私が待ち望んだ、行き倒れるまでの経緯を幸助から聞き出せたのは、それから30分ほどしてからだった。
30分も何をしているんだ、そう思うだろう。
私だってそう思った。
この部屋を現在進行形で牛耳っているのは私ではない。
たしかに私の部屋だけれど、主導権は彼ら──お騒がせボーイたちが握っていた。
この部屋に彼らを招き入れた瞬間から、私はナツ君と幸助のペースに巻き込まれている。
どうしてか私はナツ君に二杯目のミロを提供していた。それを眺めていた幸助は「お茶よりミロがいい」と言い出し。
なぜか三人でミロの美味しさについて語り合った。
ミロに罪はない。これだけは断言できる。
「……もう聞いてもいいですよね、なぜあなたが家の前で倒れていたのか」
ついにこの時を待っていたとばかりに私は意気込み、幸助は対照的に苦笑いで頭を掻いた。
「いや、昨日の夜ちょっと買い物に行こうと部屋を出たのはいいですけど、部屋にカードキーを置いて出てしまって……。
おまけに携帯も置いて出てしまって……。
そのまたおまけに財布も置いて出てきてしまったんで部屋に入れないし、財布がないから物も買えない。
なぜかインターホンが壊れてナツを呼べない。あわあわしているうちに完全に寝ていました」
行き倒れていたのではなく爆睡していたらしい。しかしよくあの打撲で起きなかったなあ。
「管理人にマスターキーで開けてもらえればよかったのに」
「え、あ、そっか。その手がありましたか」
「今の今まで気づかない方がすごいです」
「幸助はちょっと抜けてる」
ナツ君が肩を竦めた。
かく言う彼もカードキーを持たずに出て来ていたことを私は知っている。
彼だって手ぶらで横たえる幸助を一生懸命つついていた。
……しかし幸助よ、五歳児と同じかもしくはそれ以下というのはいかがなものか。
携帯も財布もカードキーも持たずに買い物に出るとは、君はお外になんの用事があるのだ。
君のいう買い物とは土手に生えている菜の花を摘むことではあるまい。
それであったとしてもカードキーとエコバックくらいは持っていて然るべきだと思う。
ここにきて幸助の第一印象「美形で阿呆そう」が、じわじわと、しかも確実に、断定系である
「あっぽんたんの阿呆」へ昇格しようとしている。
否、昇格しました。
庵歩は幸助に対していささか辛辣すぎはしないかとお思いかもしれない。
しかしながら、これからこんなことが一度や二度では済まないのだ。
幾度となく私は、彼らの諸事情に巻き込まれる。
だから少々つっけんどんな物言いになるのも許して欲しい。
愛はあるんや。
そこに愛はあるんや。
だいたい人間、興味のない人間には無関心だ。
「嫌よ嫌よも好きのうち」の元を辿ればこれになる。
愛があるが故だと思って私のことを多めに見て欲しい。
──かくして私、庵歩と隣に引っ越してきた幸助は出会ったのである。
*
頼りない幸助と神童ナツ君が心配だったからではない───断じて違う。
ただ作りすぎた豚汁を余らせても、もったいないだけだからお裾分けに行くだけ。
……だってほら、ご近所付き合いも大事でしょ?
とはいえ黄昏時にお裾分けを持ってお隣へ行くなんておばさんくさい。
福沢家インターホンを鳴らすと、パタパタと足音がして扉が開かれた。
「あ、庵歩ちゃんだ!」
ナツ君が出てきてくれた。
「どうしたの? 遊びに来た?」
「ううん、豚汁作りすぎちゃったからお裾分けに来たの。食べるかなと思って」
「やったあ! 庵歩ちゃんが作ったの?」
まあまあ入りなよ、とナツ君が手招きする。
「いやいや、いいよここで。これ渡しに来ただけだから」
「遠慮無用だ!」
「ナツー、誰が来たんだ?」
奥から幸助の気の抜けた声がした。
ナツ君がブンっと振り返って叫ぶ。
「庵歩ちゃんが来たあぁーー!」
これは、なかなか恥ずかしい。
外まで丸聞こえだった。
「琴吹さん?」
リビングから幸助がひょっこり顔を出して、満面の笑みを浮かべた。
「幸助、庵歩ちゃん遊びに来たよ」
違う違う。
お裾分けに来ただけだ。
お鍋を掲げて、アピールしてみせる。
「私はこれを渡しに……」
「そっかあ、じゃあ入って入ってえ〜」
幸助は全然聞いちゃいなかった。
というか、理解していないのか?
「……いや、いいですよ玄関で」
私はやんわり断ったが、そのおしとやかさが裏目にでてしまったようだ。
「……へ、なになにっ」
なぜか私は2人に腕を掴まれていた。
持っている鍋がカタカタと音を立てる。
…………笑みをたたえ、私の腕を我がものとするナツ君と幸助は、だだ、普通に、尋常ではないくらい怖いんですけど。
「え、ちょっと。な、なんですかっ」
「えへへ」
「むふふ、入って〜」
二人は不気味な笑う。無駄にウェルカムな感じがとても怪しい、よからぬことでも企んでいるんじゃなかろうか。
「えへへ、じゃないよ。どうなってんのよ……」
「ね、はやく靴脱いで」
ナツ君が急かす。彼はしゃがんで私の靴紐を解きにかかっている。
「わ、分かった分かったから」
「やった!」
「……お、お邪魔します」
というわけで抵抗もむなしく、私はお呼ばれされる運びとなった。
────あの行き倒れ事件からは時は流れ、はや1ヶ月。
にもかかわらず玄関からチラッと見ただけでも段ボールが積み上げられているということは……
まさか荷解きが終わってない?
連行され、リビングルームまでくるとそのまさかが────まさかだった。
ポツンと中央に置かれた机。テレビラックと観葉植物がベランダのそばに置いてあるだけで、あとはピラミットよろしく段ボールの山が出来上がっていた。
「さあさあ座って、座って」
ご機嫌な幸助が段ボールの中をガサゴソ漁って座布団を敷いてくれた。
段ボールを座布団です、と出されるのかと焦ったが流石にそんなことはなかった。
ここ1ヶ月、ナツ君と幸助はよく私の家に遊びにきていたけれど、私が家に呼ばれるのは今日が初めて。
もしかしてこの人たち、殺風景な部屋にいるのが嫌で私の部屋に入り浸っていたんじゃ。
「私、今日はこれを持ってきただけなんですけど……」
私は持ってきた鍋を差し出した。
「わあ! ありがとう!」
大いに喜んでもらえて結構。
「琴吹さんも一緒に食べませんか?」
お誘いも受けてたとう。
「……それより」
よくこんな環境で1ヶ月も過ごせているな、ナツ君がほとほと可哀想でならない。
「ご飯は、荷解きの後にしましょうか」
「……ごはん、お預け?」
キュートなナツ君の呟きにも今日の私は流されない!
「ご飯はお預けです。こんなところで過ごしてたらナツ君の精神衛生上よくないですよ幸助さん」
「でも、ご飯食べてからじゃないと力が出ないよね、ナツー?」
「あ、ナツ君を味方につけようとするのずるいです!」
「僕、ちゃんと荷解きしてからご飯にするよ!だって庵歩ちゃんがそう言ってるから!」
よく言った、ナツ君!!
「ええ〜、ナツまでそんなこと言うの?」
幸助は口をへの字にして言った。
対照的にナツ君はしっかり腕まくりをして、やる気満々だ。
「仕方ない、俺もやるかあ」
幸助は肩を落として、とぼとぼ段ボールの封を開けた。
なんでこの家の住民が私よりも、荷解きをするのに消極的なんだよ。
「ねえねえ、庵歩ちゃん」
私も手伝うかとおびただしい段ボールの山と向き合ったとき、ナツ君に袖を引かれた。
チラチラと幸助の方を伺いながらの小声だった。うむ、内緒話か?
なになに?
「実はさ、庵歩ちゃんが来るちょっと前に幸助言ってたよ。
『庵歩ちゃんに荷物の整理手伝ってもらおうかな』って。
『やっぱり、ずーずーしいかなあ』とか、言ってた。
なのにあんな風にしょーがないなあとかぼやいて、ほんと素直じゃないよね。庵歩ちゃんがきて喜んでるのバレバレなのに」
「私、なんでも屋じゃないんだけどなあ」
「僕も幸助もそんなことは思ってないよ。だって幸助、いっつもあっっ……⁉︎」
私の前を影が横切る。
「こら!!ナツ〜??」
幸助がすっ飛んできた。そしてこめかみをヒクヒクさせて、ナツ君の口を塞いだ。
「なんか今、いらんこと喋ろうとしたんじゃないだろーなー?」
「&%$#っ……!」
声にならずにモゴモゴと抵抗している所も可愛い。
ナツ君が何を言いたかったのかは結局分からずじまいで、
というか、幸助が「さあさあ荷解きやりましょう」と変にやる気を見せて、煙に巻かれた。
段ボールからは、洗面器や洗顔料、衣類といった生活に絶対必要なものが出てきて、
なんだかこの隣人が1ヶ月どんな生活をしていたのか恐ろしくなった。
確かにうちに来るとき、たいてい二人ともTシャツにジーンズでラフな格好だったから、
段ボールから必要最低限のものくらいは出してたんだろうけど…………。
いや、むしろ今来ている服とその洗い替えしか出してなかったのかも。
タンスなどは完備されてるのに、なかは空っぽだった。
そこに服を畳んでは入れ、畳んでは入れを繰り返していく。
途中、幸助のパンツもあって焦ったけど、しゃしゃっと素早くやっつけた。
「あれ、これって………」
次の段ボールを開けると、たくさんの書籍と絵本が入っていた。
私はそれを見てちょっと微笑ましくなった。
「琴吹さん、どうかしました? え、なんか変なもの入ってましたか⁉︎」
幸助があわてて近寄ってきた。怪しかった。
「そんなことないですよ。……え、変なもの入れてるんですか?」
「いえいえ、まさか! へへ」
「……ほんとかなあ」
「ほんとですよ、やだなあ」
なに、その反応。
それは変なものを入れてる人の反応だ。あーあ、幸助のこと見直しかけたのに、あっさり崩してくれるわ。
「さあ、続きやるぞー」
そんな棒読みの掛け声でさっさと持ち場に戻っていった幸助に訝りの視線を送った。
一体何が隠してあるんだろうか。………まあ私が知ったこっちゃないけど。