穢れの気配を感じて、皆で街道を外れて森の方へ入った。木々がまばらで見通しは悪くないけれど、気配の位置がどんどん変わってなかなかつかめない。何かの動物が穢れをもって移動しているのかもしれない。もう少し探してみようと引き続き森を進んでいると、今度はだんだんとこちらに近づいてくる。
「何かこっちに向かって来るみたい!」
 瑠果ちゃんの言葉に、皆で円陣のようになり周囲を警戒する。どこから来るんだろう。弓を握りしめる手に力が入った。
 突然、きゅぴぃぃいいと、超音波のような大きい音が周囲に響いた。脳を揺さぶられるような感覚に視界がぐらぐらする。頭上を大きな影が通り越していった。
 ぐるりと旋回して、またすごい勢いでこちらに戻ってきた大きな影……鳥は、人が乗れそうな位大きな翼を広げて、くちばしを開ける。再びけたたましい音が響いて、たまらず耳をふさぐ。大きな鳥はそのまま私たちに向かって飛びかかってきた。
 自分の体が──私の前にいたテオドールも、その足の鋭い鉤爪に引っ掛けられ宙を舞う。飛ばされた視界のすぐ先は地面が見えない。まさか、崖だろうか。一度地面に叩きつけられ勢いのまま転がり、そのまま宙に投げ出された。
 肩に強い衝撃が走り、落ちていく体ががくんと止まる。慣性でゆらゆらと揺れて、崖下の光景に目が眩んだ。かなり、高い。落ちたらただで済むわけがない。
「ユウキ……下を見るな」
 上からかかる声にハッとする。テオドール、だ。崖に乗り出すように私の手首を掴んでくれていた。落ちなかったのはテオドールのおかげだ。ほっとしたのも束の間、上を向いた私の頬にぽたぽたと生暖かい何かが垂れてくる。
「テオドール……血が……!」
 掴んでいる腕を伝って、テオドールの血が流れ落ちてくる。さっきの鳥に飛ばされたときにどこか怪我をしたのか。血で手が少し滑り、体がさらに下がった。ゆらゆらとまた揺れる体に内臓が冷える心地がする。かろうじて手を掴んでいるが、腕が痛むのかテオドールの顔が歪んでいる。
「今、引き上げるから……待ってろ」
 皆も先ほど同じように宙を舞っていたのが見えた。幸い崖方面には飛ばされていないようだけど、すぐに助けが来る気配はない。一瞬でいろんな考えが頭を過っていく。
 このままだと、テオドールまで落ちてしまう。今の私には傷は治せないし、たとえもし私がいなくても。ヒロイン役の瑠果ちゃんさえいれば、皆の願いを叶えるにも事足りる。私は元から、物語には必要ない存在なのだから。手を離せば。テオドールは助かる?
 ──そこまで考えて、思わず手の力がゆるんだ。
「馬鹿、お前っ……」
 ガラッと何かが崩れる音がして、体が重力を感じる。絶叫マシンに乗っているような浮遊感だ。世界がスローモーションになったみたいで、妙に頭が冷静になる。テオドールの乗り出していた崖部分が崩れたのか。嘘みたい。手を離しても意味はなかったか。
「テオドール! ユウキ!」
 風がぶわりと起きて体が押し上げられ、次いで背中に激しい衝撃を感じて息がつまる。
「すまん、化け鳥をなんとかするから少し待ってくれ!」
 はるか上からレオンハルトの声が響いた。体は痛むけれど、それが逆に生きていることを感じさせる。たぶんアルフレートが風の魔法で落下の衝撃を和らげてくれたようだ。
 間一髪助かったことに息を吐き出したところで、私の手を掴んだままのテオドールの腕は上部がざっくりと切れ血まみれになっているのに気がついた。
「テオ、大丈夫?! とりあえず止血を……」
「ユウキ」
 顔をあげたテオドールは、無表情に私を見据えた。有無を言わせぬその迫力に口を閉じて何も言えなくなる。
「怪我は。」
 そう言われて、自分の状態を確認する。擦り傷とたぶん打ち身程度……肩も恐らく衝撃で痛めただろうけど、それほどではない。
「大きな怪我は、ない……と、思います」
「……そうか」
 それだけ確認すると、そのままテオドールの腕の中に強く抱き竦められた。肩口にテオドールの圧し殺した息がかかる。あまりに力が強くて、肺が押し潰されそうに苦しい。
「て、テオドール、あの、痛……」
「ふざけるなよ、お前、手を離そうとしただろ」
 絞り出したようなテオドールの低い声に、顔は見えないがひしひしと怒りが伝わってくる。今さらになってさっきの状況が思い起こされた。頭の隅に追いやられていた恐怖に、体が小さく震えた。
「……ごめんなさい」
 あのとき半ば無意識に手の力が緩んでしまったけれど、もし逆で、同じ事をされたら私も怒り狂うと思う。テオドールの怒りはもっともだ。

 少しの間そうしていたけれど、抱き締める力が緩んで息がしやすくなる。大分落ち着いてきたのもあり、今度はだんだんと居たたまれなくなってきた。この前は魔力が暴走していたからその対処みたいなものだったし、それどころではない状況だったし……それに、そう、今は腕!!
「テオドール、腕の止血しなきゃ!」
 放してもらえるようテオドールの背中をぽんぽん叩くと、ふいに体から力が抜けて、私の方にぐっと体重がかかった。
「テオドール?」
 すぐに返答が無いことが不安になるが、肩に寄りかかるようになっていたテオドールが大きく息を吸って吐いた。
「……悪い、少し目眩がした」
 思いの外血が流れたのかもしれない。今治癒はできないので、とりあえず傷の部分を強く縛って止血することにした。あとで瑠果ちゃんに見てもらわなきゃ。
「結局俺だけじゃお前を助けられなかったな」
 大人しく手当てを受けていたテオドールがぽつりと呟く。きまりの悪そうな表情の顔は血が減ったせいか少し白い。きっとまだ、あの賊に襲われたときのことに責任を感じているんだろう。あれからずっと、テオドールはどこか私に過保護なままの気がする。
 私が言えたことでは無いのだけれど、あまり気にしすぎるのは堂々巡りになって精神衛生上良くない。それにきっと今、脳貧血みたいな状態で思考能力も落ちているのでは。
「そうしたら、皆がいて良かったなって、思うのはどう?」
 私のせいでテオドールも危なかったけれど、私たちは二人だけじゃなかった。仲間がいたから、おかげで死なずに済んだ。発想の転換は少し自身の気持ちを軽くした。
 テオドールは少し驚いた目をしたあと、ふっと優しく笑った。
「……なるほど。確かにそうだな」
 怪我をしていない方の手を伸ばして、テオドールが私の手を掴んだ。先ほどと違って加減はされているが、その力は強いことにどぎまぎする。
「同じ様なこと……はもうないといいが、次また手を離そうとしたら、許さないからな」
「……うん。ありがとう、テオドール」
 テオドールを道連れに死んでしまうところだったのに。謝るよりお礼を言いたかった。ありがとう、そんな風に言ってくれて。最後まで、手を離さないでいてくれて。