「! 寝坊、」
いつもよりすっきりと目が覚めたときに限って時計を見ると、家を出る時間だったり講義や仕事が始まる時間だったりすることがある。あの現象は何なのだろう。今回もやたらと目覚めが良く寝坊かと思い勢い良く起き上がると、辺りはまだ静寂だった。
寝入ってからそれほど時間が経っていないのだろう、隣には長門さんが寝ている。睡眠があまり必要ないと言っても眠ることはできるようで、規則正しい寝息が聞こえている。抱きしめていた両腕からは力が抜け、今は、起き上がった私の腰当たりに添えられているだけだ。
「んん…?」
長門さんが小さく身動ぎしたかと思うと、緩やかに現れた双眼が私を見ていた。起こしてしまったかと申し訳なく感じていると、ぼんやりとしたその瞳はまるで黒曜石が埋め込まれているかのように美しく黙っていた。
「…長門さん?」
あまりに微動だにしないものだから、心配になり呼び掛ける。
「………なんだ、せっかく寝たのにもう起きたのか」
「目が覚めちゃって…。起こしてしまいましたよね」
「気にするな。だが、朝までもう少しばかり時間がある。まだ横になっていろ」
長門さんが身体を起こしたかと思うと力強く抱き込まれ、再びぬくもりに包まれることとなった。今度は正面から抱き合う体勢になり、長門さんの匂いが肺一杯に広がった。
「…こうしていると、自分が人間であるかのような錯覚になる。どうしたって俺は戦艦の依り代だというのにな」
「私、長門さんが人間じゃないなんて思いませんよ。戦艦の依り代としての長門さんを否定しているわけではありませんが、こうして言葉を交わして…どうしたって長門さんは一人の人間です。だから、そうやって線引きするようなこと言わないでください」
「陽菜、」
「その…私は長門さんを一人の男性だと思って接しています。だから、こういうことされるとドキドキしてしまいます…」
後半はもう、自分の声よりも心臓の音の方が大きいのではないだろうかと思うほどには、小さくか細い声になっていた。聞こえていないかもしれないと思ったが、どうやら長門さんの耳には届いていたようで、腰に回された腕に力が入るのを感じた。
「なんだろうな…、俺は戦艦として生き、そして運命を共にするものだという自分の生き方に疑問を抱いたことなどなかったんだ。しかしお前といると、一人の人間として…男として認識してもらいたいと感じる自分がいることに気が付いたんだ。俺の存在理由や戦う意味をお前の中に見出だし、お前が生きる未来を守りたいと奮起したのも事実なのだが。…どうにも欲の方が勝る」
「…戦艦の依り代という運命があったとしても、自分の考えを持ったっていいはずです。長門さんはこうして生きているんですから」
「それは、お前に対して劣情を抱いてもいいということか?」
「れっ…?! そ、それは聞き流しておきますね…。…けど、生きるってそういうことじゃないですかね。周りに流されてばかりで自分の考えを持ち合わせていなかったら、それって生きていても、生きているって言えないのかなって。私はそう、思います。…すみません」
背負うものも、立場も違うのに、でしゃばりすぎた気がして最後に謝罪を加えた。長門さんは「なぜ謝る? なかなかに痺れたぞ」と言ってくれたが、平和を享受しすぎた小娘の薄っぺらな考えだったかもしれないと申し訳なさが一層沸き起こってくる。
「お前と居るときは一人の男として接しても何ら問題はないということだろう。もちろん戦艦の依り代としての運命は全うするさ。陽菜、お前に感謝しよう。お前と居ると俺は人間に成れるようだ」
そう言って長門さんは私の肩に顔を埋めた。
添い寝事件から長門さんと私の距離は、ぐんと近付いた。あんなに情熱的とも言える告白をされたものの、好きだといった確信を突くような台詞は言われることはなかった。言ってしまったら最後、後戻りができなくなるとお互いに分かっているからなのだろう。長門さんはここに生き、私は未来を生きている。
それは、突然の出来事だった。
フネでの生活にも慣れ、私は軽い雑用を任されるようになっていた。私が甲板で作業していたときのこと、フネの側面に打ち付けられた波が勢いを増し、私と近くにいた乗組員さん数名を飲み込んで海へと投げ飛ばしたのだった。それは一瞬の出来事で、少し離れたところにいた乗組員さん達が駆け寄って来るが、手を伸ばしたところで届きはしなかった。私はここへ来てから二度目の死を覚悟しながら意識を手放した。