今より十八年前、クルサード皇帝シルヴェスタ―・ガーランドの声明によって、永遠に続くかと思われた魔女狩りが終結を迎えようとしていた頃のこと。
謂れなき罪を着せられた最後の魔女が、命を落とした。
魔女の名はエスター・アストリー。
朝の晴天に染まった美しき藍白の髪と、密やかに咲く菫の花を思わせる瞳。
人並外れたその美貌は、悪魔──精霊が化けた姿ではないかと誰かが言った。
可憐な容姿ゆえ多くの異性から言い寄られていたエスターだったが、決して誰に靡くこともなく、許嫁であったゼルフォード伯爵の妻となるべく貞節を守っていた。それが彼女の慎ましく気高い性格から来るものだと、親しい間柄の者ならば理解できたことだろう。
しかしながら、魔女狩りによって疲弊し正常な思考が儘ならなかった人々は、エスターが精霊であるがゆえに人と交われなかったのだと主張する。
当時、伯爵夫妻の間に息子が生まれていたにも関わらず、だ。
エスターへの想いを諦めた者、それゆえにゼルフォード伯爵を妬む者。彼らはこぞってエスターが魔女であると弾劾し、一時は伯爵邸に怪しげな集団が押し掛けてきたこともあった。
伯爵は妻と幼い息子の安全を守るべく、二人を大公宮へ移そうとしたが──。
「──エスター!!」
母子を乗せた馬車が横転し、エスターはそのまま帰らぬ人となってしまった。
彼女は息を引き取るその時まで、泣き喚く幼子を腕に抱いていたという。
◇◇◇
「……どういうこと? エドウィンのお母さんは……そんな理由で魔女狩りの対象にされたの……?」
リアは信じられない気持ちで尋ねてしまった。
七年にも渡って繰り広げられた魔女狩りが、如何に理不尽で混沌としていたかは、師匠や大巫女から何度か聞かされたことはある。だがその実情はリアが想像していた以上に凄惨だったらしい。
富みを持つ者、権力を持つ者、そして他人を惑わす美しき者。日頃から周囲の恨みや妬みを買いやすい者は、魔女狩りに乗じて迫害の対象にされたのだ。
伯爵邸に飾られていた絵画──エドウィンの母であるエスターは、そんな罪なき被害者の一人だった。
「それがイーリル教会主催の魔女狩りさ。銀騎士殿の母君は事故死だったが……それも幸運だったかもしれないな?」
「……ええ。今は……そう思います」
眼帯の男の無礼にも思える発言に、しかしてエドウィンは同意した。
魔女狩りの対象になった者は捕らわれたら最後、身分問わず口にするのも恐ろしい拷問に掛けられたという。エスターが惨い仕打ちに晒されることなく生涯を閉じたことは、残された父子の悲しみをわずかに軽くした。
無論、家族と共に末永く暮らせたのなら、それ以上の幸福はなかったけれど。
「で、あのエイミス家の坊ちゃんは、銀騎士殿の容姿器量その他諸々に嫉妬するあまり、母君のことを引き合いに出して虐めていたと」
「はあ!? じゃあ一発殴っても良かったんじゃない!?」
「リア、落ち着いて」
つい腕捲りをしたリアを、慌ててエドウィンが引き留める。だが今の話を聞いて、故人であるエスターを侮辱したブレントンはとてもじゃないが擁護できない上に、人として何かが欠落しているとしか思えなかった。
──さっきは私もエドウィンにちょっとビビってたけど、あんなの当然の反応じゃない!
寧ろエドウィンはよく抑えたものだ。リアは自分が彼と同じ立場だったなら、その場でボコボコにしていたと思う。
リアが鼻息荒く憤慨を露わにする傍ら、うろたえているエドウィンとは対照的に、眼帯の男は豪快に笑っていた。
「そうだな、だから喧嘩の売り方が分かってないと言ったんだ。坊ちゃんは未だに銀騎士殿が弱々しい少年のままだと思ってたんだろうよ。ところがどっこい、五年も戦場にいた銀騎士殿はどんな猛者も尻尾巻いて逃げるほどの鬼神に成長していてだな」
「え! エドウィンってもしかしてとっても有名なの?」
「べドナーシュにまで銀騎士の名が届いてくるぐらいだぞ? 大公国の娘はみな銀騎士殿に夢中なんて噂も」
「話を盛り過ぎです。信じないでください」
確かにエドウィンは女性から大人気だと同意しかけたところで、リアの両耳はそっと塞がれてしまった。
先程の暗く沈んだ顔色は払拭されたが、今度は一転して恥ずかしそうな顔でエドウィンが溜息をつく。
「……ブレントン殿がわざわざ僕の元までやって来た理由がよく分かりました……」
「向こうは未だに公爵の子どもってだけだからな。羨ましいんだろうねぇ」
しみじみと語る男に、エドウィンは眉を顰めつつ視線を逸らした。
話をまとめると、ブレントンは子どもじみた嫉妬を拗らせ、エドウィンの評判を下げようと昔から必死だったわけだ。エスターの魔女疑惑さえ持ち出せば、昔と同様にエドウィンが大人しくなると踏み──見事に当てが外れた上にとんでもない怒りを受けてしまった。
あまりの幼稚さに頭痛すら感じたが、エドウィンの鮮明な怒りを目の当たりにしたことで、少しは態度を改めるのではないだろうか。
何せ故人への中傷、それも大公家の姻戚であるエスターを侮辱するなど、公爵家にとっても恥ずべき行為なのだから。
「これで満足か? お嬢さん」
「え?」
眼帯の男から唐突に尋ねられ、リアは呆けた。
菜の花色の瞳を瞬かせると、男は背を屈めてにっこりと笑う。
「銀騎士殿の昔話さ。問われるままに答えてやったんだから、今度は俺の質問に答えていただけるかな」
「は? ちょ、ちょっと、何それ、話してくれたのはエドウィンでしょ」
「だが話を円滑に進めたのは俺だろう? ついでにシケた空気も和ませたんだ、感謝しろ感謝」
リアはくしゃりと顔を歪めたが、どれも事実なので反論はせず。
「良いわよ、何が聞きたいの? 先に言っておくけど私はまだ見習いだから、難病を治せだなんて言わないでね」
「病の治療は正式な医者に頼むさ。俺が聞きたいのは──ああ、そう言えば自己紹介がまだだったな」
そこで男は恭しく片手を胸に当て、リアとエドウィンに一礼した。
「俺はノルベルト・フォルティーン。べドナーシュ共和国の元老院議員だ、一応な」
謂れなき罪を着せられた最後の魔女が、命を落とした。
魔女の名はエスター・アストリー。
朝の晴天に染まった美しき藍白の髪と、密やかに咲く菫の花を思わせる瞳。
人並外れたその美貌は、悪魔──精霊が化けた姿ではないかと誰かが言った。
可憐な容姿ゆえ多くの異性から言い寄られていたエスターだったが、決して誰に靡くこともなく、許嫁であったゼルフォード伯爵の妻となるべく貞節を守っていた。それが彼女の慎ましく気高い性格から来るものだと、親しい間柄の者ならば理解できたことだろう。
しかしながら、魔女狩りによって疲弊し正常な思考が儘ならなかった人々は、エスターが精霊であるがゆえに人と交われなかったのだと主張する。
当時、伯爵夫妻の間に息子が生まれていたにも関わらず、だ。
エスターへの想いを諦めた者、それゆえにゼルフォード伯爵を妬む者。彼らはこぞってエスターが魔女であると弾劾し、一時は伯爵邸に怪しげな集団が押し掛けてきたこともあった。
伯爵は妻と幼い息子の安全を守るべく、二人を大公宮へ移そうとしたが──。
「──エスター!!」
母子を乗せた馬車が横転し、エスターはそのまま帰らぬ人となってしまった。
彼女は息を引き取るその時まで、泣き喚く幼子を腕に抱いていたという。
◇◇◇
「……どういうこと? エドウィンのお母さんは……そんな理由で魔女狩りの対象にされたの……?」
リアは信じられない気持ちで尋ねてしまった。
七年にも渡って繰り広げられた魔女狩りが、如何に理不尽で混沌としていたかは、師匠や大巫女から何度か聞かされたことはある。だがその実情はリアが想像していた以上に凄惨だったらしい。
富みを持つ者、権力を持つ者、そして他人を惑わす美しき者。日頃から周囲の恨みや妬みを買いやすい者は、魔女狩りに乗じて迫害の対象にされたのだ。
伯爵邸に飾られていた絵画──エドウィンの母であるエスターは、そんな罪なき被害者の一人だった。
「それがイーリル教会主催の魔女狩りさ。銀騎士殿の母君は事故死だったが……それも幸運だったかもしれないな?」
「……ええ。今は……そう思います」
眼帯の男の無礼にも思える発言に、しかしてエドウィンは同意した。
魔女狩りの対象になった者は捕らわれたら最後、身分問わず口にするのも恐ろしい拷問に掛けられたという。エスターが惨い仕打ちに晒されることなく生涯を閉じたことは、残された父子の悲しみをわずかに軽くした。
無論、家族と共に末永く暮らせたのなら、それ以上の幸福はなかったけれど。
「で、あのエイミス家の坊ちゃんは、銀騎士殿の容姿器量その他諸々に嫉妬するあまり、母君のことを引き合いに出して虐めていたと」
「はあ!? じゃあ一発殴っても良かったんじゃない!?」
「リア、落ち着いて」
つい腕捲りをしたリアを、慌ててエドウィンが引き留める。だが今の話を聞いて、故人であるエスターを侮辱したブレントンはとてもじゃないが擁護できない上に、人として何かが欠落しているとしか思えなかった。
──さっきは私もエドウィンにちょっとビビってたけど、あんなの当然の反応じゃない!
寧ろエドウィンはよく抑えたものだ。リアは自分が彼と同じ立場だったなら、その場でボコボコにしていたと思う。
リアが鼻息荒く憤慨を露わにする傍ら、うろたえているエドウィンとは対照的に、眼帯の男は豪快に笑っていた。
「そうだな、だから喧嘩の売り方が分かってないと言ったんだ。坊ちゃんは未だに銀騎士殿が弱々しい少年のままだと思ってたんだろうよ。ところがどっこい、五年も戦場にいた銀騎士殿はどんな猛者も尻尾巻いて逃げるほどの鬼神に成長していてだな」
「え! エドウィンってもしかしてとっても有名なの?」
「べドナーシュにまで銀騎士の名が届いてくるぐらいだぞ? 大公国の娘はみな銀騎士殿に夢中なんて噂も」
「話を盛り過ぎです。信じないでください」
確かにエドウィンは女性から大人気だと同意しかけたところで、リアの両耳はそっと塞がれてしまった。
先程の暗く沈んだ顔色は払拭されたが、今度は一転して恥ずかしそうな顔でエドウィンが溜息をつく。
「……ブレントン殿がわざわざ僕の元までやって来た理由がよく分かりました……」
「向こうは未だに公爵の子どもってだけだからな。羨ましいんだろうねぇ」
しみじみと語る男に、エドウィンは眉を顰めつつ視線を逸らした。
話をまとめると、ブレントンは子どもじみた嫉妬を拗らせ、エドウィンの評判を下げようと昔から必死だったわけだ。エスターの魔女疑惑さえ持ち出せば、昔と同様にエドウィンが大人しくなると踏み──見事に当てが外れた上にとんでもない怒りを受けてしまった。
あまりの幼稚さに頭痛すら感じたが、エドウィンの鮮明な怒りを目の当たりにしたことで、少しは態度を改めるのではないだろうか。
何せ故人への中傷、それも大公家の姻戚であるエスターを侮辱するなど、公爵家にとっても恥ずべき行為なのだから。
「これで満足か? お嬢さん」
「え?」
眼帯の男から唐突に尋ねられ、リアは呆けた。
菜の花色の瞳を瞬かせると、男は背を屈めてにっこりと笑う。
「銀騎士殿の昔話さ。問われるままに答えてやったんだから、今度は俺の質問に答えていただけるかな」
「は? ちょ、ちょっと、何それ、話してくれたのはエドウィンでしょ」
「だが話を円滑に進めたのは俺だろう? ついでにシケた空気も和ませたんだ、感謝しろ感謝」
リアはくしゃりと顔を歪めたが、どれも事実なので反論はせず。
「良いわよ、何が聞きたいの? 先に言っておくけど私はまだ見習いだから、難病を治せだなんて言わないでね」
「病の治療は正式な医者に頼むさ。俺が聞きたいのは──ああ、そう言えば自己紹介がまだだったな」
そこで男は恭しく片手を胸に当て、リアとエドウィンに一礼した。
「俺はノルベルト・フォルティーン。べドナーシュ共和国の元老院議員だ、一応な」