なんで、こんなところにヴィンセントがいるの!?
ここは王都の中でも比較的治安のいい地区ではある。貴族も闊歩する場所なのだから、王子が歩いていてもおかしくはない。けれど、タイミングが悪い。悪すぎるわ!
なぜ、私がオリアーヌではなく変装後の、ソフィアとして歩いているときに出くわすのよ。
今日も視察? 視察なの?
さすがに「王太子だぞ!」と主張するような華やかなかっこうはしていない。だけど、まとう雰囲気が庶民のそれではないのだ。
すぐに気づけてよかったわ。近づかないように回り道してアパルトマンへ行こう。回れ右だ。逃げるが勝ちという言葉を考えた人に賞賛を送りたい。
今日は寄り道もせず、さっさと荷物を持って帰ろう。
夜会で顔を合わせたのも一瞬だったし、今回は近づく前に気がついた。だから、大丈夫。
だと、思っていたのだけれど……。
なんで、ついてくるの!?
気になってちょっと振り返って後ろの様子を見てみたのだけれど、ヴィンセントとの距離が離れない。逆に少し近づいているような気さえする。彼が同じ方向に歩いている証拠だ。でも、なぜ!?
叫びたい気持ちを抑えて私は少しだけ歩く速度をあげた。
なぜ私はヴィンセントと追いかけっこをしているのだろうか。街に視察によく来るというのは知っていたけれど、昨日の今日ではないか。今日もジュエラにお土産を買っていくの? ジュエラだってそんなにいらないと思うのだけれど。
このままアパルトマンに逃げ込むのは危ない。隠れ蓑がヴィンセントにばれて、家芋づる式に家族に露見すれば……。恐ろしや。当分外出禁止になることは間違いない。
後ろに気を取られていたせいで、誰かとぶつかった。
「ごめんなさい!」
「いや、私こそすまない」
きちんと謝るために顔を上げると、よく見知った顔を見つける。
「ハ――……ハインツ」
そう、ハインツがいたのだ。婚約者のハインツが。
なんでいるの!? 昨日の今日……二日経ったわけだけど、おかしいわ。ここは人の多い街の中。しかもハインツがこういう所をぶらぶらするという話は聞いたことがない。
偏見だけど、「人混みは苦手だ」みたいなことを言いそうな、少し神経質そうな顔をしているもの。
彼はしっかりと変装していた。カツラをかぶり、庶民らしい服装をしている。大商人の息子と言われれば「そうかもしれないな」と思うだろう。
「よかった。会いたかったんだ」
ハインツは私を見て心底嬉しそうに笑った。
なぜ、彼は笑顔なんか見せているのだろうか。
いやいや、先日思いっきり頬を叩いた女に会いたいって、大丈夫?
「あ、あの……」
もしかして、私に仕返しするために探していた……とか?
けれど、ハインツは想像とは違う言葉を口にした。
「君に惚れてしまったんだ」
ホレタ? 今、ホレタと言ったわ。なんという意味の言葉かしら? ホレタ? まさか、『惚れた』では……。ないない。ハインツが言うはずない。だって私は今、オリアーヌではなく変装後の姿なのだ。
ジッと見つめてみれば、彼は頬を朱に染める。昨今の乙女でもそんな顔しないわ。
「そんな愛らしい顔で見ないでくれ」
今日の私はおかしい。幻聴が聞こえるわ。
見目麗しい男からそんな言葉を投げかけられたら、ひとたまりもない。他の女ならイチコロだっただろう。中身が私でよかった。
美しい顔は今日も輝いている。ハインツに「惚れた」と言われれば、誰だって舞い上がるだろう。たとえ、オリアーヌという婚約者がいたとしてもだ。
彼は公爵家の息子とは言うが、父親は現国王の弟で、由緒正しき王家の血筋。正真正銘の王子様なのだ。
惚れたのなら、侯爵家との婚約なんて王家の力でねじ伏せてくれるわよね~。くらいの気持ちになってもおかしくはない。
でも、私はキュンどころか困惑している。オリアーヌとしてならいい。舞い上がるほど嬉しくて、空高く飛び上がるだろう。けれど、今の私は変装後の姿。この姿で惚れたと言われても浮気を目撃した気持ちでいっぱいだ。
誰か頬をつねってくれないかしら? きっと痛くないはず。
「突然驚かせてすまない。今言わないともう言えないような気がして。よかったら、名前を教えてくれないか?」
「名前……?」
「先日は教えてくれなかっただろう? 知り合いにも確認したが、誰も知らなかった」
この様子だと本当に私の正体には気づいていないみたい。そして、名前も知らない女性を好きになったのね。
「田舎から出てきたので……」
「そうか。見かけない顔だと思った」
甘い笑みを浮かべると、彼は愛おしそうに私の頬を撫でる。もう、どうして良いのか分からないわ。
先日の自分を殴りたい。王妃様からの荷物さえ忘れていなければ、こんなことにはならなかった。そもそも、夜会に参加しなければこんなことにはならなかったのよ。
でも、後悔しても遅い。
すると、彼が突然顔を上げる。私の後ろに視線を向けた。
「なんだ、ヴィンセント。君も来ていたのか」
あっちもこっちも問題だらけ。ハインツのせいで、ヴィンセントのことすっかり忘れていたわ。夜会の会場という狭い檻から出ても、子ウサギは狼からは逃げられないようにできているのね。
ぎこちなく振り返る。
後ろに立つヴィンセントは目を細めて笑った。私に視線を移すと頭のてっぺんからつま先まで舐めるように見る。
品定め……ではなく、疑っているのだろうか。普通、顔が全然違ったら他が似ていても怪しいとは思わない……わよね? 恐るべし、野生の勘。
「やあ、ハインツ。おまえこそ珍しいな。しかも可愛い女の子と一緒とは」
「ああ、先日の夜会に来ていた子だ」
「初めまして、かな? 私はヴィンセント。君は?」
いまだ試されているのか、オリアーヌという疑いが晴れたのかのか分からない。とにかくオリアーヌだとバレれば色々と面倒なことになるのは間違いがなかった。
私は――……あたしは慌てて振り返り、わざと貴族の娘らしくカーテシーを見せる。
「存じております。ヴィンセント王太子殿下」
わざと大きな声で言えば、予想していたとおり周りがざわついた。お忍び変装中のヴィンセントを王太子だと認識した人たちが騒ぎだす。
離れて見守っていた従者たちが慌てた様子でヴィンセントの周りをかためた。
計画通りだわ。
小さいころに似たようなことをやったことがある。意地悪なヴィンセントから逃げたくて、たくさん人がいるお茶会の席で、大きな声でヴィンセントの名を読んだのだ。
「殿下、移動しましょう」
ヴィンセントはハインツと私を交互に見ると悩んだ末、頷いた。これ以上居続ければ騒ぎになることは間違いないもの。彼は言葉を発することもできず、従者とともに去っていたのだ。
ここら辺は治安も良いから、バレたところで問題はないだろう。危ない場所ならあらゆる所に護衛をしのばしておくけれど、今回はそれがなかった。
よし、一つは片付いたわ。あとは、もう一つ――……ハインツだけね。
とりあえず、とぼけて誤魔化さないと。
「もしかして、ご挨拶しないほうがよろしかったでしょうか?」
「大丈夫。こんなところで王太子に出会ったら誰だってああする。ヴィンセントのことも知っているんだな」
「夜会の日に、他の方が教えてくれました。二大貴公子が来るって」
ハインツはあたしの言葉に眉根を寄せた。あまりその呼ばれ方は好きではないみたいね。そんなことより、さっさと退散しないと。長居は無用。本来なら二度も出会う予定ではなかったのだ。
「これから用事もありますので、ここで失礼いたします」
他人行儀に頭を下げ、背を向けた。――というのに、彼は私は手首をつかむ。
「あの……」
「ここで君を離したら、もう二度と会えない気がした」
御名答。これが最後の変装にする予定だったのよ。そんなところは勘が働くのね。彼はアパルトマンの場所も知っているから逃げるのは得策ではない……か。
ため息を飲み込んで、ハインツに向き直った。
「先日の夜会で分かったことがある」
こんなに真剣な眼差しを初めて見たかもしれない。
婚約者のハインツは、あたしの手を取って言うのだ。
「君こそが私の運命だ」
ここは王都の中でも比較的治安のいい地区ではある。貴族も闊歩する場所なのだから、王子が歩いていてもおかしくはない。けれど、タイミングが悪い。悪すぎるわ!
なぜ、私がオリアーヌではなく変装後の、ソフィアとして歩いているときに出くわすのよ。
今日も視察? 視察なの?
さすがに「王太子だぞ!」と主張するような華やかなかっこうはしていない。だけど、まとう雰囲気が庶民のそれではないのだ。
すぐに気づけてよかったわ。近づかないように回り道してアパルトマンへ行こう。回れ右だ。逃げるが勝ちという言葉を考えた人に賞賛を送りたい。
今日は寄り道もせず、さっさと荷物を持って帰ろう。
夜会で顔を合わせたのも一瞬だったし、今回は近づく前に気がついた。だから、大丈夫。
だと、思っていたのだけれど……。
なんで、ついてくるの!?
気になってちょっと振り返って後ろの様子を見てみたのだけれど、ヴィンセントとの距離が離れない。逆に少し近づいているような気さえする。彼が同じ方向に歩いている証拠だ。でも、なぜ!?
叫びたい気持ちを抑えて私は少しだけ歩く速度をあげた。
なぜ私はヴィンセントと追いかけっこをしているのだろうか。街に視察によく来るというのは知っていたけれど、昨日の今日ではないか。今日もジュエラにお土産を買っていくの? ジュエラだってそんなにいらないと思うのだけれど。
このままアパルトマンに逃げ込むのは危ない。隠れ蓑がヴィンセントにばれて、家芋づる式に家族に露見すれば……。恐ろしや。当分外出禁止になることは間違いない。
後ろに気を取られていたせいで、誰かとぶつかった。
「ごめんなさい!」
「いや、私こそすまない」
きちんと謝るために顔を上げると、よく見知った顔を見つける。
「ハ――……ハインツ」
そう、ハインツがいたのだ。婚約者のハインツが。
なんでいるの!? 昨日の今日……二日経ったわけだけど、おかしいわ。ここは人の多い街の中。しかもハインツがこういう所をぶらぶらするという話は聞いたことがない。
偏見だけど、「人混みは苦手だ」みたいなことを言いそうな、少し神経質そうな顔をしているもの。
彼はしっかりと変装していた。カツラをかぶり、庶民らしい服装をしている。大商人の息子と言われれば「そうかもしれないな」と思うだろう。
「よかった。会いたかったんだ」
ハインツは私を見て心底嬉しそうに笑った。
なぜ、彼は笑顔なんか見せているのだろうか。
いやいや、先日思いっきり頬を叩いた女に会いたいって、大丈夫?
「あ、あの……」
もしかして、私に仕返しするために探していた……とか?
けれど、ハインツは想像とは違う言葉を口にした。
「君に惚れてしまったんだ」
ホレタ? 今、ホレタと言ったわ。なんという意味の言葉かしら? ホレタ? まさか、『惚れた』では……。ないない。ハインツが言うはずない。だって私は今、オリアーヌではなく変装後の姿なのだ。
ジッと見つめてみれば、彼は頬を朱に染める。昨今の乙女でもそんな顔しないわ。
「そんな愛らしい顔で見ないでくれ」
今日の私はおかしい。幻聴が聞こえるわ。
見目麗しい男からそんな言葉を投げかけられたら、ひとたまりもない。他の女ならイチコロだっただろう。中身が私でよかった。
美しい顔は今日も輝いている。ハインツに「惚れた」と言われれば、誰だって舞い上がるだろう。たとえ、オリアーヌという婚約者がいたとしてもだ。
彼は公爵家の息子とは言うが、父親は現国王の弟で、由緒正しき王家の血筋。正真正銘の王子様なのだ。
惚れたのなら、侯爵家との婚約なんて王家の力でねじ伏せてくれるわよね~。くらいの気持ちになってもおかしくはない。
でも、私はキュンどころか困惑している。オリアーヌとしてならいい。舞い上がるほど嬉しくて、空高く飛び上がるだろう。けれど、今の私は変装後の姿。この姿で惚れたと言われても浮気を目撃した気持ちでいっぱいだ。
誰か頬をつねってくれないかしら? きっと痛くないはず。
「突然驚かせてすまない。今言わないともう言えないような気がして。よかったら、名前を教えてくれないか?」
「名前……?」
「先日は教えてくれなかっただろう? 知り合いにも確認したが、誰も知らなかった」
この様子だと本当に私の正体には気づいていないみたい。そして、名前も知らない女性を好きになったのね。
「田舎から出てきたので……」
「そうか。見かけない顔だと思った」
甘い笑みを浮かべると、彼は愛おしそうに私の頬を撫でる。もう、どうして良いのか分からないわ。
先日の自分を殴りたい。王妃様からの荷物さえ忘れていなければ、こんなことにはならなかった。そもそも、夜会に参加しなければこんなことにはならなかったのよ。
でも、後悔しても遅い。
すると、彼が突然顔を上げる。私の後ろに視線を向けた。
「なんだ、ヴィンセント。君も来ていたのか」
あっちもこっちも問題だらけ。ハインツのせいで、ヴィンセントのことすっかり忘れていたわ。夜会の会場という狭い檻から出ても、子ウサギは狼からは逃げられないようにできているのね。
ぎこちなく振り返る。
後ろに立つヴィンセントは目を細めて笑った。私に視線を移すと頭のてっぺんからつま先まで舐めるように見る。
品定め……ではなく、疑っているのだろうか。普通、顔が全然違ったら他が似ていても怪しいとは思わない……わよね? 恐るべし、野生の勘。
「やあ、ハインツ。おまえこそ珍しいな。しかも可愛い女の子と一緒とは」
「ああ、先日の夜会に来ていた子だ」
「初めまして、かな? 私はヴィンセント。君は?」
いまだ試されているのか、オリアーヌという疑いが晴れたのかのか分からない。とにかくオリアーヌだとバレれば色々と面倒なことになるのは間違いがなかった。
私は――……あたしは慌てて振り返り、わざと貴族の娘らしくカーテシーを見せる。
「存じております。ヴィンセント王太子殿下」
わざと大きな声で言えば、予想していたとおり周りがざわついた。お忍び変装中のヴィンセントを王太子だと認識した人たちが騒ぎだす。
離れて見守っていた従者たちが慌てた様子でヴィンセントの周りをかためた。
計画通りだわ。
小さいころに似たようなことをやったことがある。意地悪なヴィンセントから逃げたくて、たくさん人がいるお茶会の席で、大きな声でヴィンセントの名を読んだのだ。
「殿下、移動しましょう」
ヴィンセントはハインツと私を交互に見ると悩んだ末、頷いた。これ以上居続ければ騒ぎになることは間違いないもの。彼は言葉を発することもできず、従者とともに去っていたのだ。
ここら辺は治安も良いから、バレたところで問題はないだろう。危ない場所ならあらゆる所に護衛をしのばしておくけれど、今回はそれがなかった。
よし、一つは片付いたわ。あとは、もう一つ――……ハインツだけね。
とりあえず、とぼけて誤魔化さないと。
「もしかして、ご挨拶しないほうがよろしかったでしょうか?」
「大丈夫。こんなところで王太子に出会ったら誰だってああする。ヴィンセントのことも知っているんだな」
「夜会の日に、他の方が教えてくれました。二大貴公子が来るって」
ハインツはあたしの言葉に眉根を寄せた。あまりその呼ばれ方は好きではないみたいね。そんなことより、さっさと退散しないと。長居は無用。本来なら二度も出会う予定ではなかったのだ。
「これから用事もありますので、ここで失礼いたします」
他人行儀に頭を下げ、背を向けた。――というのに、彼は私は手首をつかむ。
「あの……」
「ここで君を離したら、もう二度と会えない気がした」
御名答。これが最後の変装にする予定だったのよ。そんなところは勘が働くのね。彼はアパルトマンの場所も知っているから逃げるのは得策ではない……か。
ため息を飲み込んで、ハインツに向き直った。
「先日の夜会で分かったことがある」
こんなに真剣な眼差しを初めて見たかもしれない。
婚約者のハインツは、あたしの手を取って言うのだ。
「君こそが私の運命だ」