二人の選択肢 テオドール


 暗く冷たいその場所で、体の内から引き裂かれるような痛みにただ耐えていた。痛みに混じる様々な感情の激流。蝕む黒い力の侵食。父上もこんなに苦しかったんだろうか。
 だが、永遠にも感じたそのときは射し込んできた一筋の光で和らいだ。まるで待ち望んだ水で潤っていくように、甘く温かいものが、じわりと喉から体全体に広がっていく。これを飲み干せば、ついにこの命を終えるんだろうか。見上げると、射し込んだ光はユウキのあの魔力に似ている。あの、暖かで幸せな魔力に。
 再び激しい痛みが体を貫いた。光が少しずつ増えていくのにつれ、流れ込む力に染め変えられ、体の中の黒い力が反発する。暖かな魔力に包まれて……そして全てが真っ白に塗りつぶされた。

「兄さん」
 聞きなれた声に、意識を浮上させる。
「……バルト」
 枕元ではバルトが案じるようにこちらを眺めていた。体を起こしてみるが、不思議と痛みを感じない……いや、胸元のひきつれる違和感にその場所に触れると、小さな傷痕が残っている。これは、ユウキの放ったあの浄化の矢が刺さった痕か。そして、体の中にずっと棲んでいた『何か』の気配が消えていることに気がついた。
「……呪いは、なくなったんだな」
「ええ。」
 少し寂しそうに、同じように胸に手を当てたバルトが微笑む。
「我々の呪いを解くのと、アルフレートのお師匠様を助けるのと……あとのひとつで兄さんの命を救ってもらいました。神官殿は、無事でしたので」
 疑問を先回りするようにバルトが願いの行方について教えてくれる。呪いが解けた安堵、追い続けたものがなくなった寂寥感。それに……夢現に見た光に包まれて消えていくユウキの姿を思い出す。ユウキはちゃんと自分の世界に帰ることができたんだろうか。
「あれからどれくらいたったんだ?」
「一週間ほどです。レオンハルトやアルフレートも、兄さんが目を覚ますのを待っていましたよ」
 部屋を出ていくバルトを見送って、少し体を動かしてみる。ずっと横になっていたせいか体が固まって鈍っている気がする。
「十年……十一年か。」
 呪いを解きたいと初めて思ったのは、大叔母が亡くなったときだったか。旅をする前からも呪いを解くために生きてきたようなものだったから、これからどうしていこうか。思えば、その後のことをまともに考えたことがなかったかもしれない。
 ……ちゃんとした別れもできなかったな。戦いの前に話が出来ただけでも良かったか。
 長い旅の中のたった一年。あいつと過ごしたのはそれだけなのに、それ以前はどのように毎日を終えていたのかが曖昧だ。幸せになれと、ユウキは言ったけれど。今はあまり考えられそうにない。ユウキは最後笑っていた。俺の好きな、あの笑顔で。

「目覚めたばかりでお訪ねして申し訳ありません」
 戻ってきたバルトが伴ってきたのは、レオンハルトとアルフレートの他、意外な人物だった。中央神殿のニコラウス神官は、闇の神に依り代とされていたときとは違いすっかり元の姿に戻っている。……確か、日の光が毒なのではなかったか。
「あんた、神殿から出て大丈夫なのか」
「神の光を浴びたおかげか、以前より外に出られるようになったのですよ」
 神官殿はそう言って目を細めると、これを、と何かを手渡してきた。
「貴方の倒れていた辺りで見つけました」
 ユウキと交換した俺の守り石。あの戦いで落としたのか、それともやはり持ち帰ることが出来なかったのか。スピカのものもあったはずだが、そちらはどうなったんだろう。
「……感謝する」
 神官殿は頷いたあと、俺たちの顔を見回した。
「『神の御使い』の召喚は、はるか昔行われた光の神を人の世に顕現させる儀式を模したものなのだと、伝わっています。その際に使用されたという媒介も、神殿の奥に今もまだ安置されています」
「何故その話を、俺たちに?」
 レオンハルトが首を傾げて訪ねる。確かに、これは神殿で秘匿されている重要な情報だろう。
「貴方たちがいなければ、この世界も私も救われなかった。お礼のようなものです」
 本当にそれだけなんだろうかと思ったが、繕うことが得意な神官殿の真意は読めない。
 もしその儀式をすれば、光の神に会うことができるかもしれない、ということなんだろう。だとしても……
「光の神なら、異世界にいく方法を知っている?」
「なんだ、アルは異世界に行きたかったのか?」
「興味無くはないけど。俺じゃなくて……」
 アルフレートは、言葉を切って視線を俺に向けた。
「俺は、行かないぞ」
「なんで? 二人とも生きてるのに。……死んだらもう二度と会えない。」
 厳しい顔で睨む青色の瞳に凄みがあり、思わず気圧されてしまった。普段から大きく感情を見せることがないやつだと思っていたが、苛立つ姿は初めて見たかもしれない。
「……光の神なら、死んだひとを生きかえらせることができる?」
「さすがにそれは、理が崩れるので許されないのでは……」
 アルフレートはそうだよね、と神官殿に返していたが冗談には聞こえなかった。きっとこいつにも、他にも叶ってほしい願いがあるのだろう。
「後のことは後で考えればいいのに。ユウキはあんたに幸せになれって言ってたでしょ。」
「まあ、もしできるなら、別れの言葉のひとつでも伝えてくればいいんじゃないか?」
「……レオン。」
 無神経ともとれるレオンハルトの発言にアルフレートはじとりとした目で肩を叩く。
「……ふ」
 こいつがどこかずれているのはいつものことだが、二人のやり取りが可笑しくて笑いが込み上げてくる。
「お前ら、本当にお人好しの上にお節介だな」
「よく言われるな!」
「……レオンはそうだろうね。とにかく。あんたはあんたの好きにすればいいと、思う。」
 本当に簡単に言ってくれる。……でも、それぐらい単純でもいいのかもしれない。
「……もしお試しになりたければ、神殿までいらしてください」
 それだけ言うと、神官殿は帰っていった。