皇族が住まう宮へ運び込まれたヨアキムは、そのまま治療を施すべく医務室へと移された。重傷人として担架に乗せられたヨアキムを見送ったところで、喧騒の奥から長い銀鼠の髪が現れる。
「ゼルフォード卿! ヨアキムとリアは……!」
珍しく焦りを表情に宿したユスティーナは、こちらへ駆け寄るなり性急に尋ねた。途中、傍らでぼんやりと突っ立っていたリュリュのことは手早く抱き上げつつ。
「リュリュ!? そなた、もう到着していたのか。護衛は?」
「どっかにいるよ」
「はあ……」
どこぞの皇太子よろしく勝手に自由行動を取っていたらしい少年に、大巫女が深い溜息をつく。二人の会話を後目に、エドウィンは半壊した皇宮の東棟を一瞥すると、騒々しい人混みから話の場を移したのだった。
城郭の陰へ移動したのち、事の次第を聞き終えたユスティーナは舌を打った。彼女の怒りに触発されてか、パチパチと視界の端で火花のようなもの──宙を漂うばかりだった精霊が弾け散る。
「どうやって我らの目を掻い潜っていたのかと思えば、影の精霊を使役していたか」
従来の精霊術師が行使する四大精霊には、残念ながら影の精霊を探知する力はない。
ダグラスがそれを知っていたかどうかは分からないが、ユスティーナやヨアキムがどれだけ捜索の範囲を広めても捕らえられなかったことがその結果であり、まぎれもない事実だった。
加えて影の精霊に備わっている転移の力によって、ダグラスの足取りは今日まで上手く掻き消されていたと見るのが妥当だろう。
「どうやらモーセルの杖に影を制御する力があったようで。……リアと、彼女につけていた護衛二名が影獣にされてしまいました」
エドウィンは大巫女と同様、険しい面持ちで右手を開く。そこには先程、半壊したエントランスで拾った紫水晶の耳飾りがあった。
──リアの右耳を彩る金環と対になった、小さな飾りだ。
弱弱しく光を反射する淡い紫を見詰め、彼は静かに息をつく。
正直に言えば今すぐリアの行方を捜したい。
彼女の無事を一刻も早く確かめたい。
しかし、そうするための手段が自分にないことも、易々と皇宮を放置して動ける立場でもないことを、彼の理性が強く訴える。
何せ城下には未だシルヴェスターの首を狙うキーシンの残党が暴れており、皇宮内部には二体の影獣が今もどこかに潜んでいるはず。目下の問題を解決することが最優先だと己に言い聞かせていると、不意にユスティーナが口を開いた。
「逸るなよ、ゼルフォード卿。奴めが昔と同じ術を行使しようとしているなら、リアはまだ生きておるはずだ」
「……! 昔と同じ?」
何か知っているのかと言外に尋ねれば、大巫女はサッと周囲を一瞥する。誰も聞き耳を立てていないことを確かめては、エドウィンだけに聞こえる程度の声で囁いた。
「エルヴァスティの精霊術師でも、ごくわずかな人間しか知らぬ禁術よ。不確かな要素が多すぎて誰も試そうなどとは思わんが……愚かにも手を出したのがダグラスだ」
エルヴァスティ王国、とりわけメリカント寺院が頑なに情報を規制していたのが、件の禁術だったという。
国内の人間は勿論、他国の権力者が精霊の力をみだりに悪用しないよう、寺院は常に世俗と一定の距離を開けていたが、禁術の箝口令もその一例だ。
否、それこそが最も隠さねばならぬ事項なのだとユスティーナは強調した。
「──死人の魂を、再び現世に蘇らせる……自然の摂理に反する奇跡。いかにも人間が飛びつきそうな代物だろう」
語られた禁術の正体に、エドウィンは沈黙を返す。
死者の魂を復活させる術は、不老不死に次いで先人たちが追い求めたであろう奇跡の一つだ。
もしもエルヴァスティがその力を有することが知れていたなら、魔女狩りとはまた別の惨劇が引き起こされていたに違いない。
だからこそ彼らはその術を隠匿したのだが──ダグラスは躊躇なく禁忌を暴き、過去に儀式を行おうとしたという。
「奴は十八年前……禁術を成功させるために、生まれたばかりだったリアを供物として捧げようとした」
「な……っ」
「ゼルフォード卿。精霊の愛し子が何故、エルヴァスティで公的に保護されるか分かるか」
ダグラスに対する怒りが頂点に達する前に、大巫女はエドウィンの激情を抑え込むかのように尋ねた。
胸部に強い痛みを覚えながらも、彼は努めて冷静にかぶりを振る。その様子をじっと見詰めていた銀鼠の瞳が、哀れみと共に伏せられた。
「彼らは大昔に、ヴィレンの子らと呼ばれておってな。神々に捧げる生贄の一族だった」
「生贄……?」
「ああ。キーシンの民と同じように、我らも生贄を使って神々の機嫌を窺っていたのさ。……それが精霊術の原型。後に賢者アイヤラによって術が完成すると同時に、生贄は廃止された」
だが、精霊は生贄が捧げられなくなって以降も、ヴィレンの子らの味を覚えていた。
長きに渡って喰らっていた好物が急に途絶えたことで、エルヴァスティの大地はしばらく天変地異に見舞われたという。それでも賢者アイヤラは生贄を捧ぐことを良しとせず、民と共に自らの肉体を供物にして祈りを続けたのだ。
生まれてから一度たりとも人として扱われなかった、ヴィレンの子らを守るために。
精霊の愛し子として名称が変わった今でも賢者の精神は引き継がれ、現在の王家もそれに準じている。
彼らの保護はいわば、犠牲の上に平穏を得ていたエルヴァスティ人の償いだと大巫女は言い換えた。
「だが……例え極上の生贄であるヴィレンの子らを捧げても、禁術が成功するとは思えんのだがな」
ユスティーナは憂いに満ちた瞳で、ぽつりと語った。
大巫女の話は飲み込みがたく、あまりに多くの理不尽にまみれていて、どうにも腹に据えかねる。ヴィレンの子ら──つまりはリアと、彼女の師であるヨアキムさえも、ダグラスの標的だったというわけなのだろう。
それを知っていながら、ユスティーナとヨアキムは何も言わなかった。師であり親である彼の要望だったことは容易に想像がつくが、知らずにいた自分が情けなく思えてくる。
エドウィンは顔を顰めたまま溜息をつき、しかしてまだ聞いていないことを大巫女に問い質したのだった。
「……ダグラスは、誰を蘇らせようとしているのですか」
うつらうつらとし始めたリュリュを抱え直し、ユスティーナは瞑目する。そして。
「──ヘルガ。ダグラスの妻であり……リアの母親だ」
「ゼルフォード卿! ヨアキムとリアは……!」
珍しく焦りを表情に宿したユスティーナは、こちらへ駆け寄るなり性急に尋ねた。途中、傍らでぼんやりと突っ立っていたリュリュのことは手早く抱き上げつつ。
「リュリュ!? そなた、もう到着していたのか。護衛は?」
「どっかにいるよ」
「はあ……」
どこぞの皇太子よろしく勝手に自由行動を取っていたらしい少年に、大巫女が深い溜息をつく。二人の会話を後目に、エドウィンは半壊した皇宮の東棟を一瞥すると、騒々しい人混みから話の場を移したのだった。
城郭の陰へ移動したのち、事の次第を聞き終えたユスティーナは舌を打った。彼女の怒りに触発されてか、パチパチと視界の端で火花のようなもの──宙を漂うばかりだった精霊が弾け散る。
「どうやって我らの目を掻い潜っていたのかと思えば、影の精霊を使役していたか」
従来の精霊術師が行使する四大精霊には、残念ながら影の精霊を探知する力はない。
ダグラスがそれを知っていたかどうかは分からないが、ユスティーナやヨアキムがどれだけ捜索の範囲を広めても捕らえられなかったことがその結果であり、まぎれもない事実だった。
加えて影の精霊に備わっている転移の力によって、ダグラスの足取りは今日まで上手く掻き消されていたと見るのが妥当だろう。
「どうやらモーセルの杖に影を制御する力があったようで。……リアと、彼女につけていた護衛二名が影獣にされてしまいました」
エドウィンは大巫女と同様、険しい面持ちで右手を開く。そこには先程、半壊したエントランスで拾った紫水晶の耳飾りがあった。
──リアの右耳を彩る金環と対になった、小さな飾りだ。
弱弱しく光を反射する淡い紫を見詰め、彼は静かに息をつく。
正直に言えば今すぐリアの行方を捜したい。
彼女の無事を一刻も早く確かめたい。
しかし、そうするための手段が自分にないことも、易々と皇宮を放置して動ける立場でもないことを、彼の理性が強く訴える。
何せ城下には未だシルヴェスターの首を狙うキーシンの残党が暴れており、皇宮内部には二体の影獣が今もどこかに潜んでいるはず。目下の問題を解決することが最優先だと己に言い聞かせていると、不意にユスティーナが口を開いた。
「逸るなよ、ゼルフォード卿。奴めが昔と同じ術を行使しようとしているなら、リアはまだ生きておるはずだ」
「……! 昔と同じ?」
何か知っているのかと言外に尋ねれば、大巫女はサッと周囲を一瞥する。誰も聞き耳を立てていないことを確かめては、エドウィンだけに聞こえる程度の声で囁いた。
「エルヴァスティの精霊術師でも、ごくわずかな人間しか知らぬ禁術よ。不確かな要素が多すぎて誰も試そうなどとは思わんが……愚かにも手を出したのがダグラスだ」
エルヴァスティ王国、とりわけメリカント寺院が頑なに情報を規制していたのが、件の禁術だったという。
国内の人間は勿論、他国の権力者が精霊の力をみだりに悪用しないよう、寺院は常に世俗と一定の距離を開けていたが、禁術の箝口令もその一例だ。
否、それこそが最も隠さねばならぬ事項なのだとユスティーナは強調した。
「──死人の魂を、再び現世に蘇らせる……自然の摂理に反する奇跡。いかにも人間が飛びつきそうな代物だろう」
語られた禁術の正体に、エドウィンは沈黙を返す。
死者の魂を復活させる術は、不老不死に次いで先人たちが追い求めたであろう奇跡の一つだ。
もしもエルヴァスティがその力を有することが知れていたなら、魔女狩りとはまた別の惨劇が引き起こされていたに違いない。
だからこそ彼らはその術を隠匿したのだが──ダグラスは躊躇なく禁忌を暴き、過去に儀式を行おうとしたという。
「奴は十八年前……禁術を成功させるために、生まれたばかりだったリアを供物として捧げようとした」
「な……っ」
「ゼルフォード卿。精霊の愛し子が何故、エルヴァスティで公的に保護されるか分かるか」
ダグラスに対する怒りが頂点に達する前に、大巫女はエドウィンの激情を抑え込むかのように尋ねた。
胸部に強い痛みを覚えながらも、彼は努めて冷静にかぶりを振る。その様子をじっと見詰めていた銀鼠の瞳が、哀れみと共に伏せられた。
「彼らは大昔に、ヴィレンの子らと呼ばれておってな。神々に捧げる生贄の一族だった」
「生贄……?」
「ああ。キーシンの民と同じように、我らも生贄を使って神々の機嫌を窺っていたのさ。……それが精霊術の原型。後に賢者アイヤラによって術が完成すると同時に、生贄は廃止された」
だが、精霊は生贄が捧げられなくなって以降も、ヴィレンの子らの味を覚えていた。
長きに渡って喰らっていた好物が急に途絶えたことで、エルヴァスティの大地はしばらく天変地異に見舞われたという。それでも賢者アイヤラは生贄を捧ぐことを良しとせず、民と共に自らの肉体を供物にして祈りを続けたのだ。
生まれてから一度たりとも人として扱われなかった、ヴィレンの子らを守るために。
精霊の愛し子として名称が変わった今でも賢者の精神は引き継がれ、現在の王家もそれに準じている。
彼らの保護はいわば、犠牲の上に平穏を得ていたエルヴァスティ人の償いだと大巫女は言い換えた。
「だが……例え極上の生贄であるヴィレンの子らを捧げても、禁術が成功するとは思えんのだがな」
ユスティーナは憂いに満ちた瞳で、ぽつりと語った。
大巫女の話は飲み込みがたく、あまりに多くの理不尽にまみれていて、どうにも腹に据えかねる。ヴィレンの子ら──つまりはリアと、彼女の師であるヨアキムさえも、ダグラスの標的だったというわけなのだろう。
それを知っていながら、ユスティーナとヨアキムは何も言わなかった。師であり親である彼の要望だったことは容易に想像がつくが、知らずにいた自分が情けなく思えてくる。
エドウィンは顔を顰めたまま溜息をつき、しかしてまだ聞いていないことを大巫女に問い質したのだった。
「……ダグラスは、誰を蘇らせようとしているのですか」
うつらうつらとし始めたリュリュを抱え直し、ユスティーナは瞑目する。そして。
「──ヘルガ。ダグラスの妻であり……リアの母親だ」