初代メイスフィールド大公──二十七年前に急死した彼が生前、イーリル教会に背くような学説を提唱していたことにリアは困惑した。
敬虔な信徒であるクルサード皇帝の弟なのだから、てっきり彼もイーリルを崇拝しているのかと思っていたが、どうやら実際は違ったらしい。
この表裏一体説はきっと魔女狩りと共に歴史の影に葬り去られ、今となっては少数の学者しか知り得ないのだろう。何せこれは、一国の君主が真っ向から善神イーリルを否定したようなものだから。
「……じゃあ初代大公って、教会から嫌われてたのかな……? こんな説を提唱したら確実に目を付けられるわよね」
そもそも初代大公が亡くなったのは何故なのだろうか。
表向きには精霊に取り殺されたとか、精霊に魂を売っただとか、教会の偏見がたっぷりの曖昧な内容しか伝わっていない。確かに精霊はイーリルのような「善意」だけで構成された都合のよい存在ではないため、もしかしたらそんなこともある、かもしれない。
はたまたエドウィンや大公家の人間のように、謎の呪いによって姿を消してしまった可能性も十分にある。
だが初代大公が教会から目を付けられていたというのなら、それらとは全く違う可能性も考えるべきだ。
──教会が自身の地位を脅かす初代大公を殺し、その罪を精霊に押し付けた、とか。
彼らは厄介な大公を排除するついでに、精霊の邪悪さとイーリルの正しさを強調したのではなかろうか。最近では教皇の発言力が皇帝を凌ぐほどになっているとも聞くし、馬鹿げた妄想だと切り捨てることは出来ない。
「でもそれだと大公家の説明がつかないわね……」
二十七年前の急死が人間同士のいざこざの結果だとしたら、今現在も大公家を苦しめている呪いは一体何なのだ。
リアはそこで思考が詰まり、唸りながら本を閉じた。
取り敢えず初代大公が教会に喧嘩を売っていたことは分かった。それと、彼がイーリル教に依存せず、非常に柔軟な思考の持ち主であったことも。
問題は彼がどうして亡くなったのか、それが呪いに関係しているか否か──。
「……初代大公と、大公家から消えた人たちの共通点はないかな」
ぱっと顔を上げたリアは、しかして再び難しげに眉を顰める。
一平民が大公家の系譜など閲覧できるはずもない。況してや呪われた者は病死として扱われ、正しい記録すら残されていないことだろう。
ならばと、彼女は身近なエドウィンと初代大公について比較してみることにしたのだが。
「まず初代大公は征服戦争で大活躍したのよね。皇帝の元で異民族をばっさばっさ倒して……」
──戦争。
そういえばエドウィンも、ついこの前まで北方のキーシンとの戦に身を投じていた。当時の戦場も確か今と近かったはず。
いきなり共通点が出てきたが、果たして関係があるのだろうか。残念ながら北方に何があるのか、リアには分からない。だが妙に引っ掛かるのは事実なので、手早く手帳に「北、戦場」と書き留めておく。
「地図はないかな。キーシン辺りの」
閲覧席から立ち上がった瞬間のことだった。
がたん、と何処からか物音が聞こえ、リアは目を瞬かせる。
再び静かになった空間に視線を巡らせて、手帳を懐に仕舞う。忍び足で奥の部屋を覗き込んでみると、微かに音が──誰かの話し声がする。
「……っ」
続いて空気を震わせたのは、押し殺すような息遣い。
もしや奥で何か揉め事でも起きているのだろうか。
リアは恐る恐る書架の間を窺い、そこに倒れていた梯子を見つける。さっきの大きな音はこれかと、彼女がそのまま視線を持ち上げると。
「──声かけて良かったかも。こんなに素敵だなんて」
「期待に添えたようで嬉しいよ」
「ふふ」
手足を絡ませ抱き合う二人の男女がそこにいた。
リアが真顔で思考停止している間も、女は婀娜っぽく笑っている。指先で男の頭を掻き抱いて、堂々と覗き見されていることなど全く気付かず。
対する長身の男はと言えば、顔に掛かる黒髪の隙間からしっかりとリアの姿を捉えていた。
片手で女を抱き締めながら、仄暗い笑みと共に人差し指を立てる。
──イイところだから黙って立ち去れ、といったところか。
リアはにこりと笑って傍らにある紐を引き、呼び鈴を思い切り鳴らしたのだった。
「すみませーん梯子が倒れちゃいましたー!」
「おいコラ小娘! 読め! 空気を!!」
「きゃあー!? 誰よこの子!?」
敬虔な信徒であるクルサード皇帝の弟なのだから、てっきり彼もイーリルを崇拝しているのかと思っていたが、どうやら実際は違ったらしい。
この表裏一体説はきっと魔女狩りと共に歴史の影に葬り去られ、今となっては少数の学者しか知り得ないのだろう。何せこれは、一国の君主が真っ向から善神イーリルを否定したようなものだから。
「……じゃあ初代大公って、教会から嫌われてたのかな……? こんな説を提唱したら確実に目を付けられるわよね」
そもそも初代大公が亡くなったのは何故なのだろうか。
表向きには精霊に取り殺されたとか、精霊に魂を売っただとか、教会の偏見がたっぷりの曖昧な内容しか伝わっていない。確かに精霊はイーリルのような「善意」だけで構成された都合のよい存在ではないため、もしかしたらそんなこともある、かもしれない。
はたまたエドウィンや大公家の人間のように、謎の呪いによって姿を消してしまった可能性も十分にある。
だが初代大公が教会から目を付けられていたというのなら、それらとは全く違う可能性も考えるべきだ。
──教会が自身の地位を脅かす初代大公を殺し、その罪を精霊に押し付けた、とか。
彼らは厄介な大公を排除するついでに、精霊の邪悪さとイーリルの正しさを強調したのではなかろうか。最近では教皇の発言力が皇帝を凌ぐほどになっているとも聞くし、馬鹿げた妄想だと切り捨てることは出来ない。
「でもそれだと大公家の説明がつかないわね……」
二十七年前の急死が人間同士のいざこざの結果だとしたら、今現在も大公家を苦しめている呪いは一体何なのだ。
リアはそこで思考が詰まり、唸りながら本を閉じた。
取り敢えず初代大公が教会に喧嘩を売っていたことは分かった。それと、彼がイーリル教に依存せず、非常に柔軟な思考の持ち主であったことも。
問題は彼がどうして亡くなったのか、それが呪いに関係しているか否か──。
「……初代大公と、大公家から消えた人たちの共通点はないかな」
ぱっと顔を上げたリアは、しかして再び難しげに眉を顰める。
一平民が大公家の系譜など閲覧できるはずもない。況してや呪われた者は病死として扱われ、正しい記録すら残されていないことだろう。
ならばと、彼女は身近なエドウィンと初代大公について比較してみることにしたのだが。
「まず初代大公は征服戦争で大活躍したのよね。皇帝の元で異民族をばっさばっさ倒して……」
──戦争。
そういえばエドウィンも、ついこの前まで北方のキーシンとの戦に身を投じていた。当時の戦場も確か今と近かったはず。
いきなり共通点が出てきたが、果たして関係があるのだろうか。残念ながら北方に何があるのか、リアには分からない。だが妙に引っ掛かるのは事実なので、手早く手帳に「北、戦場」と書き留めておく。
「地図はないかな。キーシン辺りの」
閲覧席から立ち上がった瞬間のことだった。
がたん、と何処からか物音が聞こえ、リアは目を瞬かせる。
再び静かになった空間に視線を巡らせて、手帳を懐に仕舞う。忍び足で奥の部屋を覗き込んでみると、微かに音が──誰かの話し声がする。
「……っ」
続いて空気を震わせたのは、押し殺すような息遣い。
もしや奥で何か揉め事でも起きているのだろうか。
リアは恐る恐る書架の間を窺い、そこに倒れていた梯子を見つける。さっきの大きな音はこれかと、彼女がそのまま視線を持ち上げると。
「──声かけて良かったかも。こんなに素敵だなんて」
「期待に添えたようで嬉しいよ」
「ふふ」
手足を絡ませ抱き合う二人の男女がそこにいた。
リアが真顔で思考停止している間も、女は婀娜っぽく笑っている。指先で男の頭を掻き抱いて、堂々と覗き見されていることなど全く気付かず。
対する長身の男はと言えば、顔に掛かる黒髪の隙間からしっかりとリアの姿を捉えていた。
片手で女を抱き締めながら、仄暗い笑みと共に人差し指を立てる。
──イイところだから黙って立ち去れ、といったところか。
リアはにこりと笑って傍らにある紐を引き、呼び鈴を思い切り鳴らしたのだった。
「すみませーん梯子が倒れちゃいましたー!」
「おいコラ小娘! 読め! 空気を!!」
「きゃあー!? 誰よこの子!?」