「お母さんの嫌がることしないで、知ってるでしょ私が嫌いな匂いだって
……あ、違うのよ怒ってるわけじゃないの。
ごめんね庵歩、そんな顔しないで……ごめんね」と母は私を抱きしめた。
怒っているのかそれとも私を慰めているのか
、当時の母の歪んだ顔が今も尚忘れられない。
母はHSPの気質があった。周りの変化に敏感で、外では人一倍周りを気遣い考えすぎて、落ち込んで気疲れしてしまう、そういう気質。
そんな母と暮らすには父は無神経すぎたのだろう。
我が道をゆくタイプの父と、細かいところが気になって仕方ない母は根本的な部分から合わなかったのかもしれない。
二人は私が小学校低学年だったあのシナモン事件の数日後に離婚した。
それまでも父は家に帰ってきてなかったし、ある日突然家に帰ってきたと思ったら離婚届を机に置き出ていってしまった。
きっともう会うことはないのだろう、幼いながらにそう感じた。
そして今の今まで父が何をして、どこで暮らしているのか私は知らない。