「ほう」

 大公の表情が変わった。
 今までは、どこかダグラスとマリアを見下すような視線であったのが、前のめりで食らいつく。

(王妃殿下の先見の明ね)

 今年のタスティリヤは暑かったが大陸の北の方は冷夏だという情報を掴んでいた王妃は、これを交渉の好機だと読み、マリアに調停役をするように命じたのだ。

(密書はあくまで大公と謁見するための小道具。本来の目的はこちらだったのよ)

 ダグラスには悪いが、ここからはマリアの独壇場だ。

「大公がレイノルド様を返してくださるなら、毎年ルビエ公国の国民が飢えずに一冬過ごせるだけの食糧を、他国に売り渡す三分の二の値段でお運びしましょう。ただし、この取り決めに関しては、大公閣下ならびにルクレツィア様に同意していただかなければなりません」

「ルクレツィアにもか」

 ジーンが忌ま忌まし気に呟く。
 たとえ大公が同意しても、ルクレツィアがレイノルドを手放すのを嫌がれば意味がない。

(彼女は、ふびんな魔法使いたちを救おうとしたせいでルビエ公国内での立場が危ういわ。ここで、何かしらの功績を噛ませておかなければ、この後の手が打てなくなる)

 マリアの意志の強さが伝わったのか、大公は泰然とした様子で王妃や公子たちを見た。

「誰ぞ、ルクレツィアを説得できる者はいるか?」

 公子たちも貴族たちも、そして大公妃も首を振った。
 それだけで、いかにルクレツィアが生まれ故郷で孤立していたかわかる。

 彼女がレイノルドに固執するのは、何も掴めない手で大きな事柄を成し遂げるためなのだ。

「大公閣下。わたくしがルクレツィア様とお話いたします。タスティリヤではお茶をご一緒した仲なのですわ」

 短時間だけだけど、とは言わないでおく。

 ジーンが「使者に行かせるくらいなら私が!」と慌てたが、マリアに考えがあると見抜いたルーイが止めた。

「大公、ダグラスの妹君はかなり聡明で、国で評判だったそうですよ。ここは彼女に託してみませんか。もしもルクレツィアが抗議したら、そのときはまた魔法使いを仕向けましょう」

「そうだな。マリアヴェーラ殿、よろしく頼むぞ」
「かしこまりました」

 マリアは深くお辞儀しながら、心の中で舌を出した。

(貴方たちに手出しはさせないわ)

 レイノルドの記憶を取り戻し、ルクレツィアとオースティンを救うため、マリアはいよいよ動き出した。