無事に復帰を許された二人の護衛騎士を伴って、リアは上機嫌に皇宮の庭園へ出た。春の陽気に晒された色とりどりの花をすり抜ければ、エドウィンとの待ち合わせ場所である南門が見えてくる。
 歪みのない半円のアーチをくぐりながら、以前ここで嫉妬を拗らせたことを思い出す。あのときは階段を下りたところにエドウィンがいて、リアが駆け寄るよりも先に、彼の元へ勢いよく令嬢たちが押し寄せたのだった。
 苦く恥ずかしい記憶を頭の隅に押しやりつつ、恐る恐る長い階段を覗き込んでみると──。

「エドウィン様は!?」
「確かこちらに向かわれたはずですのに」
「情報は確かですの!? まさか誰か抜け駆けを……!」

 侍従に日傘を持たせた令嬢たちが、そこで落ち着きなく歩き回っていた。あっちこっちへちょこまか動くものだから、侍従がそろそろ目を回すのではないだろうかと心配してしまう。
 それはそうとして、彼女らはまたエドウィンの後を追いかけてきたらしい。これでは歓楽街へ下りるのも一苦労だと心配する一方で、そもそも肝心の彼が見当たらないのはどういうことだろう。
 試しに辺りを見渡し、滑らかに横へ移動させた視線を途中で引き戻す。
 リアの注意を惹いたのは捜し人ではなく、遠目に見て分かるほど華やかなドレスを身に纏った貴婦人だ。二階の柱廊をしずしずと、されど堂々と進む彼女の後ろには、数人の侍女が影のようにして付き従う。
 さて、どこか見覚えがあるなとリアが目を凝らしたのも束の間、貴婦人の向かいからもう一人見知った男が現れた。

「あ、トラヴィスさんだわ」

 メイスフィールド大公国から寄越された援軍の指揮を任されていたそうで、数日前に言葉を交わしたのがリアにとっては半年ぶりの再会だった。聞けばキーシンの急襲を鎮圧できたのは、彼自身の類稀なる剣術と采配があったから──らしい。
 少し気怠そうな面差しとは裏腹に、いや、エドウィンも優男のような顔をして剣を振るえば鬼のごとし、中身と見た目は全く関係ないのだろう。
 一人納得して頷いていたリアは、そこでぎょっと口を開ける。気付かぬうちにトラヴィスが件の貴婦人の手を取り、恭しく口付けたのち、軽薄さを滲ませた笑みで何やら話しかけた。
 対する貴婦人は少々気分を害したような、恥ずかしげな顔でそっぽを向いてしまう。ちょうど、こちらからはっきりと顔立ちが認識できた。

「わ……あの人とっても可愛い……」
「……アナスタシア皇女殿下でございますよ」
「え!? スターシェス様のお姫様スタイルですかぁ!? じゃなくて」

 護衛騎士から教えてもらった貴婦人の正体に、ついスターシェス親衛隊のような反応をしてしまったリアは、慌てて大袈裟に咳払いをして発言を取り消す。
 そうして拳を唇に押し当てたまま、じっと二人の様子を観察しては唸った。

「もしかして想い人って……」

 アナスタシアが惚れ薬を飲ませてまで振り向かせたいと願った相手。その答えが今になって明かされようかという瞬間、リアの背中に何か軽くフワフワとしたものが飛び乗った。

「ん?」

 この魅惑の感触はもしやと上体を捻れば、美しい七彩の光を溢れさせるロケットが眼前に現れる。
 案の定、ウサギのような姿をした小さな影獣──エドウィンがそこにちょこんと乗っかっていた。

「エドウィン! どうしてその姿……」

 ロケットを前脚に触れさせてやろうとすると、慌てた様子で影獣がリアの手を押さえる。ふにふにと手の甲に肉球とおぼしきものが触れるたび、リアの頬は大幅に弛み、ニヤつくままにエドウィンをとっ捕まえて抱き締めてしまった。

「かわいぃ……ちょっと触らせて」

 びくっと尻尾を強張らせた影獣は、しかして彼女の腕から無理やり逃げ出そうとはせず。
 絹のような軽やかな手触りを思う存分堪能したところで、エドウィンは脚や頭を振って、階段下へ行くよう身振りで伝えてきた。これまたぬいぐるみが動いているような可愛い光景を、リアはしばし相槌も忘れて眺め。

「あ、分かった! 令嬢たちに見付からないようにしてるのね? あの馬車まで行けば良いかしら?」

 こくこくと頷いたエドウィンを抱きかかえ、リアは階段下に留まっている栗皮色の馬車へ向かった。それは皇宮で使われている馬車の中でも比較的地味で──無論リアにとってはどれも豪華に見えるが──きっと、エドウィンがあまり人目を惹かないものを選んでくれたのだろう。
 令嬢たちはよもや目当ての貴公子がぬいぐるみよろしく乙女に抱えられているなど知る由もなく、上機嫌に傍を通り抜けていくリアには目もくれなかった。