11年前の冬、社会人になり立てだった透子は湯島天神を訪れた。
神様にご縁を祈らずにはいられないほど会社の先輩に恋焦がれていたのだ。
冷たい風に頬をなぶられながら階段を15段ほど上がったところで、少し先を上っていた目の前の男子の体がぐらりと傾いた。
危ない、落ちる!
透子はダッシュで少年に駆け寄り体を支えた。
そのおかげで彼は体を立て直したが、代わりに透子はバランスを崩して階段の下まで転げ落ちた。
冬で分厚いコートを着、毛糸の帽子までかぶっていたおかげで大事には至らなかったが、階段の角にぶつけたのだろう。
タイツが破れ、右の膝が切れて出血していた。
駈け下りてきた少年から大丈夫かと問いかけられ慌てて立とうとしたが、足首が痛くてすぐには立てなかった。

「すみません、大丈夫ですか? 」
「大丈夫。お参りに来て転ぶなんて、私よっぽど行いが悪いのね。神様に嫌がられているみたい」

本当にそんな風に感じ、先輩との恋も叶わないのかと、痛みよりもそっちの方がショックだった。

「僕のせいです。病院に行きましょう」
「大丈夫よ。ねえ、その代わり私の分まで拝んできてくれない?」

それでもあきらめきれない透子はそう頼んだのだ。

「何をお願いすればいいですか?」
「恋が絶対に成就しますように、って」
「わかりました。名前は? 誰のお願いだかちゃんと神様に伝えないと」
「みずのとおこ」
「みずのとおこさんの恋愛成就、お願いしてきます。すぐに戻ってくるからここで待ってて。送っていきます」

そう言って、少年は境内に続く階段を駆け上っていったのだ。
あの時、彼はキャップを深くかぶってマスクもしていたからどんな顔だかよく見えなかった。
きれいな目だな、と思ったのは覚えている。