「……なんで」
「なんでって……もう一回言わせるのかよ」
思わず聞き返した私に小さくため息をついたテオドールは、また髪をくしゃっとかき混ぜる。……照れたときのクセだ。
「俺は、ユウキ、お前のことが大切だから……この守り石を持っていろ。拒否は受け付けないからな」
「なにそれ」
さっきと違って、わざとらしい尊大な言い方に笑ってしまう。
するとテオドールの指が伸びてきて、私の頬をそろりと撫で、顔をほころばせた。
「俺はたぶん、お前のその笑った顔が好きなんだな。危なっかしくて放っておけないところも、自分が二の次なお人好しのところも、案外頑固で度胸があるところも。
……ああ、今のその間抜けな顔も、好きだな」
ニッと笑うテオドールからでてきた言葉に脳が処理落ちする。……とりあえず呆然と開けてしまっていた口を閉じておく。貶されてるのか、ほめられてるのか。なんだか、いま、すごいことを言われていないだろうか。
「お前が望むなら、すべてが終わったあと全部忘れてもいい。俺が持っていてほしいだけなんだ。何も言わなくていいから、その石を受け取ってくれ」
そっと頬から離れていく手を、離れていかないで欲しくて、思わず掴んで握りしめた。
忘れてもいいから、と。その言葉が胸に刺さった。前に願いを問われたとき、この世界で起きたこと総てを忘れられたらと思ったくせに。自分が今どんな顔をしているかわからない。テオドールの顔が、見られない。ここまで言ってもらったのに。私はこのままでいいのか。
「……あの……私は、元の世界で予言書の物語が──『予言書のテオドール』が本当にすごく好きで。初めてテオドールを見たときすごく驚いたの。『彼』が目の前に存在して、生きてここにいるって……最初はそんな風に思ってた。でも、当たり前なんだけど、テオドールは『彼』とは全然違ってて……
いつも助けてくれて頼りになるし、なんだかんだ面倒見がいいし、案外素直だし、甘いもの好きなのを隠そうとするところが可愛いし、なるべくそっと撫でようとしてくれるところとか……優しいなって思ってどきどきするし……」
だんだん何を言っているかわからなくなってきた。魔力暴走を起こした時のように、顔がとても熱くて脳が沸騰しそうだ。
「一緒に旅をして、テオドールの色んなところを少しずつ知って……私はテオドールのことを好きになってた……んだと、思う。」
「曖昧だな」
冗談のように批難めいた言葉を口にしながらも、テオドールは今もしどろもどろになる言葉の続きを待ってくれる。瑠果ちゃんと話したときに想像した、知らない誰かのものだと思っていた優しい目を私に向けながら。
「だって……恋とかそういう意味の好きってよく分からない。私はただテオドールに幸せになって欲しいだけなんだもん。ただ、その幸せのなかに私が含まれているんだとしたら……すごく、嬉しいと思う。あとはとにかく顔が良くてときどきイライラする」
「それは……褒められているのか?」
「褒めてる。…………テオドールが、すごくかっこいいから。みとれる。ずるい。」
そうか、と呆れるように笑うから、胸の奥がぎゅっとなる。そう、その表情がすごく、好きだ。テオドールが言ってくれたのと同じ。テオドールが好きだから、その作り出される表情すべてに心を奪われてしまう。
「えっと、とにかく! 私の守り石も、持っていてほしい。お願い」
「……返せって言われても返さないぞ。いいのか」
「うん。私も、テオドールのことが特別で、大切だから」
本当はずっと一緒に居られたら嬉しい。でも、それは口にしない。首から下げた小さな袋を取り出し、中から黒い透き通った私の守り石を取り出す。ぎゅっと握りこんで、祈りを籠めた。どうか、テオドールを守ってくれますように。交換したテオドールの榛色の守り石を代わりに袋に入れて、また服の内側にしまいこんだ。服の上からその存在を確認し、とても暖かい気持ちになった。
「……ユウキ、抱き締めてもいいか?」
わざわざ許可をとるテオドールに律儀だなと内心微笑ましく思いつつ、その申し出に頷く。テオドールが腕を広げるので、近づいてゆっくり体を預けるとそっと私を包み込んだ。テオドールの匂いだ。おずおずと、私も背中に手を伸ばすと、テオドールの心臓の音がもっと近くに聞こえた。ユウキ、と私の名前を呼んで、少し腕の力が強くなった。低い落ち着いた声が心地いい。この瞬間を噛み締めるようにゆっくり息を吸って、吐く。今まで感じたことのない暖かくて幸せな感覚が身体中に広がって、自然に口角が上がる。耳にかかる吐息がくすぐったくて、こんなにどきどきするのに、とても安心するんだから不思議だ。
「……名前を呼んでくれる声も好きだな」
「それは、俺もだな。ユウキが俺を呼ぶ声が心地いい」
ぽつりと呟くと、テオドールも応えるように笑った。同じように感じてくれるのが嬉しくて、私もまた、意味もなく名前を呼びたくなった。
「テオドール。」
「……テオだ。」
「……ええ……」
そう呼べと、言うのだろうけど、呼び方を変えるのは今更な気がしてちょっと気恥ずかしい。
「レオンハルトだけ親しく呼んでいるのがずるい。俺も呼べ。」
「えっと……つまりそれは、嫉妬?」
少し拗ねたような声音につい思ったことをそのまま口に出してしまった。テオドールは小さなため息をこぼしつつ、そうだ、と肯定した。素直に答えてくれると思わなかった。テオドールもそんな風に思うんだ。ちょっと……いやかなり、嬉しいかもしれない。
「……テオ。」
「ああ。」
私が名前を呼ぶと、嬉しそうに目を細めた。
「……願いの数が増えたとしても、もとの世界に帰るんだろう?」
「うん。……やっぱり、私とテオは住む世界が違うと、思うから」
「お前がそう決めているなら、それでいい」
私がこの世界に残っても、テオドールが私の世界に来ても、自身の世界を捨てていくことになる。ゲームのエンディングのように、簡単にめでたしめでたしとはいかない。ただ好きなだけじゃ、どうにもならない隔たりがある。自分の故郷や大切な人たちを捨ててまで、一緒にいて欲しいとは言えない。それはきっとテオドールも同じだ。……そうだよね、とは聞きたくない。
きっと、ただ同じ世界に生まれただけではテオドールのことを好きにならなかっ……た……? いや、そんなことないかもしれないなぁ。でもその場合は確実に、私はテオドールの目には留まらないし、叶わぬ恋ではあったろうけど。思わず笑いが漏れて、テオドールが怪訝そうに顔を覗き込んできた。
「……何を考えてたんだ?」
「えっと、私がこの世界で生まれても、きっとテオのことを好きになってたなって」
テオドールは豆鉄砲を食らったような顔になると、それから視線をさまよわせて、もう一度私の顔を隠すように抱き締めた。
「お前時々、恥ずかしいことをさらっと言うよな……」
ははあ、これは顔が見られたくないやつだな。僅かながらさっきより心音も速い。テオドールさんは不意打ちに照れやすい、と覚えておこう。そう思ってにやけていると、非難するようにテオドールが私の頭をぽんと叩く。何故バレているのか……でもそれが嬉しくて。
「帰っても、忘れないから……テオも私のこと、…………覚えていて。」
「……ああ、忘れない。ずっと覚えている」
できれば他の誰かを好きになるまでは忘れないでいてくれたら。そう言おうとして、呑み込んだ。否定の言葉じゃなくて、前向きな言葉に換えて。せめてこれぐらいのわがままは許してもらいたい。
願い事が叶うなら、全てを忘れたいとも思ったけれど、とても忘れられない。忘れられる訳がない。この温もりを覚えていたい。
そっと髪を透く手つきが心地よくて、私たちはしばらくの間そうして抱き合っていた。
「なんでって……もう一回言わせるのかよ」
思わず聞き返した私に小さくため息をついたテオドールは、また髪をくしゃっとかき混ぜる。……照れたときのクセだ。
「俺は、ユウキ、お前のことが大切だから……この守り石を持っていろ。拒否は受け付けないからな」
「なにそれ」
さっきと違って、わざとらしい尊大な言い方に笑ってしまう。
するとテオドールの指が伸びてきて、私の頬をそろりと撫で、顔をほころばせた。
「俺はたぶん、お前のその笑った顔が好きなんだな。危なっかしくて放っておけないところも、自分が二の次なお人好しのところも、案外頑固で度胸があるところも。
……ああ、今のその間抜けな顔も、好きだな」
ニッと笑うテオドールからでてきた言葉に脳が処理落ちする。……とりあえず呆然と開けてしまっていた口を閉じておく。貶されてるのか、ほめられてるのか。なんだか、いま、すごいことを言われていないだろうか。
「お前が望むなら、すべてが終わったあと全部忘れてもいい。俺が持っていてほしいだけなんだ。何も言わなくていいから、その石を受け取ってくれ」
そっと頬から離れていく手を、離れていかないで欲しくて、思わず掴んで握りしめた。
忘れてもいいから、と。その言葉が胸に刺さった。前に願いを問われたとき、この世界で起きたこと総てを忘れられたらと思ったくせに。自分が今どんな顔をしているかわからない。テオドールの顔が、見られない。ここまで言ってもらったのに。私はこのままでいいのか。
「……あの……私は、元の世界で予言書の物語が──『予言書のテオドール』が本当にすごく好きで。初めてテオドールを見たときすごく驚いたの。『彼』が目の前に存在して、生きてここにいるって……最初はそんな風に思ってた。でも、当たり前なんだけど、テオドールは『彼』とは全然違ってて……
いつも助けてくれて頼りになるし、なんだかんだ面倒見がいいし、案外素直だし、甘いもの好きなのを隠そうとするところが可愛いし、なるべくそっと撫でようとしてくれるところとか……優しいなって思ってどきどきするし……」
だんだん何を言っているかわからなくなってきた。魔力暴走を起こした時のように、顔がとても熱くて脳が沸騰しそうだ。
「一緒に旅をして、テオドールの色んなところを少しずつ知って……私はテオドールのことを好きになってた……んだと、思う。」
「曖昧だな」
冗談のように批難めいた言葉を口にしながらも、テオドールは今もしどろもどろになる言葉の続きを待ってくれる。瑠果ちゃんと話したときに想像した、知らない誰かのものだと思っていた優しい目を私に向けながら。
「だって……恋とかそういう意味の好きってよく分からない。私はただテオドールに幸せになって欲しいだけなんだもん。ただ、その幸せのなかに私が含まれているんだとしたら……すごく、嬉しいと思う。あとはとにかく顔が良くてときどきイライラする」
「それは……褒められているのか?」
「褒めてる。…………テオドールが、すごくかっこいいから。みとれる。ずるい。」
そうか、と呆れるように笑うから、胸の奥がぎゅっとなる。そう、その表情がすごく、好きだ。テオドールが言ってくれたのと同じ。テオドールが好きだから、その作り出される表情すべてに心を奪われてしまう。
「えっと、とにかく! 私の守り石も、持っていてほしい。お願い」
「……返せって言われても返さないぞ。いいのか」
「うん。私も、テオドールのことが特別で、大切だから」
本当はずっと一緒に居られたら嬉しい。でも、それは口にしない。首から下げた小さな袋を取り出し、中から黒い透き通った私の守り石を取り出す。ぎゅっと握りこんで、祈りを籠めた。どうか、テオドールを守ってくれますように。交換したテオドールの榛色の守り石を代わりに袋に入れて、また服の内側にしまいこんだ。服の上からその存在を確認し、とても暖かい気持ちになった。
「……ユウキ、抱き締めてもいいか?」
わざわざ許可をとるテオドールに律儀だなと内心微笑ましく思いつつ、その申し出に頷く。テオドールが腕を広げるので、近づいてゆっくり体を預けるとそっと私を包み込んだ。テオドールの匂いだ。おずおずと、私も背中に手を伸ばすと、テオドールの心臓の音がもっと近くに聞こえた。ユウキ、と私の名前を呼んで、少し腕の力が強くなった。低い落ち着いた声が心地いい。この瞬間を噛み締めるようにゆっくり息を吸って、吐く。今まで感じたことのない暖かくて幸せな感覚が身体中に広がって、自然に口角が上がる。耳にかかる吐息がくすぐったくて、こんなにどきどきするのに、とても安心するんだから不思議だ。
「……名前を呼んでくれる声も好きだな」
「それは、俺もだな。ユウキが俺を呼ぶ声が心地いい」
ぽつりと呟くと、テオドールも応えるように笑った。同じように感じてくれるのが嬉しくて、私もまた、意味もなく名前を呼びたくなった。
「テオドール。」
「……テオだ。」
「……ええ……」
そう呼べと、言うのだろうけど、呼び方を変えるのは今更な気がしてちょっと気恥ずかしい。
「レオンハルトだけ親しく呼んでいるのがずるい。俺も呼べ。」
「えっと……つまりそれは、嫉妬?」
少し拗ねたような声音につい思ったことをそのまま口に出してしまった。テオドールは小さなため息をこぼしつつ、そうだ、と肯定した。素直に答えてくれると思わなかった。テオドールもそんな風に思うんだ。ちょっと……いやかなり、嬉しいかもしれない。
「……テオ。」
「ああ。」
私が名前を呼ぶと、嬉しそうに目を細めた。
「……願いの数が増えたとしても、もとの世界に帰るんだろう?」
「うん。……やっぱり、私とテオは住む世界が違うと、思うから」
「お前がそう決めているなら、それでいい」
私がこの世界に残っても、テオドールが私の世界に来ても、自身の世界を捨てていくことになる。ゲームのエンディングのように、簡単にめでたしめでたしとはいかない。ただ好きなだけじゃ、どうにもならない隔たりがある。自分の故郷や大切な人たちを捨ててまで、一緒にいて欲しいとは言えない。それはきっとテオドールも同じだ。……そうだよね、とは聞きたくない。
きっと、ただ同じ世界に生まれただけではテオドールのことを好きにならなかっ……た……? いや、そんなことないかもしれないなぁ。でもその場合は確実に、私はテオドールの目には留まらないし、叶わぬ恋ではあったろうけど。思わず笑いが漏れて、テオドールが怪訝そうに顔を覗き込んできた。
「……何を考えてたんだ?」
「えっと、私がこの世界で生まれても、きっとテオのことを好きになってたなって」
テオドールは豆鉄砲を食らったような顔になると、それから視線をさまよわせて、もう一度私の顔を隠すように抱き締めた。
「お前時々、恥ずかしいことをさらっと言うよな……」
ははあ、これは顔が見られたくないやつだな。僅かながらさっきより心音も速い。テオドールさんは不意打ちに照れやすい、と覚えておこう。そう思ってにやけていると、非難するようにテオドールが私の頭をぽんと叩く。何故バレているのか……でもそれが嬉しくて。
「帰っても、忘れないから……テオも私のこと、…………覚えていて。」
「……ああ、忘れない。ずっと覚えている」
できれば他の誰かを好きになるまでは忘れないでいてくれたら。そう言おうとして、呑み込んだ。否定の言葉じゃなくて、前向きな言葉に換えて。せめてこれぐらいのわがままは許してもらいたい。
願い事が叶うなら、全てを忘れたいとも思ったけれど、とても忘れられない。忘れられる訳がない。この温もりを覚えていたい。
そっと髪を透く手つきが心地よくて、私たちはしばらくの間そうして抱き合っていた。