遺跡の内装を煌々と赤く染めるほどの、激しい炎が頭上を通過する。
あまりの眩しさにリアが顔を上げると、影の精霊がばらばらと焼け落ちていく光景がそこにあった。
「オーレリア!!」
怒鳴るような呼び声と、ばしゃばしゃと水を踏む音が近付く。混乱したまま振り向けば、ぐいと体を抱き起こされた。
つんと鼻を衝く薬草の匂い。それから馴染み深い木材の香りがリアを包み込む。泥水で汚れた頬をかさついた手で挟まれると、ようやくそこに見慣れた顔が映し出された。
「……お師匠様……?」
「この馬鹿娘、何だって遺跡に入った!? 俺はエルヴァスティに帰れって言ったんだぞ、鳥頭も大概にしろ!!」
「うう、頭痛い……幻覚じゃないな……」
元々人相の悪い顔つきを更なる怒りに歪めた師匠は、忌々しげな舌打ちと共に視線を巡らせる。不意を突いて燃やした影の精霊が、徐々に力を取り戻しては二人を包囲し始めた。
「くそ、随分と元気だな。誰だ封印を解きやがったのは」
「ふ、封印って?」
「うるせぇ、お前はここから出ることだけ考えてろ」
「ぐ……あ、待ってお師匠様! エドウィンがどこに行っちゃったか分からなくて」
「ああ? 都会の色男のことか? それならくたばった方がいい」
「都会の男に恨みでもあるの!?」
危機感のない会話を続ける間にも、影の精霊はじわじわと二人に迫る。
師匠はリアを片手で引き寄せたまま、あらかじめ用意していたであろう自身の黒髪を宙に投げた。
「お前たち、もう一度だけ頼むぞ……!」
紐で括られた毛束を一口で喰らった火の精霊が、四方八方に飛散しては影を退ける。その隙に師匠はリアを抱きかかえ、一目散に遺跡の入り口へ走った。
「ちょっと待て何か重くねぇか!?」
「うわ酷い! 年頃の淑女に何てことを!」
「誰の話だ」
「あ、でも私さっき水ぶっかけられたから重いかも──お師匠様、背後が凄いことになってるわ!!」
師匠の肩にしがみつきながら、リアは追いかけてくる影獣の群れに目を剥く。火の精霊を怖がる素振りは見せているが、それでも勢いは止まりそうにない。
咄嗟にリアは自分の三つ編みを手で探ってしまったが、自ら切り落としたことを思い出し嘆息する。そうこうしているうちに、ついに影の獣が師匠の足を捉えた。
バランスを崩した師匠の腕から放り出され、リアはごろごろと石畳に転がる。すぐそこに入口があることに気付いては、喜色を露わに振り返ったが──今にも闇に飲まれそうな師匠の背中を見ては悲鳴を上げてしまった。
「お師匠様っ!!」
「馬鹿、お前は来るな!」
怒鳴る師匠の腕を引っ掴み、リアは嫌だと首を振る。ずぶずぶと体が影に沈んでいくことを知りながらも、背を向けて走ることは出来なかった。
「家族を見捨てて逃げろなんて、お師匠様から教わってないわ!」
やけっぱちに叫んだ瞬間、リアの両耳にある紫水晶が小さく閃光を放つ。
そこから微弱ながらも精霊の気配を感じ取り、師弟はハッと目を見開いた。
耳朶で揺れるティアドロップが次々と光の涙を落とし、影を洗い流していく。宝石の中に潜む精霊が、リアの声によって目を覚ましたのかもしれない。一縷の希望が見えた途端、改めて師匠の腕を強く引き寄せ──。
「──リア!!」
黒々とした闇に、真白の光が一閃する。
火の精霊では退けることしか叶わなかった影が、その美しき刃によって消散した。光の残像が止む頃、そこに鋭い菫色の瞳を認めたリアは、尻餅をついた状態で歓喜の声を上げる。
「エドウィン! 無事だったのね!」
師匠は突如として現れた青年を驚愕の眼差しで凝視していたが、やがてリアを引き摺っては遺跡の入り口へ後退した。
二人が距離を取ったことを確認したエドウィンは、死角から飛び掛かった影獣を一瞥もくれずに剣で叩き伏せる。靄ともども薙ぎ払いつつ、獣の輪郭を持つ影を流れるような剣捌きで消し飛ばして見せた。
その研ぎ澄まされた気迫は、影の精霊の方がエドウィンを恐れて尻込みを始めるほど。かく言うリアも、平素の柔和な態度とはまるで違う彼の様子に、口を開けたまま圧倒されるばかりだった。
──銀騎士の銀って、髪色のことかと思ってたけど。
彼自身が一本の剣のようだから、そう呼ばれていたのかもしれない。
「……! お師匠様、見て。影の精霊が」
こちらに背を向けているエドウィンの向こう、通路の奥へ後ずさった闇が、みるみる影を薄くしていく。獲物であるはずのエドウィンが全く捕らえられないことを知り、ようやく諦めたのだろう。
そんな中、ひょこひょこと一匹の小さな獣が駆けてくる。エドウィンが変身した姿とよく似たそれは、彼の爪先までやって来た。
「何だ……?」
エドウィンは再び剣を構えようとして、ふと片膝をつく。
すると影の獣は糸がほどけるように体を溶かし、やがて黒曜の石と化したのだった。
あまりの眩しさにリアが顔を上げると、影の精霊がばらばらと焼け落ちていく光景がそこにあった。
「オーレリア!!」
怒鳴るような呼び声と、ばしゃばしゃと水を踏む音が近付く。混乱したまま振り向けば、ぐいと体を抱き起こされた。
つんと鼻を衝く薬草の匂い。それから馴染み深い木材の香りがリアを包み込む。泥水で汚れた頬をかさついた手で挟まれると、ようやくそこに見慣れた顔が映し出された。
「……お師匠様……?」
「この馬鹿娘、何だって遺跡に入った!? 俺はエルヴァスティに帰れって言ったんだぞ、鳥頭も大概にしろ!!」
「うう、頭痛い……幻覚じゃないな……」
元々人相の悪い顔つきを更なる怒りに歪めた師匠は、忌々しげな舌打ちと共に視線を巡らせる。不意を突いて燃やした影の精霊が、徐々に力を取り戻しては二人を包囲し始めた。
「くそ、随分と元気だな。誰だ封印を解きやがったのは」
「ふ、封印って?」
「うるせぇ、お前はここから出ることだけ考えてろ」
「ぐ……あ、待ってお師匠様! エドウィンがどこに行っちゃったか分からなくて」
「ああ? 都会の色男のことか? それならくたばった方がいい」
「都会の男に恨みでもあるの!?」
危機感のない会話を続ける間にも、影の精霊はじわじわと二人に迫る。
師匠はリアを片手で引き寄せたまま、あらかじめ用意していたであろう自身の黒髪を宙に投げた。
「お前たち、もう一度だけ頼むぞ……!」
紐で括られた毛束を一口で喰らった火の精霊が、四方八方に飛散しては影を退ける。その隙に師匠はリアを抱きかかえ、一目散に遺跡の入り口へ走った。
「ちょっと待て何か重くねぇか!?」
「うわ酷い! 年頃の淑女に何てことを!」
「誰の話だ」
「あ、でも私さっき水ぶっかけられたから重いかも──お師匠様、背後が凄いことになってるわ!!」
師匠の肩にしがみつきながら、リアは追いかけてくる影獣の群れに目を剥く。火の精霊を怖がる素振りは見せているが、それでも勢いは止まりそうにない。
咄嗟にリアは自分の三つ編みを手で探ってしまったが、自ら切り落としたことを思い出し嘆息する。そうこうしているうちに、ついに影の獣が師匠の足を捉えた。
バランスを崩した師匠の腕から放り出され、リアはごろごろと石畳に転がる。すぐそこに入口があることに気付いては、喜色を露わに振り返ったが──今にも闇に飲まれそうな師匠の背中を見ては悲鳴を上げてしまった。
「お師匠様っ!!」
「馬鹿、お前は来るな!」
怒鳴る師匠の腕を引っ掴み、リアは嫌だと首を振る。ずぶずぶと体が影に沈んでいくことを知りながらも、背を向けて走ることは出来なかった。
「家族を見捨てて逃げろなんて、お師匠様から教わってないわ!」
やけっぱちに叫んだ瞬間、リアの両耳にある紫水晶が小さく閃光を放つ。
そこから微弱ながらも精霊の気配を感じ取り、師弟はハッと目を見開いた。
耳朶で揺れるティアドロップが次々と光の涙を落とし、影を洗い流していく。宝石の中に潜む精霊が、リアの声によって目を覚ましたのかもしれない。一縷の希望が見えた途端、改めて師匠の腕を強く引き寄せ──。
「──リア!!」
黒々とした闇に、真白の光が一閃する。
火の精霊では退けることしか叶わなかった影が、その美しき刃によって消散した。光の残像が止む頃、そこに鋭い菫色の瞳を認めたリアは、尻餅をついた状態で歓喜の声を上げる。
「エドウィン! 無事だったのね!」
師匠は突如として現れた青年を驚愕の眼差しで凝視していたが、やがてリアを引き摺っては遺跡の入り口へ後退した。
二人が距離を取ったことを確認したエドウィンは、死角から飛び掛かった影獣を一瞥もくれずに剣で叩き伏せる。靄ともども薙ぎ払いつつ、獣の輪郭を持つ影を流れるような剣捌きで消し飛ばして見せた。
その研ぎ澄まされた気迫は、影の精霊の方がエドウィンを恐れて尻込みを始めるほど。かく言うリアも、平素の柔和な態度とはまるで違う彼の様子に、口を開けたまま圧倒されるばかりだった。
──銀騎士の銀って、髪色のことかと思ってたけど。
彼自身が一本の剣のようだから、そう呼ばれていたのかもしれない。
「……! お師匠様、見て。影の精霊が」
こちらに背を向けているエドウィンの向こう、通路の奥へ後ずさった闇が、みるみる影を薄くしていく。獲物であるはずのエドウィンが全く捕らえられないことを知り、ようやく諦めたのだろう。
そんな中、ひょこひょこと一匹の小さな獣が駆けてくる。エドウィンが変身した姿とよく似たそれは、彼の爪先までやって来た。
「何だ……?」
エドウィンは再び剣を構えようとして、ふと片膝をつく。
すると影の獣は糸がほどけるように体を溶かし、やがて黒曜の石と化したのだった。