ヴィンセントの言葉で私は己の失敗に気づいた。
 
 王宮の廊下で見つめ合う姿はなんと滑稽なことだろうか。そんなことより言い訳を考えるのよ、オリアーヌ。言い訳の神様、どうか私に最強の言い訳を……!
 
 もしもここが礼拝堂ならば、私は両手を胸の前で組み、祈りを捧げていたに違いない。
 
 心臓がバクバクと脈打っている。ああ、駄目だ。こんな状態で思いつくほど私は器用な人間ではないのだと、知っているではないか。
 
「う、噂よ」
「街中で王太子が田舎の令嬢に声をかけていた……なんて噂があったら今ごろ大盛り上がりだろうな」
 
 そうよね。大盛り上がりだし、王妃様は大喜びね。なにせ恋人いない歴二十四年の息子に恋の噂が立ったのだとしたら。
 
 絶体絶命だわ。
 
「あ、会ったときに聞いたの! そう、一度夜会でソフィアさんに会ったときにね」
「ああ、頬をひっぱたいたっていう?」
 
 ヴィンセントが一歩二歩と私に近づいてくる。後ろはどこまでも逃げられるくらい長い廊下なのに、足の裏が縫い止められたように動かない。
 
 彼の指がそっと私の頬に触れた。
 
「ソフィアも綺麗な緑の瞳をしていた。それに今日のオリアーヌは……いつもより厚化粧だ」
 
 胸が跳ねた。彼の全て見透かされているような気がしてならない。穴が空くほど見つめられる。
 
 この目から逃げられる気がしないわ。どことなく苛立ちを感じるし。
 
 私は降参とばかりに両手を挙げた。
 
「全部白状するわ。でも、ここでは駄目。ジュエラの部屋に行きましょう?」
 
 一人で秘密を告白するほどの勇気を私は持ち合わせていない。ジュエラ神がいれば私の心の安寧は保証されていたような気がする。
 
 
 
 
 ジュエラの部屋にヴィンセントとジュエラと私。よく見る組み合わせといえばよく見る組み合わせだ。狼に狙われたウサギの気分でジュエラにしがみつく。
 
 ジュエラは私を宥めてばかり。向かいに座るヴィンセントはゆっくりと紅茶を口に含んでいる。黙っていればいい男。
 
「オリアーヌ。そんな見つめ合っていても事情は説明できないわよ」
「そうね。こうなったら洗いざらい吐いてしまうわ」
 
 ジュエラの言葉を受けて、姿勢を正す。喉は緊張でカラカラだ。まだ冷え切っていない紅茶を喉に流し込んだ。
 
「ヴィンセントの想像どおり、ソフィアは私が変装したの」
「変装……? 確かに瞳の色は一緒だったが、顔が全く違った」
「それに関しては、今は証明できないわ。ある仮面のおかげなの。幼いころお祖母様にもらった不思議な仮面をつけると、別の顔になれる。それでときどき夜会に出て遊んでいたのよ」
「なるほど。不思議な仮面。だから、顔だけ違ったわけか。でもなぜハインツにその姿で近づいたんだ?」
「その言葉には語弊があるわ。私は知り合いのいない夜会を調べて参加していたんだけど、偶然ハインツとあなたに居合わせたの。ハインツが私の正体に気づいたって勘違いしたせいで、今に至るわけよ」
 
 ヴィンセントから逃げるためとは言えず、当たり障りのない言葉を選ぶ。「あなたを避けるためにハインツに突撃したら勘違いされた上に「運命」とか言われてしまったわ」なんて口が裂けても言えない。言っていいことと、悪いことがあることくらい私にだって分かる。
 
「あの様子ではハインツは、気がついて……いるわけないか」
「おそらくね。私の前でたくさんオリアーヌの悪口を言ってくれたわ」
 
 十四年ほどこじらせた恋が冷めるほどには。
 
「それで、オリアーヌは何をする気でこんなことを? あいつを更正させるため?」
「ハインツに更正なんて求めてないわ。彼の性格や考え方は一昼夜でできたものではないし。変えるには同じ時間。ううん、それ以上かかる。そのあいだ辛辣を舐める気はない。私、彼のお母様ではないし」
 
 ソフィアが消えても、私はお飾りの公爵夫人になるのだろう。ソフィアがいなくなったからオリアーヌへの愛に目覚めたなんて展開はここにいる誰も想像できないだろう。
 
「これはハインツのためではないと?」
「ええ、そうよ。これは全部私のため。彼との婚約を白紙に戻して自由を手に入れるために必要なの」
「こんなことしなくても、婚約なんて……」
「そう、うまくいかなかったのよ。ハインツは私をどうしても公爵夫人にしたいみたい」
 
 恋愛結婚が主流になっている現在、なぜそこまで拘るのか分からない。
 
「それで悪者を演じているわけか」
「そうよ。運命の女性が婚約者にいじめられる。そうなったらいくらハインツでも見過ごせないでしょう?『おまえとの婚約は破棄だ!』って……なる予定だったのよ」
 
 もっと早くに。しかし、彼はなぜか頑なだった。
 
「つまり、今のオリアーヌはハインツが婚約を破棄するきっかけを与えたいと?」
「そう。ソフィアに会う前のハインツは、私のことを好きでも嫌いでもない。ただの婚約者。くらいの存在だったと思う。でも、今は色々なことが重なって私のことが大嫌いになってくれたと思うの。でも、婚約破棄には至らないのよ」
「決定打が必要……か」
「例えばよ? ヴィンセントに愛する人がいて。だけど、国のために政略結婚をしなければならないとするじゃない?」
「不穏な設定だな」
「今のハインツの状況をヴィンセントに当てはめただけよ。あなたは政略結婚をするけど、どうしても我慢できなくて、愛する人を側におくことにした。妻になった人が愛する人にどんなことをしたら、離婚をしようと決心するかしら?」
 
 ヴィンセントの浮いた話は聞いたことがない。考えたこともないだろう。彼はしばらく考えこんだ。
 
 ヴィンセントの好みの女性ってどんな人なのかしら? 王宮の夜会では、どんな女性に対しても似たような対応しかしていない。適当というか、一歩距離を置いている感じだ。
 
 彼も愛する人と二人きりのときは、溶けそうなほど甘い笑顔を見せるのだろうか。それは、私の知らない顔だわ。じっと彼の顔を見ていたら視線が絡んだ。彼が首を傾げる。
 
「ん?」
「な、なんでもないの!」
 
 ヴィンセントの甘い笑顔を想像していたなんて言えるわけがない。恥ずかしいわ。だって、私たちはただの幼馴染みで、そういう関係ではないのだから。しかも、相手は意地悪ばかりのヴィンセントよ。
 
 頬に熱が上がる。いけない想像をしてしまった。
 
「よくよく考えたけど、ハインツはまだ君からソフィアを守れると思っているのではないかな? 被害と言えば、頬をぶたれたりドレスを破られたり。女同士の諍いくらいにしか思っていない可能性がある。ソフィアが辛い思いをしているのを見ているから怒ってはいるが……」
「なるほど……。その程度なら私と結婚しても問題ないと考えているのね」
「ああ。公爵家の資産なら、別邸の一つや二つ建てるのは朝飯前だろう。別々に暮らして守りを固めれば、ソフィア一人くらい守れるだろうと考えてもおかしくはない。あいつのことだ。『君も愛人くらい作ってもかまわない』くらいは言うつもりなんじゃないかな?」
 
 それは容易に想像できるわ! 「悪い話じゃないだろう?」とか言ってもおかしくはない。私は思わず頭がもげそうになるくらい頷いちゃったわ。
 
「そうなると……お手上げ?」
「いや、一つだけ思いついた方法がある」
 
 にやりと笑うヴィンセントは今まで見たこともないような悪い顔をしていた。