燕草月 序十九日
ビリー。
入学式はとても厳かで、素敵だった。
周りの新入学生たちは全くその反対だったけどね。
思ったことをそのまま言ったら、巣を突かれた蜂よりもうるさかったわ。
それは驚くほど想像の通りだった。
明日からは初歩的な説明を受けて、国の基礎的なことを学ぶようです。
基礎なんて……一週間も耐えられるかな。
早くも専科に移りたい気分です。
新入学生の教室は、卓が階段状になっていて、一番下に大きな演台があった。
マリオンとリディアは並んで上の方に腰掛ける。
出入り口から遠い中段辺りには、三つ星の生徒、男女十名がかたまり、時折り高い笑い声をあげながら楽しそうにしていた。
その反対の端には体格の良い男子生徒、騎士科の四名がばらばらと座っている。
リディアと合わせると騎士科は五名。
ど真ん中、前方には文官志望の学生三名。
四方に分かりやすく小さな集団が出来上がっている。
「……ごめん……となり、いい……?」
ぼそぼそと篭った声が聞こえて、横を見るとローブ姿の男子生徒だった。
リディアは分かりやすく顔をしかめたが、マリオンは笑顔でどうぞと隣を手で示す。
ささっと座ると、フードを脱ぐ。
中からこげ茶の髪が現れた。
「…………ビクター・ジェイコブ・グリーン」
下を向いて名乗る声は、小さくなっていって最後の方は聞こえない。
反対側ではリディアがはっきり話せと聞こえるようにはっきり言った。
術師は一般的にひとりで研究に打ち込んだり、術に磨きをかけたりする者が多い。
ビクターも選に漏れず、人付き合いは苦手そうだ。
そして選に漏れず、気の弱そうな態度は、騎士科の生徒とは正反対だ。
要するにお互い気が合わない。
「よろしく、ビクター」
「……どうも」
術師科はマリオンとビクターの二名。
今年度の新入学生は総勢二十名、これで全員。
教室に揃ったところで、初歩指導の教員が入ってきて、学院内の設備や行事的なこと、事務的な話を、すらすら淀みなく話した。
何年も何度も同じことを説明しているのだと言わんばかりだった。
真面目に聞いている者がひとりも居ないのも知っている顔で説明を続けた。
話を終えるとさっさと教員は出て行き、ついでに半数の生徒も賑やかに出ていった。
三つ星の生徒はここで終わりらしい。
この後のお茶の予定などを楽しそうに語り合っている。
「よーし。授業を始めよう。もうちょっと集まれ」
次に登壇したのは、軽装に身を包んだ、人の良さそうな顔。
「しばらくは私が君たちの担当だ。ランスさん、でも、先生、でも気軽に……」
「……先生」
「はいはい?」
「早く始めて下さい」
「わーいいえねぇ、向学心。文官丸出し」
最前列、ど真ん中の男子生徒が、頬杖を突いてため息を吐き出したのが分かったので、彼がさっきの発言者だろう。
騎士科の男子生徒はどっかり座って知らん顔、マリオンたちはその反対側にこそっと座り直した。
「さっき説明があったと思うが、最初の三日間はこの国の歴史、政と財政なんかのあらましをざっくりとやる……はい、そこの騎士科の君! 我関せずみたいな態度は格好良いけど、ちゃんとこういうこと知っとかないと王宮に出仕できないゾ?!」
背もたれにかかっていた全体重を、半分ほどに減らして、その男子生徒は教員の方に体を向けた。
「うんうん。素直でよろしい」
そもそも全員がこれまでもそれなりの教育を受けてきた子どもたちだ。
反抗するよりも、素直な態度の方が得だと骨身に染みて理解している。
その後の講習はすんなりと予定通り進んで、昼の休憩時間を迎えた。
午後も座学だと騎士科はげんなりした顔をしている。
リディアも体を動かしたいのか、後半はずっともぞもぞしていた。
「……やっと昼……長かった」
「そう? 私は割と早いなと思ったけど。結構楽しかったし。ねぇ、ビクター?」
話しかけられるとは思っていなかったのか、驚いた顔でマリオンを見て、わずかに頷いた。
「座ってばっかりだったからお腹は減ってないけど、食事はしないとね。行こう、マリオン」
「はい。ビクターは?」
「あ……俺……いい」
「そう? じゃあ、また後で」
「…………うん」
食堂は狭くはないが、人は多いのでそれなりに混み合っていた。
食事を受け取って、空いた場所に座ると、すぐ側にいたのは一足早く教室を出て行った三つ星の同級生たちだった。
「あら、貴女がたの席はあちらの方じゃないかしら」
中にいた底意地の悪そうな顔が、その表情通りの言葉を放つ。
出入り口付近の、賑やかな場所を手で示していた。
立場的にお前たち程度なら向こうだと言いたいのだろうが、出入り口付近は騎士科の上級生が多く居る。
早く食事を済ませて、早く稽古なりをしたいのだろう。そちらは賑やかで慌ただしい。
そんな中で邪魔になるのは分かっているから、マリオンたちは比較的ゆっくりできそうな、静かな場所を選んだのだ。
「こちらは上級生の方々が座るのだけど」
そう言う新入生たちは、私たちは当然だという風情でマリオンとリディアに視線を向けている。
「…………はぃ?」
リディアがあからさまに怒っていますといった態度だったので、マリオンはそれにくすくすと笑った。
それを自分たちが笑われたと勘違いした、ご令息、ご令嬢方は苛ついた表情だ。
「リディア、向こうにいきましょう?」
「マリオン」
「だって、ほら。よく見たら椅子に名前が書いてあるもの」
「……え?」
「お馬鹿さん専用席って……ほら、賢い人には読めるのよ?」
「何ですって? そんな言葉が許されると思っているの? わきまえなさい!」
「人への嫌味には大らかなのに、ご自分への嫌味には敏感なんですね」
「貴女、わたくしを誰だと思っているの?」
「……存じ上げません、ごめんなさい?」
「わたくしはね!」
「いえ、別に知りたくないので結構です。では、ご機嫌よう」
リディアのトレイを持った手が震え、食器がかちゃかちゃと細かく音を立てている。
下を向いて顔を隠しているが、必死で笑いを堪えているのは丸わかりだ。
相手の女子生徒は顔を真っ赤にして、さらに怒るかと思えば、ほろほろと泣き出した。
周りの男子生徒が、なぐさめようと声をかけたり、肩を撫でたりしている。
「目障りだからあっちに行け!」
「話しかけて引き留めたのはそちらなのに……勝手ですこと」
マリオンはひとつ軽く息を吐いて、新たに場所を探そうと顔を上げる。
少し離れたところで、にやにやと笑っているリックが片手をひらひらと上げた。
「リディア、あそこにしましょう?」
「…………げ。リック・ウィリアム」
四人掛けの卓で、リックの向かいにはカイルが座っていた。
卓や椅子、人を避けつつ、マリオンはカイルの隣に座る。
必然的にリックの隣がリディアになった。
へにょりと眉の両端を下げたリックがマリオンを見る。
逆が良かったのかと目で問いかけると、そのままリックは困った顔で笑う。
「…………面白いことしてたね」
「分かりやすくて楽勝でした」
カイルが持っていたカップを下ろして息をつく。
「性根が悪いな」
「……ほめ言葉と受け取っておきます」
「いや、違う。あいつらの方だ……貴女は、まぁ、面白かった」
「どちらにしてもほめ言葉でしたね」
この日から毎日なにかと同級生に突っかかってこられたが、マリオンはどこ吹く風だった。
いちいち腹も立たないし、口を返せば向こうが泣き出して終了になる。
最初から良くない評判は、地の底のさらに下まで行ったようだ。
担任の講師にも何度も注意を受けたが、放っておいて欲しいのに、毎度難癖つけてくるのはあちらの方だ。
ランス先生もそれは承知の上らしく、一応これも仕事だからとおざなりに注意をしたフリをする。
「言い返す言葉を控えてくれないかなぁ」
「先生の仰ることは分かりますが、私が無視をしようが、何かを言おうが、向こうが私を気にくわないのは変わりませんからねぇ」
「君の意見はもっともだが、なにしろ相手が悪い」
「というと?」
「後々響いてくるぞ?」
「……それはあちらの話では?」
「おお、良いね。その自信は大切だよ」
「先生、とりあえず一度は褒めますね」
「人気の秘訣だねぇ」
「…………見習います」
「ほどほどにね」
突っかかってきた相手を、とりあえずどこかしら褒めて言い返すと、更に逆上されたのは、予想通りだった。
自身の人柄を考慮に入れなかったのは不味かったが、それはそれで楽しい反応を得られた。
マリオンは今日もランス先生に呼び出されて、おざなりな注意を受ける。