連日の訪問にも拘わらず、ジュエラは優しく迎え入れてくれた。ジュエラは気の置けない仲だから、ついつい自室のようにくつろいでしまう。
 
 今日も彼女は侍女を追い出し、二人きりにしてくれた。ここでは自分で紅茶を入れるのがしきたりだ。
 
「ハインツとソフィアちゃんの噂、すごいわよ。昨日までに三回も聞かされたわ」
「私の悪口と一緒に?」
「ええ、メダン家の天使が田舎の娘に敗北か!? って感じよ。私なんてオリアーヌと仲が良いでしょう? みんな『オリアーヌ様は元気?』って探りを入れてくるのよ」
「噂話が好きだから……」
「これで叔父様から叱られて静かになるんじゃない?」
「そうかしら? 恋って駄目だと思うと盛り上がるものでしょう?」
「あ、この前貸したロマンス小説読み切ったのね?」
「ええ、身分差ものよかった。二人が引き離されてもがくところはジーンときたわ。だから、ハインツにももっと頑張ってもらわないと」
 
 そして、真実の愛に勝ったハインツは悪役に婚約破棄を突きつけるのよ。
 
「オリアーヌ……? オリアーヌさん?」
「あら、ごめんなさい。考えごとしていたわ」
「いいけど、不穏な言葉を聞いたわよ。ハインツに頑張ってもらうとかなんとか」
「ハインツには頑張ってもらわないと婚約破棄までいかないわ」
「え? 婚約やめるつもりなの? あんなにハインツのこと好きだったじゃない!」
 
 ジュエラの驚きはごもっとも。
 
「今はどうにかして婚約をやめたいくらい嫌いよ」
「あのオリアーヌが? 一にも二にもハインツだったオリアーヌが?」
「そのジュエラの記憶にある私を消し去りたいくらい後悔しているわ」
「普通に考えて、他の女に手を出そうとする男は無理よね」
「それに、お飾りの私をお飾りの公爵夫人に据えて、ソフィアを囲うつもりらしいわ」
「またまた~。思っていても本人には言わないでしょ?」
 
 ジュエラはカラカラと笑う。言うのよ。本人に。私の目が言わんとすることがわかったのか、彼女の笑い声は次第に小さくなった。
 
「本当に?」
「本当に。ありがたいことにハインツは私の目を覚まさせてくれたわ」
「なんというか……。ご愁傷様。それで婚約破棄ね。メダン家から申し入れるの?」
「それは無理よ。相手はロッド家。それに、田舎からやってきた女に娘が、婚約者をかすめ取られたなんて恥をお父様が好んで受けるとは思えないわ。だから、ハインツに婚約破棄してもらう予定よ」
「そんなこと――……」
 
 ジュエラが言い終える前に、扉が叩かれた。
 
「ジュエラ、居るんだろう?」
 
 ヴィンセントの声だ。本当に二人は仲良しだわ。
 
「もうっ! いいところだったのに」
「ジュエラ、ヴィンセントには今の話秘密にしてね」
 
 こんな話したら、ヴィンセントは思いっきり私をからかうだろう。数日、数ヶ月……いや、数年はネタにされる。
 
「お兄様なら頼めば手伝ってくれるとおもうけど?」
「だめだめ。ぜーったいだめ」
 
 ジュエラは小さくため息を吐くと頷いてくれた。話すということはソフィアのこともバレてしまうのだ。ハインツのことと合わせて生涯ネタにされてしまう。
 
 意地悪なヴィンセントの笑顔を思い浮かべる。とても、むかついてきた! 気づけば、自然と拳を握りしめていた。
 
「やあ、オリアーヌ。もっと落ち込んでいると思ったが元気そうだな」
「……ヴィンセント。なに? 大きな耳で仕入れた噂を武器にいじめに来たの?」
「酷いな。ただ慰めに来ただけなのに。泣いていたら胸くらい貸してやろうと思ってね」
「いいわよ。そんな硬そうな胸。ジュエラの柔らかい胸を借りて号泣し終えたところよ」
 
 ジュエラに抱きついて泣き真似をして見せれば、ヴィンセントは大きなため息を零した。
 
「元気そうで何よりだ。だが、こんなところで呑気にお茶をしていていいのか? こんなことをしているあいだにもどこぞの馬の骨に大好きなハインツを取られてしまうぞ?」
「ヴィンセントには関係ないでしょう? あなたこそ、素敵な女性をエスコートして王妃様を安心させてあげなさいな」
「こんな大変なときに人の心配とは、頭が下がるよ」
 
 ヴィンセントはああ言えばこう言う。昔からこうなのだ。
 
「はいはいはい。じゃれ合うのはこれくらいにして。お兄様は用事があったんでしょう?」
「ああ、そうだった。視察に行ってきたお土産。甘い物でも食べて気晴らしをすればいい」
「さすがお兄様ね。今日は絶対持ってくると思ったからお茶しか用意してもらわなかったのよ」
 
 ジュエラは嬉しそうに受け取る。中身は最近街ではやっているクッキーらしい。クッキーのためだけに二時間並ぶという噂のお店だ。ヴィンセントは本当に視察しているのかしら?
 
「オリアーヌ、ハインツには私からも言っておくからあまり気にするな」
「なに? ヴィンセントらしくないわ。いいのよ、私のことは気にしないで。ハインツのこともほうっておいて。王太子殿下が気をもむ話ではないわ」
「幼馴染みの二人のことだ。気にはなるさ」
「そんな風に優しいところ見せちゃうなんて、もしかして私に紹介してもらいたい女性ができた、とかかしら?」
 
 ヴィンセントやハインツ、ジュエラとは私が五歳のときからの付き合いだ。過去十四年間を振り返ってみても、彼が私に優しくするなど、考えられない。下心があるのは丸見えだ。
 
「オリアーヌは私の優しさを理解できていないようだ」
 
 ヴィンセントは大げさにため息をついて見せる。そういうところが意地悪なのよ。ジュエラのほうを見ると、肩をすくめるだけで何も答えてはくれなかった。