大胆不敵な魔女様は、悪役令嬢も、疑恋人だってできちゃうんです。





燕草月 序十九日

ビリー。


入学式はとても厳かで、素敵だった。

周りの新入学生たちは全くその反対だったけどね。
思ったことをそのまま言ったら、巣を突かれた蜂よりもうるさかったわ。
それは驚くほど想像の通りだった。


明日からは初歩的な説明を受けて、国の基礎的なことを学ぶようです。
基礎なんて……一週間も耐えられるかな。

早くも専科に移りたい気分です。






新入学生の教室は、卓が階段状になっていて、一番下に大きな演台があった。

マリオンとリディアは並んで上の方に腰掛ける。

出入り口から遠い中段辺りには、三つ星の生徒、男女十名がかたまり、時折り高い笑い声をあげながら楽しそうにしていた。

その反対の端には体格の良い男子生徒、騎士科の四名がばらばらと座っている。
リディアと合わせると騎士科は五名。

ど真ん中、前方には文官志望の学生三名。

四方に分かりやすく小さな集団が出来上がっている。

「……ごめん……となり、いい……?」

ぼそぼそと篭った声が聞こえて、横を見るとローブ姿の男子生徒だった。

リディアは分かりやすく顔をしかめたが、マリオンは笑顔でどうぞと隣を手で示す。

ささっと座ると、フードを脱ぐ。
中からこげ茶の髪が現れた。

「…………ビクター・ジェイコブ・グリーン」

下を向いて名乗る声は、小さくなっていって最後の方は聞こえない。
反対側ではリディアがはっきり話せと聞こえるようにはっきり言った。

術師は一般的にひとりで研究に打ち込んだり、術に磨きをかけたりする者が多い。
ビクターも選に漏れず、人付き合いは苦手そうだ。

そして選に漏れず、気の弱そうな態度は、騎士科の生徒とは正反対だ。
要するにお互い気が合わない。

「よろしく、ビクター」
「……どうも」

術師科はマリオンとビクターの二名。

今年度の新入学生は総勢二十名、これで全員。

教室に揃ったところで、初歩指導の教員が入ってきて、学院内の設備や行事的なこと、事務的な話を、すらすら淀みなく話した。

何年も何度も同じことを説明しているのだと言わんばかりだった。
真面目に聞いている者がひとりも居ないのも知っている顔で説明を続けた。

話を終えるとさっさと教員は出て行き、ついでに半数の生徒も賑やかに出ていった。
三つ星の生徒はここで終わりらしい。
この後のお茶の予定などを楽しそうに語り合っている。

「よーし。授業を始めよう。もうちょっと集まれ」

次に登壇したのは、軽装に身を包んだ、人の良さそうな顔。

「しばらくは私が君たちの担当だ。ランスさん、でも、先生、でも気軽に……」
「……先生」
「はいはい?」
「早く始めて下さい」
「わーいいえねぇ、向学心。文官丸出し」

最前列、ど真ん中の男子生徒が、頬杖を突いてため息を吐き出したのが分かったので、彼がさっきの発言者だろう。

騎士科の男子生徒はどっかり座って知らん顔、マリオンたちはその反対側にこそっと座り直した。

「さっき説明があったと思うが、最初の三日間はこの国の歴史、政と財政なんかのあらましをざっくりとやる……はい、そこの騎士科の君! 我関せずみたいな態度は格好良いけど、ちゃんとこういうこと知っとかないと王宮(いいトコ)に出仕できないゾ?!」

背もたれにかかっていた全体重を、半分ほどに減らして、その男子生徒は教員の方に体を向けた。

「うんうん。素直でよろしい」

そもそも全員がこれまでもそれなりの教育を受けてきた子どもたちだ。
反抗するよりも、素直な態度の方が得だと骨身に染みて理解している。

その後の講習はすんなりと予定通り進んで、昼の休憩時間を迎えた。



午後も座学だと騎士科はげんなりした顔をしている。
リディアも体を動かしたいのか、後半はずっともぞもぞしていた。

「……やっと昼……長かった」
「そう? 私は割と早いなと思ったけど。結構楽しかったし。ねぇ、ビクター?」

話しかけられるとは思っていなかったのか、驚いた顔でマリオンを見て、わずかに頷いた。

「座ってばっかりだったからお腹は減ってないけど、食事はしないとね。行こう、マリオン」
「はい。ビクターは?」
「あ……俺……いい」
「そう? じゃあ、また後で」
「…………うん」


食堂は狭くはないが、人は多いのでそれなりに混み合っていた。

食事を受け取って、空いた場所に座ると、すぐ側にいたのは一足早く教室を出て行った三つ星の同級生たちだった。

「あら、貴女がたの席はあちらの方じゃないかしら」

中にいた底意地の悪そうな顔が、その表情通りの言葉を放つ。
出入り口付近の、賑やかな場所を手で示していた。

立場的にお前たち程度なら向こうだと言いたいのだろうが、出入り口付近は騎士科の上級生が多く居る。
早く食事を済ませて、早く稽古なりをしたいのだろう。そちらは賑やかで慌ただしい。

そんな中で邪魔になるのは分かっているから、マリオンたちは比較的ゆっくりできそうな、静かな場所を選んだのだ。

「こちらは上級生の方々が座るのだけど」

そう言う新入生たちは、私たちは当然だという風情でマリオンとリディアに視線を向けている。

「…………はぃ?」

リディアがあからさまに怒っていますといった態度だったので、マリオンはそれにくすくすと笑った。

それを自分たちが笑われたと勘違いした、ご令息、ご令嬢方は苛ついた表情だ。

「リディア、向こうにいきましょう?」
「マリオン」
「だって、ほら。よく見たら椅子に名前が書いてあるもの」
「……え?」
「お馬鹿さん専用席って……ほら、賢い人には読めるのよ?」
「何ですって? そんな言葉が許されると思っているの? わきまえなさい!」
「人への嫌味には大らかなのに、ご自分への嫌味には敏感なんですね」
「貴女、わたくしを誰だと思っているの?」
「……存じ上げません、ごめんなさい?」
「わたくしはね!」
「いえ、別に知りたくないので結構です。では、ご機嫌よう」

リディアのトレイを持った手が震え、食器がかちゃかちゃと細かく音を立てている。
下を向いて顔を隠しているが、必死で笑いを堪えているのは丸わかりだ。

相手の女子生徒は顔を真っ赤にして、さらに怒るかと思えば、ほろほろと泣き出した。
周りの男子生徒が、なぐさめようと声をかけたり、肩を撫でたりしている。

「目障りだからあっちに行け!」
「話しかけて引き留めたのはそちらなのに……勝手ですこと」

マリオンはひとつ軽く息を吐いて、新たに場所を探そうと顔を上げる。

少し離れたところで、にやにやと笑っているリックが片手をひらひらと上げた。

「リディア、あそこにしましょう?」
「…………げ。リック・ウィリアム」

四人掛けの卓で、リックの向かいにはカイルが座っていた。

卓や椅子、人を避けつつ、マリオンはカイルの隣に座る。

必然的にリックの隣がリディアになった。

へにょりと眉の両端を下げたリックがマリオンを見る。

逆が良かったのかと目で問いかけると、そのままリックは困った顔で笑う。

「…………面白いことしてたね」
「分かりやすくて楽勝でした」

カイルが持っていたカップを下ろして息をつく。

「性根が悪いな」
「……ほめ言葉と受け取っておきます」
「いや、違う。あいつらの方だ……貴女は、まぁ、面白かった」
「どちらにしてもほめ言葉でしたね」



この日から毎日なにかと同級生に突っかかってこられたが、マリオンはどこ吹く風だった。

いちいち腹も立たないし、口を返せば向こうが泣き出して終了になる。

最初から良くない評判は、地の底のさらに下まで行ったようだ。



担任の講師にも何度も注意を受けたが、放っておいて欲しいのに、毎度難癖つけてくるのはあちらの方だ。

ランス先生もそれは承知の上らしく、一応これも仕事だからとおざなりに注意をしたフリをする。

「言い返す言葉を控えてくれないかなぁ」
「先生の仰ることは分かりますが、私が無視をしようが、何かを言おうが、向こうが私を気にくわないのは変わりませんからねぇ」
「君の意見はもっともだが、なにしろ相手が悪い」
「というと?」
「後々響いてくるぞ?」
「……それはあちらの話では?」
「おお、良いね。その自信は大切だよ」
「先生、とりあえず一度は褒めますね」
「人気の秘訣だねぇ」
「…………見習います」
「ほどほどにね」


突っかかってきた相手を、とりあえずどこかしら褒めて言い返すと、更に逆上されたのは、予想通りだった。

自身の人柄を考慮に入れなかったのは不味かったが、それはそれで楽しい反応を得られた。



マリオンは今日もランス先生に呼び出されて、おざなりな注意を受ける。











霖鈴月 序十日


ビリー。

専科に移ってひと月。
それは嬉しいのだけど、リディアと一緒にいる時間が減ってしまったわ。

寂しいとかじゃ無いけれど。
なんだか静かで落ち着かないの。

夕食になれば会えるのだから、がまんしましょう。





「演習?」
「そ、十日間の予定」
「そんなぁ……」

つい先日まではマリオンが魔術に必要な素材集めの為に学院外の山中にこもっていて、それを終えて帰ってきたばかりだ。

自分の研究の必要分を集めるという課題なので、希少な鉱物を必要としているビクターはまだ帰って来ていない。

マリオンは自然下でしか芽が出ない薬草の苗を丸三日かけて探し回り、手に入れてやっと寮まで帰ってきた。
リディアとおしゃべりするのを楽しみにしていたら、今度は騎士科が遠征に出かけてしまうという。

「がんばって早く帰ってきたのに……」
「じゃあ、マリオンが頑張ったから今日は一緒に居られるってことだ」
「…………前向き。無駄に」
「ひどいな、ムダってなに!」
「……どこに行くの?」
「南東のトービィ領だよ。新手の盗賊団討伐」
「盗賊団? ……心配」
「それはないって。相手をするのは王宮の騎士団だもん。私たちなんて補佐の補佐の補佐の……補給部隊、子どものおつかいみたいなもんだよ」
「うーん……がんばってね?」
「はは!」
「なに?」
「マリオンは止めろって言わないもんね! だから好き!」

騎士を志した時から各所で反対にあってきたリディアだ。
その話を折に触れ聞いてきたマリオンは『女の子なんだから』とは一度も言ったことが無い。
リディアはこれまで、それらをうんざりするほど聞いてきたのだ。

それに女性の騎士が必要な場面もあると、それも重々承知している。

「私だってマリオンがひとりで山奥に行くって聞いた時は、心配でしょうがなかったんだから。これでおあいこでしょ」
「だって私は……」
「魔窟に入っても無傷で帰るんでしょ」
「心配の量が違う!」
「そんなこと無いってば、一緒でしょ」
「無いこと無い! そんなこと言う子には、加護をつけてやる!」

マリオンは椅子から立ち上がると、指先で宙に印を形成し、はっきりとした声で詠唱を始めた。

「…………うわ、ちょっと……長い……長いって」

魔術の基礎を習ったリディアは、椅子ごと身体を引き下げた。

食堂内はざわりとし、術師科の上級生は席を離れて一番端の壁際に寄って行く。

「ムリムリ……私が保たないって!」

加護を授けられると、その維持は授けられた側の魔力量に頼らざるを得ない。
詠唱が長ければ長いほど、術式は大掛かりということになる。
大掛かりなら、必然的に消費する魔力も多い。
リディアはほとんど魔力を持っていない。
術師が側にいれば心配はないが、今回は違う。

負荷がリディアにかからないように、加護の維持の詠唱を織り交ぜると、上級生の術師がざわざわとしだす。

その様子にリディアが不安そうに周りを見回した。

「え、なに? なんですか?!」

マリオンは詠唱中なので反応ができない。
わたわたとしだしたリディアに、見るに見かねた先輩たちが、両手を突き出し、とりあえず動くなと指示を出した。

「もうすぐ終わりそうだから! 途中で止めたら貴女が危ない!」

その言葉でリディアはぎゅうと目をつぶり、びしりと身体を固めたように動かなくなった。

詠唱は程なく終わり、マリオンは満足した顔でにこりと笑って、何事もなかったかのように椅子に座り直した。

「……おわ……った?」
「終わったよ?」

息を止めていたような周囲が、一斉にほうと脱力した。

術師科の上級生がひとり大興奮している。
詠唱を主に研究している、マリオンのふたつ上、三つ星の先輩だった。

「なんで九節と三十八節を入れ替えたの? なんで七節を飛ばしたの? なんで十二節を混ぜて繰り返したの?!」
「……あ……と。明日お部屋にうかがいます」
「是非そうして!!」

説明も長くかかるから、その時間がもったいない。

三つ星以上の上級生は、自分の研究室を持っているので、マリオンは明日以降、リディアの居ない時間を使うことにする。

「…………どんな加護を……」
「物理攻撃と魔術による精神攻撃の無効化」
「…………補給係にどんだけ……」

騎士科の先輩とリディアは同時に同じことを言った。この時からマリオンには『過加護』というふたつ名が授けられる。

余裕を持って二十日間と限ったが、それまでには死んでも自分の元に戻るようにと念を押した。

「……もし……戻らなかったら?」
「術を解かないとリディアを中心にひとつの領地を飲み込むほどの魔……」
「いい! 止めて聞きたくない!! ……恐ろしい……」
「だから死んでも戻ってね」
「うう……今すぐ解いて」
「ええ? がんばったのに……」
「…………ぅぅぅ……」

期限が過ぎればひとつの領地を魔なんとかにしてしまうほどの加護を授けられたリディアは、夜明け前には目の下を真っ黒にしたまま出発していった。



それから五日間、マリオンはぼんやりと温室で草花の面倒を見て過ごした。

先輩たちからは色々問い詰められることがあったが、一度説明したことは誰々先輩に話したのでと、同じ質問には答えないことで煩わしさを回避した。

研究棟は細切れの情報を集めようと、上から下まで先輩たちが右往左往している。

「……なにやらかしたの」
「やらかしてないったら……おかえりビクター」
「……ただいま」
「見つかった?」
「竜に邪魔されて……ちっさいクズみたいなのしか手に入らなかった」
「そっか……残念だね」
「で、なにやらかしたの?」
「だからやらかしてなんて……」

温室の雑草はこの五日の間にむしり尽くしたが、さらに小さな芽をぷちぷちと摘んでいたマリオンは、会話の途中で弾かれたように立ち上がる。

「……なに」
「物理攻撃」
「は?」
「どうして?!」

ついでのおまけに付けておいた、リディアへの転移門を開いて、マリオンはその場から姿を消す。

「……うわぁ。こりゃ酷いやらかしだ」

個人の勝手な理由で学院外に出るのは退学ものの案件だ。
周囲を見回して誰もいないのを確認すると、ビクターは何も見なかったことにして、静かに温室を後にした。




転移門を抜け出た途端、咽せるような血の匂いにマリオンは顔を歪める。

辺りは怒声と斬撃の音しか無い。

リディアを探して見覚えのある後ろ頭を見つける。

灰味がかった枯れ草色の髪、カイルの後頭部だった。
マリオンは自分のローブに付加している物理攻撃無効の魔術を立ち上げる。
一度ぽんと叩いて魔力を流し、瞬時に展開させつつカイルに走り寄った。
近寄るにつれ、人集りの数は増す。

右手に小石程度の大きさの火球をいくつか作り出す。

「……邪魔」

左手でカイルの鎧の背側、首元を掴むと、足で膝裏を押して、後ろに引き倒す。

カイルの首があった場所を、剣が銀色の軌道を描いて通り過ぎていった。

剣を振った相手に火球をひとつ飛ばす。

鳩尾の辺りに球は突っ込んで通り抜け、大きく回って再びマリオンの掌の上に帰ってくる。

「何故ここに!」

やっと状況を理解したカイルが、すぐさま立ち上がって詰め寄った。

「リディアは?」
「知るか!」

ふいと視線を外すと周囲を見回して、散歩のような足取りでマリオンは歩き出す。
慌ててその後をカイルが追う。

「何してるんだ、どうしてここに……」
「貴方たちこそ、このザマはなに?」

目の届く範囲で騎士とは思えない人物に向けて、一斉に火球を放つ。
弱くて小さく数の多い対魔物用の術だが、足止め程度には充分過ぎた。いくつかばさりと人の倒れる音がしている。

「リディア! 返事して!」
「あいつらなら、先に逃した……もっと前方だ」
「邪魔!」

今度は力任せに引っ張って、庇うように腕をカイルに回す。
同時にローブをカイルの脇腹にかける。
そこに当たると見えた小剣が、溶けるように消えて、投げた相手の目の前に現れる。
自分で投げた小剣を自分の胸の真ん中に受けて、男がゆっくりと倒れていった。

カイルがそれに目を見張っているうちに、マリオンの手には火球が戻り、また周囲に放たれていく。

気が付けば怒声も斬撃音も、ほぼ消えていた。

「助かった……のか」
「リディアを追いかける。馬?」
「馬が引いてる荷車だ」
「……ならそんなに遠くないか」



マリオンの温もりがなくなるより早く、その姿はこの場から消えていた。





近くに倒れた仲間を助け起こし、残党と斬り結んでいる仲間を遠くに見ながら、カイルは下級生たちを逃した道の先を見据えて走り出す。










霖鈴月 終十六日


ビリー。

やっと明日で謹慎が解けます。
籠る部屋が違うだけで、やることは同じなんだけど、気分は晴れやかです。

温室の様子が気になっていたので、見に行けるのが今からとても楽しみなの。


謹慎中に借りた本や道具を返さないといけないから、しばらくは大荷物を持って通うことになりそうです。






学院を許可なしで出たならば退学が相当なのだが、生徒たちの危機を救ったことが評価され、この件は不問となった。


みな将来は国を背負うような若者たちだ。
立派な家系の、令息、令嬢たちなのだから、その家々からは感謝の手紙や品物がたくさん届いた。

特に騎士の家系は、こういった、命を救った救われたが関わると仁義を重んじる。
マリオンはその界隈で名を上げて、確かな後ろ盾を得たようなものだ。

謹慎はそれ以外の貴族や生徒たちに配慮した、見せかけの罰則に過ぎない。
礼儀作法や、社交や、雅やかな教養などの講義を受けずに済んだ上に、部屋に篭って研究に打ち込めたのだから、マリオンにとってはご褒美でしかなかった。

必要なものは術師科の先輩たちからの差し入れがあったから、不便はひとつもない。

ただ寮の小さな部屋の中がもので溢れてすごい有り様になってしまった。
物に埋もれて半分になった寝台で、マリオンは小さく丸まって寝る羽目に陥っている。


「ただいま、マリオン!」
「おかえり、リディア!」
「…………昨日あった足の踏み場が無い!」
「……えっと、一度そこの寝台に乗ってから右足で……」
「いやいや、片付けようって」
「どうするの?」
「…………どう?……そうだね……ううん……」

マリオンは片付ける必要性はさほど感じていないし、リディアも一応、良いところのご令嬢なので、自身できれいに片付ける心得はない。

「……寮長様に」
「寮長様に」

合言葉のように言うと頷き合って、ふたりは部屋を出る。


マリオンの部屋を見た寮長兼、支度係兼、料理長兼、お世話係は盛大に眉間にシワを寄せ、口を横一文字に結んて、がっしりと両腕を組んだ。

怒りのあまり大きな声を上げなかったのは、さすが、騎士科と術師科の面倒を見てきた経験の賜物だと自分で言う。

「まず要るものと要らないものに分けなさい」
「……要らないものなんて……」
「なら全部外に出しなさい!」
「…………むり…………」
「出しなさい!!」
「…………ぇぇぇ……」
「…………やろう、マリオン。手伝うから」
「リディア……」

半べそをかきながら部屋の前の廊下にものを出していると、見るに見兼ねた騎士科と術師科の先輩たちも手伝ってくれた。
部屋にあるもののほとんどが、贈り物と差し入れなのだから、責任を感じて運び出してくれる。

もともとマリオンの部屋は何も無い殺風景な場所だった。
始めの状態に戻るまで続けていると、気が付けば夕食の時間になっている。

「今日はここまでにしよっか」
「…………うん」

今度は廊下に広い範囲でものが積まれた状態になったが、広く長いおかげで人の通れる隙間はあった。

「……よくこれだけのものがあの狭い中に」
「空間が歪んでいるに違いない」
「私はこの量を自分の部屋に入れられない」
「ということは逆に片付け上手なのでは?」
「なるほど?」

好き放題に先輩たちも感想を述べていた。
妙な達成感と気分の良さから、全員で揃って食堂に行く。

騎士科と術師科がここまでお互いに打ち解けている様を見たことが無かった寮長が、嬉しくなっておまけの焼き菓子を奮発してくれた。

夕食の後、談話室であれこれおしゃべりしながらみんなでいただく。

これまでのことがあるので、各々思うことはあるが、この夜はそれぞれに楽しい時間を過ごした。

「リディア……ちょっとちょっと」
「んー、なぁに?」

解散になって部屋の前に戻ると、廊下の荷物をがさごそと漁る。
これ、とマリオンが差し出したのは小さな青色の瓶だった。

「なにこれ」
「……私あんまり薬は得意じゃないんだけど」
「…………何の実験?」
「実験じゃないったら」
「…………ほんとに?」
「痣が取れるの! 寝る前に飲んで!」
「……マリオン」

リディアはあの遠征の時に、腕に斬撃を受けていた。剣による傷は加護により無効化されていたが、腕を落とす勢いの攻撃が無かったことにはならない。
酷い打撲痕は今も色濃く腕に残っている。

痛みは学院からの薬で和らいでいるだろうが、痣を気にして隠そうとしているのは気が付いていた。

そこから薬を作るまでに時間がかかってしまったのが、少し悔しい。

「気になるんでしょ?」
「もう……マリオンったら……このやろう!」
「やろうじゃない」
「…………ありがと」
「どういたしまして」
「……んもーー!!」

むぎゅりとマリオンを抱きしめるて持ち上げると、リディアはその場でくるくると回る。

積み上げていた本にぶつかって崩れたのをふたりで慌てて戻した。

「美人が台無しだもんね」
「……敵わないなぁ」
「大魔女様に敵うもんですか」
「……おっしゃる通りです」

続いて口の広い小瓶を取り出してリディアに渡す。透明の瓶には薄緑の軟膏が入っていた。

「これは?」
「塗り薬」
「なんの?」
「リックに渡して」
「リック・ウィリアムは骨折だよ?」
「塗り薬でも治るかなって」
「は?」
「こっちは実験」

ははと快活に笑うと、分かったと小瓶を受け取った。

リックはリディアを庇って左腕の骨が折れてしまった。悪いのは襲って来た相手だが、それなりに罪悪感と恩義を感じているし、素直にリックを案じてもいる。

ありがとうと苦い顔で笑って、部屋の前で別れた。






「貴様の仕業だろう!」
「……雑巾?」
「オリビア嬢の衣装だ」

新入生の色、白蘭を取り入れた豪勢な上着が、泥に塗れて汚れ、刃物のような何かで大きく引き裂かれていた。

背中にあたる場所がほとんどふたつに分かれそうな裂け方だ。

「……これを私が?」
「貴様以外に誰がこんなに酷いことをすると言うんだ!」

昼の時間にリディアと待ち合わせをしていた。一緒に昼食を取ろうと、食堂にやって来たマリオンは、いきなり目の前に件の衣装を投げつけられた。

「なぜ私がこんな事を?」
「いつもオリビア嬢に失礼な言葉を吐いては泣かせているじゃないか!」
「だから私がやったと、そうお考えなんですね?」
「そうだ!」
「…………馬鹿ですか?」
「何だと、もう一度言っ……」
「馬鹿ですか?」
「…………貴様!!」

はいおしまいと間に割って入ったのはリックだった。吊るしてない方の腕を突き出して、興奮した男子生徒をまあまあと宥め、マリオンにはめっと人差し指を立てる。

「……貴女が悪い」
「ぇぇぇええ?」

隣に立ったカイルがマリオンを見下ろしている。

「口の利き方に気を付けるんだな」
「そうだ! 立場を弁えてものを言え」
「だから馬鹿がつけ上がる」
「そうだ! いい加減に……え?」

カイルが真っ直ぐ見ていたのは、男子生徒の後方で、数人に囲まれてしくしく泣いているオリビア嬢だった。

「だいたいどうやって破いたのかな?」
「さぁ……鋏……ですかねぇ?」
「いつそんなことを?」
「うーん……午前中は術師科の棟で講義を受けていたので、そこから食堂に来るまでの間ですか?」
「ふんふんなるほど、午前の授業の後マリオンが鋏を持ってオリビア嬢の所まで行き、上着を借りて、切り裂いてから返したって訳だね?」
「まぁそうなりますかねぇ」
「ふざけて誤魔化そうとするな! 誰にも見られないうちに、魔術でやってのけたんだろう! 陰湿極まりない!」
「まぁ確かに。私ほどの腕があれば、魔術でやったと痕跡を残さず、衣装を切ることくらいは軽くやってのけますからねぇ」
「やったと認めるんだな!」
「まぁ、良いですよ。陰湿な私がそれを切り裂いたとしましょう。しかしですね。魔術の残渣も残らないほど手の込んだことをするのなら、陰湿な私は衣装をどうこうするよりも、着ている本人を消すことを考えますけど?」

男子生徒の顔はさっと青ざめ、遠くでオリビア嬢がわっと大きな声を上げてさらに泣いた。

「俺たちには魔術の詳しいことは分かんないけどさ……痕跡を残さないってそんなに難しいこと?」

離れた場所で成り行きを見ていたであろう術師科の生徒に向かって、リックは声を大きくする。

目を合わせられた、ローブ姿の男子生徒は、おどおどと頷いた。

「……魔術を履行した痕跡を消すのはかなり難しい。それ以前に、そんな大掛かりな術を展開して……誰にも気付かれないなんてあり得ない」
「そんな気配はなかったんだね?」
「……マリオン嬢の言った通り……上着を切り裂くためだけにそんな術を()るのは労力が全く見合わない」

リックが見回すと、この場にいるローブ姿の生徒、全員がそれぞれ頷いている。

「へぇ……そうなんだ。知らなかった……オリビア嬢も知らなかったんだよね?」
「……何を言い出すんだ……まさか、オリビア嬢がわざとやったとでも言う気か!」
「そうは言ってないけど? じゃあ、マリオンがやったの?」
「あ、別にいいですよ、私がやったってことでも」
「あれぇ? いいの?」
「何ですか? 泣いて許しでも乞えばいいですか?」
「……いい加減にしとけ」

カイルはぎゅうとマリオンの頬を摘むと、ぐいぐい横に引っ張った、

「痛い痛い痛い痛い……何すんですか、もう!」
「可愛い気がないな」

引っ張った頬を今度はぐりぐり撫でながら、にやりとマリオンに笑いかける。



「…………うん、まぁ…………はいはい。カイルもほどほどにね」



誰もが面倒になって来たので、この件は担任に丸投げすることになり、お開きとなった。


リディアがやって来たのを機に、お腹も空いたので、四人は昼食を取ることにする。

事情を聞いたリディアは怒るを通り越して呆れ果て、渋い顔でため息を盛大に吐き出した。



誰に呆れたかは口にしなかった。











霖鈴月 終二十三日


ビリー。


毎度の作り話は、薄っぺらくて穴だらけ。
考えた人間の頭の中身もそうなんでしょう。

毎日ご苦労なことだと感心しますが、発想力は乏しいし、勉強が足りません。

貶めたいならもっと敵を知らなくては。と、こちらが学ばせていただく毎日です。


妄想がお得意なら、劇作家にでもなればよろしいのに。

ちっとも面白いお話は書けそうにありませんけど。







「今日はなんですか?」
「オリビア嬢の髪留めが貴様の部屋から見つかったぞ」
「私の部屋から?」
「そうだ! これは決定的だ! 言い逃れはできないぞ」
「誰かが私の部屋に入ったんですか?」

マリオンはへにょりと両眉の端を下げる。

三つ星の男子生徒は、勝ち誇ったように胸を張った。

「貴様の家は随分前に落ちぶれているらしいじゃないか、大方、金に困って……」
「任意でない誰かが私の部屋に無断で入ると、その人、破裂するんですけど?」
「は……はれつ?」
「取手を握った腕が。骨から弾けて、周りにぱーんと肉塊が。その方はお気の毒ですね」

心から残念そうな顔をして、マリオンは軽く息を吐く。術が発動した気配はないので、そんな心配はひとつもしていないのだが。

人に囲まれた、その中心にいる人物は鋭く息を吸い込んで真っ青な顔になる。

「なんと残忍な……」
「術師科なら大なり小なり誰でもしてることです。部屋には貴重な研究資料も、危険な薬品もてんこ盛りですから。事故を防ぐためです」
「それがもうすでに事故だろう!」
「勝手に扉を開けなければ起こらない事故です」
「非道さと野蛮さは魔物以上だな!」
「あれ……その言い方だと術師科のみなさんまで敵に回してしまいますよ」
「それが何だと言うんだ」

何か困れば人任せな態勢のお貴族さまが、魔術師を蔑ろにして大丈夫なのかと、マリオンは今度こそ本当に心配になる。


何せ例の如く見せしめの為なのか、ここは人が大勢いる昼時の食堂だ。

ここ数日の恒例なので、騎士科や文官科はにやにやしながら眺めているし、ローブ姿の上級生は苦み走った顔をしている。
この食堂にいる半数がそんな具合だ。

そして残りの半数が、オリビア嬢に肩入れして怒りの表情であったり、我関せずを貫く高位の面々。


どうなれば気が済むのかと本気でマリオンは考えるが、それすらもったいない気がする。

「まぁ、それ以前に普通に鍵をかけてあるんですけどね……で? その私の部屋から見付かった髪留めとやらは手元にお戻りなんですか?」
「もちろんだ、貴様の部屋で発見して取り返したと聞いた!」
「……はあ……ならもういいですか? お腹が空いたので食事にしたいんですけど」
「な!……馬鹿にしているのか!」
「最初の日からそうですが?」
「……スープが冷めたぞ」
「先に食べて下さいよ……温めます」
「熱いくらいに」
「はいはい」

カイルの皿に手をかざしてひと振りすると、ふわりと湯気がたって、良い匂いが鼻に届いてくる。

リディアとリックは少しぬるめに、自分の分はカイルと同じ熱々にした。

好みの温度に調節できるようになるくらいには昼食を邪魔されたし、その副産物として、液体の温度を上げるのは詠唱無しでできるようになった。

そのついでにパンも、外はぱりっと、中はふんわり、香ばしくなるように温めると、リディアが声を上げて喜ぶ。

「貴様らのその態度……許さないからな!」
「それも毎日のように聞いていますが。なら一体私にどうしろと?」
「謝れ!」
「ごめんなさい」
「……貴様! 謝って済む問題だと思うな!」
「……ええ?! 怖い! ……やだやだ平行線……今日のところはもういいですか? また明日どうぞ」
「明日も何かをする気か!」
「はいはいしますします……覚悟して下さい、ラビリア嬢」
「オリビアだ!」
「知ってます、わざとです」

絵に描いたような『憤懣やる方ない』をまき散らしながら、男子生徒は集団の中に戻っていった。

マリオンは去っていく背を見送りもせず、目の前の熱々スープに集中する。

「……俺なら殴ってるぞ」
「そうしてくれれば話が早くて良いんですけどね」
「殴る方じゃなくて、殴られる方なんだな」
「あ……殴ればいいのか」

ふと笑うとカイルは横にいるマリオンの頬を指の背でするりと撫でる。

「なんですか?」
「…………なんとなく」
「そうですか」

すぐに黙々と食事を始めたマリオンを、カイルは食事の手を止めて見つめている。

その一部始終を見ていたリディアとリックは、無言で目を見合わせて、ふたりは珍しく同じことを考えた。


食事をさっさと済ませると、だらだらと長居をせず、マリオンは食堂を後にした。

もうすぐにでも呼び出されることは分かっているので、その前にランス先生の部屋に向かう。

「……まだここまで話が来てないんだけど。今日は何をしたのかな?」
「今日は髪留めを盗んだそうです」
「やったの?」
「いいえ?」
「分かった……戻りなさい」
「ぇぇぇぇえ?」
「だよねぇ?……そうはいかないよねぇ?」

誰かが来れば怒り怒られているふりをしつつ、マリオンは先生の部屋で、時間いっぱい書類の整理を手伝った。
講義で使う資料も、図書室から借りてきて揃える。

「僕は楽ができて助かってるけどねぇ」
「まぁ、なら良いのではないでしょうか」
「次は学院長のところになるからね?」
「あ、じゃあ、明日ですね」
「何とかならないかなぁ」
「先生の評価に響きますか?」
「人のことより自分の心配をしなさい……だから付け込まれるんだよ?」
「明日までに治りますかねぇ?」
「…………どうだろうねぇ?」




その日の暮れ間近、近隣の集落に魔獣の暴走が認められる。

魔獣は森に住む獣に姿形は似ているが、凶暴性もその大きも森の獣とはかけ離れている。
発生の原因は分からないが、突如として現れては命という命を踏み荒らしていく。
どこからともなく湧き出て、その暴走の行き着くのを見た者は無い。

学院からは騎士科の上級生と、術師科が駆り出される。もちろんその中にはマリオンも含まれていた。
場所が近かったので駆けつけた順、当然の様に最前に出て行くことになる。

集落とその住民を守りつつという指示だ。

暴走なのだからそう簡単には止まらない。
魔獣からすれば、たまたまその進路上に集落があっただけのこと。その先が小さな町であろうが、王都であろうが目の前に邪魔なものがあれば排除して進むのみ。そういうものだ。

倒すか、受け流すか、受け流せば進路上にある人の生活が文字通り踏みにじられる。

王宮からの応援を待ちながら、押しては引き、先回りしての苦戦を強いられた。

王城から騎士団と魔術師団が到着したのは真夜中過ぎ、そこから形勢は変わったものの、最後の一体が倒れたのは朝日が昇り、太陽はもうすぐ天頂に届こうかという頃だった。


青い空には真っ白で形のくっきりした雲がゆっくりと流れていく。
無駄に良い天気が清々しいが、腹立たしくもある。


魔力切れを起こせば倒れて動けなくなる。
そうならない為に温存しながら、もうすでに倒れてしまった仲間を介抱し、マリオンはよたよたとビクターを探した。

どこにも見当たらないことに不安を覚えたが、引率の講師からの情報で、ビクターは手前の町で魔力切れを起こし、そこで休んでいることを知った。

ほうと安心の息を吐いて、マリオンは道端に座り込む。

「……ここまで着いて来たな」
「カイルこそ……お疲れ様です」
「お疲れ……」

マリオンの横に座ると、カイルも大きく息を吐き出した。

王城からの騎士団と魔術師団は、まだまだ精力的に動き回って、あちこちで指示を出す声が響いている。

倒した魔獣を早く片付けなければ、その場が穢れてそのうち瘴気を発するようになる。
そうなれば直ちにではないが、人々が病んでしまう。

それは身体を悪くしたり、精神に異常をきたしたりと様々に悪影響が出る。
魔獣により酷い怪我をすれば、魔傷と呼ばれそこから身体が朽ちていく。死に至る確率が上がるため、最悪その部分を落とさなければならなくなる。

「怪我は無いですか?」
「切ったり擦りむいたりだな……大した傷は無い」
「見せて下さい」
「大丈夫だ」
「ダメです、ちゃんとしないと」

簡単に手をひらひらさせて、軽く浄化の術を展開する。

「あー……ダメです……ちょっと王宮の救護班の方に見てもらって下さい」
「……魔傷が?」
「それはもう大丈夫です……傷の方の手当てを。私の魔力が切れそうなんで」
「貴女こそ大丈夫か」
「もうすぐスカスカになります」
「……マリオン」
「……はい?」
「この間も礼が言えなかった……ありがとう、助かった」
「お礼なら頂きましたよ?」
「家からだろう? 俺はきちんと伝えてなかった」
「そうでしたっけ?」
「……ありがとう」
「……どういたしまして」

カイルはマリオンの手を取って、もう片方を上から被せた。そのままぎゅうと握る。

少しずつ流れ込んでくる魔力に、マリオンはカイルを見上げた。

「……俺には貴女ほど使い道がないからな」
「ちょっ!……いいです、やめて下さい!」
「遠慮するな」
「…………知らないからこその親切心でしょうけど。それ……そういうのやめた方が良いですよ?!」
「なんだ?」
「いやらしい!」
「何がだ」
「……変態」
「は?!」


魔力を分けてもらって、マリオンはすっくと立ち上がる。

おかげで自力で帰れますと、ローブのフードを目深に被った。

フードの陰からちらりと見えたマリオンの頬が少しばかり赤い気がして、カイルは首を傾げる。



傷ひとつ、汚れすらない闇色のローブがくるりと翻る。
中の衣装は泥や返り血でめちゃくちゃなのに、と、同じような自分の姿を見下ろしてカイルは力無く笑う。

引率の学院講師を見付けると、先に帰る許可を得たのか、マリオンはその場で転移門を開いて姿を消した。

あの道のりを逆に辿って、疲れた身体を引き摺るようにして徒歩で帰るのかと思うと、カイルは疲れがどっと増す。




気になっていたので、後になって調べた結果。

魔術師に対して魔力を渡す行為が、寝台での夜の行為に近いものだと知って、カイルは頭を抱えて悶えることになる。











霖鈴月 終24日


ビリー。

昨夜は近隣で魔獣の暴走があって散々でした。

ひとりで対処するのとは勝手が違って、指示に従って協力し合うことの難しさを知りました。

魔力が空になったのも久しぶり。
今日は休むことに集中します。





「マリオン! ケガはない?!」
「治しました……平気」

泥と血に汚れたマリオンに近付こうとすると、リディアは両手を突き出され、これ以上は近付くなと止められる。

大丈夫だからと力無く笑うマリオンを見て、はああと長く息を吐き出し、リディアはその場でしゃがみ込んだ。

「魔力切れなので、ちょっと寝てきます」
「そのままで?! 」
「ローブ着てるんで大丈夫……」
「ダメだって! とりあえずお風呂に」
「……お湯を作る余裕もない……まぁ、水でもいいか……」
「お湯なら用意してあるから!」

騎士科と術師科の先輩たちが続々と戻ると聞いて、残っていた若年の騎士科が、やり場のない焦燥をここで発散すべしと動いていた。

戦闘の邪魔になるから控えなくてはと自身を律していても、討伐に出してもらえないのはやはり辛い。

リディアを含めた数名は、寮に帰るみんなを迎え入れようと食事と風呂を用意して待っていた。

「汚れた服を出して?」
「ほとんど魔獣の血ですし、ちゃんと捨てないと危ないです」
「……うん、きちんと処理するから」
「……じゃあお願いします」

魔獣の血や体液は、獣やその他の生物とはまた違う、独特の臭いがする。腐臭が混ざったねっとりと重たい血の匂い。
血だけですら穢れは発生するし、病みもする。管理と処理の方法は国の法で厳しく取り決めがある。

マリオンから渡された服は破れ方もこの間のご令嬢の衣装とは違い、刃物で切ったものではなく、裂けたり千切れたり、部分的に焼け焦げもある。

服のあり様からも、戦闘の激しさを感じる。
胃が持ち上がる感覚を堪えて、リディアはかつてマリオンの衣装だった布の塊、ローブ以外、靴までも直接触らないように袋に詰めた。

傷だらけのマリオンの身体を、あまり見ないようにリディアは目を逸らせる。

よたよたとマリオンは浴室に入り、身綺麗にしている間に寝巻きを持ってきてもらう。その上にローブを羽織ってふらふらと食堂に行った。
浄化の術が常に展開されているので、ローブ自体がきれいだし、浄化の作用はマリオンにも還るから丁度良い。

もそもそ食事をして休もうと部屋に向かう。

マリオンのくたりとその場で崩れてしまいそうな弱々しさに、リディアは顔を歪める。

「しっかり休んで」
「……はい、おやすみなさい」
「おやすみ……早くいつものマリオンになりますように」
「ありがとう……お風呂も食事も嬉しかった」
「うん、みんなにもそう伝えとく」

ぎゅうとマリオンを抱きしめて、部屋の中に押し込んだ。

小さくて柔らかな感触に、リディアは胸を掻き毟られる思いがする。
心配しながら待つしかできなかったこと。
その場にいられなかったこと。
全て弱いからだと自分を責めそうになる。

リディアは顔を上げると勢いよく息を吸って吐いて、この後帰り着くだろう先輩のために走り出した。





「今日という今日は貴様を許さない!」
「…………今度は何ですか」
「貴様、自分が何をしたか分かっていないのか!」
「だから聞いているんですが?」

前日の昼過ぎから次の昼までたっぷり寝て、ほぼ魔力も回復したのでリディアと一緒に学院の大食堂までやって来た。

みしみしと鳴りそうな筋肉痛の身体を慣らそうと散歩も兼ねている。この後も講義や研究は休みと決まっているので、ゆっくりと過ごす予定だ。

他の先輩方も気になっていたので、様子見も目的のひとつにある。

ちなみにビクターはまだ起き上がれないらしい。這うか転がるかで移動していると、術師科の男子生徒からさっき教えてもらった。

騎士科は昨日の夕方から夜にかけて、まとまって帰り着いた。
けが人もそこそこ出て、今も休んでいる人が多い。食堂はいつもより閑散としている。



その大食堂にあって、人一倍元気で、意気揚々と鼻息の荒い人物は、食事をしようと席に着いているマリオンにびしりと人差し指を向けた。

マリオンは虫を払うようにひらひらと手を振る仕草をする。

「昨日、オリビア嬢を階段から突き落としただろう!」
「…………………は?」
「かわいそうに、彼女は足を挫いてしまったんだぞ! あんなに高い場所から落ちて、運が悪ければどうなっていたか……考えるだけで恐ろしい!」
「………………どこの階段ですって?」
「本校舎の中央階段だ!」

石造りの本校舎は、収容人数に合わせた大きな建物で、その大きな建物に合わせて、中央に位置する階段は幅が広く、石造りで立派なものだ。

「昨日のいつですか?」
「朝だ! 講義室に行こうとするところを、後ろから押されたと言っている」
「誰が?」
「オリビア嬢が!」
「誰に?」
「貴様にだ!」
「……………………はぁ」

何か返すのは本当に本当に面倒に思えてきて、マリオンは食事をすることにした。

リックとリディアのスープとパンを温め、自分の皿にもひらりと手をかざした。

リックは骨折で、リディアは若年を理由に戦力外だった。カイルは学院に帰っているが、部屋で死んだように眠っている。
リックが起こそうと試みたが、ぴくりとも反応が無かったらしい。

「……言い訳もないようだな!」
「…………あのさぁ」
「なんだ!」
「うるさいからあっち行ってくんない?」
「なんだと?!」

リックは大きくため息を吐くと、男子生徒に身体を向けて、足を組んで、折れてない方の腕で頬杖を突く。

「一昨日の夕方、魔獣の暴走が起こったのは知ってるよね、もちろん」
「それがどうした」
「騎士科と術師科はほぼ出払ってたんだけど、それも知ってるよね」
「え……そ、それくらい、知っ……」
「みんなが帰って来たのは、その次の日、つまり昨日の、早くても昼を過ぎて以降だよ。夜になった奴も居る」
「そ……だったら、なんだ!」
「なんだじゃないよ〜。……どうしてそんなに馬鹿なの?」
「馬鹿とはなんだ! 誰に向かってそんな口を……」
「マリオンがどこに居たのか知ろうともしないのも馬鹿。その上で嘘に乗せられて言い募ってくるのも馬鹿……馬鹿の集まりじゃん」
「そ! その女も討伐に出ていたとでも言う気か!」
「その女?……誰に向かって言ってるのか知らないけど、カイルがここに居ないことに感謝しなよ?」
「脅す気か、そうはいかないからな!」
「……術師科はみんな討伐に出てたよ」
「騎士科は残っていたではないか!」
「そりゃ、俺みたいにケガしてる奴とか、戦力外の奴だけだ」

ぐと息を飲み込んで、リディアは持っていたスプーンをトレイの上に置いた。
俯いて顔を顰めたのを、リックは見て見ぬフリをする。

「あぁ、もう、はいはい。私がやりましたよ。……これで良いですか? あっちに行って下さい、面倒だから」
「……貴様……ではないのか?」
「私がやりましたよ、それで満足なんでしょう?」
「もぅ〜マリオン、俺が相手するって」
「リックの食事が邪魔されてます」
「いいよ、それくらい」
「ダメです。食事はきちんと取らないと。大事なことですよ」

さすがに魔獣の暴走が、どの距離まで及んだのか、話は伝わっていたらしい。
男子生徒は訝しげな表情を浮かべて、背後にいる集団の中心人物を振り返る。

「本当に、討伐に出ていたのか?」
「出てましたよ。私は戦闘中にわざわざ転移で学院に戻って、オリビア嬢をあの石階段から死なないように加減して突き飛ばし、誰にも知られないように転移で戻りました。ずたぼろで血みどろだったんで、オリビア嬢に私の手形が残ってるんじゃ無いですか? 魔獣の血の」
「誰にも知られず……そんなこと」
「できますよ、私なら。……あ、手はきれいに洗えば良いですね。なので、証拠も残りません」
「……わざわざこちらに戻って?」
「わざわざです。まさか誰もが死なない為に必死な場面で、わざわざ学院に戻って来て、階段から突き落とすためだけに転移するなんて思わないでしょう?」

男子生徒は自分の爪先を見つめ、もう一度背後を振り返る。

大勢に囲まれてしくしく泣いているオリビア嬢を見て、顔をマリオンに向けた。

真っ直ぐ見返しているマリオンはいつもより顔色が悪く、目の下には濃くくまができている。

「賑やかにはしゃぐのもいいさ。そりゃあんた達の特権だよ……でも、今日、ここでじゃ無い。どうしていつもより人が少ないか、ちょっとでも良いから考えてくれ。ケガをした中には死にかけてる奴も居る。疲れが取れなくて寝てる奴も、動けない奴もいる……暴走が通り過ぎた町の被害も小さくはない。……頼むからきゃんきゃん吠えるならサロンに行ってくれないか? そこなら目障りな俺たちは居ないだろう?」

三つ星以上、それも決まった人物しかサロンには入れない。もちろん騎士科と術師科は立ち入れない場所だ。
そのサロンも粛々とした雰囲気で、上級生から、やんわりと出て行けと言われ、憂さを晴らそうと、深く考えもせずに、いつものようにマリオンに突っかかっていった。

何故自分たちがサロンを追い出されたのか。
本当にオリビアはマリオンによって階段から落ちたのか。

この食堂がいつもより閑散として静かな理由を改めて考える。

「…………申し訳ない」
「え?! 本気で言った?」
「……ああ。悪かった」
「どうしちゃったの急に」
「私の態度は謝る…………だが、オリビア嬢に起こったこととはまた別だと思ってくれ」
「マリオンがやったと思ってるってこと?」
「いや……それは現実的ではないと、私は思う」
「おお……冷静だねぇ」
「少し……考えさせてもらう」
「あら〜殊勝なこと」
「……失礼する」

男子生徒は背を向けると、集団の方に歩み寄り、少し会話をするとそこからも離れていった。追ってこられるのを断っている仕草も見える。

ひとり大食堂から出ていくのを見送ると、集団は改めてマリオンたちを睨みつけた。

リックはその視線を受けて鼻で笑って返す。

「……あの子どこの子だっけ?」
「オリビア嬢?」
「んーん。男の子の方」
「えーっと、ミドルトンの領主子息だったかな」
「王都のすぐ横じゃん」
「だね……あ」
「まぁ、危機意識はお持ちみたいで感心」
「……どういうこと?」

マリオンが首を傾げると、リックは困ったような顔でふと笑う。

魔獣の暴走の最終地点は王都まであと少しの場所だった。
件の男子生徒の家があるミドルトンまで、ほんの目と鼻の先ほど、一歩手前といった辺りで食い止められた。

そのことは誰より彼自身の方が重く受け止めているだろうし、将来的に領地を受け継ぐのなら、そうあるべきだねとリックは力無く笑う。

「魔獣如きで大袈裟じゃないですか?」
「そんなことないよ! ていうか、マリオン何言ってんの?!」
「魔獣なんて日常的に出てくるのに……」
「お……っと。マーレイ領ってそんな感じなの?」
「あれ? 国境沿いや、大きな森がある所って大体そんなもんですよ?」
「あ……あーうん、そう聞くけど、ほんとにほんとなんだねぇ」
「こっちこそですよ。中央ではそんなに珍しいことなんですか?」
「……その口振り……ずいぶんと魔獣に親しみがあるようだけど」
「仲良しみたいに言わないで下さい」
「よく討伐にお出かけで?」
「出てくるの魔獣だけじゃないですからね、よく駆り出されました」
「わぁ……大変そう……」
「こっちでの生活の方が大変ですよ」
「あら〜……そうなんだ、それはそれは」
「……だからマリオンは平気な顔なの?」
「うん? 何がですか、リディア」
「だからそんなに強いの?」
「はい? 強い? まぁ、負けたら死人が増えるので」
「…………私! もっともっと頑張るから!」
「あ、はい! 頑張って下さい、応援します!」
「ありがとう、マリオン!」
「はい!」
「うわぁ……素敵だねぇ」

リックが手を叩くと、手と包帯でぱすぱすと音が鳴る。

「俺もがんばろー」

午後からリディアは剣を持って修練場に出かける。

翌日にはリックは添え木を外して訓練に復帰した。



その数日後に、マリオンからふたつ星が取れる。










青鑪月 序初日


ビリー。

この間の魔獣討伐での功績と、研究報告の成果で級位が上がることになりました。

五つから三つに、ふたつも星が取れます。
とても良い調子。

思ったよりも早く飛び級できたから、逆に驚きました。まだまだ目標には遠く及ばないけど、最速を目指します。

見ててね。






『王の庭』に招来されるのは、十三の歳を数えてからが本来で、それから五年間を学院で過ごすのが基本だ。

最初は星を五ついただく。

そこから一年ごとにひとつずつ減っていき、星がなくなってそれぞれの場所へ巣立っていく。

集められるのは将来を託すに値する、才能溢れる子供たち。そして国政の鍵になるであろう、高位の貴族、その令息令嬢たちだ。

誰もがぼんやり過ごして『王の庭』からの迎えをただ待っていた訳ではない。
マリオンら術師科の生徒は、自ら志願し才を売り込み、そもそも少ない枠の中に、どうにか食い込まなくてはならない。
騎士や文官志望なら、それなりの家名と後ろ盾が必要だ。


最初はみな星五つから始まるが、何にでも特例はある。

新入学生の半数、高位の貴族は最初から星が三つ。つまり三年間を過ごし、十六歳で学院を出て、それぞれが国の要となるべく身を立てなくてはならない。

そして『王の庭』出身であることは、それだけでとてつもない箔になる。
知恵や努力で成り上がる者の、さらに上の立場を最初から約束されたようなものだ。

それだからこそ、学院に入る前から、入ってからも向上心の強い者は多い。
『王の庭』は通り道、みなはその先を見据えている。

逆に入学した時点で安心してほっと息を吐いている者から振り落とされていくともいえる。


「んあーーーー!! 星五つ女子が私だけになった!! いつかとは思ってたけど!! 早過ぎる!!」
「リディアも頑張ってるから大丈夫」
「なぐさめなんて要らない!! もう、もう、もう!!」

口ではずっと悔しさやを垂れ流しているが、リディアはずっとマリオンをむぎゅむぎゅと抱きしめて、頭をなでなでしていた。

朝のうちに発表された知らせは、学内を駆け巡って、リディアとのお昼の逢瀬の時間には、大勢に周知されていた。

生徒は常に襟元に、術師科はローブのフードに付いている、マリオンの星の数が減った。
朝一で学院長室に呼び出され、お小言と一緒に星を外されたからだ。

入学して実質ふた月。
異例の速さで飛び級を果たし、それも星をふたつも減らしている。

「やるじゃん、マリオン」
「……当然、といったところか?」
「ほっぺた引っ張らないで下さい!」

カイルはどこまで伸びるか試した後は、マリオンの頬をよしよしと撫でている。

「だいぶ伸びるようになったな」
「カイルが毎度引っ張るからですよ!」
「柔らかいからだろう?」
「しょっちゅう引っ張られてたら柔らかくもなりますよ!」
「俺のせいみたいに言わないでもらいたい」
「カイルのせいですよ!」
「……そうか?」
「……えっとね。……うんうん、気持ちは分かるけど、程々にね」
「なんだ、リック」

やたらと触れようとするカイルの手首を、リックは掴んで引き離す。

「女性だよ?」
「……知ってる」
「知ってても解ってないよね」
「何がだ」

にこりと作り笑いを貼り付けて、食事を受け取る列にカイルを引っ張って行った。
君たちの分も取ってくるから待っててと、リディアとマリオンに手を振る。

それならと席を確保することにして、陽当たりの良い露台に出ることにした。



薄曇りで柔らかな日差しが心地良い。
時折吹く風も、少しひんやりと緑の匂いを運んでくるような気がする。

「おめでとう、マリオン」
「ありがとう、リディア」
「私もすぐに追い付く!」
「リディアならきっとすぐだよ」
「もー!! 分かってるもん!!」
「リディアかわいい」
「知ってるもん!!」

ひとり、こちらに向かってくる姿を見つけて、マリオンとリディアは会話をやめた。

いつもの勢いはなく、男子生徒は穏やかな表情をしている。
ゆっくりと歩み寄り、ふたりの少し手前で静かに立ち止まる。

「……今までの非礼を謝りたい」
「え……急に。……気持ち悪いですね」
「私が間違っていた」
「……星の数が一緒になった途端だよ」
「それは違う!」

皮肉気に吐いたリディアの言葉に、男子生徒はきっぱりと言い切った。

「……確かに、今まで星の数で見下した態度だったのは認める。それも済まなかった。だが……私も考えを改めなければと思ったんだ」
「っえーー? やっと?」
「……そうだな、やっと……だな」

しゅんと項垂れたようになる男子生徒に、リディアはそれ以上は言い募ったりしなかった。

ただ気に入らないという態度を示すように、片手で頬杖を突いて、ため息をこれ見よがしに吐き出す。

「どうしたんですか、何か悪いものでも食べましたか?」
「オリビア嬢……彼女にも色々あって、中々に抑圧が多いようで……いや、だからと言って庇う気はもう無いのだが」
「……はあ」
「全て彼女の嘘だと分かった」
「……はあ」
「……驚かないのか?」
「……まぁ、私がやったんじゃ無いので、そうなんだろうなって思ってましたから」
「なら何故それを!…………いや、そうだな。貴女はずっとそう言っていた。あの時の私はそれを聞き入れてなかった」
「……ですね」
「悪かった、許してもらえたらありがたい。それに……できればオリビア嬢のことも」
「ムシのいいことを」
「リディア」
「……ごめん『マリオンの問題』だった」

昼食の度に突っ掛かられることを、その度ごとに口を挟まないで欲しい、これは私の問題だ、とマリオンは言っていた。

リディアたちに余計な火の粉を被って欲しくなかったし、そうでなければきっと一緒に居られなくなる。

マリオンにそう言われては、リディアたちも引かざるを得ない。

毎度腹には据えかねる思いだったが、当の本人が気にする素振りも無いので、なんとか収めていた状態だった。

「……まぁ、この通り。私は全くもって気にしていませんし、この程度のことで謝られて許すも何も無いですし。……ただ、みんなとの食事の時間を邪魔されたのは、面倒だったんですけど」
「……そうか……そうだな。済まなかった」
「できればみんなにそれを」

カイルとリックが食事を運んできたところで、男子生徒は真摯に謝ってその場を後にした。

やはりオリビア嬢を中心とした集団には近寄らず、大食堂を後にした。
その後ろ姿がなくなるまで見届ける。

「……どしたの、急に」
「全部オリビア嬢の嘘だったんだって謝ってきた」
「へぇ……今になって」
「正義の為だと人は盲目になる」
「わぉ……カイルってば詩人〜!」
「……うるさい」
「夢想家」
「黙れ」
「さ、それはさて置き。これどうぞ」

リックは食事とはまた別に、紙の箱を卓の中央に恭しく据える。

「甘い香りがしますね」
「するでしょう〜?」
「開けてもいいですか?」
「どうぞどうぞ」

美しく焼き上がった菓子には、可愛らしく小さな花が添えられている。

「俺たちからの進級祝いです」
「ふふ……嬉しいです」
「みんなで食べよう?」
「はい! ……お花がかわいいですね」
「あ、それ〜? カイルが走ってその辺から摘んできた」
「……余計なこと言うな」
「余計じゃないでしょ、適切な補佐でしょ」
「カイルもリックも、ありがとうございます」
「今日から同級生だもんね。改めてよろしく」
「こちらこそ」
「リディア・ベル、お前も頑張れよ」
「ひと言多い! ほんと余計!」
「もう、かわいいんだから」
「うるさい!」

静かにゆったりとした心持ちで、和やかに昼食を楽しんだ。


次の日からは別の盲目の正義の人が現れるとは、思いもよらなかったが。




つい習慣でランス先生のところに行くと、もう君の担当ではないと笑われる。
そうでしたと笑い返しながら、先生の手伝いを始めると、やっぱり誰かが部屋を覗けば、怒り怒られてるフリを始めなくてはならなくなる。

「ウィルソン先生には僕からいいように伝えてあるんだから、そっちに行きなさいよ」
「あ、それは手間が省けました」
「なに、根回しに来たの? 優秀、抜け目が無いねぇ」
「お褒めいただき、光栄です」
「ま、その調子でおやんない」
「先生も腰をお大事に」

ローブの下から薬を出すと、先生は笑いながらそれを受け取った。

「気付いたのは君だけだよ」
「優秀なもので。根回しも完璧です」
「まったくだね」

このランス先生への根回しはマリオンが学院を巣立つまでずっと続くことになる。

それも毎日のように突っ掛かってくるオリビア嬢の根拠のない言いがかりが続くからなのだが。




次年度には普通に進級をし、級位はカイルやリックと同じ星ふたつに。
リディアは努力が実ってひとつ飛び級、星が三つになった。



春は何ごともなく終わり、夏が勢いを増そうと地上をこれでもかと温める。











白峰月 序十三日


ビリー。

夏の休暇を前に、王城で催される夜会の招待を受けました。

入学前に作った衣装でも大丈夫かな。
リディアに見てもらおうと思います。

王妃様への謁見があると聞きました。
今からとても楽しみです。





長期休暇を前に『王の庭』の星二つ以上の者は、王城に召し出される。
王妃から労いをいただき、今後もよく励むようにと毎年同じ日に夜会が催される。

『王の庭』とは呼ばれているが、学院自体は代々の管轄が王妃府になるので、この夜会での国王との謁見はない。
王城に勤める重職が数人と招待を受けた生徒のみ。その他の列席はないので、王妃主催とはいえ、列席者は百を数えるほど。
規模はかなり小さいといえる。


夜会の開始時間に合わせて、王城にほど近いハリントン家の別邸で準備をさせてもらうことになった。
リックの本家ではなく、分家筋、リディアの両親の所有する別邸だ。

邸宅付きの侍女は親世代より少し上で、雰囲気は寮長様と似ている。
この世代の女性がこうなってしまうのかも知れないが、リディアもマリオンも、有無を言わさない指示に全て応とわたわたなりながら従った。

仕上げに風呂から出てきたマリオンは、頭から大きな布を被って、それを身体に巻きつけている。

先に浴室を使ったリディアは、下着姿で腕を組んで衣装の前に立っていた。

壁に並んで掛かっているふたりの服を睨んでいる。

ちなみに入学時のまま、荷物の隅にぎゅうぎゅうに詰め込まれていたマリオンの衣装は、侍女の手によってシワひとつない新品のようになっていた。

マリオンはリディアの横に立ち、こそりと下から覗き込むように見上げる。

「私の衣装、これで良いと思う?」
「うん……かわいい! 絶対マリオンに似合う!!……と思うけど、質素すぎじゃないかな」
「上からローブ着るんだよ? 派手な必要ないと思う」
「ああ、そっか」
「……質素は失礼になるかな」
「失礼にはならないよ。逆に目立つと思うけど」
「悪目立ち?」
「悪目立ち」
「あら大変」

この後起こることを予測して、リディアと顔を見合わせてくすくすと笑い合う。

高位貴族の生徒たちは、それは豪勢で煌びやかな衣装だろうと容易に想像はつく。
その中にあって真っ黒なローブはかなり目立つだろうが、王城では騎士の帯剣と魔術師のローブ着用は然るべき礼儀だ。
着ない方が失礼なのだから、ローブに合わせていくと中の衣装は嵩張らない方が良い。

となるとやはり質素に見えてしまう。


「リディアの衣装は素敵だね! すごく良く似合うと思う!」
「う……うううん……行きたくない……」
「まだ言うの? 私、リディアと行けるの嬉しいし、すごく楽しみなのに!」
「私もマリオンと行けるのは嬉しいし楽しみなんだけど」

招待された生徒は、男女での夜会参加と決まっている。

生徒同士で組になるのも良し、婚約者のように決まった相手を相伴するも良し、身内と一緒に、という参列の仕方もある。

招待がきて早々、マリオンが相手に悩む間も無くカイルに誘われる。ふたり共に都合が良いと考えてすぐに快諾した。

リックが誘ったのはリディアで、みんなの期待の目に負けて渋々と返事をした後も、いまだ往生際悪く駄々をこねる。

「相手を逆にしてくれないかなぁ」
「私は別に良いけど、リックが何て言うか」
「リック・ウィリアムは別に誰でも良いから私だったんだよ……カイルの方が嫌がるって」
「なんで?! リディアの何が不満なの?!」
「…………さぁね。カイルに聞いてみたら?」

リディアは上下別れた、騎士服に倣った、背筋の伸びるような意匠の服だ。
丈の短い上衣に、腰回りがすっきりと、下に行くほど広がるスカート。腰には剣帯と儀礼用の美しい長剣がぶら下がっている。
結うには短い髪を後ろにまとめて、耳の後ろには金の髪に映える紫の生花が飾られている。

マリオンは白の紗の布が重なった、こちらもすらりとした衣装だ。
素材は軽いし、こぼれて出るほど大きな胸でもないので、首の後ろで結んだ細いリボンだけで衣装を引っ張り上げている。
胸のすぐ下できゅっと絞られ、その下は歩けばさらさらと広がるが、嵩張ってはいない。
胸元全体と膝辺りから下にはローブと同じ草花の精緻な刺繍がしてある。
夜会なので肩は出しても差し支えないだろうが、刺繍の糸と同じく、光沢のある黒の長手袋を着ける。
そのどちらもローブの下になるから、意味ないけどねとマリオンは笑った。

黒髪を結い上げるのは勿体ないと言われたので、ゆるく波打つのを垂らしたまま。邪魔にならないように横を編み込んで銀の小花の髪飾りを着けてもらった。

まあこれもフードをかぶってしまえば、どうだろうと関係はない。

「その髪飾り可愛いね」
「うん……なんかカイルがくれた。夜会に着けて来てって」
「……ほう?」
「フード被っちゃうから髪留めなんて要らないって言ったのに」
「貰ったから着けたんだよね? だったらカイルに見せとかないと」
「うん……だよね」
「……あ……被らせないためか」
「どうして?」
「ふふ……どうしてかな?」
「カイルに聞いてみる」
「野暮だからやめときなさい……それからこう」

リディアはローブを広げ、後ろに回して、マリオンの両肩を出す。
それなりに厚手なので後ろに引っ張られる感じがする。

「首が苦しいよ」
「ああ、ごめんごめん」

留める位置を直して苦しくないように調整していると、迎えが来たと声をかけられた。

げんなりした顔のリディアの腕に自分の腕を絡ませて、マリオンは引っ張るようにして部屋を出る。

玄関広間にはこちらも騎士服に倣った意匠の、儀礼用の剣を腰にした青年ふたりが待っていた。

リックが一歩前に出てにやりと口の端を片方だけ持ち上げる。

「リディア・ベル! 見違えるな!」
「……うるさい」
「褒めてるんだぞ?」
「……見るな」
「もう、リディアったら。かわいいんだから」
「ほんとほんと、ねー?」
「ねー?」
「マリオンも良い仕上がりだね」
「それほめてるんですか?」
「ほめ言葉はカイルからね。俺は遠慮してんの……ほれ、カイル」
「ん……ああ、ふたりとも良い仕上がりだ」
「おいぃぃ……お前は馬鹿か」
「黙れ……行くぞ」

リックの家の立派な馬車に乗って、王城に向かう。

楽しそうにもぞもぞ落ち着かないマリオンの様子に、不機嫌な顔だったリディアも向かい側に座っていつもの様子に戻っている。

「嬉しそうだね、マリオン」
「うん。私、王城に行くの初めてだから!」
「そうなんだ?」
「リディアは?」
「私は……ていうか、騎士家系の子どもは王城に上がる機会はそれなりにあるし」
「そういうもんなの?」
「連れられて行くもんなのさ」
「へぇ……じゃあ色々案内して下さい!」
「俺よりカイルの方が詳しいよ」
「そんなことは無い」
「んもう、俺の適切ぶりを無駄にするなよ……お前が今夜のマリオンの相手だって自覚はないのか」
「……だったな」
「カイルが嫌ならいいですけど」
「そうじゃない……俺は……リックみたいに口が上手くないからな」
「わぁお。軽薄みたいに言われた!」
「適切だろ?……説明が不充分かもしれないが、俺で良ければ」
「ありがとう、カイル」
「……いや」

にこにことしているマリオンをカイルはずっと見つめている。
ずっと見つめていることに気付かず、それを止めることに思い至るまでがかなり遠そうだ。

軽く眉をしかめたリディアは、隣にいるリックを見る。リックはにっと笑って何と目で返事をした。

「……まさか……無自覚?」
「当たり!」
「はぁっ?!」
「面白いよねぇ」

主語の無いふたりの会話に、マリオンは不思議そうな顔をして少し首を傾げている。
リックはさらににこにこと笑う。

「こっちは眼中に無いしねぇ」
「……当たり……」
「面白さ倍増だよねぇ」
「性格悪……」
「今さら言う?」
「直す気無いなら何度でも」
「……ふたりは仲良しさんだね」

リディアとリックが同時に正反対の返事をしたので、マリオンはやっぱり仲良しだと笑いながら返した。




夜会と銘打っているが、まだ夕闇は気配すらない。

暖まった空気も夜はまだまだだと告げるように、馬車を降りた四人にゆっくりと纏わり付いては通り過ぎていく。

城門を通り過ぎて、しばらく敷地内を馬車で進んだが、それでも端の方だとカイルが言った。
律儀に到着した瞬間から始まった案内に、マリオンはにこりと笑って頷いて返した。


王陛下の住まう場所はいくつもの建物を挟んで最奥。

手前には政を行う政館や、外交をする迎賓館、その手前が今回の会場だ。
さらにその手前の一部は一般の民に開放されてもいる。

マリオンたちが招待されたのは、ほんの一歩分だけ内側の場所といえる。
しかし城内は城内。
王妃もお出ましになるので、警備は騎士の数も侵入を阻む魔術も厳重ではあった。



夜会の開始まで少し余裕がある。
呼び込まれるのは上級生が先なので、待ち時間を、許された範囲で歩いて散策することにした。

なるべく全体が見えるように庭園の端まで行って、ついでに木陰に入る。

「うーん……外から見た方が分かりやすかったかも」
「……そうだな」
「でも外から見たより広いのは分かりました」
「……案内する程のことも無かったな」
「私は楽しいですよ?」
「うん」

腕に掛かっているマリオンの手をするりと撫でると、カイルはこっちに、と歩き出す。

リックとリディアは何かとそれぞれ理由を付けて、散策には来ずに、おとなしく前室で待機している。

広い庭園には、その前室でおとなしく出来ない数組が、ぽろぽろと点在していた。

カイルが影の下を選ぶように歩いて、マリオンを水辺に連れて行った。

人の手で造られた小川が流れ、そこにだけ少し涼しい風が吹いている。

「……マリオン」
「はい?」
「……その…………髪飾り」
「あ! ありがとうございます。ちゃんとお礼言ってなかったです」
「いや、そうじゃなくて…………よく似合ってる」
「自分の趣味を自分で褒めた!」
「いや! マリオンもきれいだと思ってる」
「はは……いいですよ、私に気を遣わなくったって」
「そんなつもりは無い」
「はいはい」
「…………こうやって取って付けたみたいになるから言いたくなかったんだ」
「ですね」
「こういう部分はリックを見習いたい」
「私で練習したらいいですよ」
「練習?」
「はい。いつかカイルの恋人になる人に、取って付けたみたいにならないように」



くすくすと笑っているマリオンを横目で睨む。

どうして無性に腹立たしいのか。

腹立たしさの方が優って、カイルはその理由を突き詰めるまでに考えが至らない。











白峰月 序十四日


ビリー。


散々な目に合わせるという意味を、もう一度よく考えてはどうかというのが感想です。

私にもなにをもって終わりがくるのか、分からなくてなってきました。

引き際と終点を見誤るとこんなにも無様なのね。

勉強になります。






呼び込まれて会場に入った後は、マリオンは壁際の辺りにいた。

広間の中央付近には誰もおらず、列席者はそれぞれにまとまって談笑している。
対角線上の広間の奥側に、立派な騎士服の壮年の男性、リックとリディアはその人物と話をしていた。

カイルはそこに参加する気はないらしく、マリオンの横に貼り付く。

枝から枝へ移る小鳥のように、忙しなく卓の間を行ったり来たり、マリオンは美味しそうな料理を吟味している。

「……食べないのか」
「ちょっと待って下さい、容量の問題があるので」
「落ち着かないな……座ってろ、俺が取ってきてやる」
「ダメですよ。言ったでしょう、全部は食べられません。厳選しないと……」
「そうか?」

カイルはマリオンの頬を引っ張る。
たくさん入りそうだけどなと、笑いを漏らした。

それでもとすぐ近くにあるグラスを手に取って、ひとつをマリオンに渡す。
ほんの少しだけ白濁した透明な液体は、果実のようなすっきりとした香りがした。
酒精の気はないので口をつける。

特に魔術師は、だが、例え宴の席であっても酒を口にする者は少ない。
酔って気が大きくなったり、不明になることで起きる悪影響の方を気にする。

騎士にもその心がけは必要なので、カイルも迷いなく酒を控える方を取った。


マリオンは自分のグラスの端を軽く指で弾いて、カイルのグラスにも同じようにした。
すぐにグラスの外側が白く細かな水滴に覆われる。

「……冷やしたのか」
「冷えてる方が美味しいです」
「うん…………便利だな」
「でしょう?」

果実水を飲みながら見上げた半球形の天井には、見事な絵画が描かれている。
よく晴れた日の風景画で、森の木陰には婦人、水辺を駆ける小さな子どもたちを眺めている。そんな夏の昼下がりの絵だ。
半球の天辺の水色と、金の縁取りの取り合わせが美しい。

細かなところまで見入っていたからか、カイルもそれに釣られて天井画を見上げ、この建物が夏の館であると教えてくれた。

季節ごとに景色の違う館があるのだと付け加える。

へぇと息を漏らして再び天井を見上げると、マリオンは背中にどすりと衝撃を受けて、そのまま真前にいたカイルの胸に顔をぶつけた。

短い悲鳴を聞きながら、声を上げたいのはこちらの方だと、ひどくぶつけた鼻を押さえる。

「ひどいわ! 何ということをしてくれたの?!」

ただ立ってぼんやり上を見ていたことがいけなかったのか。文句を言っているのは、不躾に見ていた天井画の婦人かと心中でこぼすが、声には聞き覚えがあった。

怒り散らす人物にも、大袈裟に同情や賛同の意見を述べる人たちの声にも。

「大事な人からいただいた衣装なのに!」

それはこちらも同じことだと、マリオンは自分とカイルの間で服の色が変わっていくのを見下ろした。

ふらと手を振って、空になったグラスに、ふたりの衣装に染み込んだ水分を移す。

「ひどいわ、なぜ(わたくし)にこのような仕打ちを……」

涙目で振り返ったオリビア嬢の前で、マリオンはもう一度ふらりと手を振る。

豪勢な衣装に長細く染みた、きつい匂いの赤色は嘘のように消えて、オリビア嬢の持っていたグラスに戻っている。

「も……元に戻したからといって、貴女の仕打ちは無かったことにはならないのよ」
「元には戻っていませんよ、酒精は空気にいくらか飛んでいますし、衣装に染みている水分と定義しているので、汗も混ざっています。それに水分にとけた匂いも、埃も混入していますから」

だからそれは飲まないで下さいねとオリビア嬢のグラスを指さした。

「話をすり替えてごまかそうとしないで」
「そっくりそのままお返ししますよ」
「貴女が(わたくし)の衣装を汚そうとぶつかってきたのでしょう?!」
「……私は立っていただけですが?」
「嘘はおっしゃらないで、なんて白々しい」
「……ちょっと失礼、お嬢様方」

間に割って入ったのは、魔術師のローブを纏った壮年の男性。
所々に白が混ざるが、それ以外は濃い髪の色をしている。立派なローブは王宮のお抱え魔術師だと主張していた。

「魔力の動きを感じた。術を繰ったのかな?」

真剣な顔はマリオンの方を向いている。
同じ顔を作ってはいと頷いて返す。

「ふむ……理由は分かるが、この場で術を使うのは良いこととは言えないな」

このあとすぐにでも王妃がお出ましになる場だ。
そこで魔術を展開しては叛心ありと疑われても仕方がない。
それがどんな術だとしても。

「はい、申し訳ありません」
「……解ればよろしい」

男性は真剣な顔で頷いたすぐ後ににこりと顔を作り替えて、どうやったのと子どものようにマリオンに質問する。
マリオンが返事をする前に、それを遮る声がした。

「待ちなさい、まだ(わたくし)との話は終わっていません」

マリオンが頷くように頭を下げると、男性はにこりと笑って場を譲ってくれた。

「……そうですね、お礼なら早く言って下さい」
「礼ですって?! 何故? 衣装を汚されたのに?!」
「……だれに?」
「貴女よ、マリオン・リー・マーレイ!」
「……どこを?」
「この辺り、全体にお酒がかかったのよ!」
「……元より綺麗になってますが?」
「それは、悪事を隠そうとしてのことでしょう!」
「隠すも何も……貴女が大きな声で騒ぐから周りの人はみんな私の『悪事』とやらを見ていますけど?」
(わたくし)の衣装は貴女のその卑しいそれとは違うのよ」
「そうですか?」
「まるで下着だわ! 恥を知りなさい!」
「貴女こそ胸を半分は放り出してますけど、恥ずかしくないんですか?」
「何ですって?!」
「頭悪そうにしか見えませんね、と言ったんです」
(わたくし)を馬鹿にしているの?!」
「はい。そんなことよりも泣かなくていいんですか? そんな剣幕で怒っていたら、いつものように同情してもらえませんよ?」
「誰に向かってそんな口を! 魔術師風情が!」
「……うわぁ、ひどい。醜い顔も言葉も覆い隠せてませんね」

オリビア嬢の手が震え、顔の前に持っていた扇の飾りが細かく揺れている。
勢い良くぱちんと閉じると、その腕を振り上げた。

同時にカイルが一歩踏み出す。ある程度予測して反応は早かったが、マリオンの背後にいたので遅れを取る。
後ろから腕を肩に回して、一緒に身を引いた。

オリビア嬢の腕が振り下ろされる前にそれを制したのは、宮廷魔術師の手だった。

「失礼、お嬢様。会場内での魔術展開よりも、暴力の方がご法度ですよ」
「……離しなさい、穢らわしい!」
「なるほどなるほど……ふんふん」
「何よ!」
「口が悪いなと思ったが、君の言う通りだ。このお方は本当に頭が悪いな?」

宮廷魔術師はマリオンの方に振り向く。そう質問されて、でしょうと気持ちを込めて少し肩を竦めて見せた。

思い出したように手を外すと、オリビア嬢は自分の両親の名と来歴を高らかに言い放ち、見事な捨て台詞を吐いて離れて行った。

あまりの見事さに感心したまま見送る。

「……あの調子から推察するに、君の方が因縁をふっかけられているようだな」
「面白いですよね、あの人」
「……君が楽しんでいるのなら問題は無いのかな?」
「そうですね、特に不具合は感じません」
「ふむ……それは重畳。私の質問は今後の楽しみに取っておくことにするよ。君もこの夜を楽しみたまえ」
「はい、ありがとうございます」

ふらりと去って行くその人の姿がなくなる前に、マリオンは背後を振り返って見上げる。

「カイルも、ありがとうございます」
「……いや」
「……離してもらっても良いですよ」
「ああ……そうだな」

気が付いたように腕を緩めて、その手はついでにマリオンの鼻を摘む。

「……まったく……休まる暇がないな」
「私は別に……」
「俺のはなしだ」
「……それは……大変申し訳ないとしか」

でもやめて下さいとカイルの手をはたき落とすと、おかしそうにくくと笑う。
マリオンもそれに安心して笑顔を返した。



壇上に人が現れ王妃のお出ましを告げる。

皆その場で畏った礼の形を取った。

腰を冷たいもので撫でられた感覚。
そわりと何かが背中を這うような、ちりちりとした感じがして、カイルはふとマリオンの方を見た。

見下ろす格好になるのでマリオンの表情は見えないが、頬も口元も持ち上がっているのだけは判る。

足音と衣擦れの音が止むと、誰もが計ったように一斉に頭を上げた。

その時にはマリオンは感情を窺い知れない顔になり、少し目を伏せている。

王妃の言葉を真剣に聞いているように見えて、同時にカイルは自分がマリオンをよく見ていることに気が付いた。

王妃の話はひとつも耳に残らなかった。



目を付けていた料理を食べようと、あちこち移動してはカイルと分け合って食べた。
その方がたくさんの種類を食べられると提案されて、もっともだと実行する。

顔見知りの先輩たちと少し話をし、カイルだけではなく、リックやリディアともダンスをした。

特にリディアとのダンスはなぜか男女共に評判が良く、その後リディアはたくさんのご令嬢を相手に踊る羽目になる。
リックから大変に揶揄われていたが、羨ましいなら素直に言えばと返される。



陽は完全に落ち、夜が更ける前、みな楽しむようにと言葉を残して王妃は退席された。


「……カイル」
「なんだ?」
「あっちの白いふわふわが気になっているんですけど」
「甘そうだな」
「半分……」
「……手伝おう」
「やった!」
「…………落ち着いてきたか?」
「ずいぶんお腹が膨れたので」
「でもまだ食べるんだな?」
「あれで終わりです」
「……取ってこよう。そこに座っていろ」
「ありがとうございます」

マリオンの髪をひとふさ手にとって、するりと手の中を滑っていく感触を楽しんでから、カイルは遠くの卓にある白いふわふわを取りに向かった。

席に着くと、隣にリックがどかりと座る。

「……楽しんでる?」
「お腹ぱんぱんです」
「はは……マリオンは夏季休暇どうするの? 家に帰る?」
「どうしたって滞在時間より移動時間の方が長くなりますからねぇ」
「だよね……うちくる? 遊びにおいで?」
「あ、あぁぁぁ……遠慮しますぅ」


故郷までの半分の距離にあるリックの実家までと、それに使う時間のことを考える。
マリオンは学院に残って温室の世話をする方を選んで即答した。




包み隠さず素直に言うと、リックは残念と大袈裟に声を上げながら、マリオンの頭をぐりぐり撫でた。



戻ってきたカイルに睨まれて、なぜかマリオンまで一緒に怒られる。













白峰月 序十五日


ビリー。

夏季休暇が始まりました。

帰ろうと思えば帰れるけど、休暇だからといって特別とは思えません。
その気になればいつだろうと一緒です。

だから今年はこちらでゆっくり過ごします。

帰った途端にこき使われるのはごめんですから。




「……マリオン」
「カイル。どうしたんですか、こんな所まで来るなんて」

むっとした表情でマリオンの側まで歩み寄ると、手にしていた水差しを取り上げて横の台に置いた。

「なかなか来ないから迎えに来た」
「はい? 来ない?」
「……もう昼だぞ」
「あらら、そうでしたか?」
「…………暑いな」

カイルがむっとした顔でいるのは怒っているからではなく、この温室の暑さにだった。
硝子張りの温室の、上部にある通気口は開いているが、内部の温度と湿度はかなり高い。

それでも壁の役目を果たしている背の高い草葉のおかげで、夏の直射日光はずいぶんと和らげられている。

身体中から汗が吹き出す感覚に、眉間に縦にしわが入った。
濃い緑の中、真っ黒なローブ姿のマリオンに、カイルは季節を見失いそうになる。

「こんな中でローブ……倒れたいのか」
「着てないと倒れちゃいますよ」

汗がひとつもない涼しい顔で、マリオンはけろりと答えた。


カイルも休暇を学院で過ごすと決めていた。
遠方は遠方だが、そんなことよりも実家に戻って姉や兄に揶揄われたり、まだ小さな妹にまとわりつかれるのを避けたいのだと聞いた。

なのでこの期間を、カイルは稽古をしたり稽古をしたり稽古をしたりして過ごしていた。それぞれがやるべきことをしているが、昼時になるとこうしてマリオンを昼食に誘う。


リックとリディアとは夜会のすぐ後で別れた。
リックの実家に引き摺られるようにして行ったリディアは悲壮な顔をしていた。
リックがマリオンを誘ったのは、リディアの心情を慮ってのことだったらしい。
楽しくなさそうなのは容易に察せたので、改めて今度は丁重にお断りしておいた。



食堂は閑散としているが、学院に残っている生徒はいる。

ほとんど同じような理由で休暇を学院で過ごす生徒、事情があって帰る時機を見計らっている人も中にはある。


昼食の後、カイルはマリオンを術師科の棟まで送っていく。

首元にはいく筋も汗の通り道ができていた。

マリオンは空中に小さく円を描いて、その後カイルの肩をとんと軽く叩いた。

冷たい風に服が内側から膨らんで汗を消し、からりと軽くなった服は少し冷んやりと気持ちが良い。

「……ローブがこうなっているのか?」
「そうですよ、夏は涼しく、冬はあったかです」

だから一年中同じような服で済むのだとマリオンは笑った。
そう言われてみてカイルは、術師科の誰もがローブの中味は季節を無視したような格好だったのを思い出す。

「術師科が夏は厚着で冬が薄着な訳だな」
「みなさん独自で大なり小なり似たようなことはされてますねぇ」
「……羨ましいな」

騎士科は夏も冬も堪えるのみ。
それを静かに我慢してこそ、という態度が好まれもするが、正直にキツいものはキツい。

「ちゃんと術式を描ければ、このくらい、カイルの魔力量なら軽く維持できますよ?」
「本当か?」
「ええ、たぶん他に回せる程度には余力も残ります」

魔力量の多い騎士は、治癒系の術を覚える。
自分や仲間を生かす為に使われることが多い。
中には自分の強化に回す者もいる。

「俺にその術を教えてくれ」
「はい、構いませんよ」

余力が残ると聞いてしまえば、馬鹿正直に我慢するのみでなくてもいい。

「今からでもいいか?」
「大丈夫です」

縋るような顔をしているカイルに、マリオンは遠慮なく笑い声を上げながら頷いた。


術師科棟にやたらと他科の生徒を入れるのは憚られるので、マリオンはカイルを伴って建物の影と木陰が混じる場所に移動した。

外の空気を吸ったり、ぼんやりできる場所によく使われるそこには、元からあるのか誰かがわざわざ持ってきたのか、腰を掛けるのに丁度いい、四角く切り出された石がいくつも並んでいる。
つるつるに磨かれているから、誰かが何かしらの目的をもって置いたようにも見える。

マリオンはカイルを座らせると、ひとつを間に挟んで横向きに座った。
間にある石を卓替わりにするのだと、すぐに察してカイルも座る向きを変える。

軽く手を振って紙を呼び出すと、それを石の卓に広げる。
マリオンはもう一度手を振ってペンを持つ。

「術式の基礎は覚えてますか?」
「うん……多分」
「式は起こしたい事象をはっきり定義しないと、無駄に魔力を消耗して、しかも思った程の結果は得られません」
「……ああ」
「何をどの程度したいか、どれだけ維持したいか、はっきり示す為にあるのが術式です」
「そ……んな簡単な話だったか?」

自分が聞いた講義は長く、理解する前にどんどん話が進んでいたので、最終的には言われた通りに言われたことを、出来るようになるまでとりあえずやる。という感じだった。

「簡単に言ってるだけですよ。そこにいくまでの細かい理論はぶっ飛ばしてるだけです」
「……なるほど」
「何もないところから術式を組むのは、そういうのが得意な術者に任せておけばいいんです。今は普通に使ってる照明だって何だって、魔術で動くものはみんなそうです」
「……そこは聞いた覚えがある」
「ふふ……素直で大変結構です」

マリオンは紙の上に美しい形の円を描いた。
始めと終わりが繋がっていないので、完璧な円とはいえないが。

「私が作った術式をカイルに差し上げますよ」
「……良いのか?」
「言ったでしょう、使えるものは使えば良いんです」

内側にもうひとつ円を書いて、外と内の円の間に文字を書き込んでいく。

「この辺りに定義する事象、こっちが強さと維持の期間、で消費される魔力量、履行するカイルの署名……発動するといけないので、円は閉じてないですよ。カイルも練習の間は閉じないようにして下さいね」
「分かった」

円の中に書き込まれていく、流れるような美しい線に、ただただ見惚れる。
その昔大系を作り上げた大魔女様のいた時代の文字だ。
カイルには殆どが読めはしない。
自分の名の部分だけが辛うじて分かる。

「きれいだな」
「術式はきれいに書けてなんぼですよ」
「そうなのか?」
「円なんて特にそうです」
「…………そうか……」
「騎士科のみなさんが適当なのは、術師科では笑い種ですよ」
「稚拙なのは自覚してるぞ」
「円の形が一番力が澱みなく廻ります。より真円に近い方が無駄なく力が還るんだと、意識するだけでかなり違いますよ?」
「なるほど……分かった」

インクが乾いたのを確認して、マリオンは紙をくるくると巻くと、カイルに手渡した。

「カイルには差し上げますけど、他の人にどうぞ使ってとはなりませんからね」
「分かっている、誰にも教える気はない」
「たくさん練習して下さい」
「ありがとうマリオン」
「どういたしまして」

何度も紙に書いて練習して、それが空中で思いのままに描けるようになるまで、慣れていない者にとっては、やるしかない、それのみだ。

さっと手を振るだけ、ぽんと叩くだけ、こともな気にやっているマリオンの凄さに、改めて感心する。

「大したものだな」
「何ですか、今さらですか」
「…………マリオンが凄すぎて感覚がおかしくなってるんだ」
「私のせいですか」
「……練習の成果を見てくれるか?」
「もちろんですよ」
「無駄なく力を還す……か……ん? 待てよ、今使ってる騎士科の術もそういうことか?」
「それも笑い種のひとつです」
「教えてくれ」
「それはご自分で勉強して下さい」
「…………くそ」

この小さくて薄っぺらい手がやってのける事柄を知っている限り思い返してみて、カイルはもう一度小さくくそと溢した。

「握ったら潰れそうなのにな」

マリオンの手を下から掬うように握って、柔らかく力をこめる。

「そりゃカイルに握られたら潰れますよ!」
「魔獣を千切るんだよなぁ……」
「カイルだって両断してたじゃないですか」
「俺はその為に力を付けたからな」
「私だってそうですよ」
「涼しい顔で辺り一帯炎で焼き払ったり」
「私を危険人物みたいに言わないでください。カイルだって変わらないですからね」
「恐い恐い」

反対の手でマリオンの頬を摘むと、ぐいぐいと横に引っ張った。

癇癪を起こした子どものように怒って、手を払い、立ち上がって歩きだしたマリオンを追って、もう一度カイルはその手を取った。

そのまま手を引いて倒れかかってくるマリオンの小さな身体を、カイルは両腕の中に受け止めた。
力を込めて一度ぎゅうと抱きしめる。

ありがとうと言うとマリオンは怒りを収めてため息をひとつ吐き出した。

摘んだ頬をぐりぐりと撫でて悪かったと謝る。

撫でられる猫のように目を細めて、その後マリオンは笑顔に変わった。




この後カイルはそれなりに練習を重ね苦労しながらも習得するが、納得がいく結果が得られるようになるにはまだまだ道のりが長そうだった。

無駄に力を消費しつつも、どうにか術を展開できたのは、もう風が秋のそれに変わる頃だった。