燕草月 終十四日

ビリー。

必要が無いから特に気にしていなかったけど。


花には水や、陽の光が必要。
それ以外にも土に気を付けたり、手入れもすれば、それだけ美しく咲くものです。

色んなことを試してこそ、です。





光を吸い込むような真っ黒のローブ、それだけでもう目が惹きつけられる。

すらりとした腕が、自分と比べると小さな手が、こちらに向けてひらひらと振られた。

目を奪われて、無視できなくて、自分でもどうかしていると思いながらも、そこに向かってしまう。

「もうすぐお昼ですよ、カイル」
「……マリオン」
「さぁ、食事に行きましょう」
「…………いや、それは」
「そんな……勇気を出して、お誘いしているのに」

悲し気に少しよろりとして見せれば、周囲にいる部下たちが、慌てたようにどうぞどうぞとカイルの背中を押してくれた。

昼時の鐘が鳴る少し前。
マリオンの方から騎士側の、むさ苦しい鍛錬場を訪れていた。

暇そうにしている若年の騎士にカイルの居所を聞くと、嬉々として案内をしてくれた。

周囲の反応に、カイルは苦い顔で眉間のしわを深くする。
握っていた長剣を鞘に収めて、剣帯から外し、背後でにやにやしている部下に押し付けて引き離すようにする。

カイルは踏み出してマリオンのすぐ前に。売られた喧嘩を買う気分で見下ろした。

「……なんの心境の変化だ」
「私は変わってませんよ、変わったのは周囲です」

ローブの肩をさらりと流れる髪を手に取る。
マリオンは目が合うと、嘘くさい笑顔を浮かべる。

「さぁ、どうします? 嫌ならさも名残惜しそうに帰りますけど。今すぐ泣いてもいいですし」
「…………休憩しろ、出てくる」

声を張って振り返ると、長剣を預かっている部下はにやりと笑い、さらに後ろにいる全体に、大声でその旨を伝えた。

カイルの長剣を抱えた部下が前に出て、マリオンに手を差し出して挨拶をする。

「オーガスタスです、どうぞオーグと」
「よろしく、オーグ」

そっと手を乗せると、姿勢を整えて指先に口を近付けた。
騎士然とした振る舞いに、マリオンも淑女然と軽く膝を折り曲げる。

「団長の直近を任されております、どうぞお見知り置きを」
「あら、そうでしたか、こちらこそ……」
「行くぞ」
「あ、ちょっとカイル」

オーガスタスからマリオンの手を剥ぎ取るようにして握り直すと、そのまま手を引いてカイルはずんずんと歩き出した。

「……カイルこそ、どういう心境の変化ですか」
「俺は…………別に」
「この何日かは食事に誘いに来なかったですよ」
「それは、……」
「私が思ったのと違ったからですか」
「そうじゃない」

気が付いたように足を緩めて、マリオンが追い付いて横に並ぶと、改めてゆっくりに歩調を変えた。
握るようにしていた手も、柔らかく繋ぎ直す。

「何を考えているのか分からなくなって」
「私はそんなに単純じゃありませんよ」
「……そうじゃない、俺が、だ」
「……はぁ、そうだったんですか」
「俺は何をしてるんだ、って」
「はいはい、それで?」
「マリオンに何を求めてたんだ……と」
「勝手に期待して、勝手に裏切られた気分だった?」
「…………そうだ!……くそ! はっきり言われると腹が立つな!」
「私のこと好き過ぎですね」
「マリ……! こ……の……くそ!!」

気持ちの持って行き場が分からずに、カイルは考え無しにマリオンを抱きしめた。

マリオンは落ち着いた様子で、カイルの背に手を回すと、人目がありますよとぱすぱす背中を叩いた。

自覚したのがついこの間、竜の解体をした夜のこと。
ひとりで悶えて、部屋の中を転げ回る。
気分は上がったり下がったり、しばらくはこれもやっぱりひとりで勝手に乱高下を繰り返していた。

導き出された答えに、怒りに似た気持ちまで湧いてくる。

炎のように音も無く一気に燃え広がって、自分が消し炭になったような気分になった。

それからどんな顔をして会えばいいのかも分からなくなって、この数日、マリオンを連れ回すことも考えられない。
会いたくないのに、顔が見たい、話がしたい。
カイルは相反する気持ちを行ったり来たり、もどかしい苛々を解消しようと、稽古をしたり、稽古をしたり、稽古をしたりして過ごす。

カイルの勢いに、実は部下たちはもう飽き飽きしていたところだった。

「いつ気が付いた」
「ずっと前から私にだけ接触は過多でしたよね」
「そう……か」
「私にだけしつこいし」
「…………わかった、もういい」
「ものすごく心臓がどくどくしてますね」

マリオンの両肩を持つと、べりと音がしそうなくらいの勢いで、カイルの方が身を引いた。

「そう!……いうことを…………言うな」
「顔真っ赤ですよ」
「だから…………」
「今日は何食べます?」
「…………マリオン」
「良い気候なんで、中庭はどうかなと思うんですけど」



騎士たちの多い食堂に行き、持ち運びしやすそうなものを用意してもらった。

中庭の木陰に入って、卓や椅子を出そうかと聞く。カイルが遠慮すると、マリオンは敷物を呼び寄せ、草の上に敷いた。

その上に座って、いつものように向かい合い、いつものように食事をする。

「あぁ、騎士側(こっち)の料理もなかなか美味しいですね。量に関して頭おかしいですけど」
「そうか? 今度は少なく……」
「そうですね」
「…………マリオン……何が目的だ」
「あぁ、カイル。話が早くて助かります」
「俺から得られるものなんて無いぞ」
「それを決めるのは私ですよ」
「……何がしたいんだ」
「私はカイルと仲良くしたいです」
「は?」
「それだけでいいです」
「何が……」
「目的を教える気はありません」
「それで俺が納得するとでも?」
「…………嫌なら、私に騙されたと周囲に漏らして下さい」
「マリオン?」
「私に弄ばれた、とかなんとか適当に……」
「だから、理由を聞かせてもらえたら協力すると言ってるんだ」
「だから。私はそれを言うほどの関わりは無いって言ってるんです」
「おま…………俺の思いを何だと」
「カイルが勝手に好きになったんですよ?」
「……っぐ……」
「利用します、って前もって話す程度には、私もカイルに親切心を持ってます」
「……マリオン!」
「はい?」
「ちょっと考えさせてくれ!!」
「ふは!…………いいですよ、返事は早めにお願いしますね。明日は魔術師(あっち)の中庭で食事しましょう」
「…………それは……早速にも利用されてないか?」
「あ、察しが良いですね、流石です」
「あのな……」
「嫌ならいいですよ?」
「……………………行く」
「ありがとうございます。あ、あと……」
「なんだ」
「失笑必至の戦勝祝賀会がもうすぐあるんですけど」
「失笑必至て……」
「だってまだ終わってないのに戦勝も何もないですよ……」
「表向きにそうするしかないんだろう?」
「争った時点でどっちも負けだってのに」
「…………ここだけの話にしとけよ」
「それくらい解ってますよ」
「で? その失笑の宴が何だって?」
「私、招待されてるんですけど、相手がいないんです」
「…………ビクター」
「行くわけないでしょ」
「…………俺が行くとでも?」
「はい、もちろん」
「………………利用する気しか見えないな」
「心おきなく骨の髄までしゃぶり尽くしてやる気ですよ」
「いっそ清々しいな」
「仲良しさん、してくれます?」
「…………目的を」
「教えません……でも、カイルは察しが良いから分かるかも」

白い肌に映える真っ赤な唇の端が少しだけ持ち上がる。
いつもは取る側なのに、カイルは反対に手を取られ、指を絡められた。

「……よく見て、考えて下さい、私のことだけ」
「そういうことを……」
「私に利用されて下さい」
「…………やめろ」

ぱと手を離すと、惜し気もなく身を引いて、これまでのマリオンに戻った。
子どものように、首を少し傾げて考えるフリをする。

「……うーん。しょうがないですね……カイルは諦めます」
「…………は?」
「仲良しさんはもうひとりいるので」
「…………リックか」

同じことを持ちかけると、こともな気に軽く言う。

「婚約者がいるぞ」
「知ってます……でもリックなら話に乗ってくれますよ」

お見通しのマリオンに苛つく。
そして必ず面白がって自分と同じ扱いをするだろうリックを想像すると、腹が立ってどうしようもない。

試していることも、どう答えるのかも、お互いに解りきって、マリオンは問うているのだ。カイルはさらに腸が煮える思いがする。

「……思った通りになる気分はどうだ?」
「私の思った通りは、こんな感じじゃないです」
「へぇ…………それはそれは」
「……ちょっとは気分が晴れましたか?」
「……いいや、まだまだ」

マリオンの頬に手を伸ばすと、カイルはいつものように摘んでむにむにと感触を楽しむ。

身を寄せて反対側の頬と唇の境目に口付けをした。

「…………まだ足りないな」
「今の見られましたよ……リックのとこに行けなくなります」
「行かなくていい」
「仲良くしてくれるんですか?」
「もうずっと前からそうだろう?」
「そうでした」
「距離を置いているのはマリオンの方だ」
「…………私を誘ってくれるんですか?」
「受けて立つ」
「何の勝負ですか」
「俺とマリオンの一騎打ち……真剣勝負だ」
「争おうと思った時点ですでに負けですよ」
「…………くそ」
「忙しくなります」

マリオンはにこりと笑う。

手早く食器をまとめると、それを返しに食堂に行った。

食堂の前で、名残惜しそうな顔をして、それをたっぷりと周囲に見せつけた。

腹が立ったので、同じようにし返してやる。

去っていく後ろ姿を、転移で居なくなっても、いつまでも見送ってやりもした。



行き先はリディアのところだと言っていた。

衣装を選んでもらうらしい。

研磨に出している石のことを思い出して、カイルも町に下りることに決めた。
戦勝の会は、七日後の夜だ。
急ぎ作らせて、出来上がったものは、ついでにリディアのところに届くように手配をしようと考える。


少し心が浮き立つ自分が情けない。

それでも『仲良くして下さい』の言葉がカイルの中でくるくると回っている。


利用されると解って利用されるのと、
知らずに裏切られた思いがするのと、
どちらがマシなのか。

痛手が少ない方がいいかと思ってしまう時点で、もうすでに勝ち目なんて無いのだと、それこそ失笑した。



惚れた方が負けとはこのことかと。



敗因を分析するのも今さらだと、カイルは自身に呆れるしかない。


ずっと前からマリオンのことでいっぱいだったのだから、今さらもうどうしようもない。