夢うつつな菫色。わずかに顰められた形のよい眉。
 はらりと落ちてきた藍白の髪に目を瞑れば、繊細な手つきで頬を撫でられる。互いの顔がよく見えるようになったところで、彼はうつらうつらとしながらも不可解な面持ちで口を開いた。

「あれ……リア、どうして僕の下に」
「うわわわわわわわエドウィンがいきなり倒れたんでしょー!?」

 暗い寝所の床で、ものの見事に押し倒されたリアはじたばたと抗議の悲鳴を上げる。
 何故こんな事態に陥っているのかと言うと、原因は暇を持て余した皇太子サディアスだ。ダンスパーティから数日が経った今日、外では相変わらずアイヤラ祭が続いているのだが──主に警備の問題で皇太子が毎日参加できるはずもなく。
 護衛騎士から部屋で大人しく過ごしてくれと懇願された結果、暇潰しの標的にされたのがエドウィンだった。

 ──酒に弱いとは聞いてたんだけどさ。面白いぐらい酔ったからお前にあげるね。

 寮までやって来たほろ酔い状態のサディアスは笑いながら、「ほら着いたよ」とエドウィンをリアに押し付ける。いや全く着いてないですけどと突っ込む暇もなく、リアは泥酔状態のエドウィンと共に部屋へ倒れ込んだ次第だ。
 ちなみに扉はちゃっかり閉じられた。

「ううーっ、エドウィン起きて!」
「起きてます……」
「違う違う体を起こして! ああ逆!!」

 がくっと腕を崩したエドウィンは、リアの慌てた声をぼうっと聞き流して頭を沈めてしまう。喉元に何とも気持ちよさそうな溜息が掛かり、対するリアは奇声を上げながら目を白黒させた。

「ひぎゃあぁぁ……!? エドウィン、ここベッドじゃないし私も枕じゃないから寝ちゃ駄目だって」
「そうですね、これはリアです」
「う、──うん、そうよ! 何で分かってるのに寝る姿勢に入るの!?」

 目の前にある彼のつむじを見て叫ぶと、のろのろとした動きで視線が寄越される。瞬間、リアは執拗に話しかけたことを後悔した。
 焦点の定まらない潤んだ瞳、赤らんだ頬、薄く開いたままの唇。とんでもない色気を放つ男がそこにいたのだ。直視できずに顔を勢いよく背けても、がっしりとした両腕に抱き締められているばかりに、この状態から逃げることは叶わず。
 それどころかエドウィンは彼女の顎を擽り、「リア」と寂しそうに呼び掛けてくる。まるで捨てられた子犬のような切実な声音に、リアは唸りながらも顔の向きを戻した。

「リア」

 途端、ふにゃりと綻ぶ美青年の相貌。
 そのまま優しく頭を撫でられてしまい、いろいろと限界に達したリアは顔を真っ赤にして沈黙する。
 焦りに駆られてエドウィンの肩を押し返そうと試みたが、素面でなくとも体格の差は埋まらない。
 かえって深く抱きすくめられたリアは、彼の下で途方に暮れた。

「こ……この酔っぱらいめ……」

 彼が酔うと甘えん坊になることは十二分に分かった。いつも何かと甘やかされている側の身としては、甘えられるのも別に嫌というわけでも、ないのだが──取り敢えず心臓が持たない。
 それに早いとこ彼をベッドに寝かせなければ、翌朝には二人そろって風邪を引くことだろう。エルヴァスティの夜は危険なのだからと気を強く持ち始めたリアは、もう一度エドウィンの肩をぐいと押し返す。

「あ!」

 そこで見付けた光明は──彼の襟元から覗く銀色のチェーン。影の霊石を入れたロケットだ。
 致し方あるまいと腹を決め、リアはごそごそと彼の胸元を探る。ボタンをいくつか外しては、しゃらりと現れたロケットの容器を開いた。
 霊石が彼の鎖骨辺りに触れた直後、真っ黒な影がエドウィンを包み込む。あっという間に重みが消え失せた後、リアの胸の上には小さな影獣がくたりと倒れ伏したのだった。

「ご、ごめんなさいエドウィン、すぐ戻すから……」

 罪悪感に苛まれつつも、ひとまず窮地を脱したリアは大きく息をつく。そっと影獣を抱きかかえて起き上がり、部屋の奥にある一人用のベッドに向かった。

「はー……伯爵様をこんなベッドに寝かしていいのか分かんないけど……床は有り得ないもんね」

 エドウィンの部屋へ行こうにも、リアは既に寝間着に着替えてしまっていた。そもそもサディアスが堂々と寮を訪ねてきた時間帯というのも、リアが就寝する直前だったわけで。
 一晩ぐらいなら良いだろうと判断し、エドウィンをベッドの上にちょこんと置く。……こうして見るとますますぬいぐるみ感が凄い。

「よし、ロケットに触れさせて……前脚はどこかしら」

 リアは黒い靄に目を凝らし、前脚とおぼしき箇所をそっとつまんだ。
 ふに、と訪れる柔らかい感触。

「…………に、肉球かな」

 ごくりと唾を飲み込み、リアは前脚の先端に再び親指を押し込む。すると、またしても至福の弾力が返ってきた。

「え、えっ……うわぁ、しっかり触ったの初めてかも。かわいい」

 影獣が半分ほど寝ているのを良いことに、気付けばリアは両手でむにむにと二つの肉球を愛でてしまっていた。
 しばし夢中で影獣を撫でまくった後、ようやく我に返ってはロケットに触れさせようとしたが。
 ──影獣の短い脚が、まるで引き止めるように右手にしがみついたことで、リアの胸は容易く射抜かれたのだった。

「あーっ!! もう何なのかわいい!! ただでさえぬいぐるみサイズでかわいいのに卑怯よエドウィン!! いや何が卑怯なのか分かんないけど!」

 一人悔しげに叫んだリアは自身の頬を叩き、迅速な動きで影獣の前脚をロケットに触れさせる。
 四大精霊の光によって現れた美青年の寝姿にもう一度だけ呻きつつ、結わえた藍白の髪をほどいた。
 脱がせた上着の代わりに羊毛のケットを被せ、自分もベッドに潜り込んでは温かい毛布を一緒に被る。

「よし、おやすみ!!」

 翌朝正気に戻るエドウィンにとっては何一つ「よし」ではない状況だが、リアは男女の同衾という概念に辿り着く前にコロッと眠りに落ちてしまったのだった。
 ──彼を甘やかす側になるのも、たまには良いものではないかと思い直しつつ。

 しかしながらリアが次に目を覚ますと案の定、真っ青な顔で固まるエドウィンがいたのは言うまでもない。

「…………一体何が……」
「……あ、エドウィン。おはよう。昨日……」
「いえ、すみません、本当にすみません、僕は何てことを──かくなる上は雪に埋めてください、頭を冷やしてきます」
「冷やすどころか死んじゃうわよ」

 薄着で極寒の外へ行こうとするエドウィンを不思議に思いながら、リアは寝ぼけ眼に昨夜の経緯を話し──またもや死にそうな顔で謝罪する彼を慌てて宥めたのだった。