存分にマリオンを抱きしめて感触を堪能してから、話の続きを聞こうとカイルは腕を緩めた。
いくつも疑問はあるが、一番に気になっていたことから聞くことに決める。
体を少し離してマリオンの顔を覗き込んだ。
「マーレイ家とは血の繋がりが無いと言ったな」
「そうですよ、私は孤児です」
マリオンはまったく惜し気がないふうに、あっさりとカイルから離れていく。
逆にカイルの方が離れたくないと、マリオンの腕をするりと撫でるが、それも気にしないふうに、元の椅子に戻っていった。
「私のこの目と髪ですよ、利用価値はかなりのものです」
「自分のことをそんなふうに言うな」
「本当のことです。おかげで私は大切にされました」
これでも色々と感謝してるんですとマリオンは、ひとつ息を吐いて困った顔で笑う。
小さな商隊が森の中でまだ赤ん坊だったマリオンを見つけて保護をした。
その警護をしていた『森の住人』たちが引き取り、かわいそうなその赤ん坊の面倒を見た。
しばらく森の集落で世話になり、マリオンはやがてこの屋敷で暮らすことになる。
赤ん坊のうちは森に居たが、まともに立って歩けるようになってからは、アーノルドとビリーに育てられた。
ビリーから読み書きはもちろん、令嬢の立ち居振る舞いを仕込まれ、アーノルドからはジュリエットと領地のことを教えられた。
そして連れて行かれたのがジュリエットの書斎だ。
「森の集落では限界がありました。師が必要だったんです。私の魔力が膨大過ぎて」
「師匠……」
「と言ってもどこかから誰かを招くのは憚られるので、私はもっぱらジュリエットの蔵書と、彼女の残した記録を読んで、独学でなんとかするしかなかった」
「簡単そうに言う……」
「それで特に困ったことは無かったですよ。優秀なので」
「そう……だな……じゃなきゃこんな事にはなってない」
「そういうことです。ジュリエットもなかなかの魔術師だった」
「そうなのか」
「学院での勉強も新鮮で良かった。知らないことも多かったし……でも私の師は彼女ですよ、会ったこと無いけど」
「そのうちにジュリエットの日記を見つけた?」
「はい、隠されていたのを偶然にも」
「……で指輪を取り戻そうと? 師の無念を晴らす為に?」
「無念?……どうでしょう、ジュリエットがどう考えていたのかは、私には解りません」
「指輪を取り戻したがっていたのでは?」
「いいえ……そういった内容は日記にはありませんでしたよ。恨みごとも、後悔も、後ろ向きなことはひとつも無かった……ただ淡々とあったことが書かれていただけです」
叙情的な人ではなかったのだろうと、マリオンもまた淡々と語る。
そういうところが魔術師らしい、とカイルは事あるごとの、リックの言葉を思い出す。
基本は他人に関心が無い、大きな感情の変化も無い、あるのかも知れないが表に出さないよう、心を平静に保とうとする。
それは騎士職である者よりはるかに切り替えが早い。
「じゃあ、マリオンが自分の判断で義理を立てようと?」
「いいえ……そんなこと私が考えると思います?」
「…………でも優しさを持ってるのは知ってるぞ? 人並みに」
「気を遣ってもらってどうも…………ヒマだったんですよ」
「ヒマ?」
「あぁ……やることはいっぱいあって忙しかったんですけどね。なんていうんですか、頭が、ヒマ?」
「忙しくしたかった?」
「張り合いっていうんですか? 緊張感?」
「緊張感……か」
「マーレイ領に跡継ぎ有りと大々的に知らせる必要がありました。しかも何の心配も要らない程の優秀な人物が居ると」
「…………それがさっき言っていた、指輪以外の目的か」
「お察しの通りです。『王の庭』に行き、跡継ぎがいることを周知させれば良かったんです。私の役目はそれだけ」
「…………それじゃあ物足りなかったのか」
「うーん……余計なことをしなくて済むでしょう、目的が明確だと。張り合いがないとやる気も出ないし」
「まぁ言いたいことは分かるけどな」
ただ漫然と『王の庭』にいるだけでは、目立つのは難しい。
マリオンにとって得しかないのなら、やる気が出る方法を採用するのは当然だ。
ただその内容がなとカイルは苦笑いを隠さない。
対外的にマーレイ領にはマリオンという跡継ぎがいること、その人物はとても優秀な魔術師であること。
確かに狙い通り、王城の中央にまで知らしめることができた。
「……無断で城を出てちゃ意味がないだろう」
「ふふ……それも意思表示ですよ」
「どういうことだ?」
「簡単に思い通りになるもんですかっていう」
「そうなるか?」
「カイルがここに来た通り、私が故郷にいるってことは誰もが考え付きます」
「……まぁな」
「誰も私を連れ戻しに来ない」
「面倒だからな、お前」
「ほら! 良く解ってるじゃないですか」
これまで通り、マーレイ家の人間は中央ではなく辺境の地に留め置くことが一番だと判断された。
中央で高官たちに己の存在を示し、実力を知らしめ、思い通りに統制を取るのも難しいのだと、はっきりと認識させた。
「充分以上の働きっぷりですよ」
「確かに……これからマリオンは領地経営を?」
「え? なんでですか、しませんよそんなこと」
「は?!」
「私がここに来るまでと、『王の庭』にいる間と、誰が領地経営してたと思います?」
「アーノルドか……」
「当たり! 私は別に領主にも経営にも興味無いです」
平然としているマリオンに、薄らと頭痛を覚えて、カイルは自分の額に手をやった。
「どうやって維持してきたんだ……」
「知りたいならアーノルドに直接聞いたらどうですか?」
夕食の時間に食堂に行き、経緯を聞いたとアーノルドに告げる。
食堂には家令であるアーノルド、使用人である妻のビリー、マリオンとカイルの四人が同じ卓に着いていた。
静かに食事を済ませて、最初に切り出したのはカイルだった。
「……先に言っておくが、もちろんこの事を誰かに話す気はない……ただここまで知った以上、もう無関係とはいかない。把握せずに双方が困るのも避けたいから話を聞かせてもらいたい」
「……こちらもその方がありがたいな」
領地は広いが、そのほとんどが森林であるマーレイ領の税収は少ない。
そして話を聞く限りでは、領民に対する貢納も他の地に比べると軽い。
そのことを聞けば、アーノルドは薄く笑って、泰然たる態度で答えた。
「他に収益がある」
「……というと?」
「隣国を相手に商売をしている」
「…………なるほど……それは?」
「あちらは希少な鉱物がよく採れる……その代わりに使い方を分かっていない」
まわりくどい言い方が誰かに似ているなと思って、横にいるマリオンを見る。
「勿体ぶる話し方は彼譲りだな」
「でしょう? 私もそう思います」
「その使い方とは?」
「魔術の増幅に……こちらで加工してあちらで売る」
「向こうはそれほど術者が多くないんですよ。だから生活に必要なものほどよく売れます」
「灯りとか熱源とか?」
「ですね……水を得たりそれを清浄に保ったりなんてのも売れ筋です」
こちらでは当たり前に流通しており、庶民でも簡単に手に入るものが不足している。
術者が少ないので、そもそも魔術で生活を楽にするまでの余裕もなければ、技術も発展していない。
「こちらで加工とは?」
「鉱物に術を籠める……刻む、という言い方をするな」
「ですね……こっちでは基礎的な技術です」
「誰がそんなことを」
「言ったでしょう? この地は魔力量の多い人が産まれやすいって。そこに目を付けてジュリエットが始めた商売です」
「子どもすら小遣い稼ぎに作っている」
「……そんなことが」
「基礎的な術ですし……ジュリエットも知識を出し惜しんだりしなかったんです」
いつかマリオンが言っていた『あるものは使えば良い』『そのための術者』の言葉がどこから来たのかが理解できた。
「それでも長年続ければいつか行き渡る日が来るのでは?」
「そうなればもう少し高度なものを用意する……まだその心配はないが」
「隣国はそんな状態なのか」
「行き渡るまでにはまだ年月がかかる……こちらでも調整しているしな」
別の国から調達するよりは割安で早く手に入るから需要は高い。
完全に相手の足元を見た、難しい駆け引きの要らない商売だ。
あちらもマーレイ領に攻め入って落しにかかるより、利用価値を取った。
こちらからの供給が止まると、一度楽を知ってしまった者たちにとって、たちまちとはいかないが困窮は目に見えている。
「その収益で兵士を養っているのか?」
「ですね……彼らは彼らで職もありますし」
「森では常に魔獣の出没がある……商隊の警護もあれば、戦えない者は術を刻んで売っている」
「そういうことか」
「聞いたは良いけどどうするつもりですか?」
「…………どうするも、誰かに話すつもりは無いと最初に言ったぞ」
「リックにも?」
「あいつには特に言えないな」
「黙ってられます?」
「言えるか、こんなこと」
「で? 考えを聞かせてもらいたいんだが」
「考え?」
「まさかこのまま何もなく王城に帰れるとでも?」
「…………うーん。脅されているのか? これは」
「どうですかね?」
「秘密を知ったからには」
「はぁ……」
「見るからに腕が立ちそうだが」
「まぁ、それなりに」
「森に住んで魔獣を相手にするか、経営に携わるかでもしてもらおうか」
「マリオンがもらえるなら」
「やろう……決まりだな」
「人を犬や猫のように扱わないで下さいよ」
「マリオンが城に帰る気が無いなら、俺も帰らないぞ?」
「これのどこがそんなに良いんだ?」
「ほんとに」
「まぁ何しろ良くやった。絆して丸め込んだのは褒めてやる」
軽く肩を竦めるとマリオンは話は終わりとばかりに席を立った。
後を追おうとカイルも立ち上がる。
「客間を使って下さいよ」
「用意してないわよ?」
「なんで!」
「てっきり要らないと」
「……さてはわざとだな?!」
「もちろん」
食べ終わった食器を片付けながら、ビリーがしれっと答えている。
「純潔を奪われる!」
「おい、俺を何だと思ってるんだ」
「客間を用意しますから待って下さいよ」
「必要ないぞ?」
「廊下で寝るなんて……風邪ひきますよ?」
「なんの鍛錬だよ」
「あ、雪中野営か! なかなか出来ません。さすがカイルです」
「もういいから行くぞ」
食事の分だけ少し重くなった気がするマリオンを子どものように抱き上げて、カイルは食堂を出る。
大人しく部屋に連れ帰られるマリオンを見上げた。
目を合わせたくないのか、マリオンは真っ暗になった窓の外を目で追っている。
風で叩きつけられた雪がつるりと窓の表面を滑っては姿を消していた。
部屋に戻ると寝台に座らされ、カイルはすぐその隣に腰掛けた。
「もうひとつ聞きたいことがある。気になって」
「なんですか?」
「…………今年ももうすぐ終わりだな」
「それが?」
「今年で十九と言ったな」
「言いましたね」
「十二の時に『王の庭』に入ったってことだな?」
「正確には十一の年ですよ……年齢を偽ったくらいなんですか。些細なもんですよ」
「…………そうだな」
マリオンの後ろに手を突くと、顔を寄せて頬に口付けた。
続けて唇にも。
「押し倒す気ですか?」
「いや……もっとこう……自然な流れで」
ふと笑い声を漏らすとマリオンは横を向いて、カイルの頬に手を置く。
「カイル……」
「なんだ?」
頬にある手をカイルの目の前に持っていき、人差し指を立てた。
額の中央をとんと突くと、カイルから舌打ちと悪態が漏れる。
そのままどさりと後ろに倒れていった。
「調子に乗り過ぎなんですよ」
大きな身体をぐいぐいと押して寝台に上げると、靴を脱がせて床に投げた。
掛け布を引っ張ってもカイルの下から引き出せなかったので、両脇からぎゅうぎゅうに巻き付けておく。
マリオンが繰ったのは軽い誘眠の術だが、カイルは長旅の疲れも相まって、朝までは身動ぎもせずに眠るはずだ。
ふうとひと仕事終えたため息を吐き出して、マリオンは自分の部屋を出る。
ジュリエットの書斎に入り、ポケットに入れたままだった指輪を取り出して机の上にそっと置いた。
「張り合い?…………よく言う……」
マリオンは狭い書斎の真ん中に行き、床の上で小さく丸まって目を閉じた。
*注意*
イラストあります。
現代パロディ。