「王妃殿下の指輪が目的だと言ったな」
「……そうです」
「そのために『王の庭』へ行ったのか?」
「そうですよ」

もう一度見せて欲しいと頼むと、マリオンは一度部屋を出ていく。別の場所から指輪を持ってきて、どうということなくカイルに指輪を渡す。


以前に見た時と持った印象は変わりない。

今の流行とは言えない意匠。
大きく丸い宝石が金の台座に収まっているが、王妃が持つ宝石と考えれば、特別高価な品だとは思えない。
王妃がもっと派手で煌びやかな宝石を身に付けているのを、カイルは遠目ながら実際に見たこともある。

「古いものに見えるな」
「……古いものですよ」
「なぜこの指輪なんだ。もっと高価な宝石ではなく……悪いがそれほど高価には見えない」
「先々代の王が作らせた指輪なんで、古くて当然です。代々の王妃が受け継いでますね。作られた当時はそれなりに高価だったんじゃないですか? 知りませんけど」
「高価な宝石が欲しかったんじゃないんだな?」
「そうですね」
「……マリオンはどこに価値を置いているんだ?」
「……先々代の王が作らせた、の辺りにですかね?」
「……まどろっこしい話し方しないでくれ」
「カイルの聞き方が遠回しなんですよ」

カイルは掌の上で転がしていた指輪を、マリオンに手渡す。

「…………その指輪はどういったものなんだ」
「先々代の王が、ある人に贈った指輪です」
「ある人?……当時の王妃ではなく?」
「そうです」
「誰に贈ったんだ?」
「恋人ですよ」
「それは?」
「ジュリエット・リー・マーレイ……ここの元領主です」

当時は王ではなく、まだ王太子だった。
ふたりはお互いに学生として『王の庭』で出会ったのだとマリオンは話し始めた。

王太子が『王の庭』に入ると、その前後数年間は生徒たちが選ばれる基準が変わる。
優秀な騎士や魔術師、文官を募るのではなく、各地から集められるのは『王太子妃候補』だ。

当時は王都で流行病があったため、高位の女性は特に少なかったらしい。
ある程度の地位があって年齢が釣り合う女性ならば、マーレイのような辺境からだろうと招集された。

当時の王太子はそこでジュリエットを見染めたのだ。
ふたりは恋に落ち、婚姻を誓う間柄になった。

「……でも王妃になったのは別の女性だな」
「ですね……ジュリエットは『王の庭』を卒業した後、ここに戻って領主の座を継ぎました」
「なぜ?」
「候補の内には、ジュリエットより高位の女性もいたんですけど」
「……押し除けられた?」
「そういうことです」
「なぜマリオンがそのことを?」
「日記が残っていました」
「日記?」
「ジュリエットの日記です……私が子どもの時、たまたま見付けたんですよ」
「そこに指輪のことが?」
「はい……大事にしていたのに、強引に奪われたと書いてありました」

毎日のように嫌がらせを受け、陰口を叩かれて、それでも負けずに頑張っていた。
王太子から贈られた指輪と、愛の言葉を心の支えにして。

しかし高位の貴族たちは、辺境のマーレイ家が中央に進出してくることを疎ましく考えていた。
隣国への守りが薄くなることが危惧されたのも要因の一つだ。

周囲の大人たちと、その娘たちに、王太子とジュリエットはとうとう抗えなくなり、国のために諦めるしかなくなった。

「マーレイ家は元々……というより、この地はどういう訳か魔力量の多い人が産まれやすいんですよね」
「守護として置いておきたかったんだな」
「……まあ、国としては当然の考えですよね」
「しかし……毎日のように嫌がらせ……どこかで聞いた話だな」
「とても他人事とは思えないですね」
「中央進出を拒む、か……」
「私も選に漏れず、ですよ」

マーレイ家を生かさず殺さずこの地に留め置くことは、現在も中央では不文律として伝わっている。

古くから続く由緒ある家は特にその不文律を守ろうとしていた。
リックの実家のように。

知ってか知らずか、リックもマーレイ領、その向こうにある隣国を気にかけていたのをカイルは思い出した。

「それでここに戻って来たのか?」
「……負け帰ったみたいに言われるのは心外なんですけど……私の目的は最初から指輪ですってば」
「そうだったな……ん? 本当にそれだけの為に『王の庭』に入ったのか?」
「そうですよ……まぁ、もうひとつ理由はありますけど」
「もうひとつ?」
「それはまぁ……そのうち話に出てきますから」
「……そもそも魔術師はどうやって選ばれるんだ? 騎士や文官は家系や後ろ盾があるから分かりやすいが……」
「基本は魔力量の多さですよ……自薦で申請して、どれだけ国に有要かを売り込みます」
「……大変だな」
「大変さなんか比べようがないですけどね。ビクターは田舎のくそ坊主だったから私より苦労したと思いますよ」
「あ……そのくそ坊主で思い出した」
「なんですか?」
「貸してた本を返せって言われて、俺が返しといたぞ?」
「あ、忘れてました。ありがとうございます」
「あと別に何冊か欲しがったから渡した……良かったか?」
「良いですよ、あそこに置いてあるのは要らないものなんで」
「……おい、待て!!」
「はい?」
「いや…………俺の贈ったものもあったけどな?」
「あ、あれ……。強いものだったんで」
「強いもの?」
「思い入れが強かったんで……カイルの」
「は?! 当たり前だろ!!」
「持ってたら私が引きずられますから」
「引きずられろよ」
「嫌ですよ、面倒くさい」
「めんど……こ……の……やっぱりくその方か!」
「ジュリエットと同じことしたくないんですよ、私みたいに考える人がこの先に現れたらどうするんですか……その哀れな人はしょうもないことに時間と労力を費やすんですよ?」
「自分がしたことだろ……哀れとかしょうもないとか言うな」
「自分で言うから良いんです……本当のことです。他人が言ったら千々に引き裂いてやりますよ」
「……だったら余計、あそこに置いて来るべきじゃないだろ……誰かがマリオンに興味を持ったらどうするつもりなんだ……別のしょうもないことが始まるぞ」
「でもここにも置けません……そこら辺に捨てるのは流石に気が引けた結果です」
「まあ持って来たけど」
「はぁ?!」
「荷物の中に入ってるぞ?」
「なんてことしてくれるんですか!!」
「そりゃこっちの言うことだぞ!!」

マリオンは勢いよく立ち上がると部屋の中をぐるぐる歩き回って、自分の怠惰さに自分で文句を言っている。
遠くに飛ばして海に沈めれば、地中深くに埋めていれば、と子どものように怒った。

カイルは部屋の真ん中で、ぐるぐる歩き回っているマリオンをにこにことしながら眺める。

ふわふわとなびく髪や、爪を噛んでいる口元につい目がいってしまう。
やっぱり綺麗だと思うことは止められないし、マリオンを諦めるなんて無理だと心の奥底から溢れてくる。

「……マリオン」
「なんですか?……あ! 今からでも遅くないんだ、下さい、あれらを!!」
「……話は終わってない、まだだ」

手を取るとダンスのように軽やかにマリオンを誘導して、背もたれのある椅子の方に座らせ、今度はカイルの方が小さな椅子に腰かけた。

「……それで?」
「はい?」
「『王の庭』に入ったのは王城に行くためなんだな?」
「ここからなら『王の庭』経由が最短です」
「そうだな……戦に出たのも?」
「時間を大幅に短縮できました」
「うん……宮廷魔術師になって……どうしてそこで俺の出番になるんだ」
「カイルが知らないだけで、他にも色々やってたんですよ。王妃殿下に近付くために……女性が食いつきそうな美容だの、衣装だの、貴金属だの……でも一番反応があったのがカイルとの噂でした」
「はは……なるほど……色々やった末か」
「苦渋の選択ですよ」
「苦渋……か。どんな方法で譲り受けるまで話を持っていったんだ?」
「悲しい恋の話です」
「ジュリエットの話を?」
「はい、そのまま。彼女の日記も見せました……若い王妃で良かった。元々、外の国から嫁がれた方でしたし、受け継がれて日が浅かったのも幸いでしたね」

新しい王妃にとって、特に深い思い入れもない、古い意匠の古い指輪だとしか思っていない様子だった。
王妃に代々受け継がれる、という話で指輪だけを渡されて、事実は語られなかったらしい。

ジュリエットを気の毒がり、先々代の王妃の矜恃が今もって続いているのが気味が悪いとまで言って、マリオンが話をすると割に呆気なく指輪を渡してくれた。

「……やっとこの時が! みたいな感動は後から少しずつきましたね……それくらいあっさりしたもんでしたよ」
「…………そうか」
「気は済みましたか?」
「うーん…………すっきり、とはいかないな」
「まだ何か疑問が?」
「疑問というより……俺の心の持って行き場というか……これをどう受け止めればいいのかってところがな……」
「うーん……それは難しいですね。あ! なら記憶改竄しましょうか!ちょっと精神病みますけど」
「これは名案だ! のノリで恐ろしいこと言うなよ」
「大丈夫です! カイルくらい心身共に強かったら、乗り越えられますよ!!」
「話を進めるな」
「ちょっと昔の記憶が薄ぼんやりして、無理に思い出そうとするとしんどくなるだけですから!」
「嬉々とするな」
「えへへ!」
「かわいく笑ってごまかすな」

腹が立って仕様がないはずなのに、久しぶりに見たマリオンの笑顔に、思わずカイルも力が抜けて笑ってしまう。

するっと近付いて、避ける隙を与える間もなく口付けた。

すぐに離れて椅子に戻る。

マリオンは眉をしかめてもうすでに怒った顔をしていた。

「…………俺は自分のこの想いも、記憶も無くす気はないぞ」
「私だって推奨してるわけじゃないですよ、これでも一応は人の心も持ってますからね……ちょっとは」
「……安心した」
「かわいい冗談じゃないですか」
「かわいくないし、マリオンが言うと冗談じゃ済まないだろ」
「酷い言い草ですね。私のことなんだと思ってるんですか」
「俺の恋人だ」
「ニセのですよ」
「今はな」
「しかも終わりましたよ」
「ふざけるな、勝手に終わらせてんじゃねぇぞ」
「カイルはこのまま王城に戻ることをお勧めします」
「やなこった」
「リックにお嫁さんを誂えてもらうとか、リディアに友達を紹介してもらうとかして下さいよ」
「お断りだ」
「頑なですね」
「お互い様だろ」
「私の何がそんなに良いんですか」
「……知りたいか?」
「…………いいです、知りたくありません」
「聞いたのはマリオンだぞ?」
「良い予感が全くしません……ちょっ……近寄らないで下さい!」


逃げられては追いようが無いので、マリオンを壁際まで追い込んで、両方の手を片手で捕まえる。

「……こっからどうするかな」
「離したらどうですか?」
「逃げるだろ」
「逃げますねぇ」
「……うーん」

持ち上げて壁に押さえ付ける。

「とりあえず口付けでもしとくか?」
「さっきしたでしょ」
「あれで足りると思ってるのか」
「知りませんよ、そんなこと」
「足りん!」
「ああ、そうですか」




マリオンの憎まれ口も、不貞腐れた顔も、可愛いしかない。



カイルは足りるまで離れないことにした。