青年の声は低く、何者をも平伏させる圧倒的な力をもってして木霊する。
 先程と変わらぬ柔和な笑顔を携えておきながら、彼はそこに滲む嗜虐の色を隠そうともしない。鳶色の双眸に正面から見据えられた司教は、蛇に睨まれた蛙の如く硬直していた。

「我らが魔女狩りなどと無用な争いを繰り広げたことで、精霊術師は姿を消した。あの虐殺で命を落としたのは、精霊とは何の関係もない無辜の民だ。犠牲となった者に教会が恨まれることはあれど、聡い精霊術師が大公家を呪う必要がどこにある?」
「そ……それは」
「いいか、魔女とは貴様ら教会が勝手に創り上げた架空の悪、妄想に過ぎない。大公家で立て続けに起きている不審死は──人の意思によるものではない。そうだろう? オーレリア嬢」
「は」

 急に話を振られたリアは、からからに渇いた喉で戸惑いの声をもらす。雄弁に語る青年の素性が気になって仕方ないが、何とか問いかけの内容を思い出しては小刻みに頷いた。

「ええと、その……そうですね。まずエルヴァスティの考えだと悪魔なんてものがいないし、精霊術師は人を呪えないし……」

 ちら、とエドウィンを窺う。
 大公家の人間が未確認の精霊に見初められている、などと話してよいものだろうか。これを告げることで司教にまた興奮されても困るし、何より平民のリアが大公家の機密を大っぴらに語ることは憚られた。
 しかしそんな彼女の懸念を汲んだ上で、いくらか冷静さを取り戻したエドウィンが静かに頷く。

「大丈夫ですよ、話してください」
「良いの?」
「ええ。……()は事情を承知の上で、ここまでいらっしゃったようですから」

 その視線の先にいるのは、言うまでもなくアスランだ。へらりと笑った青年は、話を促すように片手を広げる。
 ごくりと唾を呑み込んだリアは、無意識のうちにエドウィンの袖口を掴みながら恐る恐る口を切った。

「大公家で起きている不審死は……神隠しと呼ばれる現象の一種です。私たち精霊術師がまだ接触したことのない、未知の精霊が大公家の人たちを攫っていると見ています」

 血の匂いと絶望が充満する戦場で、その精霊が大公家の人間を見初めたこと。
 見初められた者は徐々に影の獣と化し、自らの脚で人里を抜け、精霊の元へ行ってしまうこと。
 自我を失ったが最後、二度と人の世に戻って来れないであろうこと。
 リアが語る内容に、教会の者たちはすっかり青褪めていた。勿論ムイヤールも例外ではなく、大公家が隠していた秘密の全容に驚きと恐怖を示している。

「ま……まごうことなき悪魔ではないか、そのようなっ……」
「精霊は聖魔を持たない存在。善悪の感情も、彼らにはない──影の精霊の性質が、私たちにとって恐ろしく映るというだけ。まぁその、厄介であることに違いはないけど……大公家の人たちは原因も分からなくて、どうすることも出来ないから隠すしかなかったんです。教会にバレたら、こうなるって分かってただろうし」

 今の状況を指して告げれば、教会騎士が気まずそうに顔を見合わせた。
 そんな中、リアの話を満足げに聞き終えたアスランが、鷹揚な仕草でソファに背を預ける。

「ゼルフォード卿が北部戦線を離脱したのも、件の精霊に見初められてしまったから、ということだな」
「はい。仰る通りです」
「そして僥倖か、どこぞでナンパした娘が精霊術師だったから解決の手立てを相談したと」
「あ、いえ……ナンパでは……」 

 真面目に首肯した直後に揶揄われてしまい、エドウィンは恥ずかしそうに口元を覆ってしまった。リア自身、初めは彼をナンパだと思い込んでしまっていたので、残念ながら上手いフォローの仕方は分からず。

「さてオーレリア嬢、不審死の原因は明らかになったが、精霊の呪縛から逃れる方法はありそうか?」
「影の精霊が棲み処にしていそうな場所──バザロフの遺跡に行って、彼らを宥めてみようかと」
「……バザロフ? 陛下が閉ざされた地か」

 ほんの少しだけ、アスランの眼差しが鋭く尖った。
 しかしてそれも一瞬のこと、青年は静かに逡巡したのちに微笑を浮かべる。

「なるほど。精霊術師の読みというのは恐ろしいな」
「ん……?」
「良いだろう、遺跡への進入を許可する」

 青年が槍を支えにして立ち上がれば、それを合図にしてエドウィンとトラヴィスが跪いた。ぎょっとしてリアもその場に屈んでみたが、司教たちもどこか悔しげな面持ちで頭を垂れているではないか。
 一体どういうことかと混乱していると、彼女の動揺っぷりを眺めていた青年が肩を揺らし、自身の髪を鷲掴みにした。

「──サディアス・ガーランド=クルサードが命じる。大公家を長きに渡って苦しめている元凶、その払拭をゼルフォード伯爵および精霊術師オーレリアに任せよう」

 野暮ったい茶髪の下から現れたのは、透けるような金糸。
 ぼとっとウィッグが落とされる様を見届けたリアは、隣でそっぽを向いているエドウィンの腕をぎりぎりと掴んでしまった。

 サディアス・ガーランド──それって皇太子の名前だろう、と。