──良いかい、オーレリア。よく聞きなさい。お前はマジで絶望的に精霊術師に向いてない。

 幼いリアと師匠が取っ組み合いの大喧嘩をしたのは、そんな無慈悲な言葉がきっかけだった。
 当時のことは鮮明に覚えている。
 人生で五度目の誕生日、リアは常日頃から師匠の扱う精霊術に興味津々だったこともあり、無邪気に「リア、せいれいじゅちゅしになりたい!」とそれはもう幼子らしく可愛げのある宣言をした。
 結果、返って来たのが先程の惨たらしい台詞だったというわけだ。

「なぁんでー!? リアはそしゅつがあるって言ってたじゃん! うそつき!」
「はあー? そしゅつって何ですか意味分かりませ痛てぇ!!」

 大人げない師匠の顔面へ絵本を投げつけ、リア五歳は思い付く限りに暴れまくる。後に近所の住人から「第一次馬鹿親子戦争」と呼ばれることになる歴史的な戦いだった。ちなみに今のところ第七次まである。
 その後、拗ねたリアが知人の元へ駆け込み、二日に渡る籠城(ろうじょう)をして見せたことでようやく師匠が折れたのだ。

「分かった、弟子になりてぇなら勝手にしろ」
「ほんと!? やった──」
「だが言いつけを破ったら順次お前の大好きな人形の手足を捥いでいく」
「いやぁぁぁ……!!」

 その約束を告げた時点で既に人形が一人犠牲になっていたので、リアは友人の無残な亡骸を抱いて号泣。そして後日、師匠のベッドを水浸しにして反撃に出たのだった。
 ──歳が二十以上離れているとは思えない騒々しい日々を送っていた二人に、血の繋がりはない。
 しかしながらリアにとって「親」と呼べる存在は、この口が悪くて大人げない師匠だけだ。

「巡礼に行きたいだぁ? 今は時代が違う、西で魔女狩りに遭っても知らんぞ」
「大丈夫だって。お師匠様が言った場所には近付かないから!」
「都会の男に騙されて帰って来んなよ」
「はーい、行ってきまーす!」

 大陸各地を巡り、多くの精霊と触れ合うことで身を清める巡礼。それは過去に師匠も実施した修行の一環で、リアが昔から精霊術師としてやりたかったことの一つだ。
 エルヴァスティの山奥にある集落を飛び出し、彼女は仏頂面の師匠に笑顔で手を振ったのだった。


 ◇◇◇


 月明かりの射し込む窓辺で、リアは頭から毛布を被って座り込んでいた。
 少しばかり湿った三つ編みの先端に、小さな物差しをあてて、慎重に髪を切り取る。紐で縛ったそれを床に置き、彼女はゆっくりと息を吐いた。

「大地を巡る導きの翠風よ、かの人に声を届けたまえ」

 途端に溢れ出す光を毛布で遮断し、毛束が跡形もなく食われる様を見届ける。
 やがて光は毛布をすり抜け、窓の向こうに広がる夜空へと一直線に飛んで行った。
 その目的地は──大陸のどこかにいるであろう師匠の元だ。
 風の精霊の力を借りて自身の声を遠方の相手に届けるという、精霊術師の間では非常にメジャーかつ手紙要らずの便利な術なのだが、如何せんリアは上手くいった試しが少ない。

「……大丈夫かな。私いっつも鼻息しか届かないって言われたんだよね」

 師匠からの伝言は鮮明な言葉としてリアに届くのに、リアの伝言は大体が雑音で終わっているらしい。返事が来たと喜んでも「メッセージをもう一度入力してくださーい」という師匠の大笑いが響くことが殆どだった。
 しかし今回こそは届いてもらわねば困る。
 呪いなるものに手探りで対処しようとしているが、些か自分では力不足なので知恵を貸してくれないか、と。
 これでまた鼻息が届いていたらどうしたら良いのか。危機感を伝えるために鼻息を何度も送ってみるべきか。師匠の怒鳴り声が返ってくること間違いなしだが、何度だって挑戦する心を教えてくれたのは師匠だぞと開き直ることにしよう。

「はぁ、暑い。そろそろ寝よ……」

 毛布から頭を出したリアは、ぱたぱたと顔を両手で扇ぎながら寝台に近付く。
 すべすべな手触りにごくりと唾を飲み込み、彼女はダークブラウンの天蓋を仰いだ。まるで御伽噺に出てくるお姫様のベッドだ。貴族の屋敷ではこれが普通なのだろうか。
 そうっと寝具の中に体を滑り込ませたリアは、ひんやりと冷たい感触に素足が馴染んでゆくのを感じながら、深く息を吐いた。

 ──オーレリア。お前には確かに精霊術師の素質がある。だがな……。

 薄く開いた瞼の向こう、こちらを覗き込む無数の光。
 リアはそれらと長く視線を合わせぬよう、再び目を閉じたのだった。