうかなどと考えていた。習い事先には気の合う友達もいるので、友達に会うことは楽しみのひとつでもあった。
「君は消えていいよ。どうもありがとう」
ジローが言うと、人形が答えた。人形の話し方も人間そのもので違和感はどこにも感じられなかった。誰も、どちらが本物かと言われてもわからないレベルになっていた。
「まだ僕の役目は終わっていないよ」
人形はもっとこの世界にいるつもりのようだった。
「もし、自分のかわりに必要な時のために、人形君はどこかに隠れていてくれない?」
「あいにく、体を小さくして隠れることはできないから、僕はこの世界で生きることにしたよ」
「はあ? 人形のくせに、人間になるつもりか?」
「誰も僕が人形だなんて気づかなかったし、能力はきみと同じだ」
「じゃあ、風船にもどってよ」
「僕は風船に戻ることもできないんだ。選択肢は消滅ということになる。人間の生活が気に入ったんだ。だから、僕が君にになる。本体がこの世界から消えてくれないか?」
人形の目が鋭く光る。ジローは何かの物語で読んだSFを思い出す。人間以上に優秀なロボットが人間に成り代わって世界を作っていくというような話だ。でも、目の前にいるのは、ロボットではない。そして、自分と能力は同じはず。だから、力で負けることもないだろうし、知識で負けることもない。でも、勝つこともできそうにない。穴をあければ風船が割れるということはないだろうか?
「僕を消そうとしてもむださ。君に消えてもらおう」
人形が知らないカプセルを持っていた。そのカプセルのふたをあけてこちらに向ける。すると、僕の体が吸い込まれそうになった。これでは、目の前のダミー人形に本物であるジローが消されてしまう。
説明書には消す方法が書いていなかった。掃除機がごみを吸い込むときのような吸引力だ。どうすればいいのだろうか。なんとか足で踏ん張るけれど、髪の毛のほうから吸い込まれていく。ジローは柱につかまって僕はなんとか吸い込まれまいとがんばる。
そのとき「ジロー、いるんだろ?」とお兄ちゃんが部屋にやってきた。お兄ちゃんと僕は仲良しだ。お兄ちゃんは、僕が二人いるという現象に驚いていた。僕は「おにいちゃん、助けて!!」と叫んだ。
体のちいさいお兄ちゃんに僕を助けられるということは可能性としては低いし、本物を見分けられるはずはない。肉親でも見た目は一緒だからわからないだろう。
「おまえ、ジローのにせものだな!!」
「僕が本物さ。こいつがにせものジローだから消しているだけだよ」
「ジローは穏やかな性格だ。無理ににせものを消すということはしない。だから、吸い込もうとしているお前がにせものだ!!」
その瞬間、吸引力が止まった。危機一髪のところでにせものの人形が元の風船に戻り、そのまま縮んでしまった。
「ありがとう、おにいちゃん!! なんで僕が本物だとわかったの?」
「あいつの目つきが今まで見たことがなかったくらいの鋭さだったんだ。お前は弱虫だが、人に危害を加えることはしないだろ」
「さすがおにいちゃんだ!!」
目の前にはしぼんだ風船と説明書の紙切れが落ちていた。説明書の一番下のらんに小さな文字で書いてある文字に気づいた。それを読むと、
『人形の役割が終わるときは、にせものだとばれた時です。人形が人間として生きようとしたときには誰かににせものだと見破ってもらおう』と書いてある。
「にせものだとバレなければずっと人形は消滅しなかった。なんて危険な風船なんだろう」
わけがわからないという顔をしているお兄ちゃんにジローは事細かに出来事を話した。夕陽屋という幻の店のことは、二人の心にしまうことにした。そして、もしその店に入ってしまっても絶対になにも買わずに出ようという約束を交わした。きっと、これから先、この二人の兄弟は夕陽屋を頼ることはないだろう。