閑話:ニコラウス
私は親の顔を知らない。白い髪に白い肌という、この世界では稀有な見た目であったため、生まれてすぐに神殿へ献上された。……要するに、体よく捨てられたのだ。この外見と光の魔法への適性のお陰で神官になるべく育てられ、祭り上げられることになったが、存在できる理由があるならそれでも良かった。
物心ついた頃から、自身の中に自分とは別の存在があることを感じていたが、他者を知らない私は違和感を持つことはなかった。私の中の『何か』は、良き話し相手であり、孤独な私の唯一の存在だった。代わり映えのない日々のなか、『何か』はよく同じ物語を話して聞かせた。遠い昔の、光の神と闇の神の、ずっとずっと繰り返されてきた出来事。いつも物語の結末はなく、続きを聞いても笑って曖昧にされる。時が来たらわかる、と。
成長するにつれ、時折意識が途切れるようになっていった。そんな時はいつのまにか神殿の祭壇にいて、体は重く、黒く淀んだ力の気配を感じた。私でない『何か』は、一体なんなのか。だんだんと疑問に思うようになったが、当然教えてはくれない。ただ、あともう少しなのだと、繰り返していた。自分の中の『何か』は、普通ではないものなのだということは、もうわかっていた。
体の中に潜む黒い力の気配は年々膨れ上がり、時折あふれだして、発作のように体を蝕んだ。このまま意識まで塗りつぶされ、いつか自分ではなくなるのだろうか。それならせめて、私が私であると認識できるうちに命を終えたい。そう思うようになった頃、『神の御使い』の浄化の装身具が発見された。その指輪を持ってきたのはこの世界で指折りの魔導師の弟子だという人物。彼は、その指輪で異世界の少女を召喚した。
召喚された『神の御使い』を見たとき、身の内の『何か』が歓喜に震えるのがわかった。高揚した感情が私にも伝わる。もうすぐだ、と。その時、私の中に棲む『何か』がなんであるかを、悟った。
凛とした雰囲気の少女……ルカは、突然の出来事に最初のうちは混乱していたが、『神の御使い』となりこの世界の穢れを祓うことを了承した。もっとも、彼女の世界へ帰るためには他に選択肢はないのだが。少しの間中央に留まり、この世界のことや浄化についてなどを教えた。ルカは驚くほど理解が早かったが、何故か物思いに沈んでいる様子がよく見られた。側にいるときは『何か』はなりを潜め、意識を蝕まれることもなかった。やがて彼女は協力者とともに世界の穢れを祓うため中央から旅立っていった。
中央神殿の祭壇からは、私の中にある黒い力の気配と同質のものを強く感じる。ここは、『神の御使い』が浄化して集めた力を光の神の許へ還す場所──そのはずなのに。
恐らく、私のうちの『何か』は、機を伺っていたのだ。ずっと話して聞かせていた物語。その続きが、そう遠くないうちに紡がれるのだ。
……私の中の『何か』は、その通りだと、嬉しそうに答えた。
ほどなくして、ルカはもう一人の『神の御使い』を連れ帰ってきた。かつて『神の御使い』は複数召喚されたこともある、と伝えられていたので、特に気にならなかった。ただ、ルカの様子はここを出発したときと全く違っていた。はっきりとした意志を瞳に宿らせ、新しい『神の御使い』──ユウキとともに、最後まで抗えと、私を助けたいのだ、と。残酷にそう告げた。彼女は、彼女たちは、何を知っているのか。この身の内に巣食う黒い気配の正体──恐らくは、闇の神の力。今さら抗ってどうなるのか。何が変わるというのか。なぜ希望をもたせるようなことを言ったのか。
それでも。二人の言葉は、私の心の内に残った。
彼女たちの旅の軌跡は、それぞれ各地の神殿から届いていた。そしてついに今日、中央都市に戻ってきたと知らせを受けた。
以前より力が体を蝕み、意識も塗りつぶされることが増えた。それでもまだ、私は私としての自我を保っている。明日、彼女たちが神殿を訪れて浄化の装身具を祭壇へ奉納する。何が起きるかは、私にも──恐らく闇の神自身にも、わからないのかもしれない。
どちらにせよ、解放のときは、間近にせまっている。
私は親の顔を知らない。白い髪に白い肌という、この世界では稀有な見た目であったため、生まれてすぐに神殿へ献上された。……要するに、体よく捨てられたのだ。この外見と光の魔法への適性のお陰で神官になるべく育てられ、祭り上げられることになったが、存在できる理由があるならそれでも良かった。
物心ついた頃から、自身の中に自分とは別の存在があることを感じていたが、他者を知らない私は違和感を持つことはなかった。私の中の『何か』は、良き話し相手であり、孤独な私の唯一の存在だった。代わり映えのない日々のなか、『何か』はよく同じ物語を話して聞かせた。遠い昔の、光の神と闇の神の、ずっとずっと繰り返されてきた出来事。いつも物語の結末はなく、続きを聞いても笑って曖昧にされる。時が来たらわかる、と。
成長するにつれ、時折意識が途切れるようになっていった。そんな時はいつのまにか神殿の祭壇にいて、体は重く、黒く淀んだ力の気配を感じた。私でない『何か』は、一体なんなのか。だんだんと疑問に思うようになったが、当然教えてはくれない。ただ、あともう少しなのだと、繰り返していた。自分の中の『何か』は、普通ではないものなのだということは、もうわかっていた。
体の中に潜む黒い力の気配は年々膨れ上がり、時折あふれだして、発作のように体を蝕んだ。このまま意識まで塗りつぶされ、いつか自分ではなくなるのだろうか。それならせめて、私が私であると認識できるうちに命を終えたい。そう思うようになった頃、『神の御使い』の浄化の装身具が発見された。その指輪を持ってきたのはこの世界で指折りの魔導師の弟子だという人物。彼は、その指輪で異世界の少女を召喚した。
召喚された『神の御使い』を見たとき、身の内の『何か』が歓喜に震えるのがわかった。高揚した感情が私にも伝わる。もうすぐだ、と。その時、私の中に棲む『何か』がなんであるかを、悟った。
凛とした雰囲気の少女……ルカは、突然の出来事に最初のうちは混乱していたが、『神の御使い』となりこの世界の穢れを祓うことを了承した。もっとも、彼女の世界へ帰るためには他に選択肢はないのだが。少しの間中央に留まり、この世界のことや浄化についてなどを教えた。ルカは驚くほど理解が早かったが、何故か物思いに沈んでいる様子がよく見られた。側にいるときは『何か』はなりを潜め、意識を蝕まれることもなかった。やがて彼女は協力者とともに世界の穢れを祓うため中央から旅立っていった。
中央神殿の祭壇からは、私の中にある黒い力の気配と同質のものを強く感じる。ここは、『神の御使い』が浄化して集めた力を光の神の許へ還す場所──そのはずなのに。
恐らく、私のうちの『何か』は、機を伺っていたのだ。ずっと話して聞かせていた物語。その続きが、そう遠くないうちに紡がれるのだ。
……私の中の『何か』は、その通りだと、嬉しそうに答えた。
ほどなくして、ルカはもう一人の『神の御使い』を連れ帰ってきた。かつて『神の御使い』は複数召喚されたこともある、と伝えられていたので、特に気にならなかった。ただ、ルカの様子はここを出発したときと全く違っていた。はっきりとした意志を瞳に宿らせ、新しい『神の御使い』──ユウキとともに、最後まで抗えと、私を助けたいのだ、と。残酷にそう告げた。彼女は、彼女たちは、何を知っているのか。この身の内に巣食う黒い気配の正体──恐らくは、闇の神の力。今さら抗ってどうなるのか。何が変わるというのか。なぜ希望をもたせるようなことを言ったのか。
それでも。二人の言葉は、私の心の内に残った。
彼女たちの旅の軌跡は、それぞれ各地の神殿から届いていた。そしてついに今日、中央都市に戻ってきたと知らせを受けた。
以前より力が体を蝕み、意識も塗りつぶされることが増えた。それでもまだ、私は私としての自我を保っている。明日、彼女たちが神殿を訪れて浄化の装身具を祭壇へ奉納する。何が起きるかは、私にも──恐らく闇の神自身にも、わからないのかもしれない。
どちらにせよ、解放のときは、間近にせまっている。