セシル・オルブライト=メイスフィールドは、次期大公としての教育を幼児の頃から施されているおかげか、少々大人びた振る舞いをする。必要以上に大人へ甘えず、我儘も言わず、大公家ひいてはクルサード皇室の一員としての自覚を養ってきた。
散歩をするときは護衛騎士と手を繋がないし、紅茶に角砂糖は入れない。だから自分は立派な大人であると豪語する様はとても可愛らしい、と結果的に侍女たちから甘やかされていることに本人は気付いていない。
そんな四、五年間の成長を知らないエドウィンが、以前と同じように接してしまうのは仕方ないことだった。
「──おやセシル様。大人なのにエドウィンに抱っこしてもらってるのですか」
「黙れトラヴィス。どうしてもと言うから特別に許可をしたのだ」
「そうですか、それは仕方ないですね」
セシルが住まうアズライト宮へ向かうなり現れたのは、公子の護衛騎士であるトラヴィス・シムだ。
普段は無気力な顔でセシルをからかって遊んでいるような男だが、その剣の腕は鬼神とまで恐れられている。エドウィンが手合わせをしたのは十代半ばの頃だが、そのときから彼は既に天才の片鱗を見せていたと言えよう。
「久しぶりだなエドウィン。病で戦線離脱と聞いたときは驚いたが、意外に元気そうだ」
「ええ、そのことで少しお話が……」
エドウィンがそっと公子を降ろすと、トラヴィスは部屋の隅に控えている侍女に退室するよう目配せをする。
三人以外誰もいなくなったところで、エドウィンは少々重い気分に襲われながら口を切った。
「──……呪いだと?」
ひと月前から今日に至るまでの経緯を話せば、二人は愕然とした面持ちで固まっていた。
ついこの前まで、エドウィンは呪いに掛かったことを誰にも告げないつもりでいた。一人で秘密を抱えたまま姿を消そうとまで考えていたのだが──リアと出会ったことで、今は少し前向きな思考ができる。
昔からの付き合いであるセシルと、その腹心であるトラヴィス。彼らにだけは呪いを明かし、万が一の事態に備えてもらわねばならない。
「今は進行がゆるやかですが、いつ獣になるか分からない状態です。手の施しようがなくなった場合は……爵位を返上し、大公国から立ち去ります」
「そんな……」
「その際には、伯爵家に仕える者たちを引き取っていただきたいのです。僕は二度と大公家に近付きませんので、どうかお願いいたします」
深く頭を垂れれば、セシルが動揺を露わにソファから立ち上がる。トラヴィスの制止も聞かずに駆け寄ってきた公子は、幼い頃と変わらぬ仕草でエドウィンの袖を掴んだ。
「何かの間違いではないのか。よりによって何故あの呪いなのだ」
「既に幾度も獣の姿になっております。紛れもない事実としてお受け取りください、殿下」
「……!」
酷であると分かりつつもはっきりと断言する。頭を鈍器で殴られたかのように茫然としてしまったセシルが、よろよろと後ずさったところで、トラヴィスがその小さな背中を受け止めた。
彼も少なからず衝撃を受けた様子で、ゆっくりとエドウィンを見遣る。
「……大公殿下には打ち明けたか?」
「いえ、それはまだ……」
「ならば少し待て。今、大公宮に西方教会の司教が来ている。下手に動いて情報が漏れると不味いことになるぞ」
何の用件かは知らんがな、とトラヴィスは胡散臭げな顔で付け加えた。
西方教会の司教ムイヤールは、帝国のイーリル教会から派遣された男だ。聞くところによると度を越した熱狂的な信者で、なかなか気難しい性格をしているとか。
教皇や皇帝にたびたびエルヴァスティへの聖戦を提案しているような危険な輩で、今度は大公にまで図々しく進言をしに来たのではと噂されているようだ。
「奴に呪いの存在を知られると厄介だ。大公家を排除して教皇領にするだの何だの、喚き散らすのは目に見えているだろう」
それこそエドウィンが恐れている事態そのものだった。
初代メイスフィールド大公が悪しき精霊によって命を落としたという認識が広まっている中で、その血筋に正体不明の呪いが現れているとなれば──穢れた異端者としての烙印を押されかねない。
つまりエドウィンがきっかけで大公家が断罪される未来も十分にあり得るのだ。目の前にいる幼い公子だって例外ではない。過去に起きた凄惨な魔女狩りの時代が、自分のせいで再来する。
──それだけは絶対に避けなくては。
手のひらに滲む汗を拭いつつ、エドウィンは静かに息をついた。
「分かりました。司教殿には十分気を付けます」
「ああ。それで……呪いの対抗策はあるのか」
「エルヴァスティの精霊術師殿が協力してくださっています」
「さっきの女性か!?」
そこで弾かれるようにしてセシルが我に返った。エドウィンが穏やかに「ええ」と肯定すれば、公子の表情に少しばかり希望が宿る。
「魔女狩り以降、精霊術師は大陸から姿を消したと習ったぞ。よく見付けられたな」
「はい、僥倖でした。まだ修行中の身だと言っていましたが……」
胸元にあるアミュレットを衣服の上から押さえ、彼は気丈な笑みをセシルに向けたのだった。
「……出来得る限り、彼女と解呪の糸口を探してみます。これからの大公家のためにも」
散歩をするときは護衛騎士と手を繋がないし、紅茶に角砂糖は入れない。だから自分は立派な大人であると豪語する様はとても可愛らしい、と結果的に侍女たちから甘やかされていることに本人は気付いていない。
そんな四、五年間の成長を知らないエドウィンが、以前と同じように接してしまうのは仕方ないことだった。
「──おやセシル様。大人なのにエドウィンに抱っこしてもらってるのですか」
「黙れトラヴィス。どうしてもと言うから特別に許可をしたのだ」
「そうですか、それは仕方ないですね」
セシルが住まうアズライト宮へ向かうなり現れたのは、公子の護衛騎士であるトラヴィス・シムだ。
普段は無気力な顔でセシルをからかって遊んでいるような男だが、その剣の腕は鬼神とまで恐れられている。エドウィンが手合わせをしたのは十代半ばの頃だが、そのときから彼は既に天才の片鱗を見せていたと言えよう。
「久しぶりだなエドウィン。病で戦線離脱と聞いたときは驚いたが、意外に元気そうだ」
「ええ、そのことで少しお話が……」
エドウィンがそっと公子を降ろすと、トラヴィスは部屋の隅に控えている侍女に退室するよう目配せをする。
三人以外誰もいなくなったところで、エドウィンは少々重い気分に襲われながら口を切った。
「──……呪いだと?」
ひと月前から今日に至るまでの経緯を話せば、二人は愕然とした面持ちで固まっていた。
ついこの前まで、エドウィンは呪いに掛かったことを誰にも告げないつもりでいた。一人で秘密を抱えたまま姿を消そうとまで考えていたのだが──リアと出会ったことで、今は少し前向きな思考ができる。
昔からの付き合いであるセシルと、その腹心であるトラヴィス。彼らにだけは呪いを明かし、万が一の事態に備えてもらわねばならない。
「今は進行がゆるやかですが、いつ獣になるか分からない状態です。手の施しようがなくなった場合は……爵位を返上し、大公国から立ち去ります」
「そんな……」
「その際には、伯爵家に仕える者たちを引き取っていただきたいのです。僕は二度と大公家に近付きませんので、どうかお願いいたします」
深く頭を垂れれば、セシルが動揺を露わにソファから立ち上がる。トラヴィスの制止も聞かずに駆け寄ってきた公子は、幼い頃と変わらぬ仕草でエドウィンの袖を掴んだ。
「何かの間違いではないのか。よりによって何故あの呪いなのだ」
「既に幾度も獣の姿になっております。紛れもない事実としてお受け取りください、殿下」
「……!」
酷であると分かりつつもはっきりと断言する。頭を鈍器で殴られたかのように茫然としてしまったセシルが、よろよろと後ずさったところで、トラヴィスがその小さな背中を受け止めた。
彼も少なからず衝撃を受けた様子で、ゆっくりとエドウィンを見遣る。
「……大公殿下には打ち明けたか?」
「いえ、それはまだ……」
「ならば少し待て。今、大公宮に西方教会の司教が来ている。下手に動いて情報が漏れると不味いことになるぞ」
何の用件かは知らんがな、とトラヴィスは胡散臭げな顔で付け加えた。
西方教会の司教ムイヤールは、帝国のイーリル教会から派遣された男だ。聞くところによると度を越した熱狂的な信者で、なかなか気難しい性格をしているとか。
教皇や皇帝にたびたびエルヴァスティへの聖戦を提案しているような危険な輩で、今度は大公にまで図々しく進言をしに来たのではと噂されているようだ。
「奴に呪いの存在を知られると厄介だ。大公家を排除して教皇領にするだの何だの、喚き散らすのは目に見えているだろう」
それこそエドウィンが恐れている事態そのものだった。
初代メイスフィールド大公が悪しき精霊によって命を落としたという認識が広まっている中で、その血筋に正体不明の呪いが現れているとなれば──穢れた異端者としての烙印を押されかねない。
つまりエドウィンがきっかけで大公家が断罪される未来も十分にあり得るのだ。目の前にいる幼い公子だって例外ではない。過去に起きた凄惨な魔女狩りの時代が、自分のせいで再来する。
──それだけは絶対に避けなくては。
手のひらに滲む汗を拭いつつ、エドウィンは静かに息をついた。
「分かりました。司教殿には十分気を付けます」
「ああ。それで……呪いの対抗策はあるのか」
「エルヴァスティの精霊術師殿が協力してくださっています」
「さっきの女性か!?」
そこで弾かれるようにしてセシルが我に返った。エドウィンが穏やかに「ええ」と肯定すれば、公子の表情に少しばかり希望が宿る。
「魔女狩り以降、精霊術師は大陸から姿を消したと習ったぞ。よく見付けられたな」
「はい、僥倖でした。まだ修行中の身だと言っていましたが……」
胸元にあるアミュレットを衣服の上から押さえ、彼は気丈な笑みをセシルに向けたのだった。
「……出来得る限り、彼女と解呪の糸口を探してみます。これからの大公家のためにも」