がたごとと揺れる馬車の中で、私はこの世界の文字を勉強していた。
『ユメヒカ』の熱烈なオタクを自称していた身としては、スチル等で描かれた文字は解読し把握しているけれど、さすがに全部が載っていた訳ではないのでその他の文字は読めない。喋れないスピカとスムーズにコミュニケーションをとるためにも、この機会にしっかりと覚えることにしたのだ。
 バルトルトがノートに書いてくれた見本の文字を読んだり書き取りしたり、横で眺めているスピカも時折書き込んで単語を教えてくれる。基本文字を組み合わせて並べていくタイプなので、そこまで複雑じゃないのが救いだ。
 そういえば出会ったときの暴れ鹿が炎に包まれた現象について聞いてみたところ、やはり彼女の魔法だったようだ。ただ魔法として使えるようになって日が浅いらしく、制御もまだうまくできないらしい。せっかくなので、魔法については最寄りの村までの道中バルトルトに見てもらうことになった。
 街道を北に向かって進んでいると、突然ざわりと嫌な気配を感じとった。きっと近くに穢れがあるんだ。テオドールとバルトルトに声をかけて馬車を停めてもらう。
「どのあたりから感じる?」
「たぶん、ここから少し東の方だと思う」
 街道の東側は森になっている。馬車のままでは進むことが出来ないので、この場に置いていくことにした。スピカについてはどうしようかとなったけれど、一人で待っているのも危険なので、全員で向かうことにした。
 森の中を東に歩いていくと、穢れの気配がだんだんに濃くなってきた。ふいに嘶きが聞こえたと思うと、前方から何かが猛スピードで突進してくるのが見えた。
 大きな角が目立つ、翼の付いた何か。体は真っ黒で、中心にあたる球体から黒いもやを滲み出している。穢れから生まれた魔物だ。真っ直ぐに向かってくるため、軌道から逸れるように飛びのいて避ける。
「気を付けて! また来ます」
 魔物はすぐさまUターンをしてこちらに来るので、さっきと同じように避ける。それを数度繰り返して、私はすでにかなり疲れてしまった。この速さじゃどう攻撃していいのか……避けるので精一杯だ。それに、何だか特に私がいる方に来る気がする。私たちといるとスピカに怪我をさせてしまうかもしれない。
「バルトルト、スピカをあっちに!」
スピカを抱えていたバルトルトに声をかけると、同じことを考えていたのかわかったというように頷く。再びの攻撃を避けたあと、少し離れた茂みにスピカをおろした。
「ごめんねスピカ、危ないから少しここにいて!」
「──っ」
 スピカと離れ、私たちも大きな木の後ろに一旦身を隠す。木がたくさんあるところなら真っ直ぐに突進を繰り返すあの魔物も攻撃しづらいだろう。
「とりあえず魔法で攻撃しますか?」
「だとしても、速すぎて隙がないな……」
「光で目眩ましをやってみる?」
「できるか?」
「たぶん大丈夫」
 小さな作戦会議を終えて、魔物の位置を確認する。練習していた目眩ましを遂に実戦で使ってみることになる。しっかりイメージしなくては。
 再びこちらに向かってきたところで魔物へ光の矢を放つ。目の前で光が爆発するようなイメージ……その通りに急激に膨れ上がった光に、魔物は怯んだように動きを止めた。
 その機を逃さずテオドールがダガーで斬り込み、すかさずバルトルトが風の刃を叩き込む。魔物はつんざくような悲鳴をあげた。中央の球体から出る黒い霧が心なしか弱々しい気がする。今なら浄化できるかもしれない!
 光で魔物を包み込み、少しずつ穢れが吸い込まれていく。形を失いながらも魔物は身じろぎするように暴れて、黒いもやを矢のように尖らせ四方へ飛ばしてきた。まずい、あちらはスピカのいる方だ!
「スピカ!」
 焦りに声を張り上げると、ごおっと彼女の周囲を囲むように炎の壁が燃え上がる。スピカの魔法だ。魔物の方は最期の抵抗だったようで、光に溶け浄化のアクセサリーに吸い込まれていった。
 急いで駆け寄るとスピカは炎のなかで膝をつき震えている。呼びかけてもこちらを振り向かず、魔力が暴走を起こして制御が効かなくなっているみたいだ。
「まずいな、動転しているようです」
「ちっ……勢いが強すぎる」
 炎の勢いは激しく、このままじゃスピカ自身まで燃えてしまう。熱だけでも喉が焼けてしまうんじゃないだろうか。どうしよう、どうしたらいい。
 はっと思いついて、自分を落ち着かせるように大きく息を吸って吐く。あのときの光の壁を、自分の周りに薄く張り巡らせることができれば、炎に潜っても大丈夫なのでは?
 集中して、体に魔力を行き渡らせるイメージ。ウェットスーツのように光の壁で体に膜を作るんだ。できる、できなければ、スピカを助けられない。
「ユウキさん、いったい何を……」
 すっと腕を炎にさし入れてみる。うん、熱くない、大丈夫だ。これならいけるはず。覚悟を決めて、炎の渦へと身を投じた。
「ユウキ!」
 渦の中心までたどり着き、震えるスピカをそっと抱き締める。大丈夫だよ、と伝えるように背中をさすった。腕のなかの息遣いが少しずつ穏やかになって、あわせるように炎も鎮まっていく。炎が完全に消えてしまうと、力を使って疲れたのかスピカは気を失うように眠ってしまった。それを見届けて、私の意識もそこでぷつりと途切れた。