にやけてはいけない。ここは大切なシーン。舞台ならクライマックス。周りの息をのむ音が聞こえそうだ。それよりも私の心音のほうがうるさい。
「ハインツ、落ち着きなさい! 今は舞踏会の最中だ。おまえのための場ではない」
私とハインツのあいだに公爵のおじさまが入る。いつの間に現れたのかしら。ハインツの腕をつかんだ。おじさまの冷静な声が響く。
おばさまはすぐ近くで一人心配そうに見守っているだけだ。彼女はいつも控え目だから、こういう場で絶対に大きな声を出さない。
「父上、私は落ち着いています。彼女はメダン家の娘であることを良いことに、影では好き勝手やっているような女です。妻として愛せるわけがありません」
「落ち着いているならその口を閉じなさい。婚約を白紙するにしても手順というものが必要だ。このような席でしていいような話ではない。オリアーヌさん、すまないね」
「いえ……。突然のことで私も驚いております。けれど、ハインツの気持ちが私ではなく他の方に向いているのはなんとなく気づいておりましたから、いつかこんな日が来るのではないかと覚悟しておりました」
全ては私が仕組んだ計画なのに、どの口が言うのかと王族の席からヤジが飛んできそうだ。ジュエラが遠くてよかった。彼女の顔を見たら顔がにやけてしまいそうだもの。神妙な顔でいるのが辛い。
「この縁談は二人にとっても両家にとっても良いと思ったんだが……。政略結婚というのがもう古いのかもしれんな」
おじさまは静かに呟く。まったくもってその通りです。頷くことはできないから、目で訴えるわ。私の十九年が台無しになった。この婚約がなければ私の令嬢人生はこんなところで終わらなかったもの。
「正式な書類は後日にしよう。今日は折角の舞踏会。よき日だからね」
「おじさま、最期に一つだけよろしいでしょうか?」
「なんだい?」
「ハインツ……いえ、ハインツ様の婚約破棄に関しては受け入れる気持ちでいます。けれど、私が人に命令をして、ハインツ様に近づく女たちを虐げていたとおっしゃっておりました。そんな酷い濡れ衣を着せられたままでは私の心が晴れません」
私の言葉にハインツが眉根を寄せる。
「間違いない。ソフィアは『あの三人はオリアーヌに命令されて忠告をしている』と言っていた」
ハインツは懲りない。ビシッと三人娘を指す。三人は気の抜けたところに話を蒸し返されて、慌てている様子。大好きなハインツのご指名なんだからしっかりしてもらいたいわ。
「おじさま、不思議なんです。私はこの三人とは今日が初対面。どうしてそのような馬鹿げた命令をするでしょうか?」
「オリアーヌさんは全く身に覚えがないと?」
「ええ。もしも本気でハインツ様に近づく女性たちを追い払うつもりなら、私の名前なんて出しませんわ。そうでなければ、意味がありませんもの」
そんなことにまで頭の回らないお馬鹿さんだと思われていたら悲しい。確かな証拠などないから、信じてもらうしかない。でも、大勢のいる場所でアピールしておけば、私の汚名も半分くらいは返上できるのではないかしら。
婚約破棄されることで、別の汚名を頂くことは間違いないのだけれど。
「それもそうだな。オリアーヌさんは身に覚えがないと言っているが――……君たちはどうかな?」
おじさまが、三人娘の顔を覗き込む。彼女たちの顔面は驚くほど真っ青だった。私の名前を騙るのなら、オリアーヌからの偽の手紙くらい用意しておくくらいしておいてほしい。
「ここで嘘はつかないほうがいい。嘘は一つつけば二つ三つと増えていく」
おじさま、それは脅しです。臣籍に降下したとはいえ、王弟殿下にそんなこと言われたら嘘なんてつけないと思う。
でも、この会場で一番の大嘘つきは私だと知ったら、おじさまは卒倒してしまうかもしれないわ。
「私はただ、この人に言われただけで!」
「私も……。『手伝わないとただではおかない』と言われて仕方なく……」
三人娘のうち、いつも左に立つ子が叫ぶ。それに右の子も追随した。リーダーをさっさと生け贄に差し出すあたりが容赦ないわね。かばうつもりはないらしい。
「そんなっ! あなたたちだってハインツ様の婚約者が目障りだって言っていたじゃないっ!」
リーダーと思われる子が叫ぶ。その叫び声は会場に響いた。これで、少しは私の悪い噂もなくなるかしら? やられっぱなしは嫌だものね。
三人は膝をついてさめざめと泣いた。
「も、もうしわけございません。オリアーヌ様が性格の悪い女だと噂されれば、ハインツ様との婚約も白紙になると思ったのです……」
彼女たちはハインツに憧れるあまり、ハインツの周りをうろつく女性たちを次々と懲らしめていったのだという。そして、途中で気づいたそうだ。オリアーヌ・メダンのせいにしてしまえば、一番目障りな婚約者さえいなくなるのではないか、と。
悪役さながら、彼女たちは泣きながら語ってくれた。
私は彼女たちと視線を合わせるために、しゃがむ。彼女たちの涙は演技かどうか、分からない。でも、彼女たちのおかげで計画がうまくいったのだ。感謝しなくては。
「よかったじゃない。あなたたちの願い通り、私とハインツとの婚約は白紙に戻るわ」
これも半分以上はあなたたちのお手柄よ。
三人は顔を見合わせたあとギャンギャンと泣いた。まるで私が泣かせたみたいになってしまったわ。
「おじさま、すっきりしました。ありがとうございます」
「いや、息子のせいですまないね」
私は頭を横に振る。
「さあ、これ以上は個々人の問題だ」
おじさまは手を二度ほど叩くと、私たちの周りに集まってきていた人を散らす。彼が「音楽を!」と叫べば、ぎこちなくではあるが曲が流れだす。
それでもハインツは動かず、私を睨んでいた。
「まだ何かございますか?」
「ソフィアをどこにやった?」
「会ったら今までの幸せが全部消えてしまうかもしれない。それでも会いたい? 諦めさえすれば、いい思い出になると思うわ」
「構わない。それでも会いたい」
ハインツは強く拳を握りしめる。爪が食い込み、手のひらから血がにじんでいた。彼は何か言いたそうに口を開いたけれど、言葉を紡がないまま私に背を向けた。
「どうしても会いたいなら、明日の朝、あの庭園に来てちょうだい」
私の言葉が聞こえたかは分からない。明日、ハインツが来なければ来なかったで良いと思っている。彼の中でソフィアとの思い出が幸せなものであり続けるのは、悪くないと思った。
さて。大勢の前で婚約を破棄されたかわいそうな令嬢はどうしようかしら。さっさと帰ると、あとが怖い。お父様とお母様の説教はハインツとの決着が全てついてからがいいわ。
気づけばおばさまが私の側に向かってきている。あまり目立つことが得意でない彼女は最後まで口を出さなかった。
みんなの興味が薄れた後にのこのことやってくるなんて、卑怯だと思う。
「オリアーヌさん、こんなことになったけど……。もう一度、あの子とやり直すつもりはない? あの子も頭が冷えれば……」
「おばさま。勘違いしていらっしゃるわ。ハインツは私のことなんて一度も見たことがないの。ハインツとは何も始まっていない。始まっていない関係はやり直せないわ」
たとえ、ハインツがどんなにお願いしても、私とハインツがもう一度婚約者に戻ることなどない。
頬が痛い。でも、気持ちはとても晴れ晴れとしていた。
「ハインツ、落ち着きなさい! 今は舞踏会の最中だ。おまえのための場ではない」
私とハインツのあいだに公爵のおじさまが入る。いつの間に現れたのかしら。ハインツの腕をつかんだ。おじさまの冷静な声が響く。
おばさまはすぐ近くで一人心配そうに見守っているだけだ。彼女はいつも控え目だから、こういう場で絶対に大きな声を出さない。
「父上、私は落ち着いています。彼女はメダン家の娘であることを良いことに、影では好き勝手やっているような女です。妻として愛せるわけがありません」
「落ち着いているならその口を閉じなさい。婚約を白紙するにしても手順というものが必要だ。このような席でしていいような話ではない。オリアーヌさん、すまないね」
「いえ……。突然のことで私も驚いております。けれど、ハインツの気持ちが私ではなく他の方に向いているのはなんとなく気づいておりましたから、いつかこんな日が来るのではないかと覚悟しておりました」
全ては私が仕組んだ計画なのに、どの口が言うのかと王族の席からヤジが飛んできそうだ。ジュエラが遠くてよかった。彼女の顔を見たら顔がにやけてしまいそうだもの。神妙な顔でいるのが辛い。
「この縁談は二人にとっても両家にとっても良いと思ったんだが……。政略結婚というのがもう古いのかもしれんな」
おじさまは静かに呟く。まったくもってその通りです。頷くことはできないから、目で訴えるわ。私の十九年が台無しになった。この婚約がなければ私の令嬢人生はこんなところで終わらなかったもの。
「正式な書類は後日にしよう。今日は折角の舞踏会。よき日だからね」
「おじさま、最期に一つだけよろしいでしょうか?」
「なんだい?」
「ハインツ……いえ、ハインツ様の婚約破棄に関しては受け入れる気持ちでいます。けれど、私が人に命令をして、ハインツ様に近づく女たちを虐げていたとおっしゃっておりました。そんな酷い濡れ衣を着せられたままでは私の心が晴れません」
私の言葉にハインツが眉根を寄せる。
「間違いない。ソフィアは『あの三人はオリアーヌに命令されて忠告をしている』と言っていた」
ハインツは懲りない。ビシッと三人娘を指す。三人は気の抜けたところに話を蒸し返されて、慌てている様子。大好きなハインツのご指名なんだからしっかりしてもらいたいわ。
「おじさま、不思議なんです。私はこの三人とは今日が初対面。どうしてそのような馬鹿げた命令をするでしょうか?」
「オリアーヌさんは全く身に覚えがないと?」
「ええ。もしも本気でハインツ様に近づく女性たちを追い払うつもりなら、私の名前なんて出しませんわ。そうでなければ、意味がありませんもの」
そんなことにまで頭の回らないお馬鹿さんだと思われていたら悲しい。確かな証拠などないから、信じてもらうしかない。でも、大勢のいる場所でアピールしておけば、私の汚名も半分くらいは返上できるのではないかしら。
婚約破棄されることで、別の汚名を頂くことは間違いないのだけれど。
「それもそうだな。オリアーヌさんは身に覚えがないと言っているが――……君たちはどうかな?」
おじさまが、三人娘の顔を覗き込む。彼女たちの顔面は驚くほど真っ青だった。私の名前を騙るのなら、オリアーヌからの偽の手紙くらい用意しておくくらいしておいてほしい。
「ここで嘘はつかないほうがいい。嘘は一つつけば二つ三つと増えていく」
おじさま、それは脅しです。臣籍に降下したとはいえ、王弟殿下にそんなこと言われたら嘘なんてつけないと思う。
でも、この会場で一番の大嘘つきは私だと知ったら、おじさまは卒倒してしまうかもしれないわ。
「私はただ、この人に言われただけで!」
「私も……。『手伝わないとただではおかない』と言われて仕方なく……」
三人娘のうち、いつも左に立つ子が叫ぶ。それに右の子も追随した。リーダーをさっさと生け贄に差し出すあたりが容赦ないわね。かばうつもりはないらしい。
「そんなっ! あなたたちだってハインツ様の婚約者が目障りだって言っていたじゃないっ!」
リーダーと思われる子が叫ぶ。その叫び声は会場に響いた。これで、少しは私の悪い噂もなくなるかしら? やられっぱなしは嫌だものね。
三人は膝をついてさめざめと泣いた。
「も、もうしわけございません。オリアーヌ様が性格の悪い女だと噂されれば、ハインツ様との婚約も白紙になると思ったのです……」
彼女たちはハインツに憧れるあまり、ハインツの周りをうろつく女性たちを次々と懲らしめていったのだという。そして、途中で気づいたそうだ。オリアーヌ・メダンのせいにしてしまえば、一番目障りな婚約者さえいなくなるのではないか、と。
悪役さながら、彼女たちは泣きながら語ってくれた。
私は彼女たちと視線を合わせるために、しゃがむ。彼女たちの涙は演技かどうか、分からない。でも、彼女たちのおかげで計画がうまくいったのだ。感謝しなくては。
「よかったじゃない。あなたたちの願い通り、私とハインツとの婚約は白紙に戻るわ」
これも半分以上はあなたたちのお手柄よ。
三人は顔を見合わせたあとギャンギャンと泣いた。まるで私が泣かせたみたいになってしまったわ。
「おじさま、すっきりしました。ありがとうございます」
「いや、息子のせいですまないね」
私は頭を横に振る。
「さあ、これ以上は個々人の問題だ」
おじさまは手を二度ほど叩くと、私たちの周りに集まってきていた人を散らす。彼が「音楽を!」と叫べば、ぎこちなくではあるが曲が流れだす。
それでもハインツは動かず、私を睨んでいた。
「まだ何かございますか?」
「ソフィアをどこにやった?」
「会ったら今までの幸せが全部消えてしまうかもしれない。それでも会いたい? 諦めさえすれば、いい思い出になると思うわ」
「構わない。それでも会いたい」
ハインツは強く拳を握りしめる。爪が食い込み、手のひらから血がにじんでいた。彼は何か言いたそうに口を開いたけれど、言葉を紡がないまま私に背を向けた。
「どうしても会いたいなら、明日の朝、あの庭園に来てちょうだい」
私の言葉が聞こえたかは分からない。明日、ハインツが来なければ来なかったで良いと思っている。彼の中でソフィアとの思い出が幸せなものであり続けるのは、悪くないと思った。
さて。大勢の前で婚約を破棄されたかわいそうな令嬢はどうしようかしら。さっさと帰ると、あとが怖い。お父様とお母様の説教はハインツとの決着が全てついてからがいいわ。
気づけばおばさまが私の側に向かってきている。あまり目立つことが得意でない彼女は最後まで口を出さなかった。
みんなの興味が薄れた後にのこのことやってくるなんて、卑怯だと思う。
「オリアーヌさん、こんなことになったけど……。もう一度、あの子とやり直すつもりはない? あの子も頭が冷えれば……」
「おばさま。勘違いしていらっしゃるわ。ハインツは私のことなんて一度も見たことがないの。ハインツとは何も始まっていない。始まっていない関係はやり直せないわ」
たとえ、ハインツがどんなにお願いしても、私とハインツがもう一度婚約者に戻ることなどない。
頬が痛い。でも、気持ちはとても晴れ晴れとしていた。