大胆不敵な魔女様は、悪役令嬢も、疑恋人だってできちゃうんです。







白峰月 序十四日


ビリー。


散々な目に合わせるという意味を、もう一度よく考えてはどうかというのが感想です。

私にもなにをもって終わりがくるのか、分からなくてなってきました。

引き際と終点を見誤るとこんなにも無様なのね。

勉強になります。






呼び込まれて会場に入った後は、マリオンは壁際の辺りにいた。

広間の中央付近には誰もおらず、列席者はそれぞれにまとまって談笑している。
対角線上の広間の奥側に、立派な騎士服の壮年の男性、リックとリディアはその人物と話をしていた。

カイルはそこに参加する気はないらしく、マリオンの横に貼り付く。

枝から枝へ移る小鳥のように、忙しなく卓の間を行ったり来たり、マリオンは美味しそうな料理を吟味している。

「……食べないのか」
「ちょっと待って下さい、容量の問題があるので」
「落ち着かないな……座ってろ、俺が取ってきてやる」
「ダメですよ。言ったでしょう、全部は食べられません。厳選しないと……」
「そうか?」

カイルはマリオンの頬を引っ張る。
たくさん入りそうだけどなと、笑いを漏らした。

それでもとすぐ近くにあるグラスを手に取って、ひとつをマリオンに渡す。
ほんの少しだけ白濁した透明な液体は、果実のようなすっきりとした香りがした。
酒精の気はないので口をつける。

特に魔術師は、だが、例え宴の席であっても酒を口にする者は少ない。
酔って気が大きくなったり、不明になることで起きる悪影響の方を気にする。

騎士にもその心がけは必要なので、カイルも迷いなく酒を控える方を取った。


マリオンは自分のグラスの端を軽く指で弾いて、カイルのグラスにも同じようにした。
すぐにグラスの外側が白く細かな水滴に覆われる。

「……冷やしたのか」
「冷えてる方が美味しいです」
「うん…………便利だな」
「でしょう?」

果実水を飲みながら見上げた半球形の天井には、見事な絵画が描かれている。
よく晴れた日の風景画で、森の木陰には婦人、水辺を駆ける小さな子どもたちを眺めている。そんな夏の昼下がりの絵だ。
半球の天辺の水色と、金の縁取りの取り合わせが美しい。

細かなところまで見入っていたからか、カイルもそれに釣られて天井画を見上げ、この建物が夏の館であると教えてくれた。

季節ごとに景色の違う館があるのだと付け加える。

へぇと息を漏らして再び天井を見上げると、マリオンは背中にどすりと衝撃を受けて、そのまま真前にいたカイルの胸に顔をぶつけた。

短い悲鳴を聞きながら、声を上げたいのはこちらの方だと、ひどくぶつけた鼻を押さえる。

「ひどいわ! 何ということをしてくれたの?!」

ただ立ってぼんやり上を見ていたことがいけなかったのか。文句を言っているのは、不躾に見ていた天井画の婦人かと心中でこぼすが、声には聞き覚えがあった。

怒り散らす人物にも、大袈裟に同情や賛同の意見を述べる人たちの声にも。

「大事な人からいただいた衣装なのに!」

それはこちらも同じことだと、マリオンは自分とカイルの間で服の色が変わっていくのを見下ろした。

ふらと手を振って、空になったグラスに、ふたりの衣装に染み込んだ水分を移す。

「ひどいわ、なぜ(わたくし)にこのような仕打ちを……」

涙目で振り返ったオリビア嬢の前で、マリオンはもう一度ふらりと手を振る。

豪勢な衣装に長細く染みた、きつい匂いの赤色は嘘のように消えて、オリビア嬢の持っていたグラスに戻っている。

「も……元に戻したからといって、貴女の仕打ちは無かったことにはならないのよ」
「元には戻っていませんよ、酒精は空気にいくらか飛んでいますし、衣装に染みている水分と定義しているので、汗も混ざっています。それに水分にとけた匂いも、埃も混入していますから」

だからそれは飲まないで下さいねとオリビア嬢のグラスを指さした。

「話をすり替えてごまかそうとしないで」
「そっくりそのままお返ししますよ」
「貴女が(わたくし)の衣装を汚そうとぶつかってきたのでしょう?!」
「……私は立っていただけですが?」
「嘘はおっしゃらないで、なんて白々しい」
「……ちょっと失礼、お嬢様方」

間に割って入ったのは、魔術師のローブを纏った壮年の男性。
所々に白が混ざるが、それ以外は濃い髪の色をしている。立派なローブは王宮のお抱え魔術師だと主張していた。

「魔力の動きを感じた。術を繰ったのかな?」

真剣な顔はマリオンの方を向いている。
同じ顔を作ってはいと頷いて返す。

「ふむ……理由は分かるが、この場で術を使うのは良いこととは言えないな」

このあとすぐにでも王妃がお出ましになる場だ。
そこで魔術を展開しては叛心ありと疑われても仕方がない。
それがどんな術だとしても。

「はい、申し訳ありません」
「……解ればよろしい」

男性は真剣な顔で頷いたすぐ後ににこりと顔を作り替えて、どうやったのと子どものようにマリオンに質問する。
マリオンが返事をする前に、それを遮る声がした。

「待ちなさい、まだ(わたくし)との話は終わっていません」

マリオンが頷くように頭を下げると、男性はにこりと笑って場を譲ってくれた。

「……そうですね、お礼なら早く言って下さい」
「礼ですって?! 何故? 衣装を汚されたのに?!」
「……だれに?」
「貴女よ、マリオン・リー・マーレイ!」
「……どこを?」
「この辺り、全体にお酒がかかったのよ!」
「……元より綺麗になってますが?」
「それは、悪事を隠そうとしてのことでしょう!」
「隠すも何も……貴女が大きな声で騒ぐから周りの人はみんな私の『悪事』とやらを見ていますけど?」
(わたくし)の衣装は貴女のその卑しいそれとは違うのよ」
「そうですか?」
「まるで下着だわ! 恥を知りなさい!」
「貴女こそ胸を半分は放り出してますけど、恥ずかしくないんですか?」
「何ですって?!」
「頭悪そうにしか見えませんね、と言ったんです」
(わたくし)を馬鹿にしているの?!」
「はい。そんなことよりも泣かなくていいんですか? そんな剣幕で怒っていたら、いつものように同情してもらえませんよ?」
「誰に向かってそんな口を! 魔術師風情が!」
「……うわぁ、ひどい。醜い顔も言葉も覆い隠せてませんね」

オリビア嬢の手が震え、顔の前に持っていた扇の飾りが細かく揺れている。
勢い良くぱちんと閉じると、その腕を振り上げた。

同時にカイルが一歩踏み出す。ある程度予測して反応は早かったが、マリオンの背後にいたので遅れを取る。
後ろから腕を肩に回して、一緒に身を引いた。

オリビア嬢の腕が振り下ろされる前にそれを制したのは、宮廷魔術師の手だった。

「失礼、お嬢様。会場内での魔術展開よりも、暴力の方がご法度ですよ」
「……離しなさい、穢らわしい!」
「なるほどなるほど……ふんふん」
「何よ!」
「口が悪いなと思ったが、君の言う通りだ。このお方は本当に頭が悪いな?」

宮廷魔術師はマリオンの方に振り向く。そう質問されて、でしょうと気持ちを込めて少し肩を竦めて見せた。

思い出したように手を外すと、オリビア嬢は自分の両親の名と来歴を高らかに言い放ち、見事な捨て台詞を吐いて離れて行った。

あまりの見事さに感心したまま見送る。

「……あの調子から推察するに、君の方が因縁をふっかけられているようだな」
「面白いですよね、あの人」
「……君が楽しんでいるのなら問題は無いのかな?」
「そうですね、特に不具合は感じません」
「ふむ……それは重畳。私の質問は今後の楽しみに取っておくことにするよ。君もこの夜を楽しみたまえ」
「はい、ありがとうございます」

ふらりと去って行くその人の姿がなくなる前に、マリオンは背後を振り返って見上げる。

「カイルも、ありがとうございます」
「……いや」
「……離してもらっても良いですよ」
「ああ……そうだな」

気が付いたように腕を緩めて、その手はついでにマリオンの鼻を摘む。

「……まったく……休まる暇がないな」
「私は別に……」
「俺のはなしだ」
「……それは……大変申し訳ないとしか」

でもやめて下さいとカイルの手をはたき落とすと、おかしそうにくくと笑う。
マリオンもそれに安心して笑顔を返した。



壇上に人が現れ王妃のお出ましを告げる。

皆その場で畏った礼の形を取った。

腰を冷たいもので撫でられた感覚。
そわりと何かが背中を這うような、ちりちりとした感じがして、カイルはふとマリオンの方を見た。

見下ろす格好になるのでマリオンの表情は見えないが、頬も口元も持ち上がっているのだけは判る。

足音と衣擦れの音が止むと、誰もが計ったように一斉に頭を上げた。

その時にはマリオンは感情を窺い知れない顔になり、少し目を伏せている。

王妃の言葉を真剣に聞いているように見えて、同時にカイルは自分がマリオンをよく見ていることに気が付いた。

王妃の話はひとつも耳に残らなかった。



目を付けていた料理を食べようと、あちこち移動してはカイルと分け合って食べた。
その方がたくさんの種類を食べられると提案されて、もっともだと実行する。

顔見知りの先輩たちと少し話をし、カイルだけではなく、リックやリディアともダンスをした。

特にリディアとのダンスはなぜか男女共に評判が良く、その後リディアはたくさんのご令嬢を相手に踊る羽目になる。
リックから大変に揶揄われていたが、羨ましいなら素直に言えばと返される。



陽は完全に落ち、夜が更ける前、みな楽しむようにと言葉を残して王妃は退席された。


「……カイル」
「なんだ?」
「あっちの白いふわふわが気になっているんですけど」
「甘そうだな」
「半分……」
「……手伝おう」
「やった!」
「…………落ち着いてきたか?」
「ずいぶんお腹が膨れたので」
「でもまだ食べるんだな?」
「あれで終わりです」
「……取ってこよう。そこに座っていろ」
「ありがとうございます」

マリオンの髪をひとふさ手にとって、するりと手の中を滑っていく感触を楽しんでから、カイルは遠くの卓にある白いふわふわを取りに向かった。

席に着くと、隣にリックがどかりと座る。

「……楽しんでる?」
「お腹ぱんぱんです」
「はは……マリオンは夏季休暇どうするの? 家に帰る?」
「どうしたって滞在時間より移動時間の方が長くなりますからねぇ」
「だよね……うちくる? 遊びにおいで?」
「あ、あぁぁぁ……遠慮しますぅ」


故郷までの半分の距離にあるリックの実家までと、それに使う時間のことを考える。
マリオンは学院に残って温室の世話をする方を選んで即答した。




包み隠さず素直に言うと、リックは残念と大袈裟に声を上げながら、マリオンの頭をぐりぐり撫でた。



戻ってきたカイルに睨まれて、なぜかマリオンまで一緒に怒られる。













白峰月 序十五日


ビリー。

夏季休暇が始まりました。

帰ろうと思えば帰れるけど、休暇だからといって特別とは思えません。
その気になればいつだろうと一緒です。

だから今年はこちらでゆっくり過ごします。

帰った途端にこき使われるのはごめんですから。




「……マリオン」
「カイル。どうしたんですか、こんな所まで来るなんて」

むっとした表情でマリオンの側まで歩み寄ると、手にしていた水差しを取り上げて横の台に置いた。

「なかなか来ないから迎えに来た」
「はい? 来ない?」
「……もう昼だぞ」
「あらら、そうでしたか?」
「…………暑いな」

カイルがむっとした顔でいるのは怒っているからではなく、この温室の暑さにだった。
硝子張りの温室の、上部にある通気口は開いているが、内部の温度と湿度はかなり高い。

それでも壁の役目を果たしている背の高い草葉のおかげで、夏の直射日光はずいぶんと和らげられている。

身体中から汗が吹き出す感覚に、眉間に縦にしわが入った。
濃い緑の中、真っ黒なローブ姿のマリオンに、カイルは季節を見失いそうになる。

「こんな中でローブ……倒れたいのか」
「着てないと倒れちゃいますよ」

汗がひとつもない涼しい顔で、マリオンはけろりと答えた。


カイルも休暇を学院で過ごすと決めていた。
遠方は遠方だが、そんなことよりも実家に戻って姉や兄に揶揄われたり、まだ小さな妹にまとわりつかれるのを避けたいのだと聞いた。

なのでこの期間を、カイルは稽古をしたり稽古をしたり稽古をしたりして過ごしていた。それぞれがやるべきことをしているが、昼時になるとこうしてマリオンを昼食に誘う。


リックとリディアとは夜会のすぐ後で別れた。
リックの実家に引き摺られるようにして行ったリディアは悲壮な顔をしていた。
リックがマリオンを誘ったのは、リディアの心情を慮ってのことだったらしい。
楽しくなさそうなのは容易に察せたので、改めて今度は丁重にお断りしておいた。



食堂は閑散としているが、学院に残っている生徒はいる。

ほとんど同じような理由で休暇を学院で過ごす生徒、事情があって帰る時機を見計らっている人も中にはある。


昼食の後、カイルはマリオンを術師科の棟まで送っていく。

首元にはいく筋も汗の通り道ができていた。

マリオンは空中に小さく円を描いて、その後カイルの肩をとんと軽く叩いた。

冷たい風に服が内側から膨らんで汗を消し、からりと軽くなった服は少し冷んやりと気持ちが良い。

「……ローブがこうなっているのか?」
「そうですよ、夏は涼しく、冬はあったかです」

だから一年中同じような服で済むのだとマリオンは笑った。
そう言われてみてカイルは、術師科の誰もがローブの中味は季節を無視したような格好だったのを思い出す。

「術師科が夏は厚着で冬が薄着な訳だな」
「みなさん独自で大なり小なり似たようなことはされてますねぇ」
「……羨ましいな」

騎士科は夏も冬も堪えるのみ。
それを静かに我慢してこそ、という態度が好まれもするが、正直にキツいものはキツい。

「ちゃんと術式を描ければ、このくらい、カイルの魔力量なら軽く維持できますよ?」
「本当か?」
「ええ、たぶん他に回せる程度には余力も残ります」

魔力量の多い騎士は、治癒系の術を覚える。
自分や仲間を生かす為に使われることが多い。
中には自分の強化に回す者もいる。

「俺にその術を教えてくれ」
「はい、構いませんよ」

余力が残ると聞いてしまえば、馬鹿正直に我慢するのみでなくてもいい。

「今からでもいいか?」
「大丈夫です」

縋るような顔をしているカイルに、マリオンは遠慮なく笑い声を上げながら頷いた。


術師科棟にやたらと他科の生徒を入れるのは憚られるので、マリオンはカイルを伴って建物の影と木陰が混じる場所に移動した。

外の空気を吸ったり、ぼんやりできる場所によく使われるそこには、元からあるのか誰かがわざわざ持ってきたのか、腰を掛けるのに丁度いい、四角く切り出された石がいくつも並んでいる。
つるつるに磨かれているから、誰かが何かしらの目的をもって置いたようにも見える。

マリオンはカイルを座らせると、ひとつを間に挟んで横向きに座った。
間にある石を卓替わりにするのだと、すぐに察してカイルも座る向きを変える。

軽く手を振って紙を呼び出すと、それを石の卓に広げる。
マリオンはもう一度手を振ってペンを持つ。

「術式の基礎は覚えてますか?」
「うん……多分」
「式は起こしたい事象をはっきり定義しないと、無駄に魔力を消耗して、しかも思った程の結果は得られません」
「……ああ」
「何をどの程度したいか、どれだけ維持したいか、はっきり示す為にあるのが術式です」
「そ……んな簡単な話だったか?」

自分が聞いた講義は長く、理解する前にどんどん話が進んでいたので、最終的には言われた通りに言われたことを、出来るようになるまでとりあえずやる。という感じだった。

「簡単に言ってるだけですよ。そこにいくまでの細かい理論はぶっ飛ばしてるだけです」
「……なるほど」
「何もないところから術式を組むのは、そういうのが得意な術者に任せておけばいいんです。今は普通に使ってる照明だって何だって、魔術で動くものはみんなそうです」
「……そこは聞いた覚えがある」
「ふふ……素直で大変結構です」

マリオンは紙の上に美しい形の円を描いた。
始めと終わりが繋がっていないので、完璧な円とはいえないが。

「私が作った術式をカイルに差し上げますよ」
「……良いのか?」
「言ったでしょう、使えるものは使えば良いんです」

内側にもうひとつ円を書いて、外と内の円の間に文字を書き込んでいく。

「この辺りに定義する事象、こっちが強さと維持の期間、で消費される魔力量、履行するカイルの署名……発動するといけないので、円は閉じてないですよ。カイルも練習の間は閉じないようにして下さいね」
「分かった」

円の中に書き込まれていく、流れるような美しい線に、ただただ見惚れる。
その昔大系を作り上げた大魔女様のいた時代の文字だ。
カイルには殆どが読めはしない。
自分の名の部分だけが辛うじて分かる。

「きれいだな」
「術式はきれいに書けてなんぼですよ」
「そうなのか?」
「円なんて特にそうです」
「…………そうか……」
「騎士科のみなさんが適当なのは、術師科では笑い種ですよ」
「稚拙なのは自覚してるぞ」
「円の形が一番力が澱みなく廻ります。より真円に近い方が無駄なく力が還るんだと、意識するだけでかなり違いますよ?」
「なるほど……分かった」

インクが乾いたのを確認して、マリオンは紙をくるくると巻くと、カイルに手渡した。

「カイルには差し上げますけど、他の人にどうぞ使ってとはなりませんからね」
「分かっている、誰にも教える気はない」
「たくさん練習して下さい」
「ありがとうマリオン」
「どういたしまして」

何度も紙に書いて練習して、それが空中で思いのままに描けるようになるまで、慣れていない者にとっては、やるしかない、それのみだ。

さっと手を振るだけ、ぽんと叩くだけ、こともな気にやっているマリオンの凄さに、改めて感心する。

「大したものだな」
「何ですか、今さらですか」
「…………マリオンが凄すぎて感覚がおかしくなってるんだ」
「私のせいですか」
「……練習の成果を見てくれるか?」
「もちろんですよ」
「無駄なく力を還す……か……ん? 待てよ、今使ってる騎士科の術もそういうことか?」
「それも笑い種のひとつです」
「教えてくれ」
「それはご自分で勉強して下さい」
「…………くそ」

この小さくて薄っぺらい手がやってのける事柄を知っている限り思い返してみて、カイルはもう一度小さくくそと溢した。

「握ったら潰れそうなのにな」

マリオンの手を下から掬うように握って、柔らかく力をこめる。

「そりゃカイルに握られたら潰れますよ!」
「魔獣を千切るんだよなぁ……」
「カイルだって両断してたじゃないですか」
「俺はその為に力を付けたからな」
「私だってそうですよ」
「涼しい顔で辺り一帯炎で焼き払ったり」
「私を危険人物みたいに言わないでください。カイルだって変わらないですからね」
「恐い恐い」

反対の手でマリオンの頬を摘むと、ぐいぐいと横に引っ張った。

癇癪を起こした子どものように怒って、手を払い、立ち上がって歩きだしたマリオンを追って、もう一度カイルはその手を取った。

そのまま手を引いて倒れかかってくるマリオンの小さな身体を、カイルは両腕の中に受け止めた。
力を込めて一度ぎゅうと抱きしめる。

ありがとうと言うとマリオンは怒りを収めてため息をひとつ吐き出した。

摘んだ頬をぐりぐりと撫でて悪かったと謝る。

撫でられる猫のように目を細めて、その後マリオンは笑顔に変わった。




この後カイルはそれなりに練習を重ね苦労しながらも習得するが、納得がいく結果が得られるようになるにはまだまだ道のりが長そうだった。

無駄に力を消費しつつも、どうにか術を展開できたのは、もう風が秋のそれに変わる頃だった。













鴻舞月 終十九日


ビリー。


どの地方であろうと、お祭りは楽しいものです。

この年の収穫を喜び、次の年もという願い。
この地や何かに改めて感謝を捧げたいという想いが強いほど、余計に楽しく感じられます。

来年も予定は空けておくことにします。





一応とは付くが城都の内に学院はある。
がしかしその風景は長閑のひと言、周囲には大草原と森しかない。

大事な子どもを育てる場所であるから、賑やかで人の多い場所では障りがある。
というのが建前。
本音は想定される良からぬことから隔離するのが目的。

良家の令息、令嬢方の身を守るため、逆に生徒が悪事を働かないため、何事か起これば内々に処理するために城都の中心からは遠く離れている。



秋も深まってそろそろ冬の支度が始まる。
収穫祭の時季がやってきた。

それぞれの町や村、集落でも、日は異なるが祭りは催される。

その日は学院から最寄りの、小さな町で開催されるというので、マリオンとリディア、そのお守り役としてリックとカイル、いつもの四人で出かけることになっていた。


「ビクターは行かないの?」
「…………いい。あいつらと一緒だろ?」
「そうだけど……祭りは良い気が満ちてるから、行っといた方が」
「…………行くとしてもひとりで行く」
「大勢はダメなの?」
「……マリオンだってひとりが良いくせに」

ビクターに呆れたように言葉を投げられて、マリオンはにやりと口の端を持ち上げた。

そもそもの性質からして魔術師は独立心が強い。これは良い言い方だが。
要はひとりで平気、なんならその方があらゆる面で楽だと思う傾向が強い。

これも仲間意識が強く、団結力を重んじる騎士たちと合わない要因でもある。

「人とのお付き合いも大切でしょう?」
「別に騎士とつるむ必要ない」
「見識を広めるのも重要だもの」
「……モノは言いようだね」
「私、別に嫌いじゃないし」
「ま、そりゃ見てりゃ判るよ……俺が苦手なだけ」

いってらっしゃいと手をふらふらさせているビクターに、マリオンはため息で返事をして術師科の棟を出る。

扉を開いたところでリディアがこちらに向かって歩いてくる姿が見えた。

「リディア! 迎えに来てくれたの?」
「あー、うん。ちょっと早く終わったから」
「ありがとう」
「いいのいいの。じゃあ行こうか」
「はい!」


学院では三つ星より上になると、一日の行動を自分で決められる。
四人は午前中をそれぞれ自分の時間に充て、午後から祭りに行こうと相談していた。

本校舎の教員に外出許可証をもらいに行く。
同じように許可証を受け取っているリックとカイルに折りよく会った。

本来ならば護衛が必要で、その手配や段取りに手間がかかる。前もって学院外に出たいと届けを出した時、そこに書かれた名前を見ただけで、担当教員はただ気を付けるようにと言って終わった。

当日に受け取った許可証を門番に見せ、名簿と照らし合わせる。用事を済ませて学院に帰った際に許可証を回収されて無事に帰った、という具合だ。

とは言えこの日に出かける予定の生徒は四人以外に居ないようだった。

良家のご令息、ご令嬢は小さな町の収穫祭などに興味は無いらしい。

去年もその前も気を取られることが他にあったので、この地の祭りに参加するのは初めて。マリオンはこの日を楽しみに指折り数えて待っていた。

「マリオン、どっちにする? 私の後ろ? カイルの後ろ?」
「うん? 私先に行ってるよ?」
「は?!」
「だって馬、苦手……」

手綱を引いていたリディアは、盛大に顔を歪ませている。

これから行く町には以前に必要な物を揃えに行ったことがある。
その時に転移先になる門を作っているのだとマリオンは説明した。

「えー? じゃあ俺マリオンと一緒に」
「あー無理無理。私専用だから」
「なんだよもー!」

リックががくりと頭を下げると、カイルが黙れと馬上の人になった。

待ってるからねとマリオンはローブを翻し、大きな光の輪をくぐって姿を消す。

「んーもう……移動も楽しみの内なのに」
「まぁこういうところは魔術師っぽいよね」
「三人なら早駆け出来る、急いで行けばその分長く滞在できるぞ」
「そうだけど」

つまらなそうな顔をしたリディアは、道中でのお喋りを楽しみにしていたのにとこぼしながら鎧に足を掛けた。

一足先に駆け出したカイルを追いかけるべく、リックにせっつかれて手綱を短く握った。




祭りは町の大通り全体を使って行われている。

食べ物の露店や、中央広場には旅芸人、収穫された野菜の大きさを競ったり、家畜の重さ当ての催しもあった。

それらはみんなが到着してからよく見ることにして、マリオンは本屋や宝飾店を巡ることにする。

外国の本や、文字通り掘り出し物の鉱石を目当てに表通りから一本奥の通りを歩く。

以前に来た時とは違って人が多く出歩き、大らかな笑い声が聞こえた。
からりとした爽やかな風が細い路地を駆け抜ける。民家の窓も開け放たれて、開放感のある町の雰囲気を楽しんだ。

良さそうなものをいくつか手に入れて自分の部屋に飛ばす。

もうそろそろかと時機を見計らって、今度はマリオンが町の外れにみんなを迎えに行った。

「あ! いた!!」
「リディア! みんな! 早かったね」
「おかげさまで! ね!!」

リディアにむぎゅむぎゅとあちこち揉まれて、くすぐったさに身を捩った。

「もう一通りは見たの?」
「みんなが来るまでと思ってがまんしてた」
「よろしい……じゃあ行こう」
「うん!」

並んで歩き出したリディアとマリオンの背中を見ながら、男ふたりはその後をゆっくり追いかけた。

「いやぁ……女の子が仲良くしてるのを見るのも良いけどねぇ、カイル君よ」
「……なんだ」
「放っとくとホントにお守りだけになっちゃうよ?」
「そのために来たんだろ」
「わははー……このお馬鹿!」
「お前はそれ以外で罵る言葉を知らないのか」
「うん、俺も馬鹿だもん」
「も?」
「も!……いいからマリオンがふらふらどっかに行かないように付いてろよ。迷子にならない様に手でも繋いどけ」
「迷子になるわけ」
「無いと思うか?」
「…………マリオン」

カイルは前のふたりに追い付くと、マリオンの横に並んで、するりと手を繋いだ。

それを見たリディアがリックの方を振り向く。

にやりと笑ったリックに並ぶために歩みを緩めた。

「……何言ったの?」
「迷子になるぞ……って」
「なるわけ……」
「無いって言い切れるのかよ」

うっかり、とかぼんやり、とかではなく、しっかりと自分の意思を持っているからこそ、居なくなる時は自分の意思でしっかりと居なくなりそうな気がする。

そこで心配して右往左往しそうな自分は簡単に想像できた。

「うう……あり得る」
「あの残念を絵に描いたようなカイルにも良い時間を贈ってやってくれ」
「……何がしたいの? あのふたりをどうにかしたいとか考えてる?」
「んーいや、そんなつもりは……結構あるけど」
「余計なお世話」
「やぁ、あいつほら、継ぐ家無いだろ?」
「お兄さんが継いだんだっけ?」
「そうそう。ほんでマリオンは、マーレイ家のたったひとりのお嬢さんじゃん」
「…………ほんと、余計なお世話」
「俺さ、ふたりのお披露目の会でする、友人代表の挨拶まで考えてんの」
「馬鹿なの? 暇なの? 殴られたいの?」
「お前も用意しとけ? リディア・ベル」

兄が家督を継ぎ、他の領地と良縁を結ぶ為の姉と妹がいる中で、カイルは実家からそれほど重要視されていない。

実力は充分過ぎるほどにある。
カイルには大きく、王宮に出仕する道と、リックが言ったように他家へ婿に行く道がある。

それが質実共に能力の要る辺境ならば、確かにカイル的にもその腕を無駄にすることは無いように思えた。

「……あんたが決めることでもなければ、カイルやマリオンが決められることでも無い。そんな都合良くいくもんですか」
「思えば叶う!」
「だからあんたが思っても仕様が無いって言ってんの!」
「今はね?」

リックが本家を順当に継ぐのか、それとも王宮で高官になるか。
そのどちらだとしても、他人の婚姻に口を出す権限は持てそうな位置に立てる。

「俺にも未来の展望があるわけですよ」
「どうだか」
「マーレイ領の向こうは脅威だよねぇ」
「…………リック・ウィリアム」
「うん?」
「クソ展望!」
「お前は俺の補佐」
「絶っっ……対に、イヤ!!」
「志願しろ? 命令されたくないだろ?」
「……ほんとクソだな!」
「お前にも良い婿さん探してやるからな?」
「下衆!!」
「……知ってる」


時おり聞こえてくるリディアの怒鳴り声を聞きながら、本当に仲が良いなとマリオンはにこにことした。

それに釣られてカイルも口の端を持ち上げる。

「楽しいのか?」
「うん? リックとリディアは仲良しさんだなぁと思って」
「……仲が良いか、あれ」
「息ぴったり。打てば響く」
「まぁ……そうだな」

楽しそうにぶんぶんと振られた手を見下ろす。カイルの手の中にすっぽり収まっているが、そういえば握った時に拒否の言葉も仕草も無かったことを思い出す。

「……俺たちも仲良しさんだな」
「うん? そうですよ、みんな仲良しさんです」
「……嫌がらないのか?」
「何をですか?」
「はぐれないように、手を繋がれてるんだぞ?」
「ですよね……はぐれるような人出じゃないですよね」
「良いのかこのままで」
「何ですか、嫌がられたいんですか?」
「いや、そんなつもりは」
「触らないで、穢らわしい! とか」
「誰の真似してるんだ、止めろ」
「ふふ……カイルは穢らわしくないですよ」
「知ってる。……どういう意味だ、マリオン」
「別に深い意味は無いですよ」
「納得し辛いな」
「カイルこそ私のお守りさせられて気の毒です。嫌なら離してもらってだい……」
「じょうぶだと思えないから繋いでるんだけどな」
「ええぇぇぇ?」
「羽みたいに軽いから繋いでても何とも無いしな」
「羽!! そんな軽い訳ないでしょう!! ほら!!」

ぐいぐい地面の方に向けて力を掛けても、カイルは鼻で笑っている。
腹が立って両手を使って下に押すと、カイルは片腕でそれを持ち上げた。

「…………ええー? 何してんの君たち」
「……なんだこれ……釣りか?」
「罠にかかった獣みたいですよ」
「捌いて煮込むか」
「美味しい自信がありません」
「あらあら……微笑ましいこと」



おほほと上品に笑いながらリックはふたりを追い越し、美味しそうな香りに誘われて露店の方へふらふらと近寄る。




みんなで手分けしてあちこちの露店から美味しそうなものを買い込んで、分け合って食べることに決定した。











鴻舞月 終二十日


ビリー。



近道なのか遠回りなのか分からなくなりました。

続きはまた書ける時にね。











広場には設置された卓とベンチがいくつかあって、自由に食事をしたり休憩を取ることができるようになっていた。

そこを陣取って四人は買い込んだものを分け合って食べる。
焼かれた肉や、揚げ野菜や煮込み、甘そうなお菓子や果物。
収穫祭は美味しいもので溢れている。
マリオンはにこにことしながら、卓の上のたくさんの食べ物と、町を行く楽しそうな人々の様子を見ていた。

「ほらマリオン」
「はい?」

こっちも食べろと差し出されたカイルのスプーンを間近に見下ろして、マリオンは素直に口を開けた。

餌を運んでくる親鳥と、それを食べる雛鳥のようだと、どちらとも同じことを想像する。

卓に髪が付きそうだと声をかけたり、これを使えと手拭きを差し出したりと、カイルはこれでもかとマリオンの世話を焼く。

その隙にこれもあれもと餌付けもしていた。

リックとリディアはそれを無言で見守っている。

何か思い付いたようにリックはにやりと笑うと、自分の目の前にある大きな肉を突き刺す。

「ほらリディア」
「やめろ、気色悪い」
「っえーー? じゃあ、マリオン」

マリオンは口の中がいっぱいだと身振りで示し、カイルは無言でリックのフォークの先をリック自身に向けさせた。

うふふと笑いながら口の中に放り込む。
各人が思った通りの反応だったので、気分良く口を動かして中身を飲み込んでいく。

四人でも多いだろうと思った量だったが、いつもより賑やかに、少し行儀悪く、広場の催しを眺めたり、おしゃべりをしながら全部を食べきった。

腹ごなしに通りを歩いて、今度は食べ物以外の露店を見て回ることにする。



もちろんマリオンの隣にはカイル。手は繋がれて、はぐれないようにと貼り付いている。

思い付いたまま自由に動けない代わりに、リディアがふわふわとあちこちに足を向ける。

「マリオン、こっちこっち!」
「なんですか?」
「見てほら!」

小さな硝子細工をひとつ手に取って、リディアはマリオンに掲げて見せた。

「わぁ! かわいい!」
「だよね!」
「かわいいのはリディアですけどね!」

息をぴたりと止めた後に、徐々に顔が赤くなっていく。マリオンとリックはにやにやしながらそれを見ていた。

女の子らしい部分を自分以外から知らされて、リディアは顔をくしゃくしゃにした。
持っていた細工を静かに元の場所に戻す。

「私、この小鳥が好きです」

リディアの隣に並んでひとつを手に取る。

丸っこくうずくまるようにしている形は、寒い日に羽毛を膨らませて日向ぼっこしている鳥に見えた。
ころころした雰囲気でとても可愛らしい。

「お前は猫が好きなんだからこれにすれば?」
「…………うう」

リックも反対側に並んで、リディアが置き直した細工を手に取って渡す。

すまして座っている姿は、硝子のつるりとした丸みが生かされていて、優雅にも見える。

ひと目見て気に入ったのだから、リディアも意地を張っていらないとは言わなかった。
でも素直に欲しいとも言えない気持ちと戦っているうちに、カイルが代金を店の人に渡している。

「あ! 自分で買いますよ」
「いい……今日の……記念に」
「悪いですよ、そんな」
「こう言う時は余計なこと言わずに、ありがとうって貰っとけば良いの!」
「……お前が言うな」
「お前からは逆立ちしたってこんな言葉出てこないだろうから、俺が代わりに言ってんの。お前、今の台詞言えたか?」
「…………無理だな」
「ほらみろ」
「……ありがとうございます、カイル」
「……うん」
「だいじにします」
「うん」
「ほら、リディア・ベル」
「……ありがとうカイル。私も大事にする」
「ああ」

うっかり割ってしまってはいけないので、柔らかな布を手元に呼び出して、小鳥とリディアの猫も一緒に包んで自分の部屋に飛ばした。
特に猫のひょろりと立ち上がった尻尾は、少しの衝撃でぽきりと折れてしまいそうに見える。

今度は感情に任せて走り出したりしないように、リディアは静々とマリオンの隣を離れない。

それでも可愛らしいものに気を取られたり反応しているのはリディアの方で、もうあえて口には出さないようにしていたが、本人以外、みんながリディア可愛いとにこにこしていた。


少し買い物をしたり、広場に戻って旅芸人の軽技を見たり、子どもたちの合唱を聞いたりした。

夏の頃と比べて短くなった陽が落ちかけている。

涼しい風が肌の表面を撫でて冷たくしていく。


もうそろそろ帰らないと、そんな雰囲気が誰からともなく漂い始める。
夕暮れ時の、言葉にし辛い寂しさをふり切るようにみんなで笑い合う。

「帰りは一緒に!」
「えぇぇ……馬は疲れるから嫌です」
「……言うと思ったけど」
「先に帰って待ってますから」
「……わかったよ」
「みんな気を付けて帰ってきて下さい」

ふふと笑ったマリオンは昼間は明るくて見えにくい光の門を開いて、その中をくぐって消えた。

「移動の楽しみ……」
「まだ言うか。なら、今度までに説得しろよ。馬車ならマリオンも嫌がらないかもよ」
「私が馬車苦手って知ってて言うあたり」
「お互い様だな……」
「うう……」
「俺はマリオンに転移で移動できるようにしてもらおうかな」
「楽をしようとするな」
「お前に言われたくないわ……あーあー。俺にもう少し魔力があったらなぁ……涼しい夏も、移動もらくちんなのになぁ」
「限界まで使い果たしたら魔力量が増えると聞いたぞ」
「やだよ、疲れるじゃん。……動けなくなるし。そんなのやだね」
「…………もうお前しゃべるな」
「俺が静かだと気持ち悪くない?」
「うるさい」
「どこか悪いのかなぁとか気になるでしょ?」
「黙れ」
「それくらいで黙る俺ではないのだよ」

もうリックは無視することにして、カイルは馬に跨った。
リディアも呆れた顔をリックに向けて、さもあらんとカイルに続く。

日が暮れてしまえば怒られるので、三人も早駆けで馬を走らせて学院へ戻る。





リディアは寮に帰り着いて、痛むお尻をさすりながらマリオンの部屋の扉を叩いた。
返事がないことを不思議に思いながら扉を開ける。

窓辺、マリオンの机の上には、硝子細工の猫と小鳥が仲良くリディアを出迎えるように並んでいた。

その足元には紙きれ。

同じようにカイルが贈った銀の小花の髪飾りも置かれている。


机に近付いて、紙きれの文字を読む。
リディアは手に取ってそのまま部屋を飛び出した。

走れば男子寮に戻る途中のふたりに追いつけるはずだと、そちらを睨むようにして足を早める。



「リック・ウィリアム!」
「どしたー、慌てて……リディア、お前!」
「……これ!」

息を切らして今にも倒れそうなリディアから紙きれを渡されて、さっとそれに目を通す。
元より短い文章だったので、内容はすぐに読めた。

「……なんで……どうして」
「…………泣くな、リディア・ベル。ちょっと聞いてきてやる。待ってろ」

紙きれをカイルに押し付けると、リックは来た道を引き返して本校舎の方に向かった。

カイルも紙きれに目を通して、短く息を吸い込む。

自分の顔をしきりに袖で拭っているリディアの背を支えて、近くにあるベンチに座らせた。

声を堪えて嗚咽を漏らすリディアをひとりにはできなくて、カイルもその横に座り、なだめるように背中をさする。

何も言えないことも、どうすれば良いか分からないことも、もどかしくてどうしようもない。

周りに当たり散らして暴れたいのを何とか堪えることに神経を注ぐ。
リディアもカイルも、同じような気持ちを内に抑え込んでいた。


すっかり陽は落ちて、星明かりの中、虫の声が高くあちこちで歌い始める。
黙ってそれを聞いていると、リックが早足で戻ってきた。

「……遅くなったから寮に戻るぞ。立て、リディア・ベル。送ってやる」
「…………マリオンは?」
「手紙にある通りだ……詳しいことは明日出直せと追い出された」

リックは全てを把握しているであろう学院長の元へ行っていた。

訪れた時には学院長はおらず、他に事情を知っていそうな上の立場にいる教員を捕まえて、話を聞き出そうとした。

置き手紙があったこと、内容を伝えると、その通りだと認めた上で、これ以上は無いと教員室を出された。

明日の朝改めると宣言すると、そうしなさいと何とも言えない顔で頷く。
誰にとってもあまりにも突然で、複雑な想いなのは変わらないらしい。
リックは自分の気持ちを飲み込んで、悄然と本校舎を後にした。

リディアを寮まで送りながら、何も聞き出せなかったことを説明する。

ぎりと歯を食いしばったカイルを横目に、深く息を吸って吐き出した。



その晩は、三人それぞれが眠れない夜を過ごした。

嫌な考えばかりが浮かび、否定を繰り返すが、その予測は間違いではなかったと、翌朝、学院長との話で明らかになった。


昼時に訪れた大食堂で、機嫌良く勝ち誇ったようなオリビア嬢の姿を見る。
小さく抑えたような笑い声も、頭に響いて、神経を逆撫られる思いがした。

マリオンと、同期のビクター。
それからもうひとり上級生が学院を巣立った。
三人を推した人物が現王に近い高官。オリビア嬢の父親だった。

ビクターと上級生は、マリオンひとりが目立たないように巻き添えを喰らった格好だ。



(はらわた)は煮えくり返るようだが、オリビア嬢を相手にしないことこそが対抗だと話し合った。
ここで揉めては、こちらが損をする一方だ。

「…………俺、この春で卒業することに決めた。王城に出仕する。リディア・ベル、待っててやるからお前も後から追いかけてこい」
「…………私たちが騎士団に入ったからって」
「そりゃ確かに何年かかるか分かんねぇよ……もういい……お前を当てにするのはやめるわ」
「うるさい! 私が敬語で話さないといけないとこまで行って待ってろ!」
「うんもぅ……素直じゃないんだから。……カイルはどうする?」
「俺も騎士団だ……今年度のうちに卒業してやる」
「頼もしいこと……俺が迎えに行かせてやるよ」
「…………ああ」

自分の力も実家の力も、使えるだけ使う。
しなくてはならないことに全力を注ぎ、辛さや腹立たしさを紛らわせた。
前向きな八つ当たりだとリックは笑う。

宣言通りカイルとリックは飛び級をしてその年の内で学院を卒業した。
一足先に騎士団への入団を果たす。

リディアも飛び級し、これが最後の年と一年をひとり、己を磨いて研ぎ澄ませる。その翌年に希望の通り学院の卒業と、王城への出仕とを叶えた。

奇しくもオリビア嬢と同じ年に学院を巣立つ。





マリオンはあの日、五年間の期限付きで、海を挟んだ隣国との戦へ。

最前線に送られた。












リディア


なんだか急に卒業することになりました。
さっき話を聞いたばかりなのに、もう出発しないといけないみたい。

西海岸の戦線です。
聞くだけで面倒くさそうなところでした。
壊れたり無くなったりしたら困るから、私の小鳥を預かって下さい。

カイルからもらった髪飾りもお願いします。

必要なものは持ったから、部屋に残ったものは、実家に送ってもらえたら助かります。
面倒なら処分しても構いません。



なんかうるさいから、もう行かなくちゃ。

お祭り楽しかったです。
誘ってくれてありがとうリディア。

カイルとリックにもありがとうって伝えてね。

お願いばかりしてごめんなさい。


じゃあね。




マリオン















燕草月 終三日


ビリー。


そう遠からずとは考えていましたが。
何年も経ったからと気楽に構えていたのは甘かったです。

自分がそれなりに目立つと失念していました。






濃い緑の中に黒い影が見えて、喉の奥がぐっと締まる。

温室の扉を開けようと出した手が震えているのに気が付いて、一度強く握ってなんとか抑えた。
それでも、胸の内を破って外に飛び出しそうな、心臓の鼓動は早まる一方。
その場所をどんどんと拳で叩いて、意識して呼吸をゆっくりにした。

落ち着けと心中で叫びながら扉を引く。

地面に届きそうな真っ黒なローブ。
それよりも深い色の髪は、肩の下辺りよりも伸びて、今は手元に近い。
留め具は宮廷魔術師を示す金色。

少しほっそりと変わった面立ちは、それでも色濃くあの頃を残していた。
深い青の瞳も覚えているままだった。

「…………マリオン」
「カイル……どうしたんですか、こんなところに来るなんて」

まるで昨日も会ったような口ぶりに、目の周りが熱を持つ。

言葉を返す以前に、形振り関係無く溢れて出てしまいそうなものを堪える。

マリオンは持っていた鋏を作業台に置いて、カイルに歩み寄った。

手を伸ばして顔に触れる前でぴたりと止まる。

「カイル背が縮みました?」
「…………マリオンが伸びたんだ」
「久しぶりに会った人への常套句ですよ……痛むでしょう?」

マリオンの右手が、カイルの左のこめかみに当てられる。そっと撫でるようにされただけで、楽になり、そうなってこれまで常に鈍痛がしていたことを思い出した。

「古傷ですね……悔やまれます」
「……やめてくれ」

そっとマリオンの腰に腕を回し、肩口に顔を埋めて、力いっぱい抱きしめた。
それでも離れないマリオンの手に、自分の手を重ねる。

「見えてます?」
「いや……何も」

小さく息を吐き出すと、もう一度悔やまれますとこぼして、大きな傷痕を慰る手つきでそっと撫でた。

三年前に負った太刀傷は、左眼と、最前線に行く機会をカイルから奪っていった。

「……貴女の近くにすら行けなかった」
「当たり前ですよ。誰が王宮の騎士を最前線に送りますか」
「違う……騎士団に入ってすぐ、前戦に志願した……なのにあの地を踏むことすら出来なかった」

後方でもたもたと、敵国の捕虜の相手や、自国の民の暴動を抑えるだけの日々。
西の海岸線は熾烈な戦場だったが、それを有する領の外は、死に直面した緊張感とは程遠い。
逃れた領民と戦で稼ぎにきた傭兵とが溢れ、粗雑な町が形成されていた。そこでは絶えずいざこざが起きる。

前線への補給すら、交代要員として送りこまれる下級の騎士か雇われた傭兵が担っていた。

カイルはその中で年端もいかぬ少年兵から太刀傷を受ける。

戦場に出たことにより心を病んでいた少年兵は、騎士に傷を負わせたと、カイルが手当てを受けている間に制裁を加えられ、話を聞き及んだ時にはすでに死んでいた。

誰を恨むことも出来ず、何も成すこともないまま、カイルに帰還命令が下った。

「……だから……立派な名家の騎士様を戦地になんか行かせますかって」
「貴女は行った!」
「私は騎士ではありませんから」

これまでの頑張りは間違っていたのかと何度も考えた。
どうしても戦場には行けない。なら騎士である必要はどこにあるというのか。

でも騎士で無くなればマリオンの側にすら立てなくなる。

そうリックから説かれては、なんとか不条理を飲み下して、騎士としてやっていくしかない。

ましてや己の甘さから負傷してしまった。

王城に戻されて回復を待ち、今度こそ最前線にと何度も志願したが、その許可はついに下りないまま、マリオン帰還の報を受ける。

頭部を負傷、しかも左眼を失う。
そんな見目では王族方の影がちらつく付近を歩くことすら許されない。

カイルは輝かしい表舞台から離れ、裏方に回り、後進の騎士を育てること、そこに心血を注いでこれまでを過ごしてきた。

マリオンが帰還したと聞いても、大手を振って会いに行ける自分では無いと、鬱々とした想いを抱えたまま、時間だけが過ぎていく。

それでもひと目、無事な姿だけでもと魔術師が多くいる辺りを、王城に出仕して初めてうろついた。
広い裏庭、建物の向こうに温室の屋根の端を見つけ、その後はもう何も考えられない。

「マリオン」
「……はい?」
「マリオン」
「なんですか?」

くすくすと笑っている細かく震える身体を、もう一度ぎゅうと抱きしめる。

「貴女が生きて帰ってきてくれて、こんなに嬉しいことはない」
「私は大魔女様の再来ですよ?……当然です」
「……そうだったな」
「私もカイルに会えて嬉しいです」
「……うん」


昼を告げる鐘の音がうっすらと聞こえる。


マリオンは顔を上げると、またくすくすと笑い出した。

「もしかして昼の食事に誘いにきたんですか?」
「はは……そんなつもりは無かったが……そうだな、行こうか?」
「……まぁこの後も予定は特に無いので。構いませんよ。……ビクターは?」

濃い緑の茂みの向こうからおいコラと声がする。

「邪魔だと思って気配消してたんだろが」
「黙って行くのもどうかと思ったんだけど?」
「お前、それくらいの場の流れは読めよ」
「は? 私に言った?」
「他にお前が居るのかよ」
「で? どうするの?」
「……俺いい……てか、行くか馬鹿……」

いってらっしゃいとふらふらと振った手が茂みの向こうに見えて、すぐにがさがさ音を立てて今度こそ本当に気配を消した。

見えていた手は真っ白で、陶器のようにつるりと光沢があった。

「……彼も帰ったか」
「そうですね、優秀なので。私には及びませんが」
「腕を?」
「手首から先ですね。利き手じゃなくて幸運でした」
「そうか……」
「行きますか」
「……うん」

マリオンの右手を取って握り込むと、そのまま出入り口に向かって歩き出す。

「えぇぇぇ? さすがにこの歳ではぐれたりしませんよ?」
「……急に居なくなる。心当たりがあるだろう?」
「はぐれた訳じゃありません」
「……そうだな」
「これは恥ずかし過ぎますよ」
「そうか? 良いだろう、仲良しさんなんだから」
「今さら突っ掛かられるとか面倒なんですけど」
「……何の話だ」
「わあ! 気付いてない!!」
「何がだ」
「……何でもないです。教えてあげてもいいですけど、今じゃないです……ていうか、だから離して下さい」
「断る……だからって何だ」
「そこらのお嬢さんたちから恨まれたく無いんですよ」
「何言ってんだマリオン?」
「うわぁ!素だ!!……怖い!!」

学院にいた月日よりも、離れていた月日の方が長い。

それなのに時の隔たりを感じさせない会話に、マリオンの様子に、カイルは思わず口の端が持ち上がる。
長い間こんな顔の形を作らなかったので、引きつった感じはするが、忘れていなかったのかと自分自身を鼻で笑う。

大きくため息を吐き出したマリオンの手を引いて、カイルはどこの食堂にしようかと思案する。

魔術師が多くいる辺りも、騎士が多くいる辺りも、どちらもどちらかが目立ってしまう。
ならば美味しいものがある方にしようと、前向きに考えた。

「何が食べたい? マリオン」
「うーん……外行きましょう、外!」
「外?」
「町に出ますよ! 面倒ですから」

同じようなことを考えていたのかとカイルは嬉しくなったが、マリオンが心配していたのはもっぱら、カイルを慕う少なくはないだろう誰かさんたちのことだ。

首元の留め具を外すと、マリオンはローブを脱いで、頓着なくその辺りに放り投げた。
地面に落ちる前にその場から消える。
服装は町にいそうな、簡素な女性の格好だった。

「いいのか、ローブは」
「邪魔くさいので良いです。カイルは……まぁいいか、このままで」
「今から町についた頃には昼時を過ぎるぞ?」
「こっそり私が連れて行ってあげます……内緒ですよ?」

目を閉じてと言われ、素直に従うと手を引かれてそのまま足を踏み出した。

ゆらりと空気が一変する感覚、耳の中できーんと高い音がする。
内臓が持ち上がる感じがして、驚いて目を開けた。

そこは小さな部屋の中だった。

「ここは?」
「あ! 目、開けてる!」
「いけなかったのか」
「ここは見なかったことにして下さいよ」
「なんだこの部屋」

扉がひとつ、向かい側に腰高の窓。
床や壁、天井も木製で、家具は何も無い。普通に歩いても五歩ほどで端まで行けそうだ。

「城都に出る時用の門を作ってあるんです」
「転移門?」
「そうです。町なかに急に転移したら、人とか馬車なんかにぶつかりますし、じゃあひと気の無いところ、ってなると中心まで行くのに時間がかかるでしょう?」
「……なるほど」
「みんなでこっそり使ってるんで、ここの事は内緒にして下さいよ」
「城の魔術師たちでか」
「はい、便利なんで。だから誰にも喋らないこと!」
「……分かった」
「絶対ですからね!」
「……約束する」

細く長い廊下を歩き、いくつも扉を通り過ぎる。窓の外は隣の建物の屋根の部分。廊下の突き当たりを折れ曲がって、すぐに階段があった。
寮のような雰囲気だから、広さから見ても単身用の安価な集合住宅だろうとあたりを付ける。

あえて言葉にはしなかったが、借りている部屋なら確かに都合が良いだろう。
もし知れたとしてもすぐに場所を変えられる。城都ならこのような部屋はいくらでもある。

「……賢いな」
「そりゃそうですよ」
「どこに連れて行ってくれるんだ?」
「そうですねぇ……カイルは何が食べたいですか?」
「特に無いな……マリオンが食べたいもので良い」
「うーん。私も特にこれってのが無いんですよね」
「あちこち見て良さそうな所にするか」
「そうですねぇ」

やはり手を繋いだまま町の通りを歩く。

表通りの小綺麗で高そうな店は、何となく暗黙の了解で避けた。
奥にある少し細い通りの、こじんまりとした、良い匂いが漂っている店の前で、顔を見合わせる。




どちらともなくその店に向かって、久しぶりに小さな卓を挟んで食べた食事は。



味なんてカイルにはちっとも分からなかった。












燕草月 終八日


ビリー。


嫌な予感しかしません。
毎日ですよ。

理解してもらえるまで話をするしか無いのかと考えると、気が重いです。





「行くぞ、マリオン」
「カイル! なぜここが?!」
「……ビクターが教えてくれたぞ?」
「……あいつ……」

薄暗く、何だか分からないものがこれでもかと置いてある物置で、マリオンは誰にも頼まれていないのにひとりで片付けをしていた。

王城の中心が政を行う場所で、その両翼の片側が騎士たちのいる場所、反対側に魔術師たちの場所がある。

物置は更にその端、半地下のようになった狭い部屋。
すぐ横には大きな塔があるので陽当たりも悪く、風も抜けにくいのでじめじめした環境だ。

物置部屋の上の方には通気口のような明かり取り。地面すれすれにあるので、横長の隙間からはひょろひょろと元気のない雑草が見えている。

その場の雰囲気はもちろんのこと、埃に混ざるほのかなカビ臭さも相まって、魔術師でさえ用があっても避けたがる場所だ。


再会から今日で五日。
カイルは毎日、昼時になるとマリオンを食事に誘いにやってくる。

「……こんな所があるのか……薄気味悪いな。初めて来たぞ」
「……私もですよ」
「何してるんだ? 手伝うか?」
「……片付けですけど……もう意味ないです」

なにが入っているのか、開けてみる気にもならない小さな木箱を、マリオンは背後を確認もせずに放り投げた。

何かが割れたような音と金属がぶつかり合うような高い音が同時にしたが、振り返ったりはしなかった。

「行けるか?」
「そのことですけど、カイル」
「うん?」
「昨日も、その前も、その前も。私が何て言ったか覚えてますか? 理解してます?」
「……ああ」
「ああ、じゃないですよ! 聞いて、お願いを!!」
「やだ」
「子どもか!」
「まさか俺を避ける為にこんな場所に?」
「まさか今になって気付くなんて!」
「……いいから行くぞ」
「……効果が無い!!」

ははと愉快そうに短く笑うと、カイルはマリオンの手を取った。いつものように目を閉じる。

転移で周囲が一変することも、転移自体も、慣れないとそれなりに負荷はある。
目を閉じて視覚を、人に触れて触覚を紛らわせたりごまかしたりする。

無防備に目を閉じて、どこも力まずひとつも構えた様子のないカイルに、マリオンは小さく舌打ちをした。

にやにやと笑っている顔が腹立たしい。

翌日にはどうかと思うと注意をした。
三日目には断ったが諦めなかった。
四日目は理由を説明したし、お願いもした。

ひと時、たまたま同じ場所に居ただけの間柄だ。
あなたと私はそもそも進むべき道が違うのだ。
毎日顔を合わせる意味は無い。

カイルは話を真剣に聞いていたが、返事はただひと言、俺はそうは思わない、とはっきりと口にしただけだった。
そのあとはどれだけ言葉を尽くして理由を付けようとも、一歩も引かない。
結果マリオンが根負けする形になる。



転移の感覚にも慣れてきて、落ち着いて目を開けると、もう見慣れた小さな部屋の景色。

「今日は俺が店を見つけた」
「……はいはい」
「支払いも俺持ちだ」
「あーどうもどうも」
「喜んでもらえるか楽しみだな」
「そーですね」

非常に機嫌の良いカイルに手を引かれて城都の大通りを歩く。
ここだと立ち止まった場所は、いつもなら避けそうな、きれいで小洒落た、高級そうな店だった。

「……カイル……こういう店は……」
「そうだな……埃は払った方が良さそうだ」

ローブは術が効いているのできれいだが、頬には灰色の筋が走っていた。フードを取られ、顔を拭われる。なんなら着崩れも直された。
流れで手を取られて、そのまま店の中に連れて行かれる。

扉のすぐ内側には案内係。
前もって予約していたらしく、カイルが名を告げると、恭しく店の奥へ促される。

卓が並ぶ広い場所ではなく、通路を奥へ進み、個室に案内された。

マリオンは完全に萎えてため息も出ない。



陽当たりの良い小さな部屋には、品の良い調度と、品の良さそうな先客がいた。

「マリオン!」
「リディア!! リックも!!」
「もう、マリオン! このやろう!!」

椅子から立ち上がったリディアは、ぶつかるような勢いでマリオンに抱き付いた。
ぎゅうぎゅうと抱きしめて、頬をぐりぐりとこねる。

これまで見てきた騎士のような姿では無く、リディアは貴婦人の衣装だった。が、その理由はすぐに分かった。
腹回りがゆったりした衣装。抱きしめられるとリディアのお腹に押される感覚がする。

「……やろうじゃない」
「おかえり!……ていうか、帰ってるなら顔見せに来てよ!」
「ただいま……そのうちって思ってはいたんだけど」
「まぁ俺たちもなんか会い辛いって気持ちは否定できないけどな……おかえり、マリオン」
「久しぶり、リック……背伸びた?」
「ふは!……おかげさまで。マリオンも大きくなったね」

カイルだって以前のままではないのに、それと変わらないくらいにリックの背も伸びている。
カイルより細身なリックは、余計に背が高くなったように見える。
カイルはいつもの簡素な服装だが、リックは高位を示す騎士服を纏っていた。


食事をしながら取り留めもない話をする。

食後の落ち着いた頃になって、リックがマリオンに改めて頭を下げた。

「がんばったつもりだったけど……任期が終わるより前にこっちに戻せなくて悪かった」
「リック……それは違います」

戦場に出て三年目の終わり頃、リックの署名の入った帰還命令の書状は、何度かマリオンの元まで届いていた。
その時は帰る理由よりも、帰らない理由の方がはっきりと大きく存在していた。

「帰還命令は届いてましたけど、無かったことにしました」
「は?!」
「リックの署名があったので、びっくりしましたよ」
「は?……え、ちょっと、マリオン?!」
「師長からの帰還命令も来てましたねぇ」
「俺から頼んだからね?!」
「……でも混乱してるでしょ、前線は。乗じて盗難も多かったですし。書状なんかどこで紛失するか……まぁ仕様がないですよね?」
「そ……んな……俺たちの努力……」
「気を揉ませてしまったみたいで、すみません」
「ああ…………いや、いいんだ。マリオンが決めたことならとやかく言う権利はない」
「そう言ってもらえるとありがたいです」
「俺たちの努力なんて、実際に戦場に居たマリオンとは比べものにならないもんな」
「それは違います。そもそも比べようが無いものを比べないで下さい。どっちがどうとかいう話でも無いですし……ああ、でも。私のためにみんなの進むべき道が変わったなら、それは、本当に申し訳ないです」
「……それが。そんなに悪くない道だったんだよね。俺は、だけど」
「ちょっと待って、私もだって」
「……俺もだ」

実家を継いだのは兄弟で、リックは王城でその騎士たちを取りまとめる高官の道へ。
未だ上り詰めてはいないが、その次の次辺りの地位にいる。

「剣を振り回すよりこっちの方が合ってたみたいだし……気持ち良いよね、人を顎で使うのって」
「そんな奴に使われる方は最悪だけどね」

リディアはリックの直近の部下になった。
つい先頃までは働いていたが、子どもができたことが判かり、夫の強い勧めもあって職を辞している。
リディアの夫は最高官補佐、上司の上司に見初められた形だ。リックに婿をあてがわれなくて、それだけで非常に結構なことだった。
権謀術数が渦巻く王城から離れられて、誰よりリディアの両親が両手を上げて喜んだ。

座ればよく分かるお腹の膨らみに、リディアはそっと手を置いている。

「いつ産まれるの?」
「秋だよ」
「楽しみだね」
「私は気が重いよ」
「腹もだろ」
「うるさいだまれ」
「子どもにはそんな口覚えさせるなよ?」
「余計なお世話だ」

きりとした雰囲気は和らぎ、長い髪をゆったりとまとめ、柔らかく笑うリディアは、誰から見ても幸せそうだ。

「今日マリオンに会えると思って持ってきたんだ……これ」

リディアは傍に置いていた小箱を卓の上にそっと置いた。
蓋を開いて中側をマリオンの方に向ける。

「渡せる日が来て嬉しい」
「リディア……ありがとう」
「どういたしまして」

カイルからもらった銀の小花の髪飾りと、硝子細工の小鳥。
箱を受け取って、久しぶりに見るそれらにマリオンは口の両端を持ち上げる。

「ふふ……似合わない歳になったけど」
「んもぅ、そういうこと言わないの」
「また似合うものを贈ってもらえばいいんだよ。な? カイル?」
「ああ……どんなものでも」
「おっとー?」
「何にしようか?」
「あらら〜? どうしたカイルさん、成長したね〜」
「うるさい黙れ」
「…………ああ、良いね。こういう会話も久しぶり」

王城に出仕してからは確実に学院にいた頃とは変わった。

己のやるべきことも、実力をつけた頃にはその立場も、考え方も。

カイルの質実剛健とした様は騎士には好まれる姿勢で、特に部下からの信頼を集めている。
リックもその点はこれまでも大いに活用してきた。
自分の考えを直接言える関係は同様に変わらなかったが、そこには立場という隔たりができてしまった。


今、この時だけは。
それを忘れて、昔に戻ったような気がする。
懐かしい顔を見合わせながら、穏やかに笑う。

あの頃に思っていた道には進めなかったかも知れない。でもいつかまた皆でこうして同じ卓で食事をすることを心の拠り所にして、それぞれの道の上を力の限り走ってきた。



「色々話が聞けて良かったです。みんなの様子も分かって嬉しいです」
「そうだね」
「私のことはこれで終わりでいいですか?」
「……マリオン? なに言って」
「もうこういうのやめましょう」



席を立ち上がるとマリオンはにっこりと笑い、頷くように頭を下げる。
カイルに自力で帰るように言うと、その場に転移門を描いてあっさりと姿を消した。



「…………おっと……魔術師の魔術師らしさに磨きがかかってるね」
「ねぇ、ちょっとカイル何したの?」
「俺は何も」
「ほんと?」

言葉を喉に詰まらせたカイルは、何も返せない。

思い当たるものが無いだけ、これまでの全部がダメだったような気がする。

「マリオン怒らせたんじゃない?」
「ははは! なら俺も知らないぞ? お前、歩いて帰れ!」

リックは腹を抱えて笑っているし、リディアは仕様がない子どもを見る親の顔をしている。




困惑だけが身体中から溢れて、それを道々に撒き散らしながら、カイルはとぼとぼとひとり王城まで歩いた。













燕草月 終九日


ビリー。


できたことはもっとあっただろう、と思うのはもう飽きました。

本当にもう、うんざりです。

でもそれが私をここまで連れて来たのなら。
うんざりも受け入れないといけないのでしょうか。





高く吹き抜けた部屋は、四方向の壁全てが棚で、そこにはぎっしりと本が詰まっていた。

頭より高い所には、狭いが通路も付いているし、もっと高い場所にある本を取ろうと思えば、足元から血の気が引くような長梯子を使う。

中央にはたっぷりと幅がある長机が並び、そこに腰掛けている背中に向けて、カイルは歩を進める。

真横の椅子を引いて、そこにどかりと腰掛けた。

「マリオンは?」

本に落とした目線を上げることなく、ビクターはこれ見よがしに大きく息を吐き出した。

「……侍従じゃないぞ」
「知ってる」
「なら俺に聞くなよ……」
「マリオンより先に会えるんだからしょうがないだろ?」
「もっと探せよ」
魔術師(こっち)側は詳しくない」
「親切に教える筋合いはない」
「……確かに」

諦めて離れて行くのかと思えばそのまま。カイルは机の上で片腕で頬杖を突いた。


つるりと光沢がある白磁の義手は、本物の手と変わらず滑らかに動いて本の頁をめくった。
ちりちりと糸を引くような駆動音が小さく聞こえる。
これも魔術で動いているのかと、感心で目が離せない。

苛々とした態度を隠しもせずに、ビクターは何と聞く。

「どんなもの読んでるんだ?」
「はぁ?」
「何だ」
「聞いたって理解できないことを何故聞くんだ」
「理解するためだろう?」
「…………本当に聞きたいことはなんだ」
「マリオン」
「がなに」
「怒ってるのか?」
「…………知らね」
「俺は何かしたんだろうか」

ぐいと詰め寄ったカイルを避けるように、ビクターは椅子ごと横にずれる。

「あんたらってなんでそうなの?」
「何がだ」
「……人には許容できる距離感があるだろうが」
「……それが?」
「それぞれ違うって思ってないだろ」

真意が汲み取れなくて、カイルはとりあえずビクターと距離を取る。
といっても背筋を少し伸ばしただけで、ほとんど位置は変わっていない。

「あんたらが、近い、鬱陶しい、となるのはどれくらいだ? せいぜい拳ひとつ離れる程度か?」
「……何が言いたい」
「普通はもっと必要なんだよ。腕の長さか、それ以上だ」
「何の話をしてるんだ」
「俺で言うとその範囲はこの部屋ひとつ分はある」
「…………俺が鬱陶しいって話か」

まわりくどいなと口の端を片方持ち上げて、その範囲を考えると微々たるものだが、カイルは少しだけ椅子を後ろに下げた。

「あと、その態度」
「気に入らないか」
「それが人にものを尋ねる態度か?」
「どうすればいい」
「椅子の背もたれは机と並行になってるもんなんだよ……足をしまえ、机の下に入れろ。どうしてお前らはそうやって足を広げて座るんだ。内腿の筋力を母親の腹の中に置いてきたのか」
「はは!……面白いな、ビクター」

素直に足を閉じて机の下に入れ、傾いた椅子の背もたれを真っ直ぐにした。
カイルは一旦姿勢を整えて、横目でビクターをちらりと見る。

「……こういう態度が怒らせた原因か?」
「…………知らね。違うんじゃない?」
「ビクター……」
「読書の邪魔をして悪いのひと言を、何故言えない」
「言ってなかったか?」
「人の時間を掠め取ってる気が無いからだ」
「そんなつもりは」
「なら、今いいか、くらいは聞けよ」
「今いいか?」
「よくねーから苛々してんだよ」
「めんどくさいな、お前」
「だったら俺に構うな」
「…………なぁ、マリオンは?」
「お前もたっぷり面倒じゃねーか」
「…………もう昼になるぞ……」
「しょんぼりすんなよ、俺のせいか!」

静かに席を立つと、きちんと椅子の背もたれを机と並行になるように仕舞い、二、三歩離れた場所で、思い出したように邪魔したなと小さく声をかけた。

何故だか今度はビクターの方が悪いことをしているような気がしてきて、大きく舌打ちをする。

「朝から中央に呼び出されてるよ」
「中央?」
「俺は昨日だった」
「なんだ?」
「戦況報告とかなんとか言ってるけど、俺らに難癖付けて腐したい場だな……気に入らないならお前らが前線に出ろよ」
「……そう言ったのか」
「怒ってたなー……ぷるぷる震えて顔真っ赤だった」
「マリオンはそこに?」
「いつもの調子でやってんじゃないの? はは……おもしろ」
「ありがとう、ビクター」
「俺は侍従じゃないぞ」
「分かってる」




中央棟へ向かって回廊を歩く。

いつもは真っ直ぐ温室に向かうために、そこを通らずに、屋外に出て庭を突っ切って行く。

建物内を通ったところで、さらにその室内にいるはずだから知り得なかっただろうが、遠回りをした感じは拭えない。

いくつかある会議室の、さて、どの部屋だろうかと当たりをつける。
戦況報告なら上官が使用する場所だろうと、奥まった方に通路を曲がった。



大きな両開きの扉の横には先客がいた。

壁に寄りかかり、腕を組み、おまけに足まで絡めるようにしている。
先客はカイルに気が付くとこっちだと言うように頭を傾けた。

「リック……知ってたのか?」
「いや……さっき聞いたばっかりだよ、俺も少し前に来たとこ」
「どうなってる」
「術で防音されてる……じゃなきゃみんな寝てるかな……なんにも聞こえないよ」
「そうか……」

カイルはリックと通路を挟んで向かい側に立ったが、背は壁に付けなかった。
両足でしっかり立って、むんと腕を組んだ。
リックから少し目線を外して、扉を睨む。



昼時を知らせる鐘が鳴って、半刻が経った頃、わずかに取っ手が回って扉が薄く開いた。

やはり防音が施されていたらしく、中から少なくはない人数の気配が漏れ出てくる。

扉を押していたのはマリオン。
目の前にカイルの顔を見て、げんなりした顔に、さらに加えて眉の間に力が入った。
ちらりと横目でリックも見付けて、重たいため息を吐き出す。

「マリオン君、最後にひとつ良いかな」
「…………なんでしょうか」

室内から呼び止められて、マリオンはそちらの方を振り返る。
穏やかな低い声と、マリオンの丁寧な返事の仕方で、相手が魔術師長であることが、伺い知れた。

「君、ここに居る全員を殺すとしたら、どれくらいで終わるかな?」
「……師長様が厄介ですけど……瞬きの間ですかね」

ざわりとしたすぐ後に、魔術師長とマリオン、両者に対して非難と罵りの声が上がる。

それだけでカイルとリックはこれまでの話の内容が察せた。

ひとつひとつの出来事に対して揚げ足を取り、終わったことをむし返して否定する。
そしてマリオンはそのひとつひとつに、丁寧に正論を返す。

それは手に取るように容易く想像できた。
五年前にも似たようなことを日々見てきたのだから。

「方法は? 全員を縊り殺すのかな?」
「そうですねぇ……後片付けが大変でしょうから、地中にでも飛ばしますかね……埋葬の手間も省けますし」
「瞬きの間に出来るのかい?」
「師長様を先にどうにかできたら」
「一番に僕だけ首を刎ねたらどうだろうか」
「後に掃除をする方が気の毒ですが……そうですね。それだと瞬きの間も要りません」

のんきに今日の天気や、農作物の出来具合いを言い合うように、背筋に寒気の走る話をしている。

罵声はいつの間にか収まっていた。

「君にとって、それはどれくらいの手間だろうか」
「うーん……あっちのものを取ってくるとか、落ちたものを何個か拾うとか、そのくらいですか」
「こういう事ですよ、みなさん。あなた方はマリオン君が“なんかちょっと面倒だから見逃している”と自覚した方がいい」

この後は元気よく罵声を上げる者はひとりもいなかった。
誰もが息を飲み込んだのは、部屋の外にいるカイルとリックにも分かる。
自分たちも同じように息を飲み込んだから。

「己の罪深さを認識されることをおすすめしますよ。十五の子どもを最前線に送ったこと、五年もの長期に渡ってそこへ留まらせたことを、です。
確か、貴方のお嬢さんはマリオン君と同い年ではなかったですか、ローレンス文官長。
貴方のお嬢さんは頭が足らなそうですから、マリオン君とは違って、一日足らずで無言の帰宅をしそうですけどね」

最前線に送った張本人、オリビア嬢の父親もその部屋にいた。
落ち着いて、我が事ではないような知らぬ顔。話を聞いて無い風情で返事すらしない。

その様を見て、魔術師長とマリオンは同時にふへと力無い笑い声を漏らした。

「まぁ何が言いたいかというと。要するに、僕は怒っていますよ。先日のビクター君の件も然り。よくもまぁ、これほど優秀な魔術師を使い潰そうとしてくれましたね。
挙げ句の果てに、恥ずかし気もなくこの場が戦況報告だとかなんとか……」
「……あのぅ……師長様、もういいでしょうか。お腹空いたんですけど」
「あぁはいはい、結構ですよ、マリオン君。下がりなさい……ここからはおっさん同士の話です」
「……それでは失礼いたします」

扉を閉じるとやはり一切の音は漏れ聞こえてこない。

静かな廊下には、窓から入ってくる穏やかな陽の光と、リックの長い長い唸り声がある。

「…………お疲れ様」
「混ざりっ気無し、超高純度の面倒くさいです」
「辛辣さも出来上がってるね」
「師長様が聞いた通り、土の中で圧死させてやればよかった」
「わああああ! 聞こえない! 聞こえないよ!!」
「…………マリオン」
「なんですか?」

カイルは無意識で踏み出して、持ち上げた手を固く握って下にした。
ビクターの言っていた距離感の話を思い出して、苦味を堪える顔をする。

「…………食事に……行こう」
「おおぅ……渋い声」
「黙れ」
「俺もまだなんだよね、一緒に行って良い?」
「…………おふたりでどうぞ」
「っええ?!」


リックが声を張り上げたその時、被さるようにして、遠くから人の叫びが聞こえた。
それも複数あるようだった。

三人はそれが発された方に顔を向ける。
騎士たちがいる側の建物からだ。

何かびりびりとした細かな振動が、窓に嵌め込まれた硝子を揺らす。

通路は筒のような一本道、声や振動は遠くてもよく響いた。

「おっと……なにこれ」
「……あ……石牢……」
「何か知ってるの? マリオン」
「ウチの方には、閉じ込める場所がないんで」

マリオンは叫び声がした方に向けて、走る手前の速度で足を動かす。

カイルとリックは顔を見合わせてマリオンの後を追った。

追い付いて真横に並ぶと、マリオンは進む先から目を離さず、手短な説明をする。




騎士側の建物、地下にある石牢には、ビクターが捕まえた地竜を閉じ込めていた。













燕草月 終十日


ビリー。

望むことはこちらの勝手な都合。
求めるのはそちらの勝手な都合。

制限はするものでもないし、されるものでもない。

でも応えるかどうかは求められた側が決めること、そうでしょう?






地下にある石牢は、真ん中に通路が通り、両側に小部屋が並んでいる。
太い鉄の棒が縦に並び、小さな子どもならすり抜けられそうな間隔だが、それができないように鉄棒には無数の棘が立っている。

マリオンたちが地下への石段を下り切った時には、その鉄棒はぐにゃりと曲がり、一本の上部は完全に外れていた。

大人でも余裕で通れるほどの隙間だったが、中に押し込まれていた竜にはまだ狭い。
人が三人分ほどの体長、五人分以上の重量はある。
地を走る竜、地竜は怒りの咆哮を吐き、開いた鉄棒の間から、人を食い散らそうと頭を出しては空気に噛みつき、間をこじ開けようと鉄棒に体当たりをしていた。

「なんのザマだ、これは!」

石牢の中で反響する涼やかな声は、マリオンから発されていた。
驚いてそちらを見たのは、カイルとリックだけではなく、逃げ遅れて通路の反対側に固まっていた若年の騎士たちもだった。

「ビクターを呼んでこい」

振り返ったマリオンは、カイルとリックに告げる。

カイルはリックの腕を掴んで、階段の方へ押した。
油断ならない場面だ。友に何かあってはいけないし、ましてリックは上官だという意識が働く。
術師の書庫にいると低い声で伝えて、掴んだ腕をぐと握って離した。
リックは無言で頷いて、石段を駆け上がっていった。

「手懐けられるとでも勘違いしたか。馬鹿者が……」

騎士たちに見向きもせず、横柄にものを言う。
マリオンの目は、竜の腹に突き立っていた長剣と、太い足や立派な尾にある数本の槍の柄を見ていた。

ぐるぐると低く唸っている竜は、石床に滴るほど血を流している。

軽く詠唱して手を振ると、竜は口先と、前脚、後ろ脚、尾をそれぞれ縛られて均衡を失い、壁にぶつかってずるずると横向きに倒れた。

マリオンは散歩のような足取りで鉄棒の間をすり抜けて、躊躇なく竜に近付いて、草花を摘むように腹から長剣を抜き取った。

吠えた声は閉じた口から、大きな呻きとしてしか聞こえない。

「……アーネスト?」

長剣に銘打たれた持ち主の名を読み上げる。
カイルは苦い顔をさらに顰めて、端的にその人物を説明した。

上司を別に持つ、若い騎士だった。

「そいつを連れてこい、これに関わった者も全員だ」

長剣の、もちろん刃の部分を、逃げ遅れて端で固まっていた騎士たちに向けて投げた。
術を加減したので、しっかりと騎士たちの紙一重の場所に、間違いなく石壁に突き刺さる。

「聞こえなかったか」
「……アーネスト・ル・フォードだ、行け!」

石床が震えるほどの低音でカイルが命ずる。
その声で自分を取り戻し、返事にも悲鳴にもならない鋭い息を吸い込んで、騎士たちはマリオンとカイルの後ろを走り抜けていった。

「…………マリオン」

槍を一本一本抜いていき、その辺りに放り投げる。

からりと乾いた槍の落ちる音、荒く繰り返される竜の鼻息が耳に付く。

歩を進めてマリオンに近付く。
牢内に足を踏み入れる寸前で、片方の手のひらを向けられ、カイルはそこで足を止めた。

マリオンはカイルを見向きもせずに、竜の頭の方に回ってしゃがみ込む。
頭の上に手を置いて、悪かったと静かに声をかけた。

「無駄に苦しませた……頑張ったな」

銀色の目は暗い石牢でも、わずかな光を拾ってきらきらとしている。真丸だった瞳孔が、マリオンの声に応えるようにすと縦長になった。

どすと鈍い音がすると、地竜の身体は弛緩した。小さな鼻からは血が流れ、遅れて頭の下にも血溜まりが広がっていく。


しばらくすると足音が石段を下りてくる。
状況をすぐに察して、ビクターが大きく悪態を吐いた。

「腹に穴が開いてるじゃないか! 馬鹿しか居ないのかここは!!」

ビクターがここに地竜を閉じ込めたのは、解体して素材を取るためだったが、それをするためにはまず胃や腸の中身を空にさせてきれいになるまで待つ必要があった。

捌くにもひとりだと朝から始めても日暮れには間に合わない。

死んだ瞬間、内臓から腐敗が始まっていくので時間との勝負になってくる。

「くそったれ! 予定がめちゃくちゃだ!」
「ここは狭い、外に出そう」
「…………バラして出すぞ、こら!」
「いい……もうすぐ人手が来る」
「……血がこんなに……もったいない」

ビクターが手元に丈夫で大きな布を呼び出して、床に広げる。

これに関わった若い騎士たちが寄ってたかって布の上に竜を乗せて、屋外に出て中庭を横切り、温室の側の広場まで運んだ。

解体の始まった横で、騎士たちには穴を掘らせた。ダメになった内臓や、使えない部位を埋めるために、竜の大きさ、自分の頭の先まですっぽり入る深さに穴を掘らせる。

ことの重大さは認識していないが、リックとカイルの監視下で、大きな反論は出なかった。

「頭を潰したのか?」
「うん」
「喉は?」
「脳だけだってば」
「……よし、俺内臓、お前皮を剥げ」
「……はいはい」

腹には穴が空いてしまったので、皮としての価値が下がった。ビクターもそこは諦めて作業がし易いように腹を裂き、内臓を掻き出す。
この地竜は草食なので、いくつかある胃の中に石を溜めてそれで草を擦り潰して消化する。

何故かこの種は、きらきらした鉱石を掘り出して飲み込む習性がある。
ビクターもそれを知っていて、わざわざこの種を狩ってきた。普通の石も混ざるが、希少な鉱石が一番の目当てだった。

マリオンは背中から尾にかけて、なるべく大きく皮を剥ごうと、切れ目を入れていく。
本来は尾も入れるところだが、尾にも穴は空いてしまっているので、そこは切り分けると決まった。

もう腐敗が始まって、辺りには鼻の奥が痛くなるような刺激臭が広がる。
若い騎士たちはその臭いと、掻き出された内臓とで、穴の中の自分の吐瀉物も掘り出す羽目になる。

「ビクター、手伝おう」
「……じゃあ、爪と牙を採ってくれ」
「ああ、どうすれば良い?」

一度だけ手本を見せると、カイルは要領良く素材の回収を始める。
リックは青白い顔で少し離れた場所から見学をしていた。



「わぁ。僕も混ぜてもらおうかなぁ!」

騒ぎを聞きつけたのか、魔術師長も温室横の草原にやってくる。
新鮮な尾の身は美味しいよねぇと、のんきに自分の欲しい部分だけを切り出して、若い騎士のひとりに野営用のかまどを石で組ませて、火を熾させた。
その場で食べる気満々で、鼻唄まじりで丁寧に下処理をしている。

「もう臭いが回ってますよ」
「大丈夫だよこのくらい。クセがある方が食欲増すしねぇ……気になるようなら……待っててごらん……」

手元に酒を呼び出してその場に置くと、機嫌良く師長は温室に走っていった。大きな葉を摘んできて、器用に入れ物を作る。
ついでに一緒に摘んだ香草もそこに放り込んだ。

「師長、ヒマなら搾油してくださいよ」
「えーやだよ、くさいよ」
「じゃあ骨採って下さい」
「つるつる滑って手を切っちゃうよ」
「何しに来たんですか、あんた」
「お肉を食べにだよぅ!」
「使えねぇな!!」

結局ビクターの指示の元、他にわらわらと集まってきた魔術師たちと一緒に、解体は進んだ。

日が暮れても賑やかに作業は続く。

良い服を着たままのリックは搾油作業でどろどろ、臭いも染み付いて、衣装を処分するしかなくなった。
若い騎士たちは穴掘りの後、使えない部分を今度は埋める作業をし、ぼろ雑巾のようになっている。

師長はお祭りみたいだねぇと笑って、酒と肉をみんなに振る舞っていた。



紺が滲むすみれ色を見上げて、ひと段落着いたビクターは、緑の絨毯の上にどさりと寝転ぶ。

「竜涎香は?」
「……無かった」
「なんだ、残念」

マリオンはその横にならんで腰を下ろす。

「胃の中は?」
「宝石がいくつかと……でっかい鉱石一個」
「豊作」
「まーね」

これあげると小石をふたつマリオンの手の中に放り込む。

摘んで上に透かすと、周囲の篝火を反射して石の中に白っぽい光が見えた。

頭の上の方にある星と同じ小さな光が瞬く。

「なんだ、それは」

当たり前のようにマリオンの横に座って、カイルもその石を見上げた。

「腹の中にあった宝石だよ……そうだ、そいつに研磨してもらえ」
「……別に」
「そうしよう……預かる」

半ばむしり取るようにして、カイルは石を自分の服に仕舞う。

「俺まだ仕分けする」
「ビクター……ちょっと」
「何だよ、お前らに付き合ってるヒマねーの」

勢いよく起き上がると、そのまま立ち上がって、賑やかな方に向かう。

「気を使わせたか」
「距離感保ってんの」

真っ白の手がふらふらと揺れて、ビクターは振り返りもせずゆったりと歩いていった。

「マリオン」
「……なんですか」
「話し方が戻ったな」
「…………いつもの調子だと舐められるんですよ」
「…………そうか……そうだな」

石牢から解体作業中の指示は、常に横柄な命令口調だった。

無理をしていたのではなく、戦場で、常に歳上に囲まれた若年の女性なら、そうせざるを得なかったのだと、カイルにもすぐにそれは察せた。

「マリオン、腹減らないか?」
「減りましたよ」
「やっと一緒に食事ができるな」
「…………なんですか、ひとりで食べられないんですか」
「マリオンと一緒じゃないと美味くないんだ」
「なんですか、それ」
「なんだろうな?」

夜より真っ黒のマリオンの髪が、篝火を受けて橙にちらちらと光って見える。
カイルはそのひと房を手に取って口元に持っていった。

「私は食べられませんよ」
「…………そうだった」
「肉をもらいに師長のところに行きますよ」
「…………うん、でももう少し休憩」

立ち上がろうとする手を取って引き、マリオンを座らせる。

「…………マリオン」

頬に手を当てて輪郭を指の背で撫でる。ついでに摘んでむにむにと揉んだ。

「ここは竜より美味そうなんだけどな」
「食べさせませんよ」
「食べないよ」

マリオンは眉をきゅっと寄せて、横にいるカイルに顔を向ける。

「カイル?」
「……なんだ?」
「なんだはこっちの言うことです。しっかりして下さいよ」
「何がだ」

きょとんとしか言いようのない顔をしているカイルと、正反対の表情したマリオンはしばし無言で見つめ合う。

昼間だと金に見えるカイルの瞳は、宵と篝火で透き通る茶に見えた。

軽くため息を吐き出すと、マリオンはカイルの左眼があったところに手のひらを当てる。

マリオンのおかげで痛みは引いていたが、無くなった訳ではない。

それがまた無痛に近い状態まで楽になる。

「カイル……見えない目で何を見ているんですか」
「マリオン?」
「貴方の見ているそのマリオンは、十五のマリオンです、私ではない」
「……今のマリオンは?」
「はい?」
「…………こんなに近くにいるのに、そうじゃないって言いたいのか?」
「……最初からです」
「……うん?」
「最初からそうですよ」

静かに微笑んでいる顔は、知っているあどけなさは一欠片も無かった。

学院にいた頃のマリオン。
離れている間にも心の中にいたマリオンも、今、目の前にいる大人びたマリオンも。
少し手を伸ばせば触れられる距離にいる。

「……最初から?」
「貴方は私を見ていない」
「そんなこと……」
「それに……カイルに私を見せたことなんて、一度もありません」
「マリ……」
「さあ、一緒に食事をしましょう」






この様子を遠巻きに見ていた誰もが、ふたりの睦まじさに関心を示した。

呆れたり、にやけた表情を浮かべる。



時を置かずに、騎士と魔術師の親密な関係の噂は、城の隅々にまで届く。