「ほれ! どうよ、お嬢!!」
「はいはい、すごいすごい」
熊の姿に似た魔獣は、死してなお、後ろ脚を激しく痙攣させていた。
首に突き立った長剣を抜くと、布切れを取り出して丁寧に拭い、鞘に仕舞う。
布切れはぽいと魔獣の上に投げられた。
マリオンに得意げな顔を向けていた男は、にっと笑って腰に手を置く。
森で魔獣が数体現れたと知らせがあって、屋敷を出てきたが、手を出さずに見ていろと止められた。
自信たっぷりな様子だったが、確かに危なげなく魔獣を叩き伏せていた。
マーレイ領の私設の兵士たちは、マリオン不在の七年の間も、変わらず領内を守っていた。
そこにある面々の顔ぶれは少し変わっていたが、懐かしい人もたくさん残っていた。
彼等は数世代に渡って長く森の中に住み、いつの頃からか小さな集落を形成するに至っている。
湧いてくる魔獣を相手にし、森を通る人や荷車の護衛を主な仕事としていた。
「白くなるまで燃やせ」
「わ〜かってるよぅ」
「燃やした灰は……」
「埋めるんだろ、穴も掘ってあるってば……お嬢が居ない間も上手くやってきたんだぞ。今さらヘタこくかよ」
「そうだな……悪かった」
大きな岩の上でしゃがみ込んで見物していたマリオンは、立ち上がってそこを飛び降りる。
館の方に体を向けると、別の者から声がかかった。
「お嬢様、帰るなら俺も一緒に」
「……構うな、お前はそっちを片付けてからゆっくり帰ってこい」
分かりやすくしゅんと項垂れた様は、もう青年にさしかかろうとしているのにいたいけに見える。
年嵩の男に笑われながらばしばしと背中を叩かれた。
「全く、お嬢の素っ気なさったらないな」
「屋根は俺が帰って修理しますからね!」
「お前を待ってたら日が暮れる。ビリーに叱られたくない。私がやる」
「危ないです!」
「誰に言ってるんだ」
別れる前は幼い少年だったのに、一人前のことを言うようになった小間使いに、マリオンは小さく笑う。
木々の向こうから口笛が聞こえて、男はそっちを見やった。
合図の音色で、にやりとする。
同じように口笛を返した。
「あっちも終わったみたいだな、よし! まとめて燃やすか……おい、こいつ運ぶぞ」
「うん……お嬢様、お気を付けて」
「だから誰に言ってるんだ」
「…………お前もうアレだ……そのぉ……うんと酒飲ませてやる! な?!」
「そうしろ。ビリーには明日に帰ると言っておいてやる。たまにはゆっくりしろ」
その場で転移門を開くと、マリオンはあっさりと姿を消す。
男は青年の肩に優しく腕を乗せて、そっと抱き寄せた。
「……優しさが傷口に染みるな、コリンちゃんよ」
「……うるせ」
「帰ってからこっち、お嬢に纏わりつき過ぎたんじゃねーの?」
「……そんなこと」
「ちびっ子なら可愛いものの……なぁ?」
「……鬱陶しかったのかな」
「さぁねぇ……でも前からあんなもんだったぞ?」
「前は纏わりついても優しかった……」
「あの頃はちびっ子だったからな、お前」
少しばかり追い越してしまった自分の背丈を恨めしく思って、コリンはごんごんと自分の頭を拳で叩いた。
好意が丸わかりな青年の背を、男はぐいと押す。
「んよし! 運んで火の番、それから酒だ!」
油が染み込んだ大きな布を広げて、魔獣を転がして乗せ、周囲の血が染み込んだ雪もかき集める。ふたりは雪の上を布を引いて仲間の元へと向かった。
マリオンは屋根の補修材を取りに屋敷裏手の物置にまず寄った。
持てるだけの道具を持って、勝手口から屋敷の厨房に入ると、家令のアーノルドが作業台の前で背の高い椅子に浅く腰掛けていた。
「珍しくひとりでお茶か?」
「別に珍しくないだろう……珍しいのは客人の方だ」
「うん? 客人?」
「友人……か? カイルと名乗っているぞ」
「………………は?」
「隻眼の」
道具を全部その場に落とすようにして、マリオンは回れ右をした。
勝手口まで走った所で、それを留める落ち着いた声がかかる。
「おい待て、どこに行く」
「知らん、どこか……出かける」
「それでどうする」
「しばらく帰らない」
「だからそれでどうなるって言うんだ……長引くだけだから話をしてこい」
「いやだ!」
「子どもか」
「だって!」
「だって何だ?」
マリオンは勝手口に縋るようにして、取手をぎゅうと両手で握り込む。
「だって……カイルは……なんだかんだ押しが強いんだ……負ける……」
「何の勝負だ」
「全部しゃべってしまう!」
「ここまで来られたんだ……遅かれ早かれ知られるんだぞ……というか、はは! お前が口を割られるのか?」
「……アーノルドはそれで良いのか」
「周りにべらべらと罪を論うような人物には見えなかったがな……違うか?」
「ぅぅぅ……そうだけど」
「取り込んでしまえ」
ぐるりと振り向いて、アーノルドがいる作業台に行き、ばんと両手を突いた。
どうと言うことない顔をして、優雅にお茶を飲む顔を睨みつける。
「情に訴えるか」
「……何言ってるんだ」
「体でも使ったらどうだ?」
「おい、馬鹿か?」
「馬鹿はずっと前からやってる、今さらだ。……玄関脇の客間に居る、ほら行け」
「やだ!」
「しのごのうるさい……捻るぞ」
「ぅぅ……アーノルドの馬鹿!」
「他に言うことは?」
「……ぅぅぅぅ……」
視線で客間の方向を示されて、マリオンはアーノルドに恨めしげな目を向ける。
形勢がひっくり返ることは無い空気に敗北して、マリオンはしおしおと萎えた。
しょんぼりと出入り口に向かう。
厨房を出る前に、ぐるぐる巻きにしていた肩掛けをふわりと掛け直し、ゆるくまとめていた髪も下ろして、手櫛で整えた。
両手で頬をばちばち叩いて気合いを入れると、腹の底からよしと声を出す。
「……ここのことがバレてもいいんだな?」
「お前が取り込むんだろ?」
「さぁな、でも王城の人間だぞ」
「今はな」
「甘く考えるな、あんなだけど中央にかなり近いんだぞ」
「若いのに……優秀なんだな」
「真面目な話をしてるんだ」
「……なるようになる。今までだってそうしてきた……これからもそうだ」
「…………分かった」
もう一度よしと気合いを入れて、マリオンは客間に向かった。
「何しに来たんですか?」
「……マリオン!」
「何しに来たのかと聞いています」
「お……れは、ただ……その」
久しぶりに見たマリオンは、これまでと違い、柔らかそうな雰囲気に見えた。
表情と言葉はまるっきり正反対なのだが。
黒のローブではなく、温かそうな厚手の肩掛けを羽織っていた。
ゆったりとくつろいだような服装に、学院や王城ではなく、ここがマリオンの落ち着ける場所なんだと改めて感じる。
上手く言葉が出てこず、カイルは立ち上がり、ふらふらとマリオンに歩み寄った。
「……何ですか」
「……マリオン」
「なになになになに……怖い! 怖いんですよ!」
「…………やっと会えた」
壁際まで追い込まれて、退路がなくなったところで、マリオンはカイルにぎゅうと抱きしめられる。
もごもご暴れても腕は一向に緩む気配がない。
「はなして…………離せ!」
「あ、すまない、つい……」
「つい、で圧死なんてしたくないです!」
「…………マリオン」
「なんですか、もう」
今度はゆるく抱きしめ、肩口に顔を埋めると、カイルは大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出した。
「マリオンだ……」
「…………え? 今、匂いで確認しました?」
「ん……いや、抱き心地でも」
「気色悪い! 離して!!」
「断る! もう離さないからな!」
「…………笑ってないで助けろ、ビリー!」
部屋の反対側でビリーは口元を手で覆って、声を漏らさないようにしながらも、肩を震わせていた。
「確かにこれは『仲良しさん』だわ……ごゆっくりどうぞ」
「違うぞ、違うからな!」
「夕食はいつもの時間、今日は食堂にしましょう」
「…………待て、なんだ、置いていく気か」
「薪がもったいないから、ここじゃなくて部屋に行きなさい」
「やだ!」
「二階の左側、二番目の扉です」
「ビリー!!」
意を得たりとカイルはマリオンを子どものように抱き上げる。先回りしてビリーが大きく開けた扉を出ていった。
じたばたと暴れても、どうということはない風情でカイルは涼しい顔をしている。
苛立ちまぎれで腹を蹴っても、にやりと口の端を持ち上げただけだった。
そのまま吹き抜けのある玄関広間を通り、目の前にある階段を上がって、カイルは言われた通りに左に折れてふたつめの扉の前に立った。
「俺は開けられるのか?」
「下せ」
「取手を持って回しても大丈夫か?」
「うるさい、下せ」
部屋は狭くは無いが、驚くほど広くも無かった。
窓辺の机と椅子、作業台、寝台と、王城の部屋にあったものと、あるものに変わりはないが、どれも調度として立派で、重厚感と丸みがあった。
違うのは鏡台で、その唯一だけで、ここが女性の部屋なんだと実感が湧く。
窓辺のカーテンも、寝台の覆いも、色調はおとなしいながらも小花が散っている。
殺風景ではない、かわいらしい部屋だ。
「この部屋は暖かいな」
「…………いつまで無視する気ですか、下せって言ってるでしょ」
「捕まえとかないと逃げるからな……二度もだぞ」
「どっちも逃げたんじゃありません……それにその気ならとっくに私はここに居ないです」
「…………それもそうだな」
ゆっくり丁寧に床に下ろすと、マリオンは壁にある小さな暖炉まで行って、横に積まれた薪を中に放り込んだ。
苛立った様子で指を鳴らし、薪に火を着ける。投げやりな態度に、カイルは小さく笑いを漏らした。
「迷惑だったか?」
「大迷惑です」
「俺は納得いかなかったんだ」
「そんなこと知りませんよ」
「そう言うだろうと思った……でもな、マリオン……」
「止まって……それ以上近寄らないで下さい」
片手を突き出されて、その手は近くにある椅子を指差した。
カイルは引き下がって大人しくその椅子に腰掛ける。
それを見届けてからマリオンはふうと息を吐き出して、腕を組んだ。
「ここに来るまでの間に色々考えた……ほんと、色々だ……かなり腹も立ってたし、昔のこともたくさん思い出したりした。もう最後の方は何してるんだか分からなくなったぞ? でもマリオン…………ずっとだ。ずっとマリオンのことしか考えてなかった」
「何が言いたいんですか? だから好きにさせてくれって?」
「違う…………ああ、いや。自分勝手なのは認めるけど…………それ言ったらマリオンも充分勝手だぞ」
「解ってますよ、そんなこと」
「……納得がしたいんだ。きちんとした結果を出したい」
「カイル……私は別にカイルのことなんて……」
「おい、ちょっと待て! いきなり結果を出そうとするな。納得したいって言ったろう! まず話せ。全部だ。最初から」
げんなりした顔を隠しもせずに、マリオンは派手にため息を吐き散らかした。
鏡台にある小さな椅子を運んできて、カイルの前にどかっと置くと、そこに座って足も腕も組んだ。
話す体勢が整ったのを見届けて、カイルは苦く笑みを浮かべる。