翌朝には強い勧めがあって、森の住人たちがいる集落へ案内することになった。

マリオンは反射的に面倒がったが、アーノルドに反抗することも、カイルの気勢を削ぐことも、その方が面倒だとすぐに諦める。

少々ごねた時点でアーノルドの慈愛に満ちた眼差しと、カイルの満面の笑みに折れて負けるしかなかった。



木々は強く風の吹いた片側だけに多く雪を貼りつけていた。

昨夜の勢いはすっかり落ち着いて、風も大人しく、表面にある細かな粉をさらさらと右や左に撫でている。

天気は快晴。
雪原の白が眩しく光って見えた。

景色は美しくとも、寒さが和らぐ訳ではない。むしろ冴えざえと身に染みる。


防寒の魔術を教えると、カイルは上掛けをマリオンに渡す。震えながらも難なくそれを宙空に描いた。
しかも自分の特性や、描く速度に合うように少し順序を変えている。

最後の外円を閉じる前にカイルはどうだと振り返った。
後方で見守っていたマリオンは、目を瞬かす。

「すごい……きれいに書けるようになってるじゃないですか」
「ふふん……だろう? 間違いないか?」
「ないです、お上手ですよ」

円を閉じて発動の詠唱をすると、そこをカイルは通り抜けるように進む。
纏った陣が服に溶けると、ぽかぽかと陽だまりにいるような温もりが広がった。

「……はぁ…………ぬく……」
「ずいぶん上達しましたね」
「うん…………もっと褒めてくれ」

厚手の肩掛けを渡そうとしたマリオンの手を取って、そのまま引き寄せ、ぎゅうぎゅうと抱きついた。

「……夏用のやつ練習したんだ……五年間だぞ? やりやすいように変えたし」
「見てましたよ……えらい、えらい」

ぱすぱす背中を叩くと、しつこく纏わり付くのを注意する前にカイルは自ら離れていった。
マリオンの肩に両手を置いて、にやりと口の端を持ち上げる。

「ちゃんと褒めろよ」
「ちゃんと感心しましたってば」

マリオンの冷んやりした頬に手を当てて、同じような唇に口付けをする。
それでやっと満足したようにカイルは肩掛けを受け取った。

マリオンと同じように肩掛けをぐるぐるに首元に巻き付ける。

道を覚える為に歩きたいと言ったのを、雪が深いから勘弁してくれと返して、マリオンは集落への転移門を開いた。

「目を閉じて下さい」
「……雪が無くなったら歩いて行くぞ?」
「……そうですね」
「それまで居て構わないってことだな?」
「……お好きにどうぞ」

ご機嫌麗しいカイルの手を引いて、門を潜り抜け、ふたりは森の奥深くへと足を踏み入れた。



集落を囲んでひとまわりする柵は、人の高さの倍を優に越す。子どもの腕でひと抱えほどの丸太が格子に組まれていた。
今は雪でほとんど隠れて、ただの白壁にしか見えない。

門扉はほぼ閉じられているが、人が通れるだけの隙間はある。
馬や荷車が通るときだけ大きく開かれるので、その辺りだけは雪が丁寧に除けられていた。

カイルは周りを見回して、感嘆の息を吐き出した。

「すごいな……雪が良い目隠しだ」
「ですね」
「想像してた感じと違うな」
「そうなんですか?」
「もっとこう……木立の間にひっそりと……って感じかと」
「最初はそうだったんじゃないですか?」

確かに森の木々が柵の際まで迫って周りを取り囲んでいるが、集落がある場所は広く拓けて、平らな場所が多そうなのは外からでも窺い知れる。

柵より上に見える櫓に、カイルは人の影を確認した。


真っ青な空に白く細い煙がいくつも昇っていく。

暖を取ったり、煮炊きをしているような火の気に、そこにいる人々の営みが見えるようだ。

「戦陣みたいだな」
「……まぁ、似たようなもんですよ」
「お嬢だ!! おーーい!!」

遠くから聞こえる声は頭上から、櫓の上にいる人影が腕を大きく振っている。
マリオンがそれに応えて軽く手を持ち上げた。

「……お嬢?」
「中に入ったらいちいち聞き返さないで下さいよ。全て知ってる素振りで。分からない事があれば後から」
「……心得た」
「入るぞ!」

大きな声を返すと、マリオンが先に柵の間をすり抜けていく。
後を追ってカイルも続いた。


すぐ内側には、壮年の男が小さな火の前で番をしていた。

「おはよう、お嬢」
「うん……昨日のどうした」
「ああ、まだ燃やしてるよ。デカかったし、あの風じゃあなぁ」
「だな……ジャレッドはどこだ」
「今朝は見てないから焼き場だろ。酒かっくらって寝てんじゃねぇか?」
「行ってみる」
「お嬢、そちらは?」
「客人だ」
「商談で?」
「違う……マーレイ家の客人だ」
「珍しいな……ようこそお客人」
「……邪魔をする」

腰にある柄から手を離すと、男はまた火の前の切り株によいしょと座った。
かけ声は年寄り臭いが、体は分厚く、腕も太い。身のこなしも鋭い目つきも闘う者のそれだ。
護衛を生業にしているという話にカイルは大納得する。


集落の中心まで進む道中で、女性や子どもの姿もそれなりに見かけた。

マリオンの姿を見てぱっと顔を明るくするが、カイルを見て口元に力を入れる。
家々の立つ場所も複雑に入り組んで見えるし、人々も他所者には充分に警戒しているように見受けられた。

最初は木立の間にひっそりと、だったろうが、大きな集落になったのも頷ける。

「中には入ったけど、このまま裏に通り抜ける」
「どうした?」
「ここの長がこの外にいるみたいだ」
「さっき言ってた、焼き場ってやつか」
「うん」
「何を焼いてるんだ?」
「討伐した魔獣」
「………………そうか……マリオンその喋り方」
「うるさい」
「分かった」

きれいに並んだ家々が大通りを挟んでいるのではなく、細い通路を挟んで不規則に建っている。
これも外部からの侵入の足止めにと考えて建てられていた。

複雑に道を折れて、カイルがとうとう方角を見失った辺りで、やっと雪の壁が見えてきた。

こちら側にも屈強な男が門番として立ち上がる。

「お嬢、早いな」
「まぁな……ジャレッドは?」
「外だ。さっき大歌が聞こえてきてたぞ」
「酔っ払いめ……」

男はちらりとカイルを見遣って、大きな門を人が通れるほど押し開ける。

ふたりが出るとゆっくりと門は閉まった。

「……こっち側は閉じるんだな」
「森の奥側だから」
「……なるほど、魔獣対策」
「侵入者も来る」
「隣国からの?」
「そう……この先、少し離れたところに小屋がある」
「魔獣の焼き場?」
「うん」

馬車が一台通れる程の道は、真っ直ぐに森を通っていた。
緩く上下していくうちに、木々の切れ間から丸太小屋の端が見えてくる。

「まだ燃やしてるから、あまり煙を吸わないように」
「分かった……」

首元の布を持ち上げて鼻まで覆うと、マリオンはそれを確認して頷いた。

「マリオンは?」
「魔障除けしてある」
「その焼き場に居るっていう……」
「みんな……集落の人間全員だ」
「簡単な術が?」
「帰ったら教える。自分でやってみたらいい」
「……できたら先に教えてもらいたかったぞ」
「簡単にやってのけられるのか?」
「…………帰ってからお願いします」

ふふと笑うとマリオンは先に立って足を早めた。

円形の広場の中央は地面が少し窪んで、隙間なく石が敷き詰められていた。
そこでは轟々と炎が立ち上がっている。

その横の小屋は中央に面した側の壁がなく、舞台のように少し高い位置に床があった。

車座になった男たち数人の内の、マリオンを見つけたひとりが勢いよく立ち上がる。

「お嬢様! おはようございます!!」
「うん、おはよう」

駆け寄ってきたのは青年、というよりはまだ少年に近い年頃に見える。
もじもじと上目遣いでカイルを見上げていた。

マリオンは青年をマーレイ家の使用人だと紹介する。

「コリンだ」
「…………君が」
「あ……の、こちらの方は?」
「ジャレッドと一緒に聞け、面倒だから」
「はい……いま寝てますよ?」
「歌ってたんじゃないのか……起こせ」

マリオンが来たと他の男衆が、ごろりと転がっていた男に声をかけたり、足で押したりして名を呼んでいる。

ひと声吠えるようにして起き上がった男こそ、この集落の長、ジャレッドだ。

「んぁ…………お嬢……どしたぁ」
「しっかりしろ」
「んん……もうちょっと寝ていい?」
「酔い覚ましかけてやろうか」
「んん…………うわ! やめて! あれ後がしんどい……起きる……ちょっと待ってろ!!」

ジャレッドはよたよたと舞台を下りると、近くにある雪の柔らかい場所に突っ込んでいった。

しばらくその中でもそもそすると、幾分かすっきりした表情で戻ってくる。

「お待たせお待たせ……え? 昼?」
「まだだ」
「どうした、早いな……てか、このお方は?」
「そのこのお方をお前に紹介しに来たんだ」
「ふーん……で、誰?」
「マーレイ家の客人だ……カイル」
「ほぉ……商売人には見えないな」
「マリオンの恋人だ」

ぺしっと音がするほどの勢いで、マリオンは額に手を持っていった。
余計なことを言うなと口止めしなかったことを後悔する。

睨み付けるとカイルはご機嫌そうに顔を綻ばせた。

わさわさと男衆がささめき合う中、コリンはひとりぎゅうと縮こまって目を固く閉じていた。

ジャレッドがその様子を見てへらりと力無く笑う。

「…………へぇ……お嬢のねぇ」
「よろしく頼む」
「んま、ここに連れて来たってことは諸々知ってるってことで良いんだな?」
「そうだ」
「俺はジャレッド……ここの長だ、こちらこそよろしく」

カイルから差し出した手をジャレッドが固く握る。空いた方の手でカイルの腕をばしばしと叩いて、そのまま肩や腰も力強く叩く。
手を離すと一歩離れてカイルの頭の先から足元までをじっくりと観察した。

「…………しかし、お嬢。思ったのと違うぞ」
「何がだ」
「こんな武人丸出しの男が好みだったのか?」
「……勝手に言い張ってるだけだ」
「そうなのか?」
「そうでもないだろ?」

マリオンの腰を抱いて引き寄せると、頭に口付けを落とす。

うわぁんと声を上げながらコリンが建物の裏手に走っていった。

あらあらとおっさん達がそれを見送る。

「……こりゃ違いないな」
「そうだろう?」
「……そんな話をしに来たんじゃないぞ」
「お……じゃ、さっそく本題だ」
「しばらくカイルをここに通わせる」
「ほんほん……で?」
「ここで使えるか試せ」
「そうなのか?」
「屋敷にただ居るだけなら出ていけ」
「確かにな……世話になる分は働いて返させてもらおう」
「あらぁ……厳しいこと……ま、でもお嬢の連れ合いってんなら、そう扱われて当然か」
「……誰が何だ?」
「うわ怖…………キツい嫁さんの方が良いの? 後々辛くなるよ?」
「心配ない……キツいのは表向きだけだ」
「口を閉じてろ」
「あらヤダ……おっさんときめいちゃった」

若いって良いねとジャレッドは笑って、カイルがしばらく集落に通うことを、軽々と承諾した。

細かなことは日を改めることにして、カイルはその場に居合わせた人々と短く挨拶を交わす。



詳しい案内も追い追いにとマリオンとカイルは屋敷に戻った。

コリンも一緒だったが、彼はとぼとぼ歩いてすぐに厩舎へ馬たちの世話をしに行ってしまった。

「マリオン」
「うん?」
「今度は屋敷の案内をしてくれ」
「……めんどう……休憩」
「昼まででいいから」
「もう疲れた」
「マリオンの今の喋り方……近しい人にだけなんだろう?」
「どうかな」
「……好きになってきた」
「ほんと余計なことしか言わないな」
「大事なことしか言ってないぞ?」

疲れたなら抱き上げようと、カイルは両腕を広げる。

マリオンはむっすりとしてその前を通り過ぎて行った。


屋敷の中ではジュリエットの書斎に長く居ることになる。
集落で必要になる術を身に付けるために、日が暮れて夜になるまで色々とマリオンから教わった。



カイルは魔力切れ寸前まで力を使って、再びマリオンの寝台に倒れ込んだところで意識が途絶える。



この夜もマリオンはジュリエットの書斎の床で丸まって眠った。