夜のような静寂が訪れた。
何を言っているのオリアーヌ。それじゃあ「好きです」って言っているようなものじゃない。何か言ってほしい。なんなら笑い飛ばしてほしい。
いつもなら、意地悪な言葉で傷口をえぐるじゃない。今はそのほうがありがたいので。どうか、神様、ヴィンセント様。この空気を笑いに変えてくださいませ。
走る馬車の扉を開けて飛び降りたいほどだわ。だめ、耐えられない!
「ちょっと! なんとか言ってよ。このままだと勢いで告白したかわいそうな人になってしまうわ」
「告白? 今のが?」
「このタイミングで意地悪言われると私の心がポキッと折れる。分かっているのよ。婚約したばかりの男に好きだなんて言うのは最低最悪だって。もちろん、王女様をいじめて追い出そうなんてしないから安心して」
いつもより早口で言い切る。ペラペラとしゃべりすぎた感はあったけれど、しゃべらずにはいられなかった。なによりこの狭い空間がいけない。逃げだそうにも、何も知らない馬車は止まってくれないし、扉を開けるにはヴィンセントを超えていかなければならない。
武器といえばこの口先だけなのだけど、今まで一度だってヴィンセントに口で勝てたことがあっただろうか?
ヴィンセントは私の気持ちも知らずに、首を傾げるばかりだ。
「いつ、誰が婚約を?」
「もちろん、ヴィンセントが隣国の王女様とよ。みんな噂しているわ。それに、あなた自身が国境付近まで会いに行ったのでしょう?」
「ああ、なるほど。それで婚約か。その噂はデマだな」
「デマ? だって、お母様も『ヴィンセントが結婚する』って言っていたわ」
「噂が欠片も信用ならないことはオリアーヌが良く知っているだろう?」
「まあ……そうなんだけど……」
王妃様と仲の良いお母様ですら結婚すると疑わなかったのに、それを疑うことなんてできるだろうか。
ヴィンセントが国境に向かってからは、ハインツに会うばかりでジュエラのもとには訪れていない。もし、彼女とお茶の一杯でも飲んでいれば話は変わっていたのかも。
「じゃあ、なんで会いに行ったのよ」
「断るためさ。何度もお断りの書状を送っていたが、『本人の口から聞くまでは信じない』と頑なでね」
ヴィンセントは大きなため息を漏らす。まるで嫌なことを思い出したかのようだ。
やれやれとでも言いたげに肩をすくめる。
「もしかして、舞踏会に来られなかったのは、その王女様が原因だったりして?」
「その話はいずれする。思い出しただけでも胃が痛くなる。あの数日は悪夢だった。それよりオリアーヌ。もっと重要なことがある」
ヴィンセントは私の両肩をしっかりと捕えた。逃げられない場所にいるうえに、身動きすら封じ込められたしまったわ。
「なに、かしら?」
「今の話を要約するに、オリアーヌは私を――……」
慌てて彼の口を両手で押さえる。
「なし! それは忘れて! もうここでの記憶は今すぐ消して!」
勢いに任せて「好き」とか色々言ってしまった気がする。今しか言えないと思ったから言ったのよ。猶予がないと思ったから。でも、婚約をしていないなら、場所とか雰囲気とか色々あったじゃない。
「……分かった。忘れる」
「素直なのね」
「好きな子からの告白は何度でも聞きたいからな」
ヴィンセントが何を言っているのかよく分からなかった。音は聞き取れているはずなのだけれど。スキナコカラノコクハク。それは、なんという呪文?
「それだと、ヴィンセントが私のこと好きみたいじゃない?」
さすがに都合が良すぎるわ。白昼夢とはこのことだ。私は婚約破棄が叶って気持ちが高ぶっている。だからこんな夢を見るのよ。
「“だった”でも“みたい”でもなく、昔から君のことが好きだ」
友達としてってことかしら? 言葉にしていないのに、ヴィンセントは「女性として」と頭を横に振った。彼は心の声でも読めるのかもしれないわ。
「そんな、一度も聞いたことがない」
「君はハインツのことばかり見ていて、他の男になんて興味はなかったから。君の性格上、婚約者がいる身で言い寄ってきた男を是とするとは思わなかった。ならば、幼馴染みという近くて遠い位置を選んだのさ」
そんなに昔から、ヴィンセントは私のことが好きだったの? 全然気づかなかった。彼の演技が完璧だったのか、私が鈍感だったのか。
「奪おうと思えば、いつでも奪えた。だが、それでは生涯オリアーヌに恨まれてしまう。ハインツに恨まれるのは耐えられても、君に恨まれ続けるのは耐えられない。君の性格上、嫌いな男との結婚に甘んじるとは思わなかったし」
「それは……否定できないわ」
現にハインツとの婚約破棄にこぎつけている。ハインツの気持ちを知らないときにヴィンセントが私たちの婚約を解消させて王太子妃にと望んだならば、「悪魔!」と罵っていたに違いない。
「あいつと結婚して君が幸せになれるのなら、この気持ちは秘めておいたほうが良いと思っていた」
「だから、あのときソフィアに忠告をしに来たの?」
「あれは、忘れてくれ」
「忘れられないわ。嬉しかったもの。意地悪だったヴィンセントが私のためにこんなことしてくれるなんて……って」
ヴィンセントは過去に二度ソフィアに会いに来ている。幼馴染みの優しさからだと思ったけど、私のためだったのね。
にやける顔を制御できない。
「さっきは忘れてと言ったけど、やっぱり私あなたのことが好――」
ヴィンセントの指が動く唇を止める。私はヴィンセントのことが好き、彼も私のことが好き。つまり両思いということなら、この言葉を止める必要などないはずじゃ。
好きだったけど、今はもう好きではないということ?
「オリアーヌ。今日から、私をただの幼馴染みとしてではなく、男として見てほしい」
何を言っているのオリアーヌ。それじゃあ「好きです」って言っているようなものじゃない。何か言ってほしい。なんなら笑い飛ばしてほしい。
いつもなら、意地悪な言葉で傷口をえぐるじゃない。今はそのほうがありがたいので。どうか、神様、ヴィンセント様。この空気を笑いに変えてくださいませ。
走る馬車の扉を開けて飛び降りたいほどだわ。だめ、耐えられない!
「ちょっと! なんとか言ってよ。このままだと勢いで告白したかわいそうな人になってしまうわ」
「告白? 今のが?」
「このタイミングで意地悪言われると私の心がポキッと折れる。分かっているのよ。婚約したばかりの男に好きだなんて言うのは最低最悪だって。もちろん、王女様をいじめて追い出そうなんてしないから安心して」
いつもより早口で言い切る。ペラペラとしゃべりすぎた感はあったけれど、しゃべらずにはいられなかった。なによりこの狭い空間がいけない。逃げだそうにも、何も知らない馬車は止まってくれないし、扉を開けるにはヴィンセントを超えていかなければならない。
武器といえばこの口先だけなのだけど、今まで一度だってヴィンセントに口で勝てたことがあっただろうか?
ヴィンセントは私の気持ちも知らずに、首を傾げるばかりだ。
「いつ、誰が婚約を?」
「もちろん、ヴィンセントが隣国の王女様とよ。みんな噂しているわ。それに、あなた自身が国境付近まで会いに行ったのでしょう?」
「ああ、なるほど。それで婚約か。その噂はデマだな」
「デマ? だって、お母様も『ヴィンセントが結婚する』って言っていたわ」
「噂が欠片も信用ならないことはオリアーヌが良く知っているだろう?」
「まあ……そうなんだけど……」
王妃様と仲の良いお母様ですら結婚すると疑わなかったのに、それを疑うことなんてできるだろうか。
ヴィンセントが国境に向かってからは、ハインツに会うばかりでジュエラのもとには訪れていない。もし、彼女とお茶の一杯でも飲んでいれば話は変わっていたのかも。
「じゃあ、なんで会いに行ったのよ」
「断るためさ。何度もお断りの書状を送っていたが、『本人の口から聞くまでは信じない』と頑なでね」
ヴィンセントは大きなため息を漏らす。まるで嫌なことを思い出したかのようだ。
やれやれとでも言いたげに肩をすくめる。
「もしかして、舞踏会に来られなかったのは、その王女様が原因だったりして?」
「その話はいずれする。思い出しただけでも胃が痛くなる。あの数日は悪夢だった。それよりオリアーヌ。もっと重要なことがある」
ヴィンセントは私の両肩をしっかりと捕えた。逃げられない場所にいるうえに、身動きすら封じ込められたしまったわ。
「なに、かしら?」
「今の話を要約するに、オリアーヌは私を――……」
慌てて彼の口を両手で押さえる。
「なし! それは忘れて! もうここでの記憶は今すぐ消して!」
勢いに任せて「好き」とか色々言ってしまった気がする。今しか言えないと思ったから言ったのよ。猶予がないと思ったから。でも、婚約をしていないなら、場所とか雰囲気とか色々あったじゃない。
「……分かった。忘れる」
「素直なのね」
「好きな子からの告白は何度でも聞きたいからな」
ヴィンセントが何を言っているのかよく分からなかった。音は聞き取れているはずなのだけれど。スキナコカラノコクハク。それは、なんという呪文?
「それだと、ヴィンセントが私のこと好きみたいじゃない?」
さすがに都合が良すぎるわ。白昼夢とはこのことだ。私は婚約破棄が叶って気持ちが高ぶっている。だからこんな夢を見るのよ。
「“だった”でも“みたい”でもなく、昔から君のことが好きだ」
友達としてってことかしら? 言葉にしていないのに、ヴィンセントは「女性として」と頭を横に振った。彼は心の声でも読めるのかもしれないわ。
「そんな、一度も聞いたことがない」
「君はハインツのことばかり見ていて、他の男になんて興味はなかったから。君の性格上、婚約者がいる身で言い寄ってきた男を是とするとは思わなかった。ならば、幼馴染みという近くて遠い位置を選んだのさ」
そんなに昔から、ヴィンセントは私のことが好きだったの? 全然気づかなかった。彼の演技が完璧だったのか、私が鈍感だったのか。
「奪おうと思えば、いつでも奪えた。だが、それでは生涯オリアーヌに恨まれてしまう。ハインツに恨まれるのは耐えられても、君に恨まれ続けるのは耐えられない。君の性格上、嫌いな男との結婚に甘んじるとは思わなかったし」
「それは……否定できないわ」
現にハインツとの婚約破棄にこぎつけている。ハインツの気持ちを知らないときにヴィンセントが私たちの婚約を解消させて王太子妃にと望んだならば、「悪魔!」と罵っていたに違いない。
「あいつと結婚して君が幸せになれるのなら、この気持ちは秘めておいたほうが良いと思っていた」
「だから、あのときソフィアに忠告をしに来たの?」
「あれは、忘れてくれ」
「忘れられないわ。嬉しかったもの。意地悪だったヴィンセントが私のためにこんなことしてくれるなんて……って」
ヴィンセントは過去に二度ソフィアに会いに来ている。幼馴染みの優しさからだと思ったけど、私のためだったのね。
にやける顔を制御できない。
「さっきは忘れてと言ったけど、やっぱり私あなたのことが好――」
ヴィンセントの指が動く唇を止める。私はヴィンセントのことが好き、彼も私のことが好き。つまり両思いということなら、この言葉を止める必要などないはずじゃ。
好きだったけど、今はもう好きではないということ?
「オリアーヌ。今日から、私をただの幼馴染みとしてではなく、男として見てほしい」